Les Enfants Terribles, with costume design by
Christian Dior
newly restored in 4K

【History】 クリスチャン・ディオールと 『恐るべき子供たち』

フランス公開70周年を記念して修復された『恐るべき子供たち4Kレストア版』 。2021年10月2日よりリバイバル公開

Les Enfants Terribles, with costume design by Christian Dior newly restored in 4K
Les Enfants Terribles, with costume design by Christian Dior newly restored in 4K
History/

【History】 クリスチャン・ディオールと 『恐るべき子供たち』

Les Enfants Terribles, with costume design by
Christian Dior
newly restored in 4K

text: miwa goroku

1920〜50年代のパリにおいて、絵画、文学、詩、演劇、映画と多岐にわたるフィールドで活躍し、当時のインテリの象徴的存在となったジャン・コクトー。小説 『恐るべき子供たち』(1929年)は自他共に認める最高傑作で、執筆からおよそ20年を経て、当時の注目新人だったジャン=ピエール・メルヴィルにのみ初めて映画化を許したという。コクトー本人もナレーションと脚色で参加しており、映画 『恐るべき子供たち』 は今なお奇跡のコラボとして、またフィルムノワールやヌーヴェルヴァーグの胎動を宿した伝説の名作としても世界中の芸術家や愛好家たちのリスペクトを集め続けている。

本作はクリスチャン・ディオールが衣装を担当。自身のメゾンを41歳で設立後、“ニュールック” で革命的デビューを飾ったのが1947年だから、1950年製作の本作衣装を手がけたのはデザイナーとして最盛期にあった頃といえる。ここではディオールが活躍した当時における映画とデザイナーの関係について、少し掘り下げてみよう。

 

1920年代、狂乱の時代のパリ

『恐るべき子供たち』は、溺愛していたレーモン・ラディゲとの死別をきっかけに阿片に溺れて中毒となったコクトーが、入院していた施設の中で「わずか17日間で書き上げた」(『阿片』)という小説である。このとき憔悴しきったコクトーの代わりにラディゲの葬儀を手配し、入院費用も負担したのはデザイナーのココ・シャネルだったといわれている。

1920年代、ジャージー素材などを取り入れた解放的なスタイルで人気を集めていたシャネルは、衣装デザインを提供する以前にパトロンとして、若い才能たちへのスポンサードを行なっていた。画家パブロ・ピカソ、作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキー、詩人ピエール・ルヴェルディ、振付家セルゲイ・ディアギレフ、映画監督ルキノ・ヴィスコンティにフランコ・ゼフィレッリ…… ジャン・コクトーもまたシャネルに支えられたひとりであり、ファッションと映画の関係を最初に結んだのはシャネルといっていいだろう。

 

コクトー、シャネル、ディオールがコラボ

時は進んで1930年代、クリスチャン・ディオールは30代でロベール・ピケのアトリエで働きはじめ、映画や舞台劇の衣装も担当していた。その中のひとつに、ジャン・コクトー本人から直接声をかけられて参加した舞台 『円卓の騎士』(1937年)もあった。出演者のジャン・マレーが履くストッキングを直接彼の足に描くという面白い仕事で、衣装の方はココ・シャネルが担当していた。コクトーとディオールとシャネルがコラボするという、なんとも贅沢な時代のパリ。ナイトクラブに足を運べば、パブロ・ピカソ、レーモン・ラディゲ、エリック・サティ、ジャン=ポール・サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、エディット・ピアフ、藤田嗣治などが議論を交わしている、その風景を思い起こすだけで当時のパリの高揚が伝わってくるようだ。

ウエストを絞ったテーラードスーツは、1950年代のディオールを代表するスタイル。幾何学から着想を得たさまざまなラインを生み出した | 『恐るべき子供たち 4Kレストア版』より

 

ディオールの50年代

コクトー映画において、衣装を含む美術全般はクリスチャン・べラールに任されていた。代表作 『美女と野獣』(1946年)の映像美を思い起こせばその作風がわかるだろう。ところが 『恐るべき子供たち』 の撮影前年にべラールは急死してしまい、急きょディオールに衣装製作の依頼が行くことになった。ちなみにシャネルはこのとき、第二次世界大戦後の混乱を逃れてスイスに亡命中だった。

そんな運命が導いた座組においてディオールが手がけたのは、作中に登場する女優2人の衣装である。ひとりは、主役である姉エリザベットを演じたニコール・ステファーヌ、そしてもうひとりは、エリザベットのモデル仲間で孤児のアガット(と、弟のポールが思いを寄せていた男性ダルジュロスの二役)を演じたルネ・コジマ。

アガット(ルネ・コジマ)がモデルのウォーキングを教えるシーン。本作の中で最も華やかなドレスを着用。戦後すぐの時代、ディオールのドレスはストイックな装いを強いられてきた女性たちを歓喜させた | 『恐るべき子供たち 4Kレストア版』より

以後ディオールは、顧客でもある女優たちからの直接指名も増えていった。当時の代表作として挙げられるのはアルフレッド・ヒッチコックの 『舞台恐怖症』(1950年)で、出演したマレーネ・ディートリヒはディオールの友人でもあった。このほか、クロード・オータン・ララの 『乙女の星』(1945年)、ジュリアン・デュヴィヴィエ 『巴里の空の下セーヌは流れる』(1951年)もディオールが衣装を手がけた作品だ。

終盤のクライマックスへと向かう夢の中で、ディオールの艶やかなガウンを羽織り森を彷徨うエリザベット | 『恐るべき子供たち 4Kレストア版』より

ディオールからサンローランへ

ディオールによるファッション変革は、メゾン設立からわずか10年のうちになされたというのは有名な話である。1957年10月24日に心臓発作で急逝する直前、当時まだ21歳だったイヴ・サンローランをあらかじめ後継者に指名していたのも、ディオールの偉大な功績のひとつといえるだろう。サンローランは、ジャン・コクトーの友人であり熱烈なファンだったピエール・ベルジェのパートナーとなり、コクトーとも交流を持った。アートをファッションに取り入れた世界初のスタイルといわれる “モンドリアンルック”(1965年)をサンローランが発表したのは、コクトーの死から2年後のことである。映画衣装においては 『昼顔』(1964)のカトリーヌ・ドヌーヴをはじめ、時代を象徴するファッションアイコンをスクリーンの中から輩出。サンローランの登場により、ファッションと映画はますます近づいていく。

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