Theseus Chan

世界的グラフィックマガジン『WERK』の発行人 Theseus Chan (テセウス・チャン) インタビュー

Photo by Shu Fukuya

Theseus Chan
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Portraits/

世界的グラフィックマガジン『WERK』の発行人 Theseus Chan (テセウス・チャン) インタビュー

Theseus Chan

Photographer: Shu Fukuya
Writer: Mami Hidaka

“Not good things make it good”.

2000年に創刊されて以来、印刷物の常識を覆し続けているシンガポール発の世界的グラフィックマガジン『WERK (ヴェルク)』。先日、CoSTUME NATIONAL (コスチューム・ナショナル) とタッグを組んだ最新号の完成を記念する展覧会『WERK Magazine Smashing Hits』が開催された。大量の古書とともにインスタレーション形式で展示された最新号は、布に印刷物が縫い付けられ、オブジェの様相を呈するものであった。そんな同誌の発行人、Theseus Chan (テセウス・チャン) がテーマに掲げるのは「もっと荒々しく、激しく、感情を呼び起こす本」。あくまでも「本をつくるというベースは変わらない」と語るテセウスに、最新号のコンセプトや今後の展望を聞いた。

—まず最新号『WERK NO.27』で、ファブリックを用いることになった経緯を教えてください。

ファッションの観点にこだわったというよりは、新しいフォルムで最新号を発表したかったという気持ちの方が大きいです。やはり本というと、どうしても「平らで長方形のもの」という固定概念がある。それを打ち破るためにこれまでとは違ったフォルムで発表したいという大きなテーマから、最新号は出発しています。

—前回(NO.26)も両端が綴じられており、読者がそれを破らないと中身を見ることができないというきわめて破天荒なものでした。最新号はそれをさらに超えて、完全に雑誌の概念を逸脱しています。Tシャツに印刷物を縫い付けるというアプローチにはどのような意図がありますか?

本とオブジェクト、それぞれが持つ面を意識したのがNO.26でした。たんに見たり読むものとしてではなく、読者がよりインタラクティブな経験を得られるようなフォルムを目指したのです。フィジカルな動きを加えることに意識を集中させて制作しました。

—ではフィジカルの要素を強めるために、最新号では布に印刷物を縫い付けるアプローチに?

本のあり方に対する固定概念を破るというテーマが大きかったですね。NO.26までの表現の仕方としては、やはり平らな本としての形式のものが大半でした。けれど今回は「表現」という意味において、もっと違うものにトライしたかった思いが強かった。本に関しては、これからも新しいアプローチを続けていきたいと思っていて、いまよりもさらに荒々しかったり、人々に激しい感情をもたらすものになりうる可能性だってある。ただ「本をつくる」というベースの部分は変わりません。

—以前テセウスさんは、『WERK』について「本の永続性と雑誌の一過性を兼ねている」と語っておられました。最新号はオブジェという意味で完全に永続的なものになったと感じます。その真意を教えてください。

これまでに数え切れないほどの本が世に出ているし、そのうえ現代ではインターネットが普及しているので「本には影響力がないんじゃないか」と言われることもありますが、いま僕の創作の裏側には、受け取る人々の感情を強く呼び起こしたいという気持ちがあります。本質的にいえば、文字や写真、絵で構成されているのがいわゆる「本」だけれども、もっとテクスチャーや香りなど、もっと体験の要素にフォーカスしたものをつくり、人々に感動を与えたいのです。

—ではかなり五感を意識されているのですね。

最新号をファッションという観点から始めたわけではないことに関しても、五感で体験してほしいのはもちろんのこと、同時発売されたTシャツも服の観点から見るとものすごくベーシックなものでしかない。服をつくることに重きを置いたのではなく、自身のアーカイブのなかからなるべく多くをプリントして、それを着て経験してもらおうという目論見です。なので、決して衣類として複雑なことをしようとはせず、シンプルなかたちに収めました。

Photo by Shu Fukuya

Photo by Shu Fukuya

—最新号はご自身のアーカイブから構成されていますが、どのような組み合わせを狙ってアートピースをピックアップしたのでしょうか?

じつは、とくにこれといったコンセプトがあって始めたわけではないのですが、いままで否定されたり表に出ることがなかった僕の作品、つまり意味を無くしてしまったものに、いかにして意味を吹き込み、生き返らせることができるだろうと考えました。採用されなかったなかには未完のものも含まれているのですが、そういった打ち捨てられたイメージを再び見つけ、混ぜ合わせることによって、新たに意味を与えることを試みました。

—インスタレーション展示では膨大な量の古書が使われていましたね。コンセプトや、印象的だった来場者からの反応をお聞かせください。

古書のインスタレーションは、僕をインスパイアするものへのオマージュであり、また最新号との比較対象でもあります。僕がやっている雑誌の新しい形態と、これまでの本との対比を見せたかった。それらを高低差もつけずに床に並べたのは、同じ世界にあらゆる存在が共存しているということを示すためです。

今回のインスタレーション展示に関していうならば、来てくださった方の反応はポジティブなものが多かったと感じています。やはりもっと楽しいものに挑戦し続けたいと、僕自身の情熱を燃やすことが結果に繋がりますね。最新号がいわゆる本ではなくオブジェクトであることもそうですが、人々を驚かせたいということが一番のモチベーションになっています。いまもこうして話しながら自分の考えがより鮮明になってきていて、次回は「かたちのない本」を発表できるかもしれません。

—これまで様々なファッションブランドとコラボレーションするなかで、どのようなリアクションを得てきましたか? また近年は、日本でもファッションとアートのコラボレーションがますます増えています。これは「アートピースを着たい」という欲が、人々のなかで高まってきたということでしょうか?

とくにシンガポールでは、ファッションとアートのコラボレーションというと僕の名前を挙げる人が多いみたいですね。でも僕はファッションデザイナーになりたいと思ったことはないし、どちらかというとファッションだろうと何だろうと、ジャンルでは考えず、純粋にクリエイティブなことに付随するプロセスに興味があります。作品に対してどんな反応があったとかは、実際のところそこまで知らないんです。好きなものをより楽しみたいというストレートな気持ちなのではないでしょうか。ありきたりにいえば、絵画や彫刻などそれぞれの解釈が浸透しているし、「絵は壁にかかっていて動かないもの」という固定概念だってありますが、形態がどうであれ、すべてのものを「アート」ととらえて、それを純粋に楽しもうということなのだと思います。

—以前『WERK NO.20』でコラボレーションされていた田名網敬一氏も、自身のアートワークが服へとかたちを変えることについて「洋服に自身の作品が載るということは、本来動くはずのないアートワークに動きが発生するということだ」とおっしゃっていました。テセウスさんにとっては、自身が手がけたアートピースを人々が着ることはどのような感覚ですか?

着ることができるフォルムで作品を発表するのは、僕自身初めての挑戦でした。そして実際のところ、これを今後続けるかどうかも、この方向性を突き詰めて行くかどうかも、いまの時点では考えていません。今回、荒い素材である紙と柔らかなファブリックを組み合わせたこと、そしてそれを着用可能なTシャツにしたことについて、これが必然的であったというよりは、対照的な2つの素材を組み合わせた結果こうなったというほうが正しいですね。

ELEY KISHIMOTO (イーリー キシモト) とコラボレーションした『WERK NO.17』をはじめ、紙とファブリックを使ったアートワークはこれまでも手がけてきました。今回は、それをさらに着られるものにしようというのはもちろんテーマとしてあったけれども、それを受け取り手が実際に着るのかディスプレイするのかは僕のなかで決めてつくりませんでした。完成しきったものを出したいという気持ちも無いので、皆さんに自由に受け取ってほしいと思います。

—前回のTFPでのインタビューで、テセウスさんは「世界中であらゆる物事がマンネリ化/均一化している」とおっしゃっていました。これにとても共感しますが、テセウスさんはいかにしてこのネガティブな状況をくぐり抜け、創作のモチベーションを保っているのでしょうか?

とくに自分が何か社会的な物事をジャッジしたり批評するようなつもりはまったく無いのですが、いまを大事にしつつ、この先どうしていくかを考えることがもっとも大事だと思っています。あとは今日を精一杯楽しく生きること。テクノロジーの急速な進化や時代性に不安を抱えている人々は多いと思います。エモーショナルな心地良さを求めた結果、このような状況を招いているのだと思いますが、ただ僕はそれをどうこう批評的に語る立場にはありません。いずれ未来になり2019年を振り返ったとき「そういう瞬間があった」と思う事実だけでしょう。

ネガティブなことは世の中に溢れすぎているので、それにとらわれているようではやっていけないですよね。ただ、すべてのものは永遠ではないという概念がある。そうしたらあとは自分自身がどう反応していくかということのほうが大事です。ネガティブなことも自分のモチベーションになるように力に変えています。最初から不確かなものだって誰にでもあるはずですし、僕にもいまだにそういう部分がある。完全なものなんてないしネガティブになることもあるけれど、ただ色々とやってきたなかで、ある程度自分に対して自信を持てるものがあります。だけど、それもまた未来に立った自分を想像して振り返るときに「そのときの自分はそうだった」と思うことにしていますね。

—最新号を発表して数日、なにか発見はありましたか?

まだ発表したばかりなので、現段階ではまだ何かを発見するところまで至っていないと思います。ただ、確実にひとつわかったのは、そこまで綿密に計画立てて始めなくてもやり遂げられるということです。クリエイティビティは、何もないところから何かを生み出すということ。最終形態をはっきりとイメージして計画的に何かを進めていくという方法論もよく聞くけども、僕としてはやっているうちに何かできていくと思っているので、必ずしも完成形を頭に入れずに手を動かしてきたし、このやり方はすごく成功したという実感があります。とにかく手を動かし、進めていくプロセスの重要さを感じました。僕の場合はいつもそうで、最終形態を考えるよりもとりあえず着手して、やりながらつくり上げていきます。

Photo by Shu Fukuya

Photo by Shu Fukuya

—毎回「最新号をつくろう」と思って制作を始めるのではなく、むしろ日常的に手を動かすなかで自然と生み出されているのでしょうか?

まさしくそうで、「つくった」というよりも「起こった」に近い。ただ、来年は『WERK』の20周年にあたるので何かしようとは思っています。でもまだ何もプランはできていないし、どういったかたちで発表するかも現段階では考えていません。これも前段階からプランニングしすぎず、最終形態を決め付けないという僕自身の考えに付随しています。自分のクリエイティビティを自由に表現できるどうか。大事なのはフリーダムであって、より独立した自由な環境でクリエーションをしていくことが重要です。時折、定型で仕事をするときに関しては承認を得なくてはいけなかったり、いろんな規制も入ったりしてフラストレーションが生じますよね。でもそれは受け取り手に伝わってしまうので、なるべくそういう事態にならないように心がけています。

—最後に次号の展望について聞こうと思いましたが、先にお話してくださいましたね。

(笑)。先のこと考えると、それで不安になっちゃうからね!