Nakako Hayashi
Nakako Hayashi

編集者・林央子 「ファッションを考えてみたかったら、ファッションという世界の外に立つこと」

Nakako Hayashi

Photography: Yurie Nagashima
Interview & Text: Miwa Goroku

Portraits/

現在、恵比寿の東京都写真美術館で「写真とファッション 90年代以降の関係性を探る」展が開催中だ (7/19まで)。Elein Fleiss (エレン・フライス) と彼女が生み出した雑誌『Purple』、写真家の Anders Edström (アンダース・エドストローム)、髙橋恭司、ホンマタカシ、そして前田征紀 (COSMIC WONDER 主宰)、と本展にはもう1組、1990年 “生まれ” の2人が手がけるファッションレーベル PUGMENT も参加していて、これがただの90年代回顧展ではないことを知らされる。会期がスタートしてしばらく経つが、当時のことをオンタイムで知らない若い世代も多く来場しているようだ。

ファッションをタイトルに掲げながら、服やモデルの写真は少なく、ストリートや静物の写真、さらには陶芸作品が置かれたスペースもある。作家ごとにガラリと異なる展示はそれぞれに面白いのでそのまま一周してしまうこともできるが、改めてこれが「写真とファッション」の展示であったことを思い起こせば、その展示構成は実に大胆で、批評の視線が介在していることに気づくだろう。

そこで何が語られて、どんな想いから本展が立ち上がったのか。実現に至るまでの背景を含めて知りたくなり、監修を務めた編集者・林央子氏にメールインタビューを打診した。彼女は現在ロンドン在住につき、撮影は昔から親交のある長島有里枝氏が東京から ZOOM 越しに行なった。

編集者・林央子 「ファッションを考えてみたかったら、ファッションという世界の外に立つこと」

― 「90年代」「ファッション」「写真」のキーワードからは、今ではエスタブリッシュされたトップフォトグラファーやモデル、デザイナー、アーティストが多く思い浮かびます。今回、林さんが本展を監修するにあたって起点としたのは、Elein Fleiss (エレン・フライス) と前田征紀氏とのこと。いずれも当時「写真」を生業としていたわけではないふたりから、写真美術館の展示が立ち上がっている、という点にまず興味を抱きました。写真美術館から林さんへの最初のオファーはどのようなものだったのでしょう。

写真美術館の学芸員、伊藤貴弘さんから展覧会を一緒につくってほしいと声をかけていただきました。すでに彼はその企画を美術館に通していて、ひと通り伊藤さんのなかでどういう展覧会をつくろうかと、考えた末でのご依頼だったようです。「NOT IN FASHION」というファッションをめぐる展覧会が2010年にドイツのフランクフルト現代美術館であったのですが、その展覧会の内容について伊藤さんは言及されていました。

その展覧会は、ここにも出ている Anders Edström (アンダース・エドストローム) や髙橋恭司さん以外にも、Mark Borthwick (マーク・ボスウィック) や Susan Cianciolo (スーザン・チャンチオロ)、BLESS (ブレス)、Martin Margiela (マルタン・マルジェラ) など、90年代にファッションのフィールドで独特な活躍をした人々を取り上げたものだったはずです。私もカタログは持っていて、参加作家はほぼ皆、知っている顔ぶれでした。伊藤さんたちの世代にとっては、この顔ぶれが未知であり、こういった世界を、次世代に継承していきたいとお考えなのだということを理解しました。

「写真とファッション 90年代以降の関係性を探る」展 | Photography: Mitsuhiro Koyama

― 伊藤さんは1986年生まれ、Martin Margiela の設立が1988年。以前、髙橋恭司さんが、若いのに優秀な学芸員が写真美術館にいる、とおっしゃっていたのを覚えています。

「NOT IN FASHION」の展覧会の内容とともに、90年代、ファッション、写真。これらをめぐるものが伊藤さんのしたい企画だということを理解して、私もなにかできることがありそうだと思え、お話をお受けしました。帰宅して、本棚を見ると『Fashion: Fashion Photography of the Nineties』という写真集を見つけました。このお仕事をお受けするまで、ファッション写真というフィールドを、とくに強く意識して深く考えたことはありませんでしたが、たしかに90年代はファッション写真が多様化した時代でした。当時から、90年代のファッション写真の新潮流を標榜した写真集は何冊も出ていたと思います。その中でもリアリティが感じられたこの本を、個人的に購入していたことが記憶にありました。

“ 90年代のファッション写真 ≒ nudity (裸) は欧米の文化に密接に関連するもので、日本文化の土壌において語ることには無理があると思いました ” 

 

―『Fashion: Fashion Photography of the Nineties』は私も持っています。日本人は荒木経惟さんが入ってますね。

2018年春にあらためてその本を開いて、衝撃をうけました。「ファッション」とタイトルについているのに、そこに出ている写真がうつしているものはほとんど「裸」だったからです。Juergen Teller (ユルゲン・テラー)、Terry Richardson (テリー・リチャードソン)、David Sims (デヴィッド・シムズ) といった売れっ子写真家たち、広告などでよく目にしていたファッション写真とともに Nan Goldin (ナン・ゴールディン)、Jack Pierson (ジャック・ピアソン)、Wolfgang Tillmans (ヴォルフガング・ティルマンス) の写真などが掲載されていました。私はその写真集をみて、90年代のファッション写真と欧米でいわれたものは nudity を扱っているけれど、それは彼らの文化に密接に関連するもので、日本文化の土壌において語ることには無理があると思いました。彼らの写真の源流にあるものは、Wolfgang Tillmans の「Lutz and Alex sitting in the trees」(1992) だと、直観的に思いました。

 

― Lutz と Alex がほぼ全裸で木に登っている有名な写真ですね。

彼らは彼らの文化の中で切実なまでに、何かに開放されなければならなかった。それが90年代に、Tillmans の写真に体現されており、以後多くの、ほとんど裸のファッション写真として表出していったんだな、と思いました。それでは日本人として、日本で生きる私たちが、開放されなければならない問題は、もっと他にあるはずではないか。たとえば日本でつくられるファッション写真は、白人モデルを起用することが、ごくごく最近まで当たり前とされていて、私たちのなかに根深く White Supremacy (白人至上主義) への信仰がある、というようなことでは、と考えました。

そこに立ち返ったときに、1990年代にそうした問題に取り組んだ先駆者が髙橋恭司さんであり、ホンマタカシさんのさまざまな雑誌誌面上での精力的な表現活動があり、という風に振り返ることができると思いました。伊藤さんとは、そういった考えなどを月一程度のミーティングのなかで共有していきながら、展覧会の基礎となる方向性を考えていったのが、最初の半年くらいの流れだったと思います。

 

―90年代のヌードのファッション写真は、我々が見ても開眼させられる新しい美しさがあって、日本でも追随するアプローチの写真が出てきました。でもそのルーツについてはあまり自覚的でなかったかもしれません。

そのうち、2018年の5月になると Elein が私にメールをしてきて、10月に日本に行きたい、そのときに何か展示をしたい、手伝ってほしいという突然の打診がありました。私も仕事が入り組んでいた時期で慌てましたが、彼女のうちに切羽詰まるものを感じ、何か力になれればと思い、いろいろ動いたことで、来日時に彼女は日本で2つの展覧会を行うことになりました。うち一つは服と写真に関係するもので、COSMIC WONDER (コズミックワンダー) とのコラボレーションでした。

 

―『Disappearing』展ですね。その時はTFPでも、写真家の鈴木親さんと一緒にインタビューさせていただいたのでよく覚えています。

Elein から友人として依頼をうけて、突然日本での彼女の展示について考えることになったのですが、その時に思い当たったことは、Elein が90年代に『Purple』でしてきた挑戦、彼女の美意識や感性と、今日本で活躍する30代、40代のアーティストたちに重なるものが多い、という気づきでした。私はそれらの世代の日本人アーティストのインタビューをまとめた本『つくる理由』の執筆に取り組んでいるので、とくにそのことが強く思い当たったんです。彼らと Elein とつなげて一つの展覧会ができるのではないか、というアイデアがわいてきました。

その時の衝動が、今回の展覧会の組み立てに、一部反映されたかもしれません。突拍子もないところから、こういう情熱を抱くことは、私のなかでとても重要な、活動へのエネルギーになります。

写真美術館の伊藤さんにも、私のこの突然の思いつきを共有しました。伊藤さんは彼独自の視点からこの着想に価値を置いてくれ、なかでも前田征紀さんと Elein Fleiss のコラボレーションというところにおいて、話を進めていくことが決定しました。Elein の来日時期 (2018年10月) に合わせて、伊藤さんから正式にお話を進めていただきました。

Anders Edström | Photography: Mitsuhiro Koyama

“ なにかあたらしい動きが生まれることを誘発するような、生産的な批評をもつ作家たち。各部屋がそれぞれ「時代のポートレート」として成立している 

 

― 実際の展示についてお伺いします。まずは本展のキーヴィジュアルにもなっている Anders Edström。『Purple』の世界観に欠かせない写真家であり、もともとは Martin Margiela (マルタン・マルジェラ) からキャリアをスタートしている彼は、日本でも今なお人気が高いです。彼と共有していたキーワードはありますか。

ちょうど Anders への依頼を本格的に検討しはじめたころ、たまたま私が家族旅行でスウェーデンに行きました。彼はとても寡黙な人ですが、たまたまその半年ほど前に、メールをもらっていたんです。ホテルの部屋についた瞬間、そういえば Anders がストックホルムにいると言っていたな、と記憶が蘇り、メールで連絡をとってみると、会えることになりました。ちょうど今、展覧会を開催中だけど、ちょっと都心から離れているので、彼の車で送ってくれるという話になったんです。

 

― Anders とはずっとコンタクトがあるのですね。

実際に会って話すのは、10年ぶりくらいだったと思います。最近している仕事の話題になると、今彼はロンドンのエージェントに属し、ファッションの仕事もしているといいます。こういう展覧会企画に監修で関わっているけれど、参加してもらえる可能性はあるかどうか、という打診をしたところ、ぜひ、という感触で、その話を日本に持ち帰ったと思います。その時の会話で、かつての『Purple』の表紙の写真では、あなたが Susan Cianciolo と仲間たちを撮った写真が、かつても今もすごく印象的だという会話をしたら「あれは良い写真だった」と言っていました。ほかにもMartin Margiela の功績についてや、自分のキャリアの始まりに、 Elein や Olivier Zahm (オリヴィエ・ザーム) と会って『Purple』の仕事をできたことは自分にとって本当に光栄だった、という趣旨のことなどを話していました。

 

― 額の中に写真をコラージュする展示スタイルは、Anders が決めたのですか。

展示は Anders の意思に沿う形で行われたと思います。公式な参加依頼や写真のセレクトは、伊藤さんを通して行いました。額の中に写真を複数配置して見せる展示は、2019年春にスウェーデンで行っていた新作の展示と共通するスタイルで、Anders が決めたことです。スウェーデンで、写真を一点でなく複数リズミカルに配置したフレームを、連続的に並べて見せる展示をみたとき、Anders にとって、雑誌というものにおける連続的な写真のあり方がいかに重要かということが理解できたように思います。

髙橋恭司 | Photography: Mitsuhiro Koyama

― 額装の写真が並ぶ髙橋恭司さんのスペースが、最も写真展らしいといえばそうだったように思いますが、一般にいうファッション写真とは一線を画す、花瓶に生けた花やストリートの風景写真が多くを占めていたのが印象的でした。<Tokyo Girl> (90年代前半に『CUTiE』の巻頭を飾り、初写真集『The Mad Broom of Life』にも収められた) がプリントで見れたのは感激でした。

髙橋恭司さんとは90年代、『花椿』の編集者時代に特集の撮影をお願いするなど、お仕事の経験がありましたが、この展覧会で25年ぶりに再会しました。写真美術館の伊藤さんと恭司さんの間に深い信頼関係が築かれており、その中で、この展示の流れは自然にすすんでいきました。私は、恭司さんの時代の『CUTiE』でのお仕事が、日本の雑誌におけるファッション写真に開眼したきっかけでしたので、この機会にまたご一緒にお仕事できたことがとても光栄でした。

私はコロナ影響で帰国がかなわず、まだ残念なことに展示を見られていないのですが、恭司さんの展示スペースと、前田さん×Eleinの部屋のコントラストがすごいという声を聞いています。恭司さんの<Tokyo Girl> 時代の東京は、狭い部屋に高い家賃でも住みたいと皆が憧れた都市でした。都築響一さんの『TOKYO STYLE』にも書かれているように、東京の80〜90年代はとにかく都市や装いにお金をかける時代。でも、2020年は田舎にくらすことに価値がおかれるようになった。なにをファションとみなすか、ということからしたら大転換ですよね。この展覧会は各部屋がそれぞれ「時代のポートレート」として成立していると思います。

“田舎の美しい里山の風景、というカレンダーになりそうなイメージとはまた違う美を、彼らは見ている ”

 

― 次の部屋は、Elein Fleiss と前田征紀さんの、まるでアートギャラリーのような暗室での展示。そういえば Elein の美しい写真はプロジェクター投影だったな (印刷されていない) とか、前田さん作品の、むき出したような赤のスクエアはもしかしたら SNS に対する風刺だったのだろうか、など後になっていろんな気づきが追いかけてきました。

お二人とも、これまでの活動がファッションの世界に関係があることは事実ながらも、その活動や信念の深いところには、いわゆるファッション産業に対する批評的な視点を孕んでいます。けれども、あたらしい「美」の探究に対しては、この上なく忠実で、そこに着目しました。Elein が写真をとるときは、そこに人物もいる場を風景として切り取る写真が従来は多かったのですが、今回の新作スライドショー「Ici-Bas」では人に踏み込んだ写真で、彼女の中にある被写体の人生への共感がにじみ出ていると思います。

前田さんと Elein の共通項として、手でつくることに価値を置くこと、暮らしの場や今目の前に置かれる物を選び取ること自体に美意識を研ぎ澄ます姿勢があり、そのことを象徴する展示になっていると思います。

Elein Fleiss × 前田征紀 | Photography: Mitsuhiro Koyama

― ホンマタカシさん × PUGMENTのスペース。ホンマさんは、今回の出展している写真家の中で、今現在に至るまでずっとフロントラインで活躍し続けていらっしゃいます。

丸亀 (猪熊弦一郎現代美術館) に巡回した「拡張するファッション」展 ( ※ 林央子氏の著書『拡張するファッション』をもとに企画された展覧会、2014年) での展示で、ホンマタカシさんは年表のように撮影年をおって写真を展示されましたが、その最後に配置されたのが PUGMENT の二人のポートレートでした。PUGMENT は、私たちの生きる環境としての写真、写真という環境にとても意識的な作家で、さまざまな写真家とコラボレーションすることも、活動の一部をなしていると思います。ホンマさんと PUGMENT は過去にも何度か撮影の機会があったようですが、コラボレーションとして両者がじっくり取り組んだのは、この展覧会のための新作が初めてでした。

図録にも「対話」を本展のキーワードの一つにあげました。展覧会という場をきっかけにしてつくり手同士が向き合い、新作が誕生するということは同時代を生きる者同士の醍醐味だと思います。

PUGMENT × ホンマタカシ | Photography: Mitsuhiro Koyama

制作の現場として、多くのファッション写真は写真家を中心としたヒエラルキーの場のなかでつくられます。ホンマさんのとるファッション写真は、写真家のパワーゲームとしてのファッション写真から、写真を開放しました。すっと被写体が目の前に立っているような感覚こそ、ファッション写真の脱構築だと思います。

 

― PUGMENT 単独の展示スペースは、これまでのアーカイブを含む全体像に触れることができる場となっていて、とても楽しかったです。彼らは今回の出展作家メンバーの中で、90年代をリアルで経験していない新世代であり、なおかつファッションの作り手としても唯一のフィーチャーですね。

PUGMENT | Photography: Mitsuhiro Koyama

この展覧会に登場するのは「ファッション」というフィールドに対する批評的なスタンスがある作家たちです。それも、なにかあたらしい動きが生まれることを誘発するような、生産的な批評という意味で。ファッションというフィールド=畑は、耕しようによっては本当に豊かな実りを生める場だと思っています。PUGMENT も、そのことを信じて疑わない強さが見えます。また、ファッションブランドと標榜するつくり手としては、「日本における、日本人のストリートファッションについて考える」ことに、真正面から取り組んでいる活動を、心底尊敬しています。

“ 日本のファッションにまつわる報道は長く、着る側を疎外することで成立してきました

 

というのも、これまで、メディアや服のつくり手のなかのあまりにも多くの人々が、日本人と西洋の服というミスマッチ感覚について、見て見ないふりをしてきました。あるいは、この業界を動かす立場にいる人たちのほとんどは、日本のストリートでおこっていることと、ファッションの真髄は別物だという考え方だったのではないでしょうか。一方でこのことは、服を販売したり購入したりする人々にとっては、いつの時代も切実な問題だったと思います。日本のファッションにまつわる報道は長く、着る側を疎外することで成立してきました。PUGMENT は活動当初から、勇気をもってこの問題への疑問を提示してきました。

― 資料展示は『Purple』と『here and there』のバックナンバー。『here and there』は今回の展示に合わせてvol.14が発行されていますね。

展覧会の中の資料展示の構想はもともと、伊藤さんの中にあったことで、展示のお話をいただいた時は私もびっくりしました。Elein の参加も決まって『Purple』も展示されたことで、より資料展示の意味がはっきりしたと思います。

『here and there』最新号は、伊藤さんと展覧会をつくりながら考えたことを反映させようと思い、当初は「ファッション号」のつもりで制作の構想を練りました。最終的にはさまざまな人の活動を散りばめた「コラージュ」issue になりました。この最新号のために撮影いただいた写真を、資料展示に含めてほしいという案は私から伊藤さんに提案しました。展覧会全体のコンセプトに「雑誌からうまれた写真」という概念が含まれていたので、その実例がある方が説得力があると考えたからです。

 

― Elein Fleiss、Susan Cianciolo、Miranda July (ミランダ・ジュライ)、安野谷昌穂さん、志村信裕さんたちが、COSMIC WONDER と Elein Fleiss が手掛けた『Disappearing』展で発表された Autre Temps の服を着て写っています。

vol.14 の特集に登場する被写体は、私と同世代か世代の近いアーティストたちが多いのですが、媒体としては彼らに撮影依頼をし、被写体が撮影者を希望するというコミュニケーションのもとに制作しました。かつて雑誌で撮影したファッション写真のつくり方の逆をやってみたかったのです。

Elein Fleiss by Laetitia Benat | 『here and there』vol.14 より

『here and there』のこのコーナーだけでなくこの展覧会に登場している人たちは皆、従来の「ファッション」あるいは「ファッション写真」の枠組みと異なる実践に挑戦することで、「ファッション」または「ファッション写真」という概念を拡げていく活動をされている、という共通項があります。そうした人たちの活動に敬意を払い、展覧会という形でより広いオーディエンスに紹介したいと思ったのは、私たちをとりまく文化の一断面として「ファッション」や「ファッション写真」を考えていくことが、今後より重要になってくるのではないかと思ったからです。

 

― 後ろ姿や横顔がとても美しい写真が多かったです。

ファッション界にはびこるエシカル・イシューとしていくつかの問題がありますが、そのうちの一つである過剰な youth 崇拝には同意できません。90年代にそのことに、自らつくる服やブランドイメージによって異を唱えたのが Martin Margiela でした。その実践はすばらしい業績です。彼は「古着」に価値を与えたことでも知られています。「若い・新しい」だけに価値があるのではないことを、自らつくる服やイメージで表現したことは、本当に素晴らしいことでした。今回「コラージュ」issueで行ったことは、その Margiela の90年代の精神を今に伝える行為だったのかもしれません。

林央子氏、ロンドンの自宅にて | Photography: Yurie Nagashima

― 『here and there』は拝読するたび、いつも Eleinの言葉が心に残ります。その Elein と個人的な対話を続けている林さんの言葉もしかりです。おふたりにとって編集すること、何かを書くことは、どのような動機から生まれるのでしょう。

『here and there』の編集をはじめるちょっと前、30才のころに思っていたことは「まだ本が書かれていない、同世代の人の本を書きたい」ということでした。Susan Cianciolo、Mike Mills、Elein Fleiss など、私が興味をひかれた人たちは従来のジャンルの枠におさまらず、活動をずっと見続けていたいと思わせる人たちばかりでした。でも「本」という概念にも同時に疑問をもっていて、本は遅いのではないか、雑誌はその速度が良い、という思いもありました。雑誌のような本をつくりたい、ということです。18年間『here and there』をつくってみて、そのようなものになったかなと振り返ることもあります。Elein もそうだと思いますが、「何かを印刷して残していく」ことへの情熱があります。私の場合はとくに、自分の目で見て、記録したことを、その場にいなかった人に伝えたい、という思いが、書くことへのつよい動機になります。

 

―『here and there』は2002年創刊。『花椿』在籍中からの構想だったと聞いていますが、林さんにとってこの個人媒体はどのような存在ですか。また、編集方針やモチベーションにおいて、当時と今とで変わったことはありますか。

『花椿』 を離れたのが 2001年なので、会社を離れてすぐに立ち上げたのが『here and there』でした。当時は『Purple』で編集の自由を示した Elein のしたことに触発され、自分が『花椿』で身に付けたような編集の手法から一旦離れ、思いのままにつくる雑誌にしたいと思っていました。女性なので、家族の状況などから活動への制限も想像され、その時々の人生のありかたを反映するものになるだろうな、と思っていました。その通り、ある号から次の号までの間隔が3年、という時期もありました。最初はなるべく一人で、できるかぎり個人的な枠組みでやりたいと思っていましたが、今ではいろんな方にご協力いただけるようになり、活動が続けられています。創刊当初はここにしかのっていないニュースを載せることにより価値を置いていましたが、最近では雑誌という場から紡がれる人や場の繋がりに、より興味が出てきました。

“ 写真は必要なもの? - 純粋な喜びの感情から撮られる写真、その写真が人と人の交流に与える影響について考えてみたい ”

 

―『here and there』は一色刷りでの発行が多いですよね。写真と文章がフラットに繋がっている印象を受けます。林さんにとって、写真とは?

一色刷りが多いのは純粋に予算の問題で、制作コストを下げたいためです。Elein が過去に、一色刷りでも美しい印刷物をたくさん見せてくれていたので、そちらに価値を置きたいという思いもありました。

Elein Fleiss and COSMIC WONDER “Autre Temps” photography by Yukinori Maeda | 『here and there』vol.14 より

服は必要があって、誰もが着ますよね。写真は、必要もないのに撮ったりもする、というのが不思議です。たとえば私は最近、コロナウイルスで日常生活に制限がかかっている中、公園に出かけて行って、そこで一息ついて美しい風景を眺めていると、写真を撮りたいという欲望が湧いてきました。また、ある概念やコンセプトを伝えるために場面を設定してシャッターを押すことでつくられる写真もあります。

一方で、報道なりファッション誌なりメディアが存在すると、一転して写真は「必要なもの」になりますよね。いま、私たちはかつてなくイメージに囲まれているけれど、そのイメージに埋め尽くされた環境は、自ら望んで得たものではなく、多くのイメージは広告によって暴力的に与えられています。いわゆるファッション写真の撮影現場にいたこともありますが、それらはほとんどが、媒体や撮影者の意図のなかでつくられるイメージです。写真と、私たちの生きる社会や生活が密接に関係していることの自覚の上に立つと、純粋な喜びの感情から撮られる写真、その写真が人と人の交流に与える影響について考えてみたいなと、最近思いはじめました。

 

― 今回『拡張するファッション』(2011) を再読しました。まったく色褪せないばかりか、今こそ読みたいと思う内容で、問題提起も今の状況と直結しているのに、ある意味びっくりしました。それくらいファッション業界は変わっていない、ということかもしれません。

批評というものを考えてみたときに、「外に立つ」視点が有効であることは、疑いようのない真実なのではないかと思っています。ファッションを考えてみたかったら、ファッションという世界の外に立つこと。写真について考えてみたかったら、写真という分野の外に立ってみること。その分野の既成事実をなぞるような展示、皆が知っているような作品を並べるようなことには興味はありませんでした。

 

― 林さんが発信するメディアは、繋がりのある人たちと一緒に作っていこうとする姿勢が強く感じられます。上下ではなく、横で繋がって、そのネットワークで円を広げていくようなイメージがあります。

『拡張するファッション ドキュメント』という私が編集した展覧会の公式カタログでは、参加作家の全員に、その人の定義するファッションというものについて、執筆いただいたり、あるいはインタビューをして原稿にまとめました。そのとき BLESS という作家のコメントが非常に印象的でした。「ファッションという言葉は、大量消費や経済効果と結び付けられて語られることが多いので、私たちはこの言葉を使うことにためらいがあります」という発言です。「できることなら、別の言葉を発明したいくらいだ」と彼らは言います。97年にデビューした BLESS はファッション産業の中でしっかりと居場所をキープしながら、「外側の視点」を保ち続けている稀有な作家です。私自身も、ファッションの世界、写真の世界、どちらにも所属したという意識はありません。だから逆に、展覧会をつくることができたのかもしれない、と思ったりもします。

ファッションの世界も、他分野と同様、成長し変化していくために健全な批評が必要です。ファッションはそのフィールドの多くを、経済活動が占めるため、経済の側面に目をつぶると、机上の空論になってしまいます。パリコレクションとかブランドビジネスということも無視できない一方で、BLESS が指摘したように、それだけがファッションという世界ではない。その多義性に魅力を感じています。BLESS はまた自分たちの活動に共鳴してくれた人と小規模でもネットワークをつくりながら、その絆を確かなものにしていきつつブランドとして成長する、という歴史を刻んできました。BLESS の示したモデルは、『here and there』の実践ともある程度パラレルかもしれませんし、これからの先行き不透明な時代のものづくりの方法として有効なのではないかと思います。

 

Susan Cianciolo by Mauricio Guillén | 『here and there』vol.14 より

― ブランドビジネスに対する批評は、デジタルシフトでますます弱体化しています。

ブランドビジネスにとっては、批評は、短期的に見れば不利益かもしれません。そのためファッションブランドからメディアへの言論統制は、90年代後半のビジネスのグローバル化とともに年々、ますます厳しくなっていったことを体験から知っています。作家性の強いデザイナーのブランドだとしても、メディアに対するブランドの言論統制はとても強力なものですが、メディアの側にいる人間の責任としては、ここに戦いを挑まないと、ファッションを文化として継承することはできないと思っています。ブランドが短期的な視野に立ちそこを締め付ければ締め付けるほど、言葉を失うことでファッションの世界は、結果的に弱体化しかねないからです。

“主流の流れにまきこまれずに「また別の未来を夢見る」ことは、今これからを生きる人たちにとっても共有可能なものなはず “

 

本展の意図にかかわることですが、ブランドによるメディアへの言論統制強化や経済最優先の動向は、90年代後半に端を発した動きでした。この展覧会に参加している人たち、あるいはメディアの多くは、その主流の動きにたいして、個々のそれぞれの活動によって何かしら異を唱えた人々や媒体だと思います。主流の流れにまきこまれずに「また別の未来を夢見る」こと、そこに可能性を見出した活動は、後世の人々がその活動を振り返ったときに、どれだけ勇気を与えることでしょう。そのような視点や姿勢の持ち方は、今これからを生きる人たちにとっても共有可能なものなはずです。

展覧会の打ち合わせの初回のころ、伊藤さんに確認したことは、SNS やインターネットカルチャーの浸透の度合いによって、若い世代同士にどこか、断絶感がないだろうかということでした。私からみると、とてもざっくりした説明ですが、20代の人々はすばらしい感度をもっているし、柔軟でありまたとても新しい発想力を感じます。90年代の雑誌文化を、程度の差はあれ共有していると実感できる30代以上、つまり伊藤さんたちの世代にはより、私も個人的に共有している文化背景を感じています。伊藤さんは実感として、彼らの世代と、より若いデジタルネイティブ世代のあいだに壁を感じる、ということでした。たとえ分断された文化背景を負って生きているとしても、私たちは同じ時代をともに生きていくのですから、お互いを理解し合う必要があると思いました。参加作家に、20代の PUGMENT が加わってくれたことは、ですからとても大事な要素であり、この企画の鍵の一つでもあると思っています。

 

― Elein と前田さんはともに現在田舎に暮らし、クリエイションを続けています。そこに何を見出しますか?

二人とも同じような時期に、都市から距離を置いた生活を選び取ったということに興味を抱きました。それは、彼らだけではなく21世紀に生きる人たちの、先進的な生き様の一つであることからも、彼らの行為のメッセージ性はとても高いと判断しました。そして、彼らが暮らしのなかで見ている風景、そのなかでの「美」は、まだ本当の意味で私たちは見たことがないのではないか、と思いました。田舎の美しい里山の風景、というカレンダーになりそうなイメージとはまた違う美を彼らは見ている気がして、それは90年代ということにとどまらず、90年代を回顧することから考えはじめる未来について、多くの人がシェアしてほしいと思うイメージになるのではないかという確信もありました。ファッションという世界は、つねに「新しさ」とともに「生き方」についても考え続けるフィールドであるべきだと私は思っています。

“ Elein が90年代に『Purple』でしてきた挑戦は、今日本で活躍する30〜40代のアーティストたちに重なるものが多い”

 

林央子氏、ロンドンの自宅にて | Photography: Yurie Nagashima

- 情報過多の時代において、再び「個」の強度が高まるムードがあります。トレンドと距離を置いてクリエイションを続ける作り手も増えています。コロナ禍を経験し、ファッション最大の特徴であるスピードも、いよいよ変わろうとしています。今、どんな希望を見出していますか。

ファッションの世界でいえば、iai (居相大輝) さんのような若いつくり手が出てきたこと自体が希望だと思います。東日本大震災を体験して従来の仕事をやめ、奥さんと二人で限界集落の日本家屋を自分たちの手で手入れしながら暮らし、庭先の小川や畑のなかで服をつくり、できた服を売りに行く。お二人のお子さんとの暮らしを楽しみながら、自分のクリエーションに真摯に生きる。一方「途中でやめる」の山下陽光さんの活動にも共感します。山下さんの多彩な発信のうちの一つが服で、服だけではないつくり手ですが、彼のつくる世界のなかに服がある、ということが他のアクティビストの方たちと大きく違うところで、とても興味深いです。「しばらく鬱でふさぎこんでいたけど山下さんの服を買って、外に出ていくことが楽しみになった」というような、買い手の中に眠るエピソードをどんどん発掘していくような、買う側も自己表現する場をつくり出していく、山下さんの独特なコミュニケーション力も、尊敬しています。NYの郊外に4人家族で住んでいるアーティストの後藤輝さんも、絵や自然素材の手づくり化粧品、お子さんとの生活を日々発信する短編映像など、さまざまな物づくりのなかで服もつくります。彼らの活動は、まず自分の生活に重きを置き、そこを始点にすべてを見据えていて、今この時代において服をつくることの意味を、どんどん拡張している実践です。こうした活動からは、目を離せません。

 

― 最後に。林さんが今ロンドンで考えていること、新しいプロジェクトなどあったら教えてください。

伊藤さんと展覧会をつくるときにリサーチしていったなかで、ロンドンで活躍し名前が知られないまま亡くなったストリートスナップの写真家のことが気になりはじめました。たまたま、昨年秋からこちらに住むことになったので、セントラル・セント・マーティンズの大学院でその彼のこと、ストリートスナップとロンドンのファッションやカルチャーの歴史を中心に研究をする予定です。本では今後、執筆中の『つくる理由』や、花椿編集部で体験した 90年代についての Web花椿での連載の書籍化予定があります。今一番楽しんでいるのは、Webマガジン She is で始まったばかりの Elein Fleiss との並行日記 (パラレル・ダイヤリー) の連載です。