写真家・沢渡朔インタビュー
hajime sawatari
photographer: chikashi suzuki
writer: miwa goroku
初の写真展は大学在学中の1960年、篠山紀信と学校廊下で開催した2人展だったという。白石かずこ、寺山修司らと過ごした大学生活を経て、卒業後は日本デザインセンターに入社(ここで深瀬昌久、高梨豊、有田泰而、宇野亜喜良、横尾忠則、高橋睦郎と出会い、さらに四谷シモン、小池一子らとつながっていく)、66年には早くもフリーの写真家となっている。半世紀以上にわたるバイオグラフィーのほんの序盤、独立前の数行をなぞるだけで、名だたる顔ぶれが揃ってしまう。そんなエネルギーに満ちた時代の中から、瞬く間にトップフォトグラファーの地位に上り詰め、今なお変わらぬまなざしを女性に向け続ける写真家・沢渡朔。「昔も今も、作品もコマーシャルも、一貫してテンションが変わらないというのはすごい。俺からすると、カメラマンでなく作家だなと思う」と話すのは、ひと世代おいて同じくトップを走り続けるフォトグラファーの鈴木親。以前より交友があるという彼をインタビュアーに迎え、沢渡氏の写真の強さと魅力について改めて聞いてもらった。3月某日、沢渡朔「モトーラ世理奈」の展覧会を開催中のAKIO NAGASAWA GALLERY/AOYAMAにて。
写真家・沢渡朔インタビュー
Portraits
鈴木親 (以下、鈴木):今回の展覧会は、若い人たちが多く来場しているようですね。モトーラ世理奈さんを撮っておこうと思ったきっかけは?
沢渡朔(以下、沢渡):最初に彼女と会ったのは2016年、『Libertin DUNE』(No.12) の撮影で。正直、オーディションの時点では印象がなくて、彼女でいくと決めたのは編集長の(林)香寿美ちゃんだった。さすがだよね、この子はいけるとわかってたんだ。僕には見極める目がないの。
鈴木:でも、いざ撮り始めたら、すごくよかったんですね。撮影当日、沢渡さんが誰よりも動いていたって、編集部の人たちがびっくりしていました。
沢渡:体を鍛えているからね。やっぱり追っかけて撮りたいので。当時のモトーラは高校生だったかな。撮影の後、日芸(日本大学芸術学部)の写真(学科)を受けたいんだって、僕に相談してきたから。受かったら遊びにおいでと話していたんだけど、結局は文化(服装学院)に行くことにしたんだよね。もともと彼女は写真が好き。
鈴木:なるほど。沢渡さん、日芸卒ですもんね。雑誌の仕事は今も多いですか?
沢渡:僕の時代じゃないですから。こないですよ、仕事が。
鈴木:いやいや。沢渡さんの写真は、ある意味で一番写真らしいと思うんです。『Libertin DUNE』では、noir kei ninomiya(ノワール ケイ ニノミヤ)の黒い服を着せて、真っ暗なところで撮っていましたよね。これだと服は見えない。服のディテールは無視してますが、noirを着ているモトーラと夜の街を撮っている。ヨーロッパだったら、服の個性がそこにちゃんと写っていたら、そのままファッションになりますが、日本では、洋服のディテールや色がちゃんと写ってないとファッション誌が使ってくれない。だから沢渡さんがこういう風に撮ってくれるのは、後の世代につながるし、いいなと。
沢渡:親くんだってそうでしょ。僕は親くんのことをファッションの人だと思ってるけど。
鈴木:そうですね。ファッションとポートレートやルポルタージュって、本来は一緒でいいと思います。ファッション誌に出たらファッションだし、ドキュメントならドキュメントになる。ちなみに沢渡さんは、写真をプリントすること、写真集にすることを、どう考えていますか? たとえばHelmut Newton(ヘルムート・ニュートン)だと、ある程度出版できる方向を見据えた写真を撮るじゃないですか。
沢渡:僕は現場しかないから。撮っている時が一番幸せで。このように展示できるのはいいけど、何かを残そうっていう気持ちはない。
鈴木:その現場における沢渡さんの誰よりも若い感じは、やっぱり女性からパワーをもらっているからでしょうか? 恋人でも母でも娘でも孫であっても、男性は常に女性を求めているって話、よく聞きますよね。ちなみにモトーラさんの前にフォーカスした女性は?
沢渡:TAOちゃんを1回撮った。ブレイクする前で、まだ髪が長い頃のヌード。森山(大道)さんと2人で半分ずつ作った写真集(『別冊記録/第1号「森山大道×沢渡朔」』)で。
鈴木:沢渡さんが撮るのは、男の人が女性に抱くところの少女性。たとえば荒木経惟さんの写真の女性が熟れた状態なら、沢渡さんが撮るのはつぼみ。そんな感じがすごくします。
沢渡:なるほどね。よく見てるね。
鈴木:ファッションとか美の表現で、少女性というのは世界共通で必ず入ってきますよね。ただ、継続してできる人がいない。沢渡さんはそこをずっと探求されていて。
沢渡:若い時と、40〜50代の頃は違うけどね。歳をとってから、逆に集中しはじめたかも。
鈴木:仕事が変わっていきますからね。雑誌でタダ同然で撮っていたところから、広告を撮るようになると1回で何百万って入ってくる。それでもなお作品を撮り続けるテンションが保てるかどうか。ほとんどの人は難しいと思う、換算してしまうから。一方で沢渡さんは、昔からどれもテンションが一緒。
沢渡:捨てなきゃいけないものは捨てちゃってるからね。
鈴木:すごいなと思うのは、沢渡さんの世代、森山大道さん、荒木経惟さん、篠山紀信さん。結果論として、みなさん基本的にコマーシャルの仕事をほとんどしていない。自由になる写真を撮り続けていますよね。反動なのか、その下の世代は逆に広告寄りになっている気がします。で、今の子たちはまた沢渡さんに近い感覚に戻っている気配がある。若い子たちが沢渡さんの展覧会に来ているのは、そういうことではないでしょうか。
沢渡:被写体がモトーラだからでしょ。彼女忙しくてスケジュール全然取れなくて、今回の撮影もやっと取れた3日間だった。
鈴木:今回、全部デジタルですよね?
沢渡:そう。一瞬一瞬全部撮ってやれって思ったから。真夏のものすごい暑い日だったんだけど、代々木公園で撮影して、次の日は滝のあるキャンプ場に行って、最後は小さな部屋の中。
鈴木:前に『Purple』でインタビューさせていただいた時、デジタルの良さについて「枚数の制限がないところ」とおっしゃっていました。フィルムだと、ハーフにしたところで72枚か74枚。35mmなら36枚、ブローニー(220)になると多くてもせいぜい20枚ですからね。
沢渡:デジタルの時は、デジタルっぽくならないようにISO感度を200くらいに絞って、わざとブレるようにしたり。ブレてるデジタルって少ないでしょ。
鈴木:沢渡さんの場合、デジタルでも撮り方はフィルムと一緒。デジタルは直せる、という一般的な感覚が、沢渡さんにはないですよね。そもそもデジタルを始めたきっかけも、篠山さんが夜に撮った写真がよく写ってて、それで初めて関心をもったんでしたっけ。
沢渡:僕はね、篠山さんとは逆で、なるべくいつも通りがいいの。どうしようもなくなったら、しょうがないから始める。そろそろデジタルもやんなきゃまずいのかなーって。
鈴木:枚数とか、一瞬の切り取りとか、そこはデジタルの方が優れている。
沢渡:いや、そこもわかんないよ。デジタルを使っていても、今だ!って時にシャッターが下りなかったりするじゃん。フィルムだったらカンで撮れちゃうもん。そういう練習を昔いっぱいしたから。ブレずにすばやくシャッターを切るっていう。
鈴木:目測でやりますもんね。数値化できないから、写真なんだな。
沢渡:親くんが今回撮ってくれた展覧会の写真は、別物みたいに写ってるよね。反射があったり。こういうのもいいな。
鈴木:ところでスタイリングやヘアメイクは、沢渡さんが指示するんですか?
沢渡:いや、全部おまかせですよ。打ち合わせはするけどね。いつもの信頼のおけるメンバーだから。
鈴木:TAOちゃんの撮影は、2人きりだったんですよね。
沢渡:そうだね。モトーラの撮影も、2人でもよかったんですよ。僕の写真は、もともとそこからスタートしているから。
鈴木:今、何か問題があったら困るからと、第三者を必ず撮影現場に入れるようになっています。僕が大学で講義する時も、教室で生徒と2人きりにりそうな時は必ずドアを開けるようにといわれますし。Helmut NewtonとかDavid Hamilton(デイヴィッド・ハミルトン)のような撮影スタイルは、どんどん難しくなっている。
沢渡:部屋の撮影は、3〜4時間モトーラと2人っきりですよ。そこは本人が了承しているからできた。僕、モトーラのおじいちゃんと同い年(79歳)なんだって。
鈴木:歳の差なんてまったく見えない写真ですけどね。すごくプライベートだしインティメート。モトーラさんの恋人がとっているようにもみえる。
沢渡:まあね、その辺は狙ってるわけよ。
鈴木:TAOさんとモトーラさんの間にも、撮った人、あるいは撮りたかった人はいますか?
沢渡:映画とかを見て、すごくいいな、撮りたいなと思った子に、どこかで会って意気投合して……というのが理想の展開だけど、なかなかないよね。
鈴木:まさに『ナディア』のような。(編集部注:広告の仕事で出会ったイタリア人女性Nadia Galli(ナディア・ガッリィ)をモデルに撮りおろした沢渡氏の代表作(1973年)のひとつ。Nadiaと沢渡氏の関係は1年半ほど続いた)
沢渡:関係性としてベストだよね。そんな中、『Libertin DUNE』でモトーラと出会えたのは大きかった。雑誌を紹介してくれた親くんに感謝。
鈴木;当時、僕の中で沢渡さんブームがきていて。沢渡さんが昔撮っていたCOMME des GARÇONS(コム・デ・ギャルソン)のモノクロ写真が好きで、これをもう一度、現代の解釈でやって欲しいと思ったんです。沢渡さんといえば、基本カメラは35mmを手持ちのイメージですが、大きいのを使おうと思ったことはないんですか?
沢渡:そうだね。撮っている間は現場の中にいたいから。自分が思う通りに動けないと、もどかしいし、我慢できない。
鈴木:三脚が必要なシノゴ(4×5)やバイテン(8×10)は、写真が立派になるというか、絵に近づけていく感じがありますよね。一方の手持ちは、立派にしないという見方もあって、僕の中ではそれが写真的であり、フォトグラファーの視点が見えてくるのが面白い。
沢渡:思わぬ瞬間を撮りたいというのが、自分の中であるのかもしれない。
鈴木:今回に関して思ったのは、モトーラさんの表情を追っているなと。それで現場の雰囲気ができていく。
沢渡:初めて聞いたな、それ。表情を追うのは、顔が可愛いからだよ。
鈴木:沢渡さんは被写体にマジックをかける。モデルが決まったポーズをしがちなところ、沢渡さんはそのまま外から撮るのではなく、自ら中に入って、なおかつ追いかける。そういう写真は、今はあまり見られないし、というか撮れない。
沢渡:そんなに違うんですかね。
鈴木:たとえば沢渡さんはグラビアも撮るじゃないですか。正直にいうと、沢渡さんの写真はいつも写真なんですよね。つまり単純なエロ本になってない。
沢渡:親くんは撮ってる時、いろいろ注文出すの?
鈴木:僕は出さないですね。困ってるのが好きなんですよ。
沢渡:冷たいな。でも、僕もそうだな。雨に降られて屋根がないから手を頭の上に置く仕草とか、かわいいのよ。
鈴木:写真は言語化できないから、写真っぽいことを伝えるのが難しいけど、わかりやすい例として、ブレていたりする写真がそのままきれいと思える人がいる一方で、ブレていたらダメな写真だと思う人がいます。
沢渡:そういうのに抵抗したいっていう気持ちもどこかにあるよね。
鈴木:ブレがエモーショナルに見えますよね。写真って、偶然性みたいなところに強さがある。
沢渡:わざとブラシちゃえ!ってね。粒子を作っちゃうのは偽物になるから違うけど。
鈴木:あと、フォトショップとか使って覆い焼き風にもできます。
沢渡:そういうのは僕、面倒くさいからやったことないですよ。森山さんなんかは後で作ったりしてるね。
鈴木:プリントも含めて写真にするのか、撮ったものが完成形なのか。沢渡さんはどっちですか?
沢渡:後者だな。
鈴木:僕も同じくなんですけど、沢渡さんのプリントへの執着のなさは別格だと思っていて。仮の話ですけど、そこにもし執着があったら、沢渡さんはニュートンとかハミルトンに並ぶクラスになっていたんじゃないかと。同業者として、すげーなと。
沢渡:まぁ、そうだな。篠山紀信のようなことは、僕にはできない。
鈴木:自己プロデュース力も含めて篠山さんはすごいですね。篠山さんに写真を教えたのは、沢渡さんだと聞きました。せんせいは沢渡さんだけは大好きらしいです(笑)。
沢渡:同級生ですから。
鈴木:さらに余談ですけど、森山大道さんは以前、フォトグラファーでもしゲイ同士だったら相手は誰がいい?っていう質問に、沢渡さんと答えたらしいという不確かですがそういう話を聞いたことがあって。一体誰がどんな文脈で出した質問かは知らないですけど(笑)。
沢渡:それはそれは。
鈴木:僕の主観としては、普通に35mmで撮って一番うまいのは沢渡さんでは。写真の画角構成とか、絵の感じ。だからこそ、ファッションを撮ったらすごく面白いだろうなと思いました。
沢渡:ふーん、そうですか。ありがとうございます。ずっと35mmできたわけでもないけどね。15年くらいハッセルブラッドと恋人のように過ごした時期もあるし、ロクロク(6×6)、ロクナナ(6×7)もあって、また35mmに戻ったり。写真家って、歳をとって良くなることってあるのかな?
鈴木:ひとつ思うのは、無茶が通るようになる気がしますね。若いうちは体力があって動体視力もいいけど、知名度がない。年をとると運動能力が落ちるけど、あの人なら撮ってもらいたいと思われる。
沢渡:ふーん。でもやっぱり圧倒的に若い時がいいですよ。20代、せめて40代までかな、青春時代がいいわけで。
鈴木:沢渡さんは、肉体の人だから。新しいプロジェクトとか、あるんですか?
沢渡:ない。やりたいよ。面白い女性と出会って、撮影して、できればまとめて1冊にしたい。僕は女性を撮りたい。それだけ。
鈴木:沢渡さんについて、若い子たちが案外知らない部分もあると思うので、ちょっと触れたく思います。『少女アリス』(1973年)という代表作について。小ネタですが、あのモデルの女の子、Led Zeppelin(レッド・ツェッペリン)のアルバム『聖なる館』(1973年)のジャケットに写ってる子なんですね。
沢渡:(アリス役の)サマンサは、Hipgnosis(ヒプノシス)のAubrey Powell(オーブリー・パウエル)が紹介してくれた。ロンドンのコーディネーターを通して10人くらいのモデル候補に会ったけど、この子が圧倒的に良かった。(編集部注:Hipgnosisはイギリスのデザインチームで、Pink Floyd(ピンクフロイド)をはじめとする70年代の名盤ジャケットのほとんどを手がけた)。
鈴木:沢渡さんの知られざる仕事としては、映画のカメラもありますよね。寺山修司の脚本。
沢渡:当時はフランスのヌーヴェル・ヴァーグ映画の影響が大きかったからね。僕らもこういうのを撮りたいって、なって。寺山さんと知り合ったのは、詩人の白石かずこさんを通して。白石さんとは大学の頃からよく仕事をしていたので。いざ、撮り始めたら、内容も行き当たりばったりですよ。朝の集合の時間と場所だけ決めて、その辺にいる子供を適当に集めて撮る、みたいな。寺山さんの中にはシナリオがあったとは思うけど。
鈴木:ゴダール的な即興なんですね。そこがいわゆる商業映画と違う。
沢渡:メチャクチャですよ、映像は。というか、そうなっちゃう。ひたすら追っかけるだけ。
鈴木:寺山さんとの映画以外でも、動画を回すこともありましたか?
沢渡:コマーシャルフィルムもやっていましたよ。食うために。
鈴木:動画は好きではない?
沢渡:嫌い。僕はスチールがいい。動くのを、止める方がいい。『死刑台のエレベーター』なんかは感動したけど。ああいうのは、なかなかできないからなぁ。
鈴木:衝動的ですよね。
沢渡:目がカメラだったらいいな。
鈴木:それ、いいですね。
沢渡:誰でも思ってるんじゃない?
鈴木:いや、なかなかいわないですよ、そんなこと(笑)。