写真家・森山大道インタビュー
daido moriyama
photographer: chikashi suzuki
writer: tomoko ogawa
1959年から写真を撮り始め、写真界に衝撃を与え続けてきた写真家・森山大道。6月に彼のライフワークと言える個人写真誌『記録』シリーズの第41号、そして1972年に発行されたヌード写真集「蜉蝣」の新装版を、共にAkio Nagasawa Publishingより刊行する。「写真を写真の涯まで連れて行って解体したい」という思いに駆られて作った代表作『写真よさようなら』(写真評論社、1972)から約半世紀を経て、現在の森山大道は写真を撮り、印刷し、作品にしていくことについてどう考えているのだろうか。聞き手となるのは、仏雑誌『purple MAGAZINE』(F/W 2010 issue14)に掲載されたインタビューの際に森山のポートレイトを撮り下ろし、写真のメディアとしての解体として最も優れた作品のひとつとして、『写真よさようなら』を挙げるフォトグラファーの鈴木親。これは、二人の写真家による対話の記録である。
写真家・森山大道インタビュー
Portraits
鈴木親(以下、鈴木):僕は、1972年に出版された『写真よさようなら』をリアルタイムでは体験していないのですが、今見ても当時の森山さんの表現がいわゆる写真自体の世界や時代を変えたように感じました。ああいうことをやった人がそれまでいなかったというか。
森山大道(以下、森山):まぁそういう意味ではね、確かにそうかもしれない。
鈴木:あの後に、写真の概念を打ち破る写真の表現として、印画紙自体に感光させてプリントしたり、森山さんの打ち出した表現の延長のようなことをする現代美術の写真家が増えたように思います。ターナー賞を受賞したドイツの写真家・Wolfgang Tillmans(ヴォルフガング・ティルマンス)もそうですし。森山さんは、当時、それまでの写真の構造を変えようと意図的に考えていたんですか?
森山:それはあったね、不遜にもね。若い時期で、やや挑戦的な気分をあれこれに対して持っていたから。当時は、まだ世界中の写真を見ることはそんなにできない時代で、少なくとも当時の日本における写真の現状を世界が知ることもなかったしね。ちょうどその頃、『週刊プレイボーイ』のカラーヌードを2年近くやってた時期があって。
鈴木:連載をされていたんですよね。
森山:うん。篠山(紀信)さんと隔週で。僕はもともとスナップ写真の系統だから、カラーヌードがもうちょっと嫌になっちゃって。そんな時期だったから、自分の写真だったり、その周辺の写真への疑問もあって、なんかイライラしてたの。「なんか違うんじゃないの?」とか、「そういうのじゃないんだよね、写真って」とか。「じゃあ何だろう?」と思って撮る。「でも、こうじゃないかもしれない」という考えが重なっていくうちに、一種の臨界点が来たんだろうね。それで、「もう嫌だ! 写真を解体もしできるなら」ってさ。
鈴木:フラストレーションがあったんですね
森山:まぁ、そうだよね。若いといろんなことが過剰になるから、「写真を涯まで連れて行ってみたい」とか「解体してみたい」とか、訳のわからんことをいろいろ思って。それであんなことができちゃったのね。
鈴木:極限まで解体されましたもんね。自己否定だったり、ファンタジーでもなく、事実でもなく、美術的な概念もない。
森山:そうですね。あらゆるジャンルというか概念というか、表現の在りようみたいなものに、生意気にも疑問を持っていたから。ちょうど、中平卓馬らと一緒にやった『プロヴォーク』(プロヴォーク社、1968-1969)という同人誌があって、それが終わる頃には、『プロヴォーク』の写真もつまんないな、こういうことではないなとか思ったりした時期で。最後に、まとめじゃないけど単行本を出したのね。写真集じゃなくてテキストの本なんだけど、その中で既に僕自身はそういう写真を始めているわけ。雑誌をやるうちに、これは一冊の本にしたほうが、自分の気持ちが少し落ち着くかもしれないし、ある種の主張になっているかなと思って。けれど、本を出しても面白くない。誰も相手にしなかったからね。『写真よさようなら』は、その直後に作った写真集だったんですよ。
鈴木:当時は、誰も相手にしなかったんですか?
森山:うん、全くもってそうだった。スパッとすぐに評価したのは荒木(経惟)さんだけだったね。荒木さんはわかったんだね。
鈴木:荒木さんは、「あれに敵う本はない」とコメントされていましたもんね。
森山:まぁ、そんなようなことは時々言ってるよね。
鈴木:Jack Kerouac(ジャック・ケルアック)やAndy Warhol(アンディ・ウォーホル)的な破壊とリプロダクトのような部分と、森山さんがされているスナップのいわゆるポエティックな感じが、結びつかないけど不思議と一緒になっているように思いました。その二つは、僕の中では全く交わらない感じなんですけど。
森山:僕の中では、やっぱり、その二つは交差してるんだよね。他のジャンルもそういうフリーな動きを持っていた時代だったから。そういう中で捉えられたこともあるけど、むしろ写真以外のジャンルの人たちは面白がってくれて、いわゆる写真界では全く相手にされなかったんだよね。「こんなものデザインだ」とか言われたりして。
鈴木:普通に考えると、写真ってポエティックでパーソナルに向かっている部分があると思うんですけど、森山さんは街に向かっているじゃないですか。だからソーシャル、社会的な面もある。すごく思ったのは、写真を壊すことで写真にしかできない表現をされたんだなと。
森山:そう思っていただくのはとても嬉しいんだけどね。当時はそういうふうに全然受け取られなかったね。
鈴木:少し早すぎたということですか?
森山:もしかしたらそうかもね。でも、それはしょうがないよね。僕自身はあのときじゃなければあんなふうな形で本を作れなかったと思うから。むしろ、この歳になって、ヨーロッパやいろんなところであの写真を含めて面白がられることがある。だから、あのときに作っておいて良かったんだと思う。
鈴木:たぶん世界初ですよね。ああいうことをされた写真家は。
森山:まぁ、一種の止むに止まれぬ気持ちがあったんだよ。「何もかも気に入らん!」とか「この写真じゃない!」とか。おかしいのはさ、「写真を解体する」と言っても簡単には解体できないじゃない。写真の表現はすごく広いからね。逆に、作ることで僕が解体されたようなところがあったね。終わってから、「これからどうしよう?」となったから。
鈴木:森山さんは、写真自体が複写だったりコピーだと考えているから、撮るときに自分の意識や美意識が入っていく。それをらを除いていって、プリントするときにもそこが除かれていくとなると、意図していないようでも、完璧に偶然性と意図が全部混ざり合うというか。
森山:うん。やっぱり、写真はいわゆる作品じゃないんだよ。写真の一番重要なことは、コピー性というのかな、そこにあるんだと思う。一点のタブロイドじゃなくて印刷されて生きるというのかな。そういうもんじゃないのか、とはその頃に考えてたよね。その思いは今も全く変わってないけど。
鈴木:生身も複写も全部等価だということですよね。
森山:そう。表の街頭をスナップで撮るのと、写真を複写するのと変わらないでしょう? 「何がどう違うの?」というモヤモヤが、一冊目の『にっぽん劇場写真帖』(室町書房、1968)を作ってる頃からずっとあった。そのときは、『アサヒグラフ』や『アサヒジャーナル』みたいなカメラ雑誌でやったものを一度シャッフルして、「本当はこういう写真だ」と思ってやったように作り直してみたわけ。
鈴木:『写真よさようなら』以後の数年間は、あまりカメラを持たれなかったそうですが。
森山:カメラは持っていたけど、全然別の方法に行っちゃった。桜や日本三景を撮ったりさ。もちろん、ポスターみたいな日本三景を撮るわけはないから、真っ暗な日本三景や真っ暗な桜をね。ある種の反動なのか、そこが辛いところだったね。でも、それもつまんなくなって、結局1~2年で辞めちゃってるから。
鈴木:『写真よさようなら』を出した後は、完成したという満足感があったんですか?
森山:完成したという満足感はないね。
鈴木:では、やり尽くしたということからの休息期間だったんでしょうか?
森山:いや、やり尽くしたというのもない。ただイラついてた。本を出してはみたものの、当然、写真を辞めるつもりで作ったわけじゃないから。自分と写真をどう考えていいのか、そういう葛藤はあったよね。
鈴木:そもそも、森山さんの写真って誰の写真にも最初から似てないじゃないですか。例えば、写真を撮るきっかけとして、Helmut Newton(ヘルムート・ニュートン)が好きでその人みたいになりたいと思って始めるみたいな話が、すごく多いとは思うんですけど。
森山:僕もやっぱり、William Klein(ウィリアム・クライン)とか東松照明さん辺りには随分インパクトを受けたし、それなりにリスペクトをしてたよね。東京に来て細江英公さんのアシスタントをしている時期に。だから、僕の初期の写真集『にっぽん劇場写真帖』の辺りに破片としてそういうのは残ってる感じはある。
鈴木:逆に今は、「森山さんっぽい」というのがひとつの系譜になりましたよね。
森山:まぁね、僕もそういう時期もあったような気がするけど、それはやめたほうがいい、単純にね。それぞれ自分のものが絶対にあるわけで。体質、性質、経験もみんな違うじゃない。でもね、若い写真学生の頃はそういうふうに考えるようになるのもわかる。
鈴木:もともと写真家になろうと思っていたわけではないんですよね?
森山:うん、僕は映画が好きでさ。大阪にいた頃は絵ばっかり描いていて、グラフィックデザインの会社というか個人の先生についていた。
鈴木:そのときグラフィックを学んだ影響は写真にあります?
森山:それはありますね。初期からずっとそれがあったわけじゃなくて、むしろ自分が写真をやっているうちに、あの頃デザインをやっていたというのが今につながって影響があるとわかるようになった。20歳くらいの頃、デザイナーの先生のもとで、いろんな外国の雑誌や写真集をいっぱい見たんだよ。具体的なデザインそのものではなくて、むしろそっちの比重が大くて。一番底に沈んでいたそういうものが、何かのはずみで後になって出てきた。僕がポスターを複写したり、平気でコピーしたりするじゃない。それは、その時期の記憶が残ってるからだよね。だから、ある意味デザイナー的な視点というか、感性みたいなものは出ちゃうんだろうね。
鈴木:森山さんのインタビューを拝読していると、いわゆる写真家や美術家とは違う哲学的な部分というか、自己に向かって他者を見て、もう一回自己に戻っていく、みたいなところをすごく感じます。
森山:僕は全然哲学的じゃないけどさ(笑)。まぁ、でも物を作る人間はみんなそういうところが構造的にあるでしょう。まあ、最近の若い人たちはかなりフランクにクリーンに撮っていて、僕はそれはいいと思うんだよね。昔、僕が『写真よさようなら』なんて作った時期はさ、やっぱりどこかにテーマ性があったわけ。テーマがないと駄目みたいな風潮があった。「そういうテーマはありそうで実はない」みたいなことも言いたかったんだろうね。
鈴木:あの時代じゃないと、あれは作れなかったんですね。
森山:たった一枚の、世界をスライスした、時間をスライスした写真が全てだったよね。それが無数にある。僕が撮ろうと、他のカメラマンが撮ろうと、誰が撮ろうとね。
鈴木:それは街を撮る感覚と同じなんですか?
森山:当然そうだよね。街の中にはいろんな要素が無数にあるよね。それらが交錯してる。そこの中に僕らも潜り込むわけだから。
鈴木:観察して、収集していくということですよね。
森山:うん。テーマを持つのは自分だけどさ、僕はバラバラに撮るかな。「別にいいじゃない。これと何が違うのか?」っていつも思うのよ。
鈴木:確かに、仮に森山さんがハワイで撮ったものと新宿で撮ったものをミックスしても全く違和感がないですもんね。森山さんが撮っているというものになってるから。そこが他の人がやってこなかったところなんじゃないかと。写真を撮る人だと、場所や人に合わせちゃうことが多いと思うんですよ。でも、森山さんはそのまま、そこをスパッと切り離す。
森山:場所とか人にそんなに合わせられるものじゃないんだよ。みんな合わせたつもりでやっているだけで。まぁそう思ってる人はそれはそれでいいし、文句を言うことはないけど、僕はそう思えないというだけで。
鈴木:森山さんは無理やりひとつのものを撮ることがないというか。例えば、女性ひとりをずっと追っていく中に街が入ってくるのは見たことがあるけれど、森山さんの場合はたぶん誰かを追うことがなくて、そこにいる見ず知らずの人を全部集めてきて森山さんのものにしている感じがします。
森山:まぁ、スタンスとしては全くそうだよね。
鈴木:誰かにフォーカスしたいという気持ちを持ったことはありますか?
森山:僕はあんまりないんだよね、そういうことって。この人を撮りたいっていうのも特にない。なんとなく、半分仕事で、どうしても撮らなきゃいけないときは撮るけどさ。それに過ぎないよね。
鈴木:90年代にHYSTERIC GLAMOURの本を出版されたタイミングで広告代理店の人が森山さんに仕事を依頼しに行って、「一昨日来い」と言われたと聞いたことがあります(笑)。
森山:そんな偉そうなことは言ってないけどね。お断りした。「勘弁して」って。
鈴木:僕が仕事しているフランス人の友人は、「森山さんは本当に生きているのかいないのか?」という噂を90年代の終わりや2000年初頭によくしていました。昔は一切メディアに出られなかったので。
森山:あんまりそういう噂は聞いたことなかったけど、そうなんですね。面白いね。
鈴木:あと、僕は個人的に、伊藤若冲と森山さんの感じがすごく似てるなと思っていて。
森山:そんなこと言われたことないけど。
鈴木:若冲も、自分の周りのものだけを描くことで世界を広げていくじゃないですか。観察と収集というのか、すごく個人の視点だけど客観的なところもあって、全部の要素が入っているというそのバランス感覚に近いものがあるのではないかと。
森山:いやいやそれは……。でも、若冲は確かにすごく世界を広げているし、ある種の情感みたいなものをあの人はやろうとしていないよね。
鈴木:そこにある物をたぶん自分のやり方だけで表現していますよね。
森山:そういう意味では、ある意味どこか写真に近いのかもしれないね。
鈴木:みんなが気に留めなかったり、意識しないで通り過ぎるものに、個人の視点で気になるものを拾っていくというか。
森山:単純に言うと、結局、僕の写真はどうやっても自分が撮っているから、僕自身の感覚、体質、性質、今までの経験が全部嫌でも入っちゃうじゃない。一枚のストロークはそれだけのストロークに過ぎないけれど、その中に僕が実は入っている。撮るときにそんなことを考えてるわけじゃないけれど、全体として見ると、僕の中にある細々としたものが、写真の中には入ってる。僕の写真は、どうやらそうやって作られている。そこから先は、構造は同じだとしても、同じようないろんな個体として撮ってるわけ。それは全部一緒なの。だから、ある意味ひとりのサラリーマンの方でも男性でも女性でも、どなたでもいいんだけど、朝起きて夜寝るまでに目にしているもの。それぞれ仕事なりいろんなことがあっていちいちきちんと見ていられないから、目の片隅でかすめて意識しないでいるもの。そういうものを、僕なんかは撮っているような気がする。
鈴木:触れるか触れないか、みたいな感じですね。
森山:そうね。僕の場合はそうやって撮るのが仕事だから。他の人は仕事があるから、そちらのほうを見ている。だけど、実はいろんなものを知覚して映している。意識するしないに関わらず。そんな感じがするんだよね。
鈴木:例えば、街に出てかなりの枚数を撮ったとき、撮ったものは自分の中で全部OKカットになるんですか?
森山:基本はそうだよね。撮り損ねたりも色々あるよ。でもパソコンで見たときにまた改めてその世界に、実際の路上とパソコンの路上とレイヤーがあるのね。そういうところだよね。
鈴木:撮るときに既に脳内でセレクトしているわけですけど、プリントしたものをさらにセレクトするということはありますか?
森山:それはもう、「したくない」と言ってもせざるを得ないよね。
鈴木:森山さんは、そこが通常のやり方と違う気がします。
森山:そうかな?
鈴木:何かを撮るとき、普通だったら、少しずつズラして同じようなカットを2~3枚撮ったりするので。
森山:撮ったりするよ。
鈴木:そうなんですか?
森山:そりゃそうだよ。そういうときももちろんある。そう撮らざるを得ないとき、それしか撮れないときも当然あるけどね。ノーファインダーばっかりではないし、ゆっくり見れるときは見るよ。
鈴木:森山さんにとっては、レンジファインダーのほうが自分らしい感覚があるんでしょうか?
森山:よく聞かれるんだけどさ、フィルムで撮りたい人はがんばって撮ればいいんだよ。でも、撮るときのフィルムもないし、印画紙もない、現像液もない、みんななくなっていく中で、僕はいつまでもやるわけないんだよ。つまり、結局今まで言ってることを単純化すると、「写りゃいいんだろう」ということでさ。別にデジタルでもいいじゃん。質とかいろんなことがあるけど、それもいいよと思う。
鈴木:カメラもあまり買われないとか。
森山:若い頃は人から借りてばっかりだったね。今は買うけど、3万円くらいのデジカメだよ。しかも高級なものじゃない。
鈴木:特に色とかに対するこだわりはないですか?
森山:ないですね。ただデジタルになって、カラーが面白くなったね。デジタルのカラーはペラっとしてていいじゃん。そういうペラっとした感じが僕は好きだから。めちゃくちゃチープな風景になるから、歌舞伎町なんかに行くと面白いんだよね。
鈴木:Akio Nagasawa Galleryで展示していたパネルも、そうでしたよね。今はモノクロと両方やられるんですか?
森山:撮るのは、カラーで撮ってる。それをモノクロに転換してるだけ、便利だよね。カラーで使いたかったら使えるし。もともとフィルムのときも多いほうだけど、ますます撮る枚数が増えたと思う。
鈴木:今の若い層は、フィルムにこだわりがすごくありますよね。
森山:こだわればいいと思うよ。写真のある種のある層をちゃんとやれば、それはそれで面白いわけだからさ。
鈴木:逆に、William KleinやWilliam Eggleston(ウィリアム・エグルストン)は、さっとデジタルに切り替えましたよね。フィルムにこだわらずに。クラインは、SONYのデジタルを普通に使っていて、びっくりしました。
森山:まぁ、どこかさっき言った「写真は写りゃいいんだ」というのがあるんじゃない? そんなに画質とかにはこだわらないところがさ。ファッションのことはわからないけど、特にWilliam Kleinはそういうところがあるよね。
鈴木:もうひとつ聞きたかったのが、展覧会に合わせて本を作るのか、もしくは本を作りたいという延長に展覧会があるんですか?
森山:繰り返しになるけど、写真というのはコピーのツールで、しかもプリンテッド・メディアだと思うんだよね。「印刷されてナンボ」という言い方はおかしいけど、印刷されて生き返るというか。一番の写真だって、それが週刊誌に載るのと、カメラ雑誌に載るのと、カタログに載るのとみんな違うじゃない。紙質も違うしね。それが面白いんだよね。
鈴木:そうですね、メディアで見え方が全く違う。
森山:僕の場合はとにかく、基本的にはテーマを持って日常を撮るだけだから、ある程度撮ると「作りませんか?」と言ってくれる人がいることもあるし、僕が作りたくなったら、「作りたいんだけど」と言って作ってもらうこともある。でも、それで当然完結するわけじゃなくて、ずっと延々続いていく。特に、僕にとって写真というのは単純に、世界の記録であり、自分自身の記録でもある。だって、僕は僕の持っているカメラを持って、時間内のものしか見られないわけじゃない。だから、なるべく多く見ておこう、留めておこうと思ってるだけ。
鈴木:モデルを中心に置いて、それなりに指示があるようなファッションシュートをやりたいと思いますか? それとも、なるべくやりたくないですか?
森山:僕はあんまり、そういう類のことができないんだよ。誰かちょっとした芸能人を呼んで撮ってくれとか。例外はあるけど。以前撮影した宇多田ヒカルさんの場合は、必ず僕と東京の街、新宿を一緒に肩を並べて散歩する感じのときに撮ったから。「スタジオで」とか言われたら、絶対無理だよね。何を撮っていいのかわからないから、僕がいつも撮るような街頭に一緒に行って、チャチャチャと撮る。
鈴木:そこも、意識的に何かの意図が入らないようにされるんですか?
森山:いや、「意図はない」と言ったら嘘になるから。それは、いくら僕がなんだかんだ言っても、その瞬間の意図はどこかに必ずあるよね。
鈴木:でも、排除できるものはするんですか?
森山:うん、シチュエーションはそうじゃない形でやりたい。だけど、その間に意図は入る。それはしょうがない。意図は入れたとしても、意図通り撮れないし、写らないから。なぜって、新宿の夜は動いていて、被写体となる彼らも動いていて、僕も動くからさ。だから、その中で撮るのが面白いわけで。
鈴木:一番写真らしいですよね。ドキュメント性もあるけど、何かしらの意図もあって。
森山:それは、むしろ受け取るほうの感覚だよね。受け取るほうがそれが面白いと思えばいいわけだから。
鈴木:写真に文章がつくと、それで写真がまた違う意味を持ったりもしますよね。
森山:それはしょうがないよ。「わかってねぇな」と思うこともあるけど、中にはチラッとわかっている人もいる。変な言い方で悪いけど、写真に限って言えば、僕は評論家なんて全然信用してないし。僕に写真集を作ってくれたのは、みんな編集者だから。もちろん、アートディレクターもだけれど、やっぱり、基本的に編集をやってる人が僕にとっては一番信用できる。なぜかというと、一冊の本を作るときに、その人も自分自身を懸けるじゃない。だから、リアルなんだよね。