mariko kakizaki
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ダンサー・柿崎麻莉子インタビュー

mariko kakizaki

photographer: chikashi suzuki
writer: mami hidaka

Portraits/

新体操を経て、大学進学と同時にコンテンポラリーダンスの世界に足を踏み入れた柿崎麻莉子。卒業後はイスラエルが誇るバットシェバ舞踊団に入団し、3年間イスラエルのテルアビブに生活と活動の拠点を置いた。現在は LEV 舞踊団に入団し、ツアーで世界中を飛びまわっている彼女。その活躍の場はジャンルを越え、昨年は Dior (ディオール) のショーや TOGA (トーガ) の広告にも出演。夏にはイギリスの音楽レーベル Young Turks (ヤング・タークス) の Jamie xx (ジェイミー) や koreless (コアレス) とのコラボレーションも果たした。各方面からオファーの絶えない彼女の魅力とバックグラウンドを探る。

ダンサー・柿崎麻莉子インタビュー

—新体操からダンスへ進路を変え、ダンスの名門大学に進学するもあまり面白みを得られず、さらにヨーロッパやニューヨークまで足を運び、色々なダンス作品を観るも面白いものには出会えなかったとのこと。ご自身の情熱に反して感動を得られない時期が長く続いて、踊ることへのモチベーションを保つのは難しかったのでしょうか?

そんなに精神的には堪えなかったです。ただ、ダンスは楽しくて面白いのに「どうして舞台で見ると楽しめる作品がないんだろう」と思っていました。当時は近くに日本のいろんな振付家の方やダンサー仲間がいて、一緒にクリエーションをすることがすごく楽しかった。でもダンスを仕事として続けていくとなったら、やっぱり一緒に頑張っていくカンパニーを決めたかったんです。ここで働きたいと思えるようなカンパニーとの出会いを求めていました。そのときは人に会うのがすごく楽しかったです。わたしは田舎出身で、本当に山の麓みたいなところで育ったので、周りにはアーティストみたいな人もあまりいなかったんですけど、ダンスを始めてからは同志や音楽家とかいろんな技術に興味を持っている人達と出会ったんです。そういう人達と話すだけでもすっごい楽しかった!「こんな風に変なこと考えてる人がいるんだなあ」と。

—ダンスが柿崎さんを迷わせることなく、強く惹きつけた要素はなんでしょう?

「なんか美しいな」というか、たとえば好きな人に会った時にフワァっとなる高揚感があるじゃないですか。ああいう気持ちを犬みたいに追いかけていったような感じです、「ワンワンワンワン!」って (笑)。

—『ボレロ』を見たときの感動が強かったんですよね。

でもね、全然覚えてないんですよ!指先くらいしか。わたしはすっごく大きな劇場の半分より後ろの席に座っていたので、単純に席が遠かったのもあると思うんですけど (笑)。ボレロは丸い舞台に女性のダンサーが一人立っていて、その周りで男性のダンサーが儀式のような踊りをする作品で、最初は女性の指先だけにライトが当たるんです。その指先だけがライトアップされて上がっていくとき、なんか自分の内臓をウゥッと触られた感じがして、「アアー!」ってなっちゃって (笑)。だから振り付けがかっこいいと思ったことは覚えているけど、細かくは覚えていないんです。最初に体の内側を触られたことが一番印象的でした。

—初めてイスラエルに渡った際に経験されたという「GAGA」*についてお聞きします。GAGAのことは人間本来の自然な身体機能、日常のなかで無意識にロックされていた身体の動きを解放するメソッドとして認識しています。心身の滞りを見つけることもできるとのことですが、瞑想にも近いんでしょうか?
*イスラエルのダンスカンパニー「バットシェバ」の振付家であり芸術監督の Ohad Naharin (オハッド・ナハリン) が開発した動きのメソッド。 イメージや言葉の指示をもとに身体の動きを即興的に重ねていく。60分間ノンストップで進行するのが基本。

瞑想にも近い。自分の身体やクセを知るのにはすっごい適したリサーチ方法だと思います。ダンス中の身体って、日常の身体とはやっぱり違うと思うんです。自分の身体が海だとしたら、どんどん深く潜って海の隅々までリサーチしていくような喜びもあるし、そうして浸透してきた身体で普段生活している世界や、目の前にいる人の瞳の色を見つめるとか、外の世界への意識と内側に対する意識の両方を感じられる。わたしにとっては身体で世界を経験することを学ぶきっかけになったので、自分の身体と繋がる方法でもあります。

—自分の感覚を自らロックしてしまう瞬間は、じつは例に挙げきれないほど日常に溢れていることに気づきました。GAGA が浸透しているイスラエルでは、やはり日本よりも身体表現に対してオープンな感覚の人が多いんでしょうか?

日本はマナーを守ったり、空気読むことが大事な社会なので、あまり発言する人も少ないけど、イスラエルの人は反応がスピーディーですね、全部。ややこしくないんです。「コーヒー飲みたいね」「よし、行こう」。「こういうことやってみたいの」「やってみよう」みたいな。そこにいる人と喋っている感覚がリアルにあるし、いろんなことが身体感覚的でスムーズでスピーディー。そういうコミュニケーションの仕方は、イスラエルに行くまでは知らなかったですね。海外だとイスラエルでしか長く仕事をしたことがないのでほかの国のことはあまりわからないけど、ヨーロッパのスピード感ともやっぱり違います。田舎もスピーディーな気がします。やろうと思ったらその日のうちにすぐやっちゃう。その人が判断して、その人ができちゃうことが多いので。

—日本からイスラエルは文化や言語の面でもかなりコントラストが激しいかと思いますが、柿崎さんは別のインタビューで「テルアビブなら住めると思った」とおっしゃっていましたね。テルアビブのどのような部分に心地よさを感じたんでしょう?

まずイスラエルでは文化的な活動がすごくリスペクトされているし、芸術家も会社員と同じように扱われます。むしろ「素敵な芸術をつくってくれてありがとう」と尊敬される仕事です。イスラエルでは、バックアップもあるし社会的な信頼もある。「この街に住める」と思うこと自体すごく少ないんですけど、空間が広がっていることは大事。そこで自分が窮屈にならず思いのままに体を使って環境を空間を受け止めることができるような、余裕があって自由を与えてくれる場所が好き。太陽が好き!自然も好き。初めてイスラエルに行ったときに踊る喜びを実感できて、この恋に落ちたような気持ちをキープできるなら、自分を光らせてくれる喜びとつながり続けられるのであれば生きていけると思ったんです。その喜びを感じた場所がイスラエルだったので「よし!」と。テルアビブに住めると思った一番の理由はこれですね。いま日本で住んでいるところは知り合いが一人もいない場所。誰も知らない。そこはとくに踊りも関係ないんです。ただ一番フラットな自分でいれる場所にしたくて。

あと最近はこうやって雑誌とかでいろんな服を着せてもらうけど、わたしはずっとファッションに興味がなかったので、何かなと思ってたんです (笑)。おじいちゃんからのお下がりとかも着ちゃうし。だけどこの撮影でもいろんなお洋服を着せていただいて、すごく楽しかったんですよね。どれもつくった人がこだわりを持っていて、素材やデザインも美しくて。それぞれの服を着るたびにその服のファンタジーというか、つくる人が持っている喜びを感じることができて嬉しかったです。いろんな国に行くのはこの感覚に似てるなって。わたしは環境にすごく影響を受けちゃうので、違う国に行くと違う自分になっちゃうような気がするんです。いろんな国に行っていると、毎回自分のことを知らない人ばかりと出会うから、いまこうやって話しているのも新しい自分だし。いろんな場所に行けば行くほど新しい自分に出会うのは、ほとんど自分っていうものを脱いでいく感覚に近いなと思います。自分が生まれ育ったところとか、家族とか、勉強した学校とか、こういう国で生活したとか、そういう色々を脱いで新しい自分になっていく。

この撮影では5着着せてもらって、正直どれも最初は「こんな服似合わないよ!誰が着こなせるの?スーパーモデルじゃなきゃ無理だよ」と思ったけど、でも着たら着たですごく楽しくて喜ぶ自分がいる。新しい服を着たりいろんな国へ行くことは、自分がこういう人間だと思っていた固定概念みたいなものを、どんどん脱いでいくことだと思います。わたしはダンスに出会ってからこれまでの10年くらいでいろんな場所を訪れて、いろんな人と出会って、いろんな自分を知りました。「これは誰だろう?」ってわからなくなっちゃったりもして。でもそこまでやってみて、これからは着ていくときだと感じています。どんどん脱いで、自分がつけていた仮面のようなものを剥がしてきたので、今度は着ていきたいとき。だから日本で住む場所を探したときに一番フラットな場所を選んだんです。そこはほとんど情報もないし、すごく素朴で、ちょびっとだけ生まれ育った香川に似ていて。脱いでも脱いでも、残っている自分があるんだなと感じました。都心はいろんな人に出会えて楽しいけど、それよりももっと自分に出会いたかったんです。

—固定概念があったことにびっくりです。柿崎さんはあまり自分をこうだと決めつけなさそうなので。

自分でも固定概念や決めつけがないほうだと思っていたけど、それでもいっぱいありましたね。自分は日本人のダンサーだ、とか。それは固定概念じゃなくて事実だし、当たり前のことなんだけど。例えば違う国や環境に生まれたことで、意味が変わってしまうようなものは手放したいです。やっぱりわたしはダンスをしていることにすごい影響を受けていると思います。警察官やライターでもその職業に影響を受けるはず。わたしはずっとダンスをメインにしているから、自分の身体、身体で環境を感じることにすごく影響を受けていて、だからこそいまの山の生活を選んだのかも (笑)。どこにも所属していないからこそできる決め方ですよね。会社勤めだったら会社の近くにするだろうし、恋人や家族がいたらとかまた違うだろうけど、なんでもない心臓だけが浮かんでいるとして自分自身に「どこに住みたい?」と問いかけたら、そこに住みたいと思ったんです。逆に、そこしかなかったとも思う。選び放題だけど、しっくりくるのはそこしかなかったので。

—ダンスはもともと音楽やファッションとの関連性がかなり高いですが、それがいまになってより強まってきているように思います。数々のオファーを受けてきた柿崎さん的にそれはなぜだと感じていますか?

なんでだろう?ファッションと身体はもともと結びつきが強いから不自然ではないけど、みんな普通に立ってるのが飽きちゃったのかなあ。ただ綺麗なものに飽きたとか。人間のほうに興味が向かっていったのかな、そうだったらいいなと。強い意志をもった美しい人間の姿だけでなく、着る人が服のなかで何を感じるか、感情をもった体にベクトルが向いているのかもしれないですね。ダンサーは体への意識がすごく強いので、体と環境の関係に敏感。だからダンサーがいろんな服を着てモデルをしたり、ミュージックビデオに出演しているのを見て、体が喜んだり悲しんだり感情を持っている体を見ることはいいですよね。

だけど、ダンスと思わなくてもいいのかも。子供はいきなり走ったり、体全部と心が繋がっているじゃないですか。私たち大人みたいに歩いてるときや電車の中で立っているときにほかの考え事をしたりしないで、そのとき考えていることを素直に体がやっている。人間みんな生まれた時はそうだったと思うんです。最終的には裸に近づきたいし、自分の心にいつも体と一緒にいてほしい。心と体が離れ離れになるとすごく悲しい気持ちになります。いまダンスが注目されているのも、ダンスとは思わなくてもみんな心と体がバラバラになってきていることに気づいてきたんじゃないかなって。わたしの勝手な希望だけど (笑)。

たとえば子供のとき、桜の花びらが落ちてくるのを見て、そのきれいさに自分の心まで桜の花びらになるような気がしたり、海を見て、「海を見てる人間」じゃなくてザザーっと流れる波になるような気がしたり。そういう風に体全部で世界を経験していたと思うんです。わたしはダンスを通して、そういう感覚にまた近づいていっている気がして。「ダンス」「ダンサー」っていう枠組みに入れちゃうとどうしても「なぜダンスが注目されているのか」と考えちゃうけど、もともと体で感じて楽しむ喜びは誰もが元々持っていたものだから、またみんなそれが欲しくなっているんじゃないかな。

—歴史を遡るとヨーロッパのコルセット文化や日本の着物文化などが例に挙げられますが、本来ファッションって不自由性が強かったと思うんです。今日も宗教上の理由でファッションを楽しめない地もありますし。だけど近年では、デザインそのものや個人の趣向の自由度がどんどん高まっていますよね。

今回の撮影も服のなかにいる楽しみをすごい感じました。コルセットや着物じゃないけど、やっぱりわたし達の体って着る服にすごい振り付けされてますよね。わたしなんか椅子の上であぐらをかいたり正座したりしていますけど (笑)、多分いまはデニムを履いているからこういう振り付けになっている。たとえば肩のデザインが凝った服を着たときに腕が一定の高さまでしか上がらないとして、それをみんなが着始めたら誰もが似た動き方になるんだろうし・・・面白いですね。

この撮影もそれぞれの服に振り付けしてもらっているようなものですよね。「動くとシャラシャラして楽しい!」というのも実は振り付けされているし。デザイナーの方がこだわって素材やかたちを決めて・・・振り付けですもんね。体がそのブランドによって作られているんだなと。今回一番高揚した服は、Valentino (ヴァレンティノ) の赤いドレス。トマトみたい!(笑)

—最近ではオランジュリー美術館のモネの絵の前で踊ったり、イギリスの音楽レーベルとのコラボレーションなど、ますますユニークで自由度の高い企画に参加されている柿崎さん。今後の展望はありますか?

音楽レーベルとのコラボレーションは、去年もロンドンの大きなビルでやったんです。いろんなギャラリーが入っていて5階が駐車場のかっこいいビルでした。スピーカーをいろんなところに置いてその真ん中で踊ったので、全方位にお客さんがいるという状況でした。作品としてクリエーションすると思うんですよね。去年の秋も Keren Ann (ケレン・アン) というすごく素敵な歌を歌うフランス人のシンガーと一度コラボレーションしたりして・・・楽しいですよ! (笑)

モネの絵の前で踊ったのもすごく幸せでした。オランジュリー美術館って、楕円形の空間に大きい「睡蓮」の絵が4面に飾ってあるんですけど、まるでお母さんのお腹の中にいるような感覚になる場所なんです。床も壁も白くて、光も窓から差し込む自然光しか入れていないので優しい空間。ぽわっとした光のなかに「睡蓮」のいろいろな色彩が浮かんでいるようで、宇宙船やお母さんのお腹の中みたいでした。そこで「踊っていいよ!」と言われたことがすごく嬉しくて。

直島の地中美術館も好きなので、いつかそこでも踊ってみたいです。香川出身ですし。地中美術館のモネの部屋って、手前になんにもない部屋がひとつあるじゃないですか。あれってモネ本人がそう頼んだらしいんです。「僕の絵は自然光のなかに展示して、必ずひとつ展示室の前になんにもない部屋を作ってくれ。外の日常から歩いてきた人が、なんにもない部屋で一回まっさらな状態になってから僕の部屋を訪れてほしい」と。たしか中学生のときに初めて行ったんですけど、そのなんにもない部屋からモネの絵をも見たときに、初めて美術館で涙を流しました。思い入れのある場所なので、いつか実現できたら嬉しいです。