shotaro mamiya
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俳優・間宮祥太朗インタビュー

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photography: masaki sato
interview & text: sota nagashima

Portraits/

端正なルックスながら個性的なキャラクターの役も次々とこなし、名実ともに若手実力派俳優の仲間入りを果たした間宮祥太朗。今回演じるのは、Twitterから誕生しいま“最も泣ける4コマ”として圧倒的な支持を集める同名漫画の実写化映画『殺さない彼と死なない彼女』の主人公、小坂 れい。とある挫折を経験し窓際の席で1人心を閉ざす少年が、“死にたがり”の少女と出会うことで世界が動き始める青春映画だ。意外にも、小坂という役と実際の自分の学生生活の思い出に重なる部分があると間宮祥太朗はいう。
そんな彼が込める今作への思い、葛藤しながら日常を生きるすべての人に伝えたいこととは。

俳優・間宮祥太朗インタビュー

―原作の存在は元々知っていましたか?

元々は知らなくて、今回のお話をいただいてから読みました。最初はどうやって映画にするんだろうと思いました。4コマだし、タッチ的にもキャラクターにメイクなどで寄せるみたいな感じでもなかった。最初にTwitterで泣けると話題の4コマ漫画が原作ですといわれて、一瞬構えたんですよ。あんまり泣ける泣けると事前に言われると、なんか泣かせにくるのかなぁと思っちゃったりして(笑)。一応そういうものなのかなと思って読み始めたんですけど、全然タッチが違って、感動させようという嫌らしい匂いみたいなものは全く感じなかったので。“泣ける”というハードルはいつの間にかスッと無くなっていて、素直に読めました。

―今回、間宮さんが演じられた小坂と桜井日奈子さん演じる鹿野の不器用なカップルについて、どういう印象を持っていますか?

この2人は変わった愛情表現といわれていますけど、僕は個人的には自然だなと思っていて。常に愛の言葉を囁きあっているカップルの方が信用ならないと思っている節があります(笑)。好きな相手だからこそぶっきらぼうな物言いになったりとか、常に何かケアをするというスタンスじゃなくいられるというのは、僕は自然だなと思います。あとは、漫画を読んでも感じたのですが、映画やドラマ、舞台などの台詞って台本に起こした時、会話が会話になり過ぎているというか。あれって〇〇だよなと言うと、その事についての返答が必ず返ってくるというところがあって。でも、今作は鹿野が「あれって〇〇だよな」といっても、小坂は、「っていうかお前〇〇だったろ」みたいな全然関係ない話をする(笑)。 会話として成立してないのが、逆に会話としてリアルな気がして。だから、どの台詞も自然に吐き出すことができました。

―映画全体にはゆっくりとしたムードが流れる中、原作が4コマ漫画ゆえなのか、一言一言に重みがある台詞が多かったり、登場人物の会話劇には独特のリズム感があるなと思いました。それは監督や間宮さんも演技される中で意識されたのでしょうか?

監督や他のキャストの方はわかりませんが、僕は漫画が原作ということはほとんど無視していました。でも、原作者の世紀末さんが書いた小坂と鹿野2人の間だけのリズムみたいなものはあるなと思っていたので、それは意識しました。撮影する中で生まれていったテンポというか。たとえば「〇〇したいなぁ」という台詞があったとして、本当に〇〇したいと思うまで、間が空いても台詞をいうのをやめようとか。今回長回しでの撮影が多かったのですが、それに良い影響を及ぼすんじゃないかなと思いました。ドラマとかですごい間を取って喋っても、いくらでも編集でつまんだりとかできるので、長回しでワンシーンを撮っていると、それができないから長回しする意味も生まれるんじゃないかなと思っていて。

―なるほど。

実際に今作を完成後に観た時も、やっぱ“間”って贅沢だけど欲しいなと思いましたね。2時間という時間の中にパンパンに情報を詰め込むことも可能だけど、その2時間の間に無言の“間”がたくさんあったりして、その時間を楽しめるというのはやっぱり映画っていいなと思う部分でもある。無言の時間に観る側が色々考えるというのも絶対あるので。そういう“間”が贅沢にお芝居できて、それを贅沢に使ってもらえて、すごく良かったです。

―この作品ならではの役作りはありましたか?

ならではというと……、考えないで演じたということですかね。リハーサルを撮影前に1週間やって、桜井さんは鹿野の特徴的な口調や動きをしなければいけなかったので、小林監督とディスカッションしていたんですけど。僕は監督から最初に「間宮君の1番リラックスした楽な状態で、何もしないで普通に会話して、その中で立ちたい、離れたい、語気を強くしたいなど、思ったことに従ってくれれば良いから」と言われていたので、あまりこういう風に演じようというプランは持ち込まないでやっていた。その持ち込まなさが今回は特にあったかなと思います。

―演じていて難しくはなかったですか?

今回はすごくやりやすかったです。台詞もそうですし、あんまり自分がこういう風にやろうみたいなものを考えないで、適当にその場にいられるというか。力の抜けた状態でお芝居ができることを楽しんでいたし、そうじゃなきゃ生まれなかったものが映画に反映されていて、それはすごい幸せだなと思いました。劇中の2人のように、僕と小坂、桜井さんと鹿野、僕と桜井さんも撮影日数と共に馴染んでいく感じがあった。割と順撮りで撮れたのでそれも良かったんですけど、どんどん馴染んでいくなぁというような、演技心地が良くなっていったと思います。

『殺さない彼と死なない彼女』

―今回の撮影は廃校ではなく、実際に使っている学校での撮影にこだわっていたと聞きました。

建物自体にパッと入った時に、生きてる学校ともう死んでる学校とでは、やっぱり生活感が流れているので雰囲気は全然違いますね。実際にモノが中に入っている机なども、そのままにしていたりもしました。あと、撮影で大変だったことでいえば、休み時間などに生徒から撮影が見えるとワーワーなるからという理由で、授業中にしか撮影ができなかった。

―授業中に撮影されていたんですね(笑)。

そうです、授業中にグラウンドとかで撮影したり。生徒たちが休み時間に入ると僕らは撮影を中断して控え室に戻らなければいけなかったり、というのはありました。

―間宮さん自身、学校に行ってその匂いで思い浮かぶこと、思い出す感情があれば教えていただけますか?

1番中学の頃の校舎が思い浮かぶんですけど、男子校だったのでトキメキとかは思い出さないですね(笑)。校舎自体でいえば、汗臭くて、みんな真面目に授業聞いてるタイプじゃなかったので、不良ではないけど勝手に席を変えたりして、少しだけ荒れてるイメージはありましたね。

―居心地の良かった場所はどこですか?

窓際の席ですね。入り口はあんまり落ち着かなくて。窓際は自分のパーソナルスペースを確保できる感じがあって、良かったです。今回映画の中でも窓際の1番後ろの席で、落ち着くなぁと思っていました。

―そんな間宮さんからすると、今作の小坂とはどういう人間ですか?

悲劇のヒロイン……。ヒーローとはあまりいわないかな。悲劇のヒロインぶっているなと思いました。挫折したことで感傷に浸り続けている人というか。映画の冒頭で無感動、無関心っていったりしていますけど、元来そういう人間では別にないと思う。小坂がサッカーをやっていた頃の写真は監督とふざけながらめちゃくちゃ笑顔で撮っていて、元々そういう明るさ自体は持っている。それは鹿野とやり取りしていく中で徐々に出ていると思うんですけど。サッカーを挫折したという自分にとっての悲劇的な出来事に浸って、自分の在り方を変えてしまった。側から見るとちょっと哀愁があるように思えるかもしれないけど、そんなことはなくて。留年もしてるし、ちょっと距離を置いて無感動無関心にいれば、考えなくて済むことがたくさんあったのかなと思います。

―小坂に対して自分と近い部分も感じたりしますか?

近いと思います。元来僕も口は悪い方ですし、友人関係においても隣の席の人がエッてなるようなこととかもポンポン飛び交っている仲間内なので(笑)。そういう意味ではこの2人の関係値的に「死ね」といっても、自分の中では全然驚かないので、やりやすかったです。あと、僕は中学の時に野球をやめたんですが、それまではいわゆる男子校の1番うるさい運動部の集団みたいなところにいて。でも、野球を辞めてからはわりと1人になって、つるむのを意識的にやめ、音楽をたくさん聴いたり映画を観たりしていました。その時期は、冒頭の小坂にもつながる部分はあるなと思います。

―それは小坂のように間宮さん自身も何か挫折のようなものを経験されたのですか?

負けたとか、怪我とかそういう決定的な要因が何かあったわけではなく、わりと順調ではあって。ウチの部活は強豪とかではなかったけれど、人数も多くてそこそこ強かった。そんな中で1年の時に試合に出れたりして順調にはいっていたんですけど。自分と同じポジションに、もう1人同じようにわりと早めに評価されて、引っ張られて試合に出るような子がいて。僕は部活の時間以外に自主練したりするタイプではなくて、野球をやる事自体は好きだったんですけど、他にやりたい事もあったし、友達と学食とかでダラダラする時間も好きだった。でも、彼は朝早く起きてランニングして、学校に来ては部活に支障のないように真面目に勉強して、部活やったらすぐ帰宅して夜はまた自主練というような人間で。野球の実力はお互い認めていたけど、もちろん性格的には相入れなくて。

―それこそ漫画のような、絵に描いたように正反対な2人ですね(笑)。

そうですね(笑)。全然相入れなかった。僕も上手くなりたい気持ちもあるけど、こんだけ野球に時間を使えるということが、そのまま情熱の差なのかなと思って。そこまで自分に情熱がないのであれば、続けている必要もないなと感じて辞めました。それで何かやりたいことが見つかるかなと思って、元々好きだった音楽や映画を聴いたり観あさったりしてました。

―それがあったから、今こうやって俳優になられた?

結果的にはそうなりましたね。そもそもあんまりテレビとかを観てなくて、いわゆる芸能界みたいなところに興味はなくて、自分をこの道に引き入れたのは映画が好きだなという気持ち一本だから。そこで映画を好きになってなかったら、実際俳優をやっていたかどうかもわからないですね。

―そうやって自分のやりたいことが分からなくて葛藤しているような人々に、伝えたいことってありますか?

やりたいことをやっていて、それに対しての自分の評価が追いつかない、他人からの評価が追いつかないみたいなことがあるけど、そもそも評価されるためにやっているのかどうかということ。やりたいことをやって、結果的にお金をもらえるのは理想ではあります。でも、別に僕は生きて生活してること自体が楽しければ良いなと思っているので。俳優をやるにしても、何をやるにしても、もちろんお金は稼がなければ生きていけないというのはありつつ、この生きて死ぬまでの膨大な時間がある中で、その時間をどう使うかだけだなと思います。その時間を有用に使うために、挫折して、そこでもがいている時間も充実していると思うし。パッと振り返ってみて、僕は野球を辞めたけど今が楽しいし。辞めた時も、それが大きいことだと思わなかった。その時その時にしたいようにしていれば、ずっと自分を肯定できる。やりたくないことをしてたり、やりたいことをしてないことは自分を肯定できないことにつながる気がするので。俳優をやりたいというだけだったら、いくらでも入り口はある。舞台だってそうだし、自主で作っている映画に出ていても俳優。今、演技をする俳優をするという選択肢を選ぶこと自体はできるはずなので。その度合いを決めない方が良いのかなと思います。