俳優・菅田将暉インタビュー
masaki suda
photography: kiyotaka hamamura
interview & text: ayana
2019年で芸歴10周年を迎えた菅田将暉。年始からドラマ「3年A組 ―今から皆さんは、人質です―」の教師役で話題をさらった。2月にはアニバーサリーブック「誰かと作った何かをきっかけに創ったモノを見ていた者が繕った何かは いつの日か愛するものが造った何かのようだった。」で、仲野太賀や小栗旬ら “同志たち” とのコラボレーションを披露。その後公開された映画『シャザム!』『アルキメデスの対戦』『タロウのバカ』でかわいいヒーローから天才数学者、壊れそうに凶暴な少年を演じたかと思えば、夏にはセカンドアルバム「LOVE」をリリースし、ミュージシャンとしての成長ぶりも見せる。その間も「菅田将暉のオールナイトニッポン」は絶好調、CMやバラエティ、雑誌にも引っ張りだこ。そのすべてを全力で楽しみながら、閃光のようにまぶしく進化していく彼の姿を見ない日は、ない。
俳優・菅田将暉インタビュー
Portraits
菅田将暉がデビュー10周年を締めくくる作品として選んだ舞台「カリギュラ」。不条理を描いたAlbert Camus (アルベール・カミュ) の問題作は、菅田をどう進化させるのか。私たちはきっとまた、そこに見たこともないような菅田将暉を発見する。
カリギュラは特別な人間じゃない
─ 今は「カリギュラ」の稽古中ですか?
いえ、まだ始まっていません(※インタビューは9月末に行われた)。台本をようやく10回ほど読んだところです。
─ 台本はいかがでした?
とてもわかりやすい言葉でつづられているなというのが最初の印象です。過去にやった戯曲に比べると──たとえばシェイクスピアだと、常識の感覚も今と違えば比喩表現も日本人にはわかりづらい、でも演じてみるとそこに美しさがある、そういう世界でしたけど、「カリギュラ」は表現がストレートだなと。そのぶん、言葉に酔いしれるような演技は絶対にできないなと思いました。雰囲気では乗り切れないものがあるぞ、と。
─ カリギュラという人物にはどんな印象を持たれましたか。
そうですね……もちろん殺人はいけないことだし、王様だからといってなんでも自分の好きにしていいわけではない。まずそういった当たり前の倫理がありつつも、実際権力を持ってしまっているひとりの人間、というか。あまり特別扱いせず、普通の人としてカリギュラを捉えたいという気持ちがありますね。
─ 変に神格化するのではなく。
自分が演じるからこそなんでしょうけどね。僕、作品に出てくる登場人物を、特異な才能を持つ超人みたいに描くのがあまり好きではないんです。それって、見ているお客様や演じている僕たちの人生がつまらないものみたいじゃないですか?
─ カリギュラがやっていることは異常だけれども、それは特別なことではない?
誰にでもある「良くないとわかっているけどやめられない」みたいなこと。たとえば甘いものがやめられない、ギャンブルがやめられない。やめたほうがいいのはわかっているけど、体が反応してやめられないことってありますよね。カリギュラの場合も、そういった誰にでもある衝動が増幅したにすぎなくて、根本は同じなのかなと思います。
─ カリギュラは、危うさや恐ろしさもありますが、非常に魅力的でもある人物ですよね。
衝動に駆られて思うままに生きるカリギュラはいいな、羨ましいな、って気持ちもあります。止まらないほどの衝動って、そうないから。そこはちょっと贅沢に (演じるのを) 楽しみたいところ。「不可能なものが欲しい」っていうのも、別にロマンとかじゃなくて、本気なんですよね。それもすごくわかるというか、手の届くものって落ち着くし楽だけど、どこかつまらない感じもあるし。だから、人間的にすごく真っ当な気もする。まずはカリギュラを特別視しない、そこからスタートしたいと思います。
─「菅田将暉のカリギュラ」はどう来るのか。世間からの期待や注目はかなりあるでしょうね。
「カリギュラ」という作品が持つイメージは当然あって、先入観もあるなかでやるのは自覚しています。正直、見てもらう側としたら、それがいちばんいらないんですよ。これまでみんなが見てきたカリギュラ像なんて、僕からしたらどうでもいい。今からやるカリギュラだけが僕のカリギュラだ、と僕自身がまず信じてあげないとやる意味がない。
─ 世の中のミーハーな部分も刺激しつつ、菅田さんの演じ方で深みが出うるキャラクターですね。
演劇ってもともとが大衆娯楽ですから。みんながミーハー気分で劇場に集まって王様の悪口をいうっていう。だからミーハーな気持ちも真実というか、大事な要素。それもこれも全部を受け入れて、思い切りエンターテイメントできればと思います。
与えられた「型」に一度、困ってみる
―「カリギュラ」の先行ヴィジュアルは、菅田さんの赤い髪とダークなメイクが印象的でした。本番もこの路線で?
いえ、まだ何も決まっていません。多分全然違うものになるんじゃないかな。
─ それは楽しみです。菅田さんは役に合わせた風貌にご自身を改造していくイメージが強いのですが、なかでも特に髪型をよく変えられていますよね。髪型は、いつも役ありきで決めているんですか?
そうですね。でも、両方ありますよ。今はこの髪型にしたい!という個人的な好みを優先したいときもあって、その場合は相談します。「この髪型のほうが絶対にいいと思うんですよね、僕の気持ちもノるし……」とかいいながら。
─ いずれにしても作品ありきで、企画側に入って作っていく。
はい。どちらにせよ意志は必要というか。役先行であれ私情先行であれ、いつも意志のある髪型ではいたいと思っています。
─ 菅田さんはファッションも注目されることが多い方ですけど、いろんな服を無造作に着るというよりは、その時々でブームがあるように見えます。先日、ラジオで「髪型にあわせてファッションを変える」というお話をされていましたよね。髪型ありきで服が決まるのなら、菅田さんのファッション遍歴には、演じる役が大きく影響しているということになりますか。
いや、そうなんですよ。だから大変なんです、いつも。
─ じゃあやはり服は髪型ありきで。
髪型というか、仕事ありきですね。髪型、体型、心情など、役として課せられたテンションが普段のスタイルを大きく左右するんですよ。もう服なんてどうでもいいわ、ってモードのときもあれば、ただただ美しくあろう、というときもあるし、格好つけない格好よさを追求するときもあったり……。たとえば、前髪が長くて表情が隠れぎみな役をやっているとしますよね。撮影が終わった瞬間に前髪をオールバックにして快活なキャラに切り替えるっていうのもしんどいし。
─ 気持ちが大変ですよね。
だから、演じている期間はその役のほうに合わせよう、ってなります。そのほうがファッションも新しいことができたりする。そこはこの世界の特権というか、得しているところだと思ってます。外的要因から「さあどうしよう?」ってまず一回困ってみるという。
─ なるほど。予定調和じゃないほうが面白いですもんね。
そうですね。自分の感性だけじゃ色々と狭まってしまうから。菅田将暉の「服が好き」とか「いろんな格好してるよね」という世間のイメージも、とてもうれしいけど、実は自分の感性から生まれたものってほとんどないんです。今日のシューティングもスタイリストさんにスタイリングしてもらっているし、多くはドラマや映画の監督による役のイメージで作られたものだったりする。僕はもう、ただベーシックなジーパンが好きなだけです(笑)。
─ どこまでが菅田さんの私服で、どれが他者にスタイリングされたものかっていうのは、わかりにくい部分でもありますからね。
表に出ているイメージで、僕自身の服なんてごく少ないんですよね。それでも、ちょっとした着こなしかただったり、どこかに自分らしさが出てるんだとは思いますけど……だから不思議なもんだなと。そのくらいのフワッとした感じで、僕は逃げ続けたいなと(笑)。
─ とはいえ、服はとても好きでいらっしゃって。
はい。好きです。
─ ただ、菅田さんからはいわゆるファッションマニアの印象をあまり受けません。このブランドの今季のコレクションがよかったみたいなことはいわなそうというか。
ブランドにはあまり興味ないですね。そもそも単純に数が多すぎて。全部追ってたら時間がなくなって俳優業がおろそかになりそう。
─ では、服のどこに魅力を感じます?
その人の個性が出るところ。僕らみたいな名刺を持たない職業の人間からすると特に、キャラクターを主張するものだなと思います。なるほどね、全身黒なんだ、とか。スタイルやライフが見えますよね。
─ ご自身でも服を作られていますよね。好きなものは実際に自分で作ってみたくなる?
あるとき洋服って不思議だなと思ったんですよね。そもそも、誰が作ったかも、どう作られているかもわからないものを毎日着ているわけで、そんな怖いこともないなと。で、一枚の布を裁断して、パターンひいて、切って、縫製して……だんだん一着の洋服になっていくさまを見ると、えらい面白いなと興味を持って。
─ 服作りという点では、デザイナーよりパタンナー目線が強いんですかね。
そうですね。だってパタンナーの仕事ってすごいですよ。服のデザインがどんどん複雑化して高次元なものになったとしても、それを2次元の世界に落とし込んでいくのがパタンナー。ある種とてもアナログな作業というか、複雑なものを単純化していくわけで。とても数学的で、そこが好きなのかもしれません。
求められたものを、全力で見せられる人でありたい
─ 菅田さんは演じた役の性格から影響を受けることはあるんですか?演じるごとにだんだん性格が変わっていく、みたいなことは。
普段の自分がってことですか?その役のヴィジュアルでいるわけだから、期間中は少なからずあると思います。
─ 強烈なキャラクターを持つ役の場合は、そのクセを抜くことも大変そうですが。
抜くのは簡単ですよ。違うことすればいいから。ただ、カメラの前に立ったときに、いつでもその役として全速力で走れるようにしておかなきゃいけないので、プライベートの時間であろうと、どこかは意識しておかないと。あまりにも遠いところに行くと帰ってこれなくなってしまう。「用意!」といわれた瞬間にパーンと豹変できる人もいるけど、僕はそういう人間ではないんです。だからやっぱり、普段の自分にも影響してるんでしょうね。
─ 歴代の役は菅田さんのなかに息づいている。
と思います。すりきり一杯の溢れないところで調節しながらストックしておいて、解放するタイミングでフタを開けて、ダーッとぶちまける……言葉にするとそんな感覚かもしれないです。
─ カメレオン俳優といわれるほどに多彩な役を演じられていますが、ご自身では「菅田将暉ってこういうキャラだよね」みたいなレッテルを貼られないように、偏らないよう意識して役を選んでいるのですか?
それもありますけど、結果論ですね。まずは純粋に面白そうなものを選ぶなかで、色々な出会いがあって、そこから次の面白いことが見える。その繰り返しで、気がついたら今ここにいるという感じ。僕自身は演劇に明るい人でもなく、映画を死ぬほど観ている人でもないんですが、ただ色々な人や作品と巡り合うなかで知識も少しずつ増えていき、面白いなぁと思うことをやれています。
─ そのときそのときを全力でやっているにすぎない。
そんな気がします。先日「カリギュラ」演出家の栗山さんと、翻訳家の岩切さんの対談を拝見したとき、正直この人たちは自分とは全然違う人種だなと改めて思いました(笑)。なんでわざわざこんな難しいことを追求してるんだろう?と純粋に不思議に思ってしまう。近場にワンコインで手軽に楽しめる美味しいランチがたくさんあるのに、なんであんな辺境の料亭に……?みたいな。そうだよなぁ、こういう、ひとつのものにとことん向き合っている人たちが作ってるんだよなぁって。
─ 研究者のように、ひとつのことに没頭する人たち。
そう、舞台は毎回そう思うかな。でも、ひとえにそれが面白いから追求しているのもわかります。それこそカリギュラみたいに、止まれない衝動みたいなものがあるんだろうなと。毎回、そんな風に他人事のように思いつつ、気づいたらそのど真ん中に立っているっていうのは……自分が賢くなったような気になります(笑)。そもそも、そういう世界線の人たちと相対して、話を聞いたりものづくりができるっていうのは贅沢なことですよね。
─ そういう場所に求められる魅力が、菅田さんにあるということでしょうね。
うれしいですよね。ありがたいなぁって。
─ 音楽活動もそうではないですか?プロフェッショナルな人たちに求められ、気づけば自分が真ん中に、という。
そうですね。音楽はもっと私情というか……エゴですけど。
─ 音楽は菅田さんのどうしてもやりたいという強い熱意がまずあって?
そうです、ただ、こんなすごいことになるとは思ってなかったです。
─ ではそれも、いろんな人との出会いによって展開していったんですね。
それこそレーベルの方とか。そこでアルバムを出し、ツアーをやろうという話になって。そんなでかいスケールになるんだ?と驚きつつも、ありがたいことじゃないですか。練習時間もたいしてないなかで、普段友達たちと家で遊んでたようなものを、みんなに見せましょうといってくれる人たちがいるなんて。
─ 菅田さんを見ていると、本気でやれば人間ここまでできるんだな、と思うんです。俳優とはこういうもの、ミュージシャンとはこういうもの、という世の中にある定義を乗り越えてくださる。そこに勇気をもらいます。ジャンルは違いますけど、たとえば女性にも色々あって、結婚に適した年齢や、美しいといわれる時期など、縛るものがたくさんある。でもそこって乗り越えられるものなのかもしれない、と。
僕よりすごい人はもっとたくさんいますけど……ありがとうございます。いやでも、そう思います、僕も。
─ 菅田さんは、興味を持ったことにまっすぐ取り組んで、結果をしっかりと残されています。すごく強欲な人なのかなと思っていたのですが、ふと、何かもっと大きい使命感みたいなものを持たれて活動されているのかな、と。
いや、僕は強欲な人間だと思いますよ。でも使命感でいうと「カリギュラ」なんてまさにそんなところもあって。最初はあまり乗り気じゃなかったんです。大好きな小栗旬という先輩が、ボロボロになりながらやった「カリギュラ」を、リメイクみたいにやるなんて……どうしたって比べられるし、「越えなきゃ」みたいに捉えた時点で何かが濁ってしまうから。でも、当時の小栗さんの舞台も見てきた僕の大好きな、尊敬している人に「今の菅田将暉がやるカリギュラを見たい、それを10周年最後のものとして見せて欲しい」といわれた。そこで一気に、それならやらないとな、その人のために見せないとな、となりました。信頼する人に見たいと思ってもらえたものを全力で見せられる人でありたい、そういう使命感みたいなものはあります。そういえば、これも自分の感性だけではない、外的な要因からの道筋ですね。
─ 外的要因も自己プロデュースに取り込んでしまうのは菅田さんらしいです。その才能が頭角をあらわすのも早かったですよね。
たしかに、想定より早さを感じることはあります。今年1月にドラマで念願の教師役をやりましたが、僕のなかでは30過ぎでやる予定だったし、2017年のアカデミー賞受賞(『あゝ、荒野 前編』最優秀主演男優賞)もそうですね。とはいえ蓋を開けてみると、窪塚洋介さんが『GO』で受賞したのは20歳で……いや全然早いし!っていう。昔の人なんてもっと早かったでしょ?戦争ものの作品をやるとすごく思うのが、当時の文献の写真を見ると、みんな顔が張り詰めていて、削ぎ落とされていて、はやく歳をとっているなと。今の人は若いし幼い。そのぶん長生きだから……いい時代ですよね。
─ いま26歳で、芸歴10周年。昇りつめてきた印象の菅田さんですが、これからもスピードを緩めず、ますます高みへ?
いや……どうなんですかね?でも、いい意味で固執せず、変わらず、自分が楽しんでやれるのが一番ですかね。で、たまにこういう『カリギュラ』みたいな、ヒリヒリする、どうしたらいいかわからないようなのをやっていくっていう(笑)。