アリーズのソフィア・プランテラが考えるブランド論 「アイデアを包むカプセルのようなもの 」
Sofia Prantera
photography: utsumi
interview & text: hiroaki nagahata
translation: miuko nakao
1998年に SILAS (サイラス) を立ち上げ、現在は Aries (アリーズ) のデザイナーを務める Sofia Prantera (ソフィア・プランテラ)。男性主導のストリート社会の中で、ジェンダーの価値観に依存することなく、彼女個人の視点を提示し続けてきた。「ジェンダーをグラデーションのあるグレースケールとして捉えることができれば、人はもっと幸せになれるはず」。Sofia にとってジェンダーとは 「気にしない (Don’t Care)」ものであり、その感覚は Aries にもダイレクトに反映されている。
アリーズのソフィア・プランテラが考えるブランド論 「アイデアを包むカプセルのようなもの 」
Portraits
Ariesは先日、写真家の Joshua Gordon (ジョシュア・ゴードン) とキューバ発ラム酒ブランド〈Havana Club〉とのトリプルコラボレーションを発表。昨年末、本企画の巡回展を神保町の小宮山書店で披露するにあたり、来日した彼女に話を聞いた。インタビューのテーマは、エクレクティックであることの重要性について。
― あなたは SILAS を始めた時から今までずっとジェンダーレスな洋服を作ってきましたよね。そこに対してはどのくらい意識的でしたか?
私はいつも自然と男性の洋服に惹かれてきました。でもそれがなぜなのか、理由は考えたこともなかった。SILAS ではメンズウェアをデザインしていたし、身につけた時のフィット感は男女で異なるかもしれないけれど、洋服としては同じ。別に SILASを「ジェンダーレスなブランド」と位置付けていたわけではなくて、女性の視点からモノを作りつつも自分のことをステレオタイプな女性とは見ていないんです。個人的なメンズウェアへの愛と「実際は女性も身につける」という状況の間にある矛盾、それはどうにか解消したいと思っていますが、だからといって SILASを「これはジェンダーレスブランドなんです」と位置付けたことはありません。
― Ariesに関しても同じような向き合い方でしょうか?
そうですね。SILAS を始めたころ、「ジェンダー」はまだ多くの人が語るようなトピックではありませんでした。私は個人的にジェンダーレスな服を着ることを心地よく感じていて、それに関して特に定義する必要性を感じていなかった。そのあと2011年に Aries を始めたんですが、「男物のTシャツ」とか「女物のTシャツ」とか「男物のジーンズ」とか「女物のジーンズ」を作るということに、もはや意味がないと感じていました。だって単にサイズの問題だから。なので、最初のラインを発表した時は、ラックを男女で分割するということはせず、クライアントには自由にピックしてもらえるようにしました。でも、これにバイヤーは戸惑ったみたい。その時点まで誰も「男女を分けないこと」についてちゃんと語ってこなかったから。
― 僕もネイリストの妻と洋服をシェアしています。でも、妻はそれを特に意識していない。単に男性の洋服のデザインの方がしっくりくるからだ、といっています。
すごくよくわかりますよ。ちょうどあなたの奥さんみたいに、私も自分の夫の洋服を着るし、私は2人大きな子供がいるんだけど、どれが誰のTシャツかなんて分からない(笑)。
― もはやご自宅のワードローブに性別が存在していないわけですね。
そうです。私はウィメンズのブティックスタイルに興味を持ったことはなかったし、常にメンズウェアが身近な環境で育ちました。だから、最初にコレクションを発表したとき、女性用のブティックでは反応がなく、「女性がメンズウェアを買いにくるストリートストア」では比較的よく売れたんです。国別でいえば、実のところちゃんと売れたのは日本だけだった。あまり語られないけど、日本では女性がマスキュリンなスタイルを着ることに慣れているような気がします。イギリスではその感覚が理解されなかった。よく考えてみれば、私たちの洋服を着るような女性は「女性用のブティック」にふだん行かないんですよね。たまに一着だけ買いに行くようなことはあったとしても。
― お店もしばらくウィメンズとメンズでフロアがかっちり分かれていましたよね。
そうですね。そのうち、メンズウェアのお店の中からユニセックスな形態がコンセプトストアのような形で登場してきて、私たちの洋服を積極的に置いてくれるようになりました。実はこのブランドも3年くらい前に方針を変えて、メンズのファッションウィークに出展するようになったんです。ライン自体は変わっていないんだけど、ラインを展開する場所を変えた。それで今やっと「洋服はメンズ/ウィメンズの境界を越えることができるんだ」と人にわかってもらえたような気がします。私たちのウェブサイトでも、「ウィメンズ」「メンズ」「気にしない (Don’t Care)」という3つのセクションを作っているんですよ。つまり、全アイテムを見たかったら「Don’t Care」のところをクリックすればいい。多くの人は今でも自分自身をジェンダーに基づいて理解しているので、この感覚を受け入れるのが難しいんですけどね。
― 僕でもつい「メンズ」をクリックしてしまいそうです……
本来ジェンダーは二元的なコンセプトではないと思っています。それをグラデーションのあるグレースケールとして捉えることができれば、人はもっと幸せになれるはず。両方の性の要素を持っているのは自然なことです。ジェンダーは、スペクトラム(連続体)として理解すべきじゃないでしょうか。
― グラデーションのあるグレースケールというのは、そのまま Aries のブランディングにも適用できる話ですよね。つまり、このブランドは単なるハイファッションでもなければ、ユースのためのスケーターブランドともいい切れない。顧客のセグメントを想定することはないんですか?
ああ、私は考えないですね (笑)。そこが Aries にとって難しい部分かもしれない。PRとして話すとすれば、私たちの作るものはとてもエクレクティックだと思うんですが、ブランドが成長するとともにそれがスタンダードになってきていて。私が良いと思えばそれが採用される、みたいな。これは最初から思っていたことなんですが、ブランドはあくまで「媒体」であってほしい。カスタマーの層を決めるのではなく、ただ独自のエンティティ (存在) になることが重要なんです。そういう意味ではイタリアのブランドと近くて、モデルとしては PRADA (プラダ) なんかを目指すべきかもしれません。私にとってのブランドは、アイデアを包むカプセルのようなもの。そして、その中に入るアイデアには必ずしも一貫性がなく、面白いものでありさえすれば何でも良い。そして時として、「一貫性がないことが面白味」だったりもする。もしかしたら私の好みが反映されているという点では連続性があるかもしれないけれど。だからもし私がブランドから離れたら、そこに連続性を見出すことは難しくなります。
― 自分以外にコンセプトと呼べるものは用意しないと。
自分がどこに行きたいか、個人的な興味をブランドに取り入れることが連続性につながるんです。人と働き、理解し合い、よりレベルの高い商品の開発に向けてともに成長していくこと。常に新しいものを探し求めること。でないと飽きてきてしまうから。なので、ブランドを創設した時のマニフェストについても、どんなブランドになるのか、何をするのかについては、あえて決めていませんでした。「フリル付きのブラなんてぜったい作らない」とも「マッチョな男性向けのスウェットパンツなんか作らない」ともいわない。それらのものすべてが共存できる場を探すことにしたんです。
― それでは、コラボレーターはどのように選んでいますか? モデルをストリートでスカウトしたりしている一方、David Sims (デヴィッド・シムズ) のようなファッション業界でトップを走る写真家とも長くお付き合いされていますよね。
まずDavidの場合は90年代のロンドンで出会った古い友人で、今でもよく一緒にものを作っています。あとは、今年の春にコラボレーションしたJeremy Deller (ジェレミー・デラー) がまさにそうですが、友人のつながりを通して実現することが多いですね。あるいは、NEW BALANCE (ニューバランス) のように向こうからアプローチしてくれるケースも。コラボレーションはブランド単独ではたどり着けない場所に連れて行ってくれるものです。
― では、今回の Havana Club との共同制作では、結果としてどんなことに挑戦することになりましたか?
Havana Club は前にもストリートブランドとコラボレーションしたことがあったらしく、彼らはキューバで楽しい感じのビデオを撮るようなことを期待していたかもしれないけれど(笑)、私は万人に受け入れやすいポップなものではなくハードな仕上がりを想定していました。つまり、オールドファッションでより深いもの。ザラザラした質感の写真を作る Joshua Gordon (ジョシュア・ゴードン) に連絡を取ったのも、そういう狙いがあったからです。また、私はこのプロジェクトを通して、キューバを深く理解しようとも考えていました。だから、数ヶ月キューバに滞在できて、コミュニティの中で過ごし、実際に何が起きているのか理解できる人にお願いしたくて、その意味でも Joshua が適任でした。どちらかというとこれは、ジャーナリズムの行為に近かったかもしれません。
― ここで伝えたい社会的なメッセージはあったんでしょうか?
えーっと、特に政治的な声明を含んでいるわけではありません。私たちは政治的なブランドでもないし。だけど、古い車とかそういうベタなイメージとは違ったキューバを伝えたかった、というのはあります。もっとリアルなもの。Joshuaの作品の作り方には、どこか Nan Goldin (ナン・ゴールディン) 的なものを感じます。彼は自分が滞在した場所のコミュニティについてとてもポジティブな感覚を持っている。彼はかつて、「Juggalos (ジャガロ)」と呼ばれる Insane Clown Posse (インセイン・クラウン・ポッシー ※全米PTAが “子供に絶対聞かせたくない最悪音楽グループナンバーワン” に選んだホラーコアデュオ) のファンについてのドキュメンタリーを撮っていましたが、彼がコミュニティに入っていく時、のぞき見して外側から分析するのではなくて、その中に存在する美に光を当てています。サブカルチャーや、ふだんの生活では出会えない人々の美しさを描いてくれる。私たちは上辺だけきれいなものを日々たくさん見ているけど、彼の作品はネガティブに陥ることなくリアルを見せてくれるんです。この行為が文化を搾取することにつながらないか、とても難しいラインだったかもしれないけど、Joshua は現地の人たちと実際に友達になって、結果的にみんながハッピーだったのはよかったかなと。
― Jane How (ジェーン・ハウ) とのファッションシューティングでは、キューバで得たことをどのように反映しようと考えましたか?
そっちの方はキューバの楽しい側面へのトリビュートという感じでしたが、ルックスはオールドファッションなものを考えていました。そこで連想したのは70年代の『PLAYBOY (プレイボーイ)』。いろんな国を扱ったドキュメンタリー記事をアルコールブランドのグラマラスな広告の横に置く、みたいなバランス感覚ですね。
― 実際のあがりに関してはいかがでしょうか?
とても良い本ができたと思います。この前 David (Sims) に見せたんだけど、「好きじゃない」っていわれるかなと思ったら「すごく良い」っていってくれて(笑)。
― 今回は70年代の『PLAYBOY』からの引用があるということで、Sofia はノスタルジアについてどう考えていますか?
そうですね、私の作品はノスタルジックといえるかもしれない。歳をとると、これまで通ってきた時期や特定の出来事を振り返ったりするようになります。特に、自分のヴィジュアルに影響を与えたものを振り返ることには、かならずノスタルジアが伴いますよね。例えば、古い雑誌についていうと、父は昔からコミックや成人向け雑誌を集めていて、母親もそういう雑誌を“検閲”していなかったので、家中に溢れていたわけです (笑)。それが、自分の女性性やアートに対する見方に大きく影響を与えています。それに、毎週日曜日には父がアートギャラリーに連れていってくれました。私は Central Saint Martins (セントラル・セント・マーチンズ) に通うまでアートを勉強したことはなかったけれど、私も妹もアーティストになった。その歴史を振り返るというのは、ノスタルジックなこと。子供の頃に触れたものを振り返って、コピーではなく再創造するんです。
― 過去を振り返ることと未来に目を向けることの間で、葛藤が生まれることはありませんか?
ノスタルジアが悪いことだとは思いません。今のカルチャーだって過去に大きく影響を受けています。特に最近は、「近い過去」に基づく表現が多い。何もかもが爆発的に広がっていく中で、過去を新しい文脈で再解釈することは、若いアーティストの中でも王道のやり方になっていますよね。
― ノスタルジアといえば、近ごろ雑誌や本もその価値が大いに見直されていますが、Sofia も今回のようによくフォトブックを制作されていますよね。
本が好きなんです。本の中の写真には、何か特別な空気がある。でも若い世代の人たちはまた違う感じ方をしているんじゃないでしょうか。先週、ある本の発売イベントに子供たちを連れていったんですが、「この本買おうかな」って私がいったら、「本当に? 45ポンドで本を買うならTシャツ買うわ」って言われてしまって (笑)。
― 自分の周りを見渡してみても、そこは本当に二極化しているような気がしますね。
今はほとんどのコミュニケーションが携帯を通じてとられています。だけど私にとって印刷された本というのは、今となっては唯一お金を出して買うものかもしれない。洋服も買わないし……まあ雑誌も古いものしかほとんど買わないんですけど。あ、こういうこといっちゃダメですね(笑)。肝心なのは、雑誌や本の見開きで大きな写真を見ると、それをまったく新しい形で理解することができるということ
― 昔の雑誌では何を集めているんですか?
『The Face』と『i-D』はすべて持っています。『Vogue』や日本の雑誌もたくさん。
― それらの雑誌はラグジュアリーブランドをクライアントに持っていますが、Ariesはいわゆるハイファッションでもないですよね。
ハイファッションには、どこか共感できない部分があるんだと思います。私にとってのファッションは表現であり、カルチャーであって、クラシカルなハイファッションはあまり理解できない。それに、ハイファッションのゲームに参加したかったら、そのためにやらないといけないことがあります。まずは、6ヶ月ごとにコレクションを発表すること。また、廃棄物について議論が盛んなこの時代に、ハイファッションの世界はものを作りすぎています。でも、「私は絶対にショーなんてやらない」と決めているわけでもなくて。イベントはとても大切なものだと思うし。ただ、そのサークルの奴隷になるのが嫌なんです。
― そうするとやはり広義のストリートブランドという言い方がもっともしっくりきますよね。
思い返せば、私のファッションセンスはスケートウェアを通じて培われてきました。以前、SILAS のディストリビューターを務めてくれた方は、Supreme (シュプリーム) のディストリビューションもやっていて、私もそこでブランド経営について学んだんです。だから、ビジネス的には少数ロットしか作らない Supreme をモデルにした部分が大きいんですが、ファッションの面ではもっと遊んできたかな。私は女性の視点を持っているし、美しいものも好きだから、Supreme のマスキュリンな要素とのバランスをうまくとりたくて。そこはずっと戦ってきたところかもしれません。
― Sofia があらゆる面でエクレクティックであるということを重視しているのは、なぜでしょうか?
異なるものの衝突が好きなんです。特に今はその重要性が増していると思います。私は教育をたくさん受けて、インテリなバックグラウンドを持っているともいえますが、同時にコミックも読んでいる。低俗とされているものと、アートとされているものの衝突……私にとってエクレクティックというのは、常に新しいものを探求するということ。どうやって異なるもの同士を共存させるか。さっきもお話したように、それがブランドのDNAになりました。私は同じ洋服を作ることに興味がないし、それはビジネス的に不利かもしれない。だけど、常に学び続け、成長し続けることが大切なんです。そういえば Aries を始めたとき、マーケティングを手伝ってくれていたイタリアの会社から、「ブランドを5つのワードで表して」と言われたことがありました。で、私は「ぜんぜん分からない!」って(笑)。
― 周りの人たちは Aries のことを何と表現することが多いですか?
この前、Joshua がインタビューで「パンク」って言っていましたね。
― それは「停滞を避け続ける」という意味で、けっこう正しい言葉な気がしますね。
もし既存の概念に当てはまらないなら、とりあえずやってから居場所を見つける。面白いものなら、どうやってそれを吸収できるか考えてみる。そういうことでしょうか。
― 実際は折衷的な性質を持つ人たちの数って少なくないと思うんですが、いざ表現するとなると既存のカテゴリに回収されざるをえなくなって、才能が潰れていくパターンもありますよね。
そうね……ただ、かつて規範に従わないというのは、今よりもっと難しいことでした。現代の若い人たちは、「人と異なる」ということをより受け入れて生きていると思います。特に音楽の分野ではどこよりも早くクロスオーバーが盛り上がっていて、面白い。ちなみに私はいつも変な音楽を聴いていて、時々「自分はこんな音楽が好きって言って大丈夫かな? 偏見持たれるかな?」って思うことがあるんです (笑)。
― 僕も変な音楽というわけではないですが、ファッション的にイケているとはいえない Goo Goo Dolls (グー・グー・ドールズ) や Coldplay (コールドプレイ) のような音楽を愛聴しているので、そのお気持ちはとてもよくわかります (笑)。
本当に、自分にとって面白いものを追求することが大切だと思います。それって今、世界で急速に共有されつつある考え方ですよね。