yurie nagashima
yurie nagashima

「誰もやらないから、自分でやるしかない」 写真家・長島有里枝が言葉で語り続ける理由

yurie nagashima

photography: kosei nozaki
interview & text: miwa goroku

Portraits/

「女の子写真」の名のもとに、1990年代の日本で巻き起こった写真のムーヴメントがあった。セルフポートレートや友人、風景といった日常を、そのまま直感的にプライベートな距離感で撮りはじめた女の子たち。簡単に使えるコンパクトカメラの登場を追い風に、カメラの技術や知識がなくても成立する「女の子写真」はブームとなり人気を集めた ──大筋において多くのメディアがこのような論調に終始していた「女の子写真」とは、一体何だったのか。

当時の言説を紐解いていくと、「女の子写真」のロジックには、多くの矛盾と偏見、性差別やミソジニー (女性嫌悪) が潜んでいることに気づかされる。「当時からおかしいと感じていたので、時代のせいにはできないと思います。いつかまともな論客がきちんとした反論を書いてくれると思っていましたが、そういう人は現れないまま、現在の定義が定着してしまった。ならば自分で反論するしかないと思って、大学で学ぶことにしました」と語る長島有里枝は、その「女の子写真」の渦中にいた当事者のひとりである。

「誰もやらないから、自分でやるしかない」 写真家・長島有里枝が言葉で語り続ける理由

新著『「僕ら」の「女の子写真」からわたしたちのガーリーフォトへ』は、「女の子写真」にまつわる歪んだ言説をひとつずつ検証、訂正していく異議申し立ての書であると同時に、長島が2011年から武蔵大学人文科学研究科で学んだフェミニズムを踏まえた修士論文だ。

「特定の誰かを責めるために書いたわけではないです。若い女性に勇気を与えたかった」と長島は続ける。あらゆるステレオタイプとバイアスを取り払った先に見えてくるのは、アメリカで90年代に巻き起こった第3派フェミニズムと共鳴するガーリーカルチャー=「ガーリーフォト」の景色だ。本書執筆の経緯と現在の考えを聞いた。

『「僕ら」の「女の子写真」からわたしたちのガーリーフォトヘ』(2020年/大福書林) ¥3,300

―2011年に社会人で大学に入り直して4年、そこから書籍化に向けて4年。8年を費やしての出版の構想は、いつからお持ちだったのですか?

2010年に (写真評論家の) 飯沢耕太郎さんの著書『「女の子写真」の時代』が出たのが、決定打だったかもしれません。図版として写真を貸して欲しいと担当編集の方から連絡がありOKしたのですが、届いた本を読んでみると、かなり問題のある内容でした。まず、それまでの「女の子写真」本として、1996年に上梓された同氏編著のアンソロジー写真集『シャッター&ラブ Girls are dancin’ on in Tokyo』があるのですが、そこに掲載されている論考の古いジェンダー観が、まったく更新されていませんでした。そこでは「女性原理」、「男性原理」という、異性愛的な二項対立のジェンダー概念が自明視されているのですが、そのようなジェンダー観は、当時のジェンダー論のスタンダードでも古いとされていたものです。それから、信憑性を確認できないプライベートな情報を根拠に、作家を「論じ」たりもしています。さらに、これまで「女の子写真」の枠組みでは語られてこなかったやなぎみわさんや、少し後の世代の澤田知子さん、志賀理江子さんなどの作家まで取り上げ、「女性原理」や「女性性」が見出せるかどうかによって作品が評されています。これはもう「女の子写真」論というより、ちょっと知的風のゴシップ記事だな、と思ってしまった。90年代だけ我慢していれば喉元すぎて、になると思っていたのに、2010年になってもまだこんな侮辱を受けなくちゃいけないのか、と怒り心頭に発しました。それで初めて、自分で反論することができないだろうか、と考え始めました。

―「女の子写真」は主に90年代の話。そこから20年を経て、飯沢さんが改めて論じる意図は何だったのだと思いますか。

これはわたしの推測に過ぎませんが、2008年にアートライターの山内宏泰さんが『彼女たち―Female Photographers Now』を出したのが引き金じゃないかと思います。飯沢さんは、90年代の女性写真家研究の第一人者とみなされてきた人なので、山内さんの研究を超えるものを出しておかねばならないと思われたんじゃないでしょうか。

―「女の子写真」に対して、広義には同じ意味の「ガーリーフォト」を、長島さんはご自身の新著のタイトルで並列させています。過去の言説の間違いを、ひとつずつ修正して上書きしていくようなモチベーションでしょうか。

「女の子写真」と「ガーリーフォト」は、両カテゴリーが指し示すピア・グループが同じだというだけで、その意味は全く違うものだというのがわたしの論点です。なので、「女の子写真」と「ガーリーフォト」は同じ意味、とする解釈には賛同しかねます。本を書いたのは、特定の誰かを責めるためではなく、まずなにより自分のためです。それから、自分を「女の子」とみなすすべての人が、自尊心を傷つけられることなく自己主張できる世界になれば、という思いがあります。「女の子」の文化について的外れなことばかり書く人たちを密かに軽蔑しながら、頭のどこかでは間違いを正してくれる批評家が現れるのを待っていました。でも、いまやディズニー映画でも「白馬の王子様」なんて現れない。ならば自力で、自分と自分の作品の価値を守り、奪われた自尊心を取り戻せばいい。アメリカの大学でもそういう教育を受けました。2007年からときどき参加していた、社会学者の上野千鶴子さんが主催される勉強会で千田有紀さんに会い、彼女の元で勉強したくて、武蔵大学の人文社会研究科を受験しました。

―それが2011年。

そうです。でも、合格がわかった1週間後に震災が起き、フェミニズムの他にもっとやるべきことがあるのでは、と悩みました。考えに考えた末、「原発事故は起きない」という言説を構築してきたのは、経済的な利潤を最優先し、その恩恵を受けてきた企業であり政治家や政府、つまり男性中心主義的な社会だと言えるんじゃないかという結論に至って、やっぱりフェミニズムをやることには意味があると思い直しました。間接的なアプローチにはなるけれど、震災が明らかにした問題だらけの社会の仕組みに影響を及ぼすような仕事が絶対できると確信して、フェミニズムの勉強に集中することにしました。

―膨大な資料を収集し、ひとつずつ丁寧に検証、解体していく。その徹底した言説分析にまず圧倒されました。と同時に、同じ書く側の人間としては、ヒヤリともさせられました。専門家や権威の言説を鵜呑みにしたり、孫引きの危険性を突きつけられた思いがします。

これをテーマにして、こういう部分を前面に出したらウケるだろう、という風に、メディアは編集したり書いたり、見出しをつけたりしがちだと思います。本のなかで引用している『STUDIO VOICE (スタジオボイス)』もいまになって読み返してみると、実は執筆陣が何をいっているのかがよくわからなかったりするんです。でも若い時はそれを、自分が勉強不足だから理解できないのだと思っていた。そういう読み手の違和感って見当違いではないことが多いと思うのですが、偉い人だからここに書いてるんだろうとこっちは思っているから、書かれたものを信じてしまう。間違えること自体は誰にでもあるし、仕方がないと思いますが、その責任について考えることは大事だと思います。

―HIROMIX (ヒロミックス) 人気をオンタイムで傍観していましたが、ブームに乗り切れなかった自分の複雑な感情を覚えています。「女の子」と呼ばれる集団に入りたくないと思ったし、できれば男に生まれて男として写真を撮ってみたかった、とか。

わたしが80年代、『TVタックル』という番組で田嶋陽子さんが大竹まことさんら男性ゲストにこてんぱんに言われるのを観て、フェミニストになったらああいう風に苛められるんだ、と思い込まされたのと同じ構図ですね。言っていることは田嶋さんのほうが絶対に正しいと思うのに、ああなったらいけないと思わされる、ほとんど見せしめのように。そうやって男性社会は長らく、自分たちの既得権益を守るために団結して、女同士の連帯を阻もうとしてきたと思います。当時、HIROMIX や蜷川実花さんをはじめとする同世代の女性写真家たちと横に繋がることができていたら、と考えることもあります。でも、プライベートでも親しくなって「やっぱり『女の子写真』家は群れている」と言われたくないと思ってしまった。西洋の美術史を見ても、印象派やダダイズムのように画家たちが集まって交流し、そこから一つの潮流が生まれるなんて当たり前なのに、わたしたちには「女の子写真」言説のような、揶揄的な解釈があてがわれていたから。女性に限らず、マイノリティを周縁に追いやる巧妙な方法ですよね。

―『STUDIO VOICE』(1995年8月号「シャッター&ラブ」特集) の中にある「スナップ・フェミニズム」という見出しは、第3波フェミニズムを踏まえたいい路線に乗っていたようにも見えましたが。

それが、アートライターである林央子さんのテキストだったからでしょう。90年代の女性たちが生み出した写真潮流を「ガーリーフォト」と呼び替え、当初から第3波フェミニズムの支流とみなしていたのは彼女ですから。飯沢さんは、『deja-vu』(飯沢耕太郎による1990年創刊の季刊写真誌)でご自身が特集した荒木経惟や Nan Goldin (ナン・ゴールディン) を、「女の子写真」に影響を及ぼした写真家だとしていますが、わたしには高い写真雑誌を買うお金なんてなかったし、自分が取材されるまではそんな雑誌があることも知らなかった。わたしたちがもっと直接的に影響を受けていたのは、タワーレコードやHMVで試聴したCDジャケットの写真とか、片隅で立ち読みしていた『i-D』や『The FACE』などの輸入雑誌だったと思うんです。のちに、ナンや荒木さんの存在も知っていくわけですが。飯沢さんの「女の子写真」論の視点はあまりにも写真に限定的で、サブカルチャーが彼女たちに与えた影響が無視されていることには驚いてしまいます。

長島有里枝「TANK GIRL」(1994)

―話はさかのぼりますが、長島さんが写真を志した最初のきっかけは?

写真家になりたいと思ったことはありません。PARCO (パルコ) の「アーバナート#2」展に応募した作品 (※1993年。家族とヌードで撮影したセルフポートレイトでパルコ賞を受賞、デビュー作として注目を集めた) も、写真メディアを使ったアート作品だと考えていました。当時、武蔵野美術大学でグラフィックデザインを学んでいたのですが、課題を違反してばかりいたので、可愛がられていた先生には「長島さんはアーチストになりなさい」と笑いながら言われたりしていました。

―作品を作るときは、コンセプトが先ですか。

こういうことをする、というアイデアは先にありますが、コンセプトは制作しながら変わったり、より複雑になっていくことが多いです。決めたこと、わかっていることだけやっても楽しくないので、自分が飽きないようにしているのかもしれない。それに、自分でも良し悪しが判断できないようなこともしますね。

― 写真と並行して執筆活動を続けていらっしゃいます。言葉で表現することへのこだわりは。

本を読むときでも、共感する部分やなるほどと思う部分以外に、自分とは相容れないなと思う著者の考えにも注意を払います。アートはよく、言葉でのコミュニケーションがいらない表現だと思われることがあるのですが、現代美術はそうではない分野です。だから、学生にもまずはそこから理解してもらうようにしています。飯沢さんは論考で、「女の子たち」の写真を “声” にたとえました。でも、『写真論』の著者 Susan Sontag (スーザン・ソンタグ) は、写真は「自分ではなにも説明できない」と言います。一般に、「声」という言葉は「主張」とか「語る機会」という意味で使われたりしますが、「女の子写真」家に関しては、写真そのものが “声” だと論じられることで、わたしたちの本当の「声」は奪われてきたと解釈することができると思うのです。わたしたちが所有できた “声” とは「あー」とか「うー」とかのような、まさに “声” そのものでしかなくて、言語的な主張としての「声」は大人の論客に奪われ、勝手に代弁されてきたんだと思う。まるで童話の『人魚姫』みたいに、社会に出るための足をもらう代わりに、「声」を奪われたわけです。

―#MeToo (ミートゥー) 運動を経た今、フェミニズムの現在をどのように見ていますか。

わたしのように、年齢や経験が積み重なるにつれて、フェミニズムのような学問の重要性を痛感する人は多いように思います。もっと知りたい! と思ったとき、例えば大学院に戻るとか、そこまでではなくても地域の生涯学習のカリキュラムに含まれているとか、いつでも勉強しなおせるオプションが誰に対しても用意されているといいなと思います。いまはインターネットでいろいろな情報に無料でアクセスできる時代でもありますから、草の根的なフェミニズムの活動や情報がそのへんに落ちていて、誰でも拾えるような環境ができていくことが理想かなと思います。

―自分らしさ、個性を尊重する流れは確実に大きくなっていますよね。

「ガーリー」のカルチャーにも落とし穴はあると思うことがあります。例えば、わたしは小さい頃からスカートやリボンやレースなどのついた服が嫌いでズボンしか穿かず、戦隊モノの「青」やデビルマンに憧れていて、超合金が欲しかった。それを、「男の子っぽかった」とか「男の子になりたかった」と解釈されたくありません。そのせいでわたしがガーリー・カルチャーのなかで肩身の狭い思いをするようなことは、ないほうがいいと思うんです。90年代、ミニスカートやピンク、赤い口紅なども身につけていましたが、スキンヘッドや迷彩服など、「男の子」に属すると思われてきたものと必ずミックスしていました。なにが「女の子」の文化に属するのか、ということそのものを撹乱したいという思いが強いんです。影響を受けたマドンナやRiot grrrl (ライオットガール) も、「女の子」に属すると思われている装いや振る舞いで自己演出しながら、同時に体を鍛えたり、パンクバンドでプレイしたり、「女の子」のものではないとみなされてきた活動、態度、概念などを「女の子」の領域に引きずり込んで所有するようなことをしていたから、カッコよかったんだと思います。「自分らしさ」だと考えているものが、社会が女性に押しつけてくる価値観に迎合的ではないかどうか、という目線を持っている人がかっこいいと思います、昔も、いまも。

―確かに「男の言うことなんか気にしない」と言い切れる女性は、まだ少ないかもしれません。

わたしだって、若い頃は彼氏と別れるとき、「悪いところ直すから!」って泣いたりしました(笑)。でもそうね、いまは自分らしく振る舞ったり、話をしたりして、そのわたしから離れたいという人は引き止めませんね。いまも好きな男性にどう見られているのかは気になるし、「あ、それは女のわたしが……」と考えたり、本当はつまらないと思っているのに必要以上に楽しそうに振る舞ってしまったりと、「『女』のあり方」に縛られているなぁ、と思うこともたくさんあります。ただ、それをなくそうと頑張るより、あるということを知っておくことのほうが大切な気がします。古い考えが染みついた自分がもやもやしているのを、知識をつけた自分が発見して「それでいいの?」とけしかけてくる。そんな感じで、問題に向き合っていくことになることが多いから。

―長島さんは最近 Instagram (インスタグラム) を始めましたね。

2016年からなので、最近ではないです。「写真家の長島」を期待している人に楽しんでもらえているかどうかはわからないです。ただ、作品と同じで、ちょっと写り込んでいるフォトジェニックじゃないものをどかしたり、片付けたりしないことこそ美しいと思う、一般的な「映え」観とは違う感覚でやってます。家にいるときは化粧をしませんし、朝から原稿を書いていたら髪もボサボサのままだったりするけれど、そういう写真も面白いと思えば載せてますね。毎日、仕事も家のことも一生懸命やって生きている結果、掃除や片付けをする時間がないならしょうがないかなと思うし。別に恥ずかしいことではないかな、と。わりと、誰に対しても、昔からそういう考え方ですね。“The personal is political (個人的なことは政治的なこと)” という、第2波フェミニズムの有名なスローガンがあるんですが、もしわたしの現実にショックを受ける人がいるとすれば、そのときこそ社会のあり方について考えるチャンスだと思って欲しいです。

―それもまたフェミニズムにもつながっていると。

生まれたとき取り上げてくれた人が「女の子ですよ」と母に伝えたときから、わたしは「女」として生きているわけですが、この世界ではどうも「女」だと都合が悪いことがあるらしいとうすうす感づいて、「なぜ生きづらいのか」という疑問を解決してくれそうな本などを片っぱしから読むなかで、なるほどね、と腑に落ちることが多かったのがフェミニズム関連のトピックでした。ボーヴォワールのような本はもちろんですが、もっと身近な情報、例えば母の買っていた『an・an (アンアン)』で読んだ DINKs (「Double Income No Kids」の略) 特集とか、ノーブラでシースルーのブラウスを着て堂々とランウェイを歩くスーパーモデルの表紙とかもそう。男性は上半身裸でいいのに、女性はなぜ恥じらわなければいけないのかみたいな小さな違和感を、「そんなことないよ」と壊してくれました。

―展覧会など新たなプロジェクトはありますか?

ニューヨークの Dashwood Books (ダッシュウッド・ブックス) という本屋さんのミニパブリケーションシリーズのひとつとして、小さな写真集が出る予定があります。それから夏にひとつ、地方で決まっている展覧会の予定があります。詳細はまだ発表できないんですが。どちらにしても、世界的な COVID-19 (新型コロナウイルス) 流行で、いまはなにもかもが不確かな状態です。