Adèle Haenel
Adèle Haenel

「正解ではなく問題提起を」女優アデル・エネルのまなざし

©︎GettyImages

Adèle Haenel

interview & text: tomoko ogawa

Portraits/

2019年に日本に先駆けてヨーロッパで公開されるやいなや、世界のシネフィルを虜にし、第72回カンヌ国際映画祭で脚本賞とクィアパルム賞を受賞した Celine Sciamma (セリーヌ ・シアマ) 監督作『燃ゆる女の肖像』。望まぬ結婚を控える貴族の娘エロイーズをセザール賞2冠の実力派 Adèle Haenel (アデル・エネル) が、彼女の肖像を描く女性画家マリアンヌを Noemie Merlant (ノエミ・メルラン) が演じている。Adèle、長らく私生活のパートナーであった Sciamma、初共演の Noemie、そして女性スタッフがコラボレートし、18世紀ヨーロッパで歴史から消された女性画家たちに光を当て、年齢や身分の壁を飛び越えて連帯していく女性の力強さと、対等で主体的でありながら共にクリエーションをする喜び、そこから生まれる愛を正直に、繊細に、美しく炙り出す。フランス映画界における MeToo 運動の牽引役的存在としても支持される Adèle Haenel が語る、映画とフィクションの役割とは?

「正解ではなく問題提起を」女優アデル・エネルのまなざし

—これまでご自身が声をあげることを支えてくれたヒロインたちについてお伺いできますか?Celine Sciamma 監督は、あなたを演技の世界に呼び戻した存在でもありますし、彼女が筆頭だとは思うのですが。

長年アーティストとして過ごすなかで、勇気づけてくれる出会いはたくさんありました。でもやっぱり、Celine Sciamma は出会ったタイミングも非常に重要でしたし、付き合いも長かったので、ものすごく大きな意味を持った存在ですね。フランスでは、声をあげている女性同士が支え合っているということがあって、私が10代に受けた性暴力に関して発言したときも、多くの女性が連帯感を示してくれました。そうした社会全体の連帯意識が私を後押ししてくれたんだと思います。

 

—本編では、Noemie Merlant との素晴らしいケミストリーを見せていましたが、どうやってあの真実性のある親密さを育んでいったのでしょうか。

Noemie Merlant とは面識がなくて、本作で初めて会ったんです。今回が特にそうだったのですが、私たちは演じることをスポーツ対戦のようなものだと捉えていて。そこまでアグレッシブではないけれど、ボクシングやサッカーの試合みたいに相手がこう来るならこう返すみたいな。リハーサルがなかったので、「こうしてみたらどんな反応がくるかな」と相手を茶化したり、子どもっぽい面やシリアスな面でもいろいろ試していたので、一緒に作り上げている喜びがすごくあって。彼女と共演できることに喜びを感じましたし、お互いにリスペクトもありました。二人が同じ思いを共有していたからこそ、映画にその親密さが表れたんだと思います。

©︎Lilies Films.

©︎Lilies Films.

—それって、人と人が人間関係を構築するのと似てますよね。

まさに同じことだと思います。相手がどんな人なのか理解しようとする思いやりの部分もあれば、挑発してみたり、いろいろ探っていくという意味では人間関係の構築と同じですよね。

 

—18世紀に女性たちが置かれていた状況は史実に基づいたものでありながら、登場人物がフィクションであることがさらなる魅力となっていますが、アデルさんはフィクションの力をどういうものだと捉えていますか?

世の中で起きていることに対する固定観念を壊し、問題提起をさせて、新しい提案や視点を与えることができることだと思う。今まで見向きもしなかった些細なことに関心を寄せるきっかけになったり視野を広げてくれることが、私にとってのフィクションの魅力です。しかも、いろんな異なる視点から問題提起ができるので、ある意味、フィクションは映画における実験室みたいなところがありますよね。

『燃ゆる女の肖像』

—ドキュメンタリーにも視点を広げてくれる作品はありますし、ドキュメンタリーも監督の視点がある時点でフィクションだという見解もありますが、フィクションの方が伝わる場合もありますよね。

ドキュメンタリーも世の中の一部を炙り出したり、何かの工程を描き出す役割があるけれど、フィクションは自分のアイデンティティのシアトリカル (演劇的) な部分をむき出しにして、いろんな創造や構築の可能性をもたらしてくれるんです。すごく哲学的な探検ができるというか。『燃ゆる女の肖像』では、男性がいない島で若い女性たちがサスペンス調に思ったことを各々に口にしますよね。18世紀という時代的に制約がある中で、女性たちがどういう生き方をしていたのか。シアトリカルな部分を露わにしたのが効果的だったし、フィクションならではのよさがある作品だと思います。

 

—映画というメディアは、あなたにとってどんな存在ですか。

捉え方はいろいろですが、映画は世界を見る方法を与えるものでありながらも、世界はこういうものでそれが正しい、という一方的な立場をとってはいけない。いろんな映画の中で、世の中はどうあるべきかとか、愛とはなんぞやとか、男と女はこういうものだとか、いろんな描かれ方があって、どれが正解ということではないですよね。それに、映画の中に描かれているものが、全て真実であるとは言えないですし。映画の役割は、世の中のなりたちについて問題提起しながら、観る人の視点を壊したり、再構築したりすることだと思うので。

 

—正解を押し付けるのではなく、問いかけるものですね。

問いかけに対していろんな視点が生まれて思考を巡らせる。それを促すものですよね。自分のアイデンティティにおけるシアトリカルな部分を問い直すツールとしては素晴らしいものですし、世界と自分の関わり方や人と人との関わり方に対していろんな問いを与えてくれる。だから、これからも人生の冒険を続けていきたいと思える。それが映画の素晴らしさじゃないかな。

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