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「気負いなく着られる雰囲気のいい服を」 オーラリー 岩井良太

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photography: eriko nemoto
interview & text: aika kawada

Portraits/

AURALEE (オーラリー) デザイナーの岩井良太は、自ら素材開発に携わり、こだわり抜いた素材を使ってミニマルなデザインの着やすい服を作る。2015年にスタートしたブランドは瞬く間に評判を呼び、5年後にはパリコレクションに進出、ランウェイデビューも果たした。

ウィメンズ、メンズどちらかに偏ることのないクリエイションは、実際のところファンも男女比が半々だという。ブランド名に名前を出さず、意味深なコンセプトや標語もなし。とにかく洋服が好きで、その素材についての探究心が尽きない、そう語る岩井氏に、一見シンプルでありながら、とびきりユニークなブランドのあり方や自身の半生について話を聞いた。

「気負いなく着られる雰囲気のいい服を」 オーラリー 岩井良太

── デザイナーになるまでに、影響を受けたものは何ですか。

高校から大学卒業まで、古着屋でアルバイトをしていたので、ずっと服屋になりたいと思っていました。そもそもデザイナーになりたいとは思ってなかったんです。周囲に 「そんなに服が好きなら作る方をやったら」 とアドバイスされ、上京して働きながら服飾の夜間の専門学校に通いました。そこでミシンの使い方などを基本的なことを学び、装苑の編集部でのアルバイトを経て、翌年からニットメーカーで働きました。ずっとシンプルな服が好きで、中高生のときはお年玉やバイト代で A.P.C (アーペーセー) や Helmut Lang (ヘルムート ラング) の洋服を買っていました。

影響を受けたのかはわかりませんが、アーティストの李禹煥 (リー・ウーファン) が好きです。環境の中にどう存在するかを問うようなところや、個人の強烈な主張よりも周囲との関係性を大事に考えているところに共感を覚えます。建築家だと以前ポルトガルを訪ねたときに見た Álvaro Siza (アルヴァロ・シザ) も好きなクリエイターのひとりです。

 

── 素材に対する審美眼はどのように育んだのでしょう。

小さいブランドで働いていたので、糸から洋服をつくる過程を間近で見れたことが大きいと思います。糸のつくり方や原料の選び方を学びました。さまざまな業務をする中で、素材のことはとりわけ頭に入ってくる実感がありますね。専門的に勉強をしたわけではないのですが、ニッターさんや紡績屋さん、機屋さんに教えてもらいながらものづくりをして、少しずつ感覚や知識が蓄積されていったのだと思います。

国内ニット工場 | photo by Takuroh Toyama

── 服づくりにおける素材の役割は?

ミリタリーから、アメリカン、ヨーロッパ、メゾンブランドまで本当にいろいろな服が好きで、幅広く見てきました。さまざまなジャンルの服がある中で 「自分はどんな服をつくりたいんだろう?」 と考えたとき、「さっきの人、こんな洋服を着ていたね」 と洋服の印象が残るよりも、その服を着ている 「人」 の雰囲気の感じがよかった、と思ってもらえる服をつくりたい。その雰囲気をつくることに、素材感が一役買っていると信じています。

 

── “気負いなく着られる服” に込められた思いを聞かせてください。

自分がつくる服は、綿の薄いTシャツもカシミアも大切に洋服ダンスにしまうのではなく、気軽に手にとって自然体で着てほしい。高級素材だからといって、敷居を高く設けたくないです。

 

── ー番好きな素材は何ですか。

好きな素材が多いので、ひとつに絞るのは難しいですね。昔からあるクラシックな素材も、最新のハイテク繊維も好きですし、最近はサスティナブルな素材にも興味があります。いましかつくれないものにも魅かれるし、もうつくることができないデッドストックも魅力的。

オーストラリアで出会った羊毛

── 素材とデザインのアプローチはどのように行うのですか。

素材は触感を確かめてから、こういうのをつくってみたいと考えることが多いです。あとは、こんな雰囲気のものをつくりたいというイメージが先行して、そのためにはどのような原料をどんな紡績方法でつくればいいのか考えることもあります。単純に目の前にある原料からスタートすることもあるので、素材服りのとっかかりは本当にさまざまです。

デザインはミニマルなアプローチが好きで、そういうものしか自分はつくれないと思っています。服が人の前に出ずに、主張しすぎないことが AURALEE らしさ。パーソナリティがある知性のある人に着てもらえたら嬉しいです。

 

── AURALEEを象徴するアイテムや素材、色はありますか。

ない、と思っています。Tシャツでもコートでも同じくらい手間と時間、エネルギーをかけてつくっています。色については、自覚はないですが、AURALEE らしい色があると周りからよくいわれます。できる限り服は上品に見せたいので、ストレートな色使いを避けているのかもしれないです。曖昧な中間色、どっちつかずの色が多いのかな。

素材は、ウールが多いです。冬だけではなく夏にも使いますし、風合いをつけられるので使い勝手がいい。それから、カシミアもやはり好きでよく使います。控えめなデザインが、結果として素材の良さも引き立てているかもしれません。

 

── 毎シーズン、新しいテイストをどのように表現しているのでしょうか。

新しい空気感を提案したいと思っています。ひとつのコレクションが終わり、次のシーズンにどんな素材をつくろうかと考える時間が一番楽しいです。定番を大切にしながら、いつも何か新しいものを求めています。といっても特別なリサーチはせず、あくまで生活の営みの中から生まれてくる感覚を大切にしています。

モンゴルにて

シーズンごとに、素材と出会う旅に出かけるのですが、それがコレクションのテーマになるというわけではないです。カシミアやキャメルを見にモンゴルへ。ウールを求めてニュージーランドやオーストラリアへ。アルパカを触りにペルーへ。素材がどうやって育てられていて、どんな人にどう刈られているのかを、自分の目で見てみたい。服づくりで使う以上、責任を持って知っておきたいと思っています。

── デザインや素材の開発を行う上で、インスパイアされるものは?

感覚的なものですね。シーズンテーマも基本的にはなくて、最初にテーマを設けてそれに向かっていくようなつくり方はほとんどしません。最近だと 2021年秋冬は「癒し」「ちょっとひと休み」というのを意識したんですが、それもつくりながら見つけたムードです。そのシーズンは軽いカシミアを使い、楽に着れそうなものを目指しました。

── ご自身の中の感覚的なものやアイデアを、どのように周囲に伝えているのですか。

国内でつくっているので直接会って 「シャリがある感じ」「もっとハリが欲しい」「この古着のように」 という抽象的な表現で伝えていっています。自分としてはそれよりも、つくったものを人に伝えることの方が難しい。何年代のものをベースに、とか、このアート作品に着想を得ました、とか、具体性なことがいえたらもっと伝わりやすいのかなと思いますが、そういうコレクションのつくり方をしていないので、伝え方が難しくて。コミュニケーションについては、ブランドの課題でもあります。

 

── 言葉にできない部分こそが、ブランドの魅力になっているのかも。

言葉でも伝えられるといいんですが。自分が共感して心に残っているエピソードがあるんです。李禹煥が書いたエッセイの一節で、「毎日米を研いでも、その時々で水の温度は毎日違うし、空気も外の景色もちがう。鳥が鳴いていたり、何一つ同じことはないから飽きないんだ」 と答える本人の母親の言葉があって。精神的にも哲学的にも 「ああ、こういうことなんだよな」 と腑に落ちました。日々の積み重ねの中で感じる気持ちよさやちょっとしたことが、自分の服づくりにとって大きいです。

 

── 親会社である、生地問屋クリップクロップとの出会いは?

前に勤めていたブランドの取引先でした。やりたいことがあったらいつでも連絡してと声をかけてもらっていたんです。生地問屋なので、社長が機屋さんとデザイナーやブランドにの間に入って生地を卸していたんですが、僕は直接、作り手とやり取りができるようにしてもらっています。

 

── 男女ともに支持されるブランドのバランス感について、留意していることを聞かせてください。

同じ価値観や考えの上にウィメンズとメンズがあること。どちらかに特に力を入れるわけでもなく、同じスタンスで取り組んでいます。ウィメンスはフェミニンなアイテムは少ないですが、メンズと同じデザインのアイテムは女性の体型に合うようにつくっていて、パターンや丈が大きく異なることもあります。

── ブランド名に実名を使わず、コンセプトや過度な演出を避ける理由は?

ブランド名はすぐ決まらなかったのですが、自分の名前だけは違和感があってつけたくなかった。タグに全部自分の名前が付いているのも辛いし、意味深な言葉も恥ずかしいと思っていて。ちょうどいい名前を調べていた時期に、たまたま流れている曲のタイトルが『AURALEE』で、この曲ってなんだっけと思って調べたんです。そしたら、日の当たる光る土地という意味もあって、語呂が良くて自然と馴染むと思い、採用。初めは『AURALEE』という名前も気恥ずかしかったんですが (笑)。ブランドをスタートした当初は、こだわった素材を使ってシンプルな洋服をつくるということは決まっていのですが、どんなことを表現したいか、自分自身でも曖昧にしか把握できていない部分があったと思います。でも、この5年間でいろいろ見えてきて、やっと最近自分や自分のしたいことがわかってきました。

 

── コラボレーションも数多く手がけていますが、醍醐味は何でしょうか。

初めてパリでショーをするときにトータルルックで考える必要があり、靴をつくっていなかったので、洋服以外のものにも意識が向いたのがきっかけです。それ以降、シューズは foot the coacher (フットザコーチャー)、サングラスは EYEVAN (アイヴァン)、帽子は Kijima Takayuki (キジマ タカユキ) など、洋服以外に必要なものができた時に、それぞれのプロにお任せするようにしています。海外でも反響があって、ブランドを知ってもらういいきっかけになりました。プレッシャーもありますが、学びも多く楽しんでいます。

 

── パリコレ参加前と後でご自身、ブランドに変化はありましたか。

変化という点では、お店が一番大きかったです。それまで個体でしか見せていなかったブランドの世界観を、空間で表現しなくてはならないので。事務所の移転をきっかけに見つけた物件ですが、道一本入った静かな場所で理想的な立地です。

パリコレデビューシーズン。2019-20AW | photos by Anders Edström

ショーで見せることを想定したブランドではなかったので、パリでのショーも自信がなかったのですが、ブランドの作り方や考え方にいい変化があるといいなと思って挑戦しました。結果的につくり方は変わらなかったのですが、ブランドの見せ方や考えていることを自分の言葉にして伝えることを知るきっかけになりました。たとえば、演出家の方にブランドの哲学やなぜショーをするのか、を伝えないといけなくて。こんなにもコンセプトがわかりにくくて、シンプルな空気感のブランドなので、パリのショーが絶対必要ではないと思うのですが、今の自分には必要なチャレンジだと思っていて。でも海外ではパンチがないと思われだろうと思っていたのですが、シーズンを重ねる毎にお客さんは増えていって、海外のいいお店から声がかかった時は嬉しかったです。

 

── パンデミックを通して価値観は変わった?

ものを作る意味について考える熱意が増しました。世の中にはすでにものがありすぎる。その中で選ぶというのは、ブランドの哲学を含めて買ってもらうこと。購入までのハードルは確実に上がったと思います。

ものづくりへの原動力は前のシーズンの反省からも生まれます。次はもっとうまくできると思って新しいシーズンに取り掛かります。同時にここまで成長できたのは、工場やニッターさん、紡績、機屋さんが自分のわがままを聞いてくれているからこそ。その方々へ数字で恩返ししたいとは思っていて、いいモチベーションになっています。あとは見てきた原料の産地の景色を、つくっている間によく思い浮かべます。モンゴルのカシミアの産地をまた訪ねたら喜んでくれるかな、と想像するのがいいモチベーションになるんです。

 

── 次に素材探しの旅へ行きたい場所はどこですか。

インドにオーガニックコットンを見に行きたいです。これまでに訪れた場所にも再訪したいです。

 

── 今後、挑戦してみたいことがあれば教えてください。

まず、今の状態を続けること。それから、ブランドのことを深く知って味わってもらうために、もっと発信をしていきたいです。言語化できない曖昧な輪郭を、言葉なのか体験なのか、新しい何かを媒介にこれから伝えていきます。