Reiner Holzemer
Reiner Holzemer

マルタン・マルジェラに自らを語らせた男。監督ライナー・ホルツェマー

©︎Fritz Beck

Reiner Holzemer

interview & text: itoi kuriyama

Portraits/

1987年にブランドを設立し、2008年人気絶頂の中突然ファッション界から姿を消した伝説のファッションデザイナー、Martin Margiela(マルタン・マルジェラ)。それからすでに十数年が経過しているというのに、毎季必ずと言っていいほどランウェイには 「マルジェライズム」 を感じさせるルックが登場し、彼の影響力は衰えることを知らない。そんな重要人物でありながら、匿名性を貫き、一切対面取材を受けることのなかったマルタンに迫ったドキュメンタリー映画 『マルジェラが語る “マルタン・マルジェラ”』 がついに9月17日日本公開される。かつて Dries Van Noten(ドリス・ヴァン・ノッテン)にも密着した監督の Reiner Holzemer(ライナー・ホルツェマー)に話を聞いた。

マルタン・マルジェラに自らを語らせた男。監督ライナー・ホルツェマー

── 2018年にパリ・ガリエラ美術館で開催されたマルタン・マルジェラの回顧展『Margiela / Galliera 1989-2009』を映像で記録する、ということが本作のスタートだったそうですね。パリコレクション期間中だったこともありプレスプレビューに行きましたが、「アーティスティック ディレクション」としてマルタンの名が記されていたことに興奮しましたし、展覧会を主導した Olivier Saillard(オリヴィエ・サイヤール)に、マルタンがプレビュー前夜まで夢中になってディスプレイをしていた、と聞きました。

当初彼は力を入れていた展覧会を記録することにしか気が回っていなかったので、それだけではなくドキュメンタリーを撮りたい、と説得するのが大変でした。

『Margiela / Galliera 1989-2009』展に向けて準備中の様子 | 映画『マルジェラが語る “マルタン・マルジェラ”』 より

── 最終的に承諾を取り付けたのが本当に驚くべきことです! 私たちファッション好きにとってはやはりヴェールに包まれているマルタンがどういう人なのか、ということが一番気になります。本作を見て気さくな話し方や几帳面な部分、バービー人形はじめポップカルチャーへの愛に驚きましたが、実際に取材してみてどのような印象を抱かれましたか?

ビジネスマンのようにスーツを着ているわけではなく、いつもTシャツやセーターにブルージーンズ、ブーツといういでたちでした。見た目はどこにでもいる 「ごく普通の人」 という感じです。そして常に相手のことを思いやる、とても優しい人ですね。たとえば僕が切羽詰まって目が血走っていた時などは、「君にはコーヒーが必要だ。僕が淹れてあげるよ」 と声をかけてくれたり。彼はもちろんファッション史において自身が果たした役割を認識してはいましたが、傲慢なところは微塵もなく、いたって謙虚でした。

 

── 対面取材を受けてこなかったマルタンを撮影するのはさぞ苦労が多かったのでは、と推測しますが……

彼がドキュメンタリーを撮ってほしい、と希望していたわけではないこともあり、やはり語ってもらい、撮影することは容易ではありませんでした。彼はそれまで自分の人生を改めて客観的に振り返ったり、人前で披露する必要がなかったのだな、と思います。最終的に僕を信頼してくれてスムーズに仕事ができましたが、彼は自分なりの考え方を持っていて関心がなくなるとすぐに引いてしまう人なので、最後まで逃げずに参加してもらえるかどうかが常に気がかりでした。2019年11月の 「Doc NYC film festival」 でのプレミア上映でエンドロールが流れた時に、ようやく 「世に出た」 という実感が湧きました。あんなに幸せだった瞬間はありません。

Martin Margiela デビューショーのランウェイ(1989年春夏)

── 『ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男』(2016)ではドリス・ヴァン・ノッテンに密着されました。ドリスとマルタンは同じ職業ではありますが、2人にはどんな違いがあると思われましたか?

ドリスは生地やプリント、刺繍を愛していて、フォルムやカッティングはその後に来るものでした。一方マルタンはデザインのディテールに注力していました。サイズ感やシルエットにこだわり、新しさを生み出すために既存の服や、時には服ではないものも解体再構築していた。服とは何なのか、どういう意味を持っているのか、という根本的な問いを持ち続けていたのではないかと思います。

 

── 『ドリス・ヴァン・ノッテン〜』 ではドリスの自宅の様子や公私にわたるパートナーとの関係も描いていましたが、今回はプライベートな部分が一切出てきませんでした。

撮影したマルタンのパリのスタジオは彼の自宅と同じ建物にあって、最初はマルタンも 「自宅も見せるよ」 と言っていたのですが、やがて 「観客に間違った印象を与えてしまうかもしれない」 という危惧が生まれたようです。「どのような経緯で今に至ったのかを知るために幼少期のことも少し話してほしい」 と相談した時も最初はパーソナル過ぎる、と嫌がっていました。彼は自分の中で公私をはっきり分けているのではないでしょうか。

マルタンのアトリエ

── 本作でもマルタンは顔を出すことなく、手元が映るだけでした。

マルタンは顔バレすることを恐れているというわけでは一切なく、顔を見せる必要がないと考えていて、匿名で生きることに居心地の良さを感じているようです。僕も撮影を進めるうちに、この作品で彼の顔を写してしまったら彼の匿名性にも魅力を感じていたファンたちをがっかりさせてしまうのではないか、と考えるようになりました。

──「顔を見てみたいけど、やっぱり謎のままであってほしい」 という複雑なファン心理を汲んでくださったのですね……! ところで回顧展を主導したオリヴィエ・サイヤールをはじめ多くの人々がコメントを寄せていますが、コメンテーターはどのようにして選んだのでしょうか?

マルタンとも相談しながら人選し、初期のメゾン マルタン マルジェラを知っている方々に話を聞きました。たとえばエディターの Carine Roitfeld(カリーヌ・ロワトフェルド)はモデルとしてマルタンのランウェイを歩いたことがありますし、ジャーナリストの Cathy Horyn(キャシー・ホリン)はほぼ全てのマルタンのショーを見ています。キャシーはだんだんブランドが大きくなっていき、やがてマルタンが去るまでの過程をつぶさに目撃していて、記事を書くのにデザイナーに会って取材ができないという葛藤を語れる重要な人物でした。ただ、ショープロデューサーの Ethienne Russo(エティエンヌ・ルッソ)は劇中でやや批判的なことを言っていたこともありマルタンのファーストチョイスではなかったかもしれません(笑)。僕はショーをどのように作り上げたか、という証言が必要だと思ったので採用したのですが。

10番=男性のための服。マルタンはメンズラインを 「コレクション」 ではなく 「ワードローブ」 と呼んだ。

── ライナーさんが本作を通して伝えたかったことは何でしょうか。

マルタンの哲学や、ファッションに対する見方、デザイナーとしての経歴を伝えることに重点を置きました。一時期を切り取ったドキュメンタリーではありますが、僕は作品がすぐ古びたものになってしまうのではなく、長く生き続けてほしいと願っています。 「パリでファッションデザイナーになりたい」 というマルタンの子供の頃の夢に始まり、2008年のショーで終焉を迎えるまで、ストーリーはすでに完結しているのでタイムレスだと言えます。ですから、今後どうなるか定かではないような要素を入れるのは避けました。

マルタンによるラストコレクション(2009年春夏)

── たしかに2年近く前の作品ではありますが今見ても大変興味深い内容です。本作を見ているとマルタンに人前に出たい、存在をアピールしたい気持ちが芽生えているような気もしてきて、最後の質疑応答でまだ彼の 「ストーリー」 は終わっていないのでは、と復活を期待してしまいました。果たしてどうなのでしょうか…… 最後に、次に撮ってみたい人を教えてください。

コム デ ギャルソンの川久保玲ですね。彼女が自身の仕事について語りたがらないのは知っていますが、たとえば過去を振り返ってもらうのではなく、最新1シーズンのものづくりだけに密着する、というのは面白いのではないか、と思っています。