「遊びと情報の編集、そして絵を描き続けるということ」 アーティスト・田名網敬一インタビュー
Keiichi Tanaami
photography: chikashi suzuki
interview: Ataru Sato
text: Shintaro Maki
edit: daisuke yokota & honami wachi
自身の幼少期の戦争体験などの記憶をもとに制作された、サイケデリックで奇想天外なイメージがひしめき合う絵画や彫刻、アニメーションで知られる、巨匠・田名網敬一。1960年代からグラフィックデザイナーとして活躍し、80歳を越えてなお、アート、音楽、ファッションなどのジャンルを横断したコラボレーションも数多く手掛ける、その精力的な制作の背景とはどのようなものか? 彼の大学の教え子としても公私ともに交流する画家の佐藤允、そして写真家・鈴木親と小学生で絵を描く玄兎が、若い世代との交流や教育について、そして絵を描くことの方法論について話を聞いた。
「遊びと情報の編集、そして絵を描き続けるということ」 アーティスト・田名網敬一インタビュー
Portraits
「遊び」の恐ろしさ
佐藤允(以下、佐藤):初めて(田名網)先生に会ったときのことをよく覚えていますよ。高校生の時に雑誌で見た先生の作品に憧れて、京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)を受験したので。そしたら受験の担当教官が束芋さんで、なぜかその日に先生に会えたんですよね。研究室にアニメーションの原画がたくさんあって、震えちゃいましたよ。そのときは「頑張ってね」と言われただけでしたが、その後少し経って僕の作品を見せに行ったときに、そのままお酒飲みに連れていってくれましたよね。
田名網敬一(以下、田名網):そうだったっけ。
佐藤:そうですよ。京都の上七軒のお茶屋さんですよ。20歳になったばかりの人間をあそこに連れて行くなんて今考えるとおかしいですよ(笑)。
田名網:そうだね(笑)。舞妓さんとか呼んでね。京都の花街ってのは4つあって、祇園、先斗町、宮川町、上七軒。上七軒っていうのは京都の奥座敷、一番格式があるところ。観光客よりも地元の人が内密に遊ぶ場所なんだよね。
佐藤:それで、そんなことはなにもわからず調子に乗って飲んでいたら、次の日起きたら鴨川の三条大橋の下でした(笑)。その時着ていたマルジェラのシャツもボロボロになっていましたよ。でもその夜は狂うぐらい楽しかったんですよね。おとぎ話みたいで。まるで夢の中にいるようでしたよ。
田名網:まあ上七軒ってのは、行くと頭おかしくなるよね。街自体もセットみたいだしね。
佐藤:暗くて道が濡れていて、提灯の明かりがところどころにあるだけ。本当に谷崎潤一郎の世界。陰翳礼讃ですね。
田名網:まあ舞妓さんの衣装や白塗りは暗いところで見るための仕掛けだから。そして彼女たちは人を遊ばせるプロだからね。
佐藤:なんというか、もうそこに行くと歯を食いしばって遊ぶっていうか(笑)。その経験は若い僕にとっては本当に衝撃でしたね。そのあとも何度か京都で先生に遊びに連れて行ってもらうんですが、その中で2つ学んだことがあって、それは遊びそのものと狂気じみた遊びの恐ろしさ。身ぐるみ剥がされて一家離散しちゃうような。京都は「破滅」が直ぐ側にある街なんだなと思いました。破滅とわかっていてもいっちゃう。危険と同時にぞくぞくしちゃうんですよ。
田名網:そうだよね。そんな京都に毎週行けるからこの大学の仕事を受けたというのもある(笑)。
佐藤:先生はそういう遊びを覚えることは怖くなかったですか? お父さまが道楽されていて苦労されたと聞いたので、同じようになってしまうかもしれないとか。お母様が嫌がったとか。
田名網:母親は自分が絵を描いたりすることも嫌がっていたしね。大人になってもまだ嫌がっていたよ。母親の親戚がうちのマンションに来るときでも、30分前に来て俺の絵を全部裏返しているのよ(笑)。見せらんないってことで。
佐藤:口でいうだけでなくて、行動にもうつすってよっぽど嫌だったんですかね(笑)。僕も全部捨てられてましたよ。描いたものだけでなく、読んでいた本とかも。親はずっと「お前は宮崎勤になる」って言ってたんですけど、僕はそれを「宮崎駿」だと勘違いしていて「結構いいじゃん」とか思ってたんだけど、ある時ちゃんと調べたらシリアルキラーだった(笑)。親から見たら異常者だったんですよ。変な絵を描いているってことで。アーティストになるっていうのはヤクザよりひどいって、祖母も大反対でした。
田名網:うちの母親も子供の頃から「とにかく勉強しろ」って言う人だったね。
佐藤:しかも先生は長男ですもんね。
田名網:だからもっと普通の大学に行くと期待してたと思うけど、美大にいっちゃったから。母親もがっかりしてたよ。
佐藤:だって、美大に行ったあとも、社会人になってもハチャメチャでしたよね。牛ちゃんさん(篠原有司男)なんかと遊んじゃって。今だったら素晴らしいアーティストだけど、当時だとめちゃくちゃ怪しい存在ですよね(笑)。
田名網:そうだよね(笑)。
佐藤:恐ろしい存在とも言えますが。牛ちゃんさんとお母様は会ったことあるんですか?
田名網:あるよ。うちにも来てたから。ものすごく嫌がっていたよ。あんたの友達はひどすぎるって。だってその頃付き合いがあったのは、牛ちゃんでしょ、三木富雄でしょ、あと土方巽。土方なんか特に一般社会とかけ離れた存在だったからな(笑)。
佐藤:そう考えると、やっぱり血は争えないと言うか。お母様からしてみたら、息子も普通とは違う道にいってしまうっていう恐怖心があったんでしょうね。
美術教育は「押し付ける」こと
―先生は大学でも長らく教えられていて、佐藤さんのような若い方とも大学を超えてお付き合いされていますが、大学または大学外でも美術を教育する過程で気をつけていることはありますか?
田名網:教育ってのは結局自分の興味のあるものを相手に押し付けるってことだからね。
鈴木親(以下、鈴木):正しいですね(笑)。
田名網:自分がやりたいこととか読みたい本とか、そのまま伝えちゃう。で、それを受け入れる生徒もいれば、それが違うと思って、別の本を読み始める子もいるんだから、それでいいんですよ。
―そのほうが嘘がないってことですね。
鈴木:僕なんかも学校で教えることがありますが、現役でやっていると実は「教える」ってのは本当に難しい。現役であればあるほど「教える」ことは難しいと思う。こう言うと悪いけど、他の先生とかアーティストとして現役ではなくて、もう現場にいないから、10年ぐらい前のアートの価値観とかを平気で生徒に伝えたりしちゃう。先生はその点ずっと現役の作家ですもんね。
田名網:そうね。だから教育と言っても、「教える」というより、昨日やった仕事を学生に見せたりする。そうすると仕事のリアリティや臨場感を伝えられる。
鈴木:美術って、現代性とか社会性を扱うものだから、今のことを伝えられないと意味ないですよね。
田名網:実際は美術なんて教育できないもんだから。教育できないなら自分の興味をもっているものを押し付けたほうが嘘がない。それが一番の真実。本当に自分の興味あるものと自分の仕事を見せる。
鈴木:日本の美術教育は、どちらかというと技術を伝えるみたいな側面が強かったですよね。
佐藤:僕にとって田名網先生が良かったのは、一番最初に一番重たいものを教えてくれたから、それがすごく今に生きています。美術も遊びも一番ヘビーなものを。でもそれを教えてくれる人って普通はいないですからね。
鈴木:僕も1990年代に日本で仕事を始めたときは、面白い破天荒な編集者がいて、美味しいご飯とか夜遊びの方法とかを教えてくれるわけ。こういうことを知らないといい作品なんか作れないとかなんとか言われて。
田名網:まあ昔は編集者も先輩から色々と教わってたからね。いまは教えてくれる人がいないからね。なにもわからないまま大人になってしまう。
鈴木:いまITなんかで儲けてお金もある経営者は、お金の使い方とか遊びの作法とか知らないから、洋服も高いけどカジュアルなものしか買わなくて、食事も高級ハンバーガーとか食べちゃう。ハンバーガーは作法を知らなくても誰でも食べられるものだから。一流のフレンチとかだと、いい服を着て、カトラリーも覚えてとか、一定の作法が必要。そういう意味では、破天荒でありながら緻密で粋なお金の使い方をする人は減りましたね。
佐藤:実のところ、僕なんかお金が入っても、欲しい「物」ってないんですよ。いらないのにブランドのコラボスニーカーとか買ってしまう(笑)。特になんの満足感もないですよ。そうすると結局教養を身につけたほうがいいって話になっちゃう。
鈴木:ヨーロッパの人と話すると、お金やものは持っていても奪われる可能性があるけど、知識と教養は人から絶対に奪えないものだから、そこにお金を使いないさいって言いますよね。
(玄兎(げんと)、遅れてアトリエにやってくる)
鈴木:玄兎、先生にあいさつしな。
玄兎:(少しうつむきながら)こんにちは。
鈴木:玄兎はロンドンでの生活が長くて、日本語より英語のほうが得意なんで、少し日本語だとたどたどしくなりますが、よろしくお願いいたします。
田名網:あ、そうなの。こんにちは。いま何年生?
玄兎:6年生です。
佐藤:でも日本の学校じゃないんだよね。インターナショナルスクール。
玄兎:(小さく頷く)。
鈴木:着いてそうそうだけど、先生に絵を見てもらえばいいんじゃない。
(玄兎、絵を見せる)
田名網:いいねぇ。面白いねぇ。すごくいいじゃない。
鈴木:小学生が描くような絵じゃないんですよ。怖い絵ですよね。玄兎はなんで怖い絵を書くんだっけ?
玄兎:怖い絵を描くと、(それが)怖くなくなるから。描いたら安心できる。
佐藤:2年くらい前に僕がKOSAKU KANECHIKAで個展をしたときに、玄兎が来てくれたんですよ。そこで僕の絵を見た後に彼が「絵を描きたい」って言って、ギャラリーの芳名帳かなんかに、さっと絵を書いたんですよ。そしたらそれが暗い絵で(笑)。正直大丈夫かな?って思ったんですよ。
鈴木:暗い絵だっていうのと、あとは空間を隙間なく埋めて、画面いっぱいに絵を描く。そのへんも先生と允くんと共通するものがあるかなと。
佐藤:他にもダンボールをコラージュした作品も作っていて、それも見せてもらったんですが、その作品の中にある「目」が、先生の作品をコラージュしたものだったんですよ。
玄兎:コム・デ・ギャルソンのやつ。
佐藤:そうそう。コム・デ・ギャルソンとのコラボレーションで先生が描かれた「目」を切って貼ってたんですよね。それで田名網先生の話を彼にもしたんですよ。
鈴木:その意味でも一回先生の絵を見るのがいいなと思って今日連れてきたというか。
(玄兎、もう一度田名網先生に絵を見せる)
田名網:この絵だと同級生とかびっくりしちゃうんじゃない?!
玄兎:(無言)。
佐藤:彼は飲み込みが早いけどこだわりが強い。色の解釈とか独特なんですよ。
玄兎:(先生の)絵の中にキラキラしてるもの、あれなんですか?
田名網:あれはガラスを粉々にくだいたものをくっつけているの。プロに頼まないとできないよ。
佐藤:そんな相談をしてる時点ですごいよ。自分の絵もキラキラさせたかったの?
玄兎:どうやってやるかしりたかった。
鈴木:玄兎、最近描いているのはどういう絵なんだっけ?
玄兎:死んだラッパー……の絵を描いている。
佐藤:それは殺されたラッパーってこと?アメリカの?
玄兎:(小さく頷く)。
佐藤:それはなんで?
玄兎:そのラッパーを覚えるために描いてる。いま6人ぐらい。
佐藤:それは6人の絵を集めて大きい絵とかにしないの?
玄兎:しない。
佐藤:したほうがいいよ。大きい絵のほうがいいじゃない。最初から大きい絵を描くのはどう。50号とか。
玄兎:(ちょっと考えている)。
鈴木:允くんも玄兎に押し付けてるね(笑)。
佐藤:あーそれはそうですね(笑)。でもそれで「嫌」って思うのも正しいことですからね。
鈴木:「嫌」ってことに気づくのも重要だね。
佐藤:反応が見てみたいんですよ。それを押し付けるとどんな反応がでてくるのか。
鈴木:先生は昔から大きい絵を描かれてたんですか?
田名網:描いてたよ。
佐藤:でも、先生は大きい絵を描いて、展覧会終わったら川に捨ててたんですよね(笑)。
田名網:いや、それは本当に昔の話だよ(笑)。展覧会が終わると作品を置くところがないから、当時は三木富雄と一緒によく捨てに行ってたよ。彼の作品の耳の型ともね。
鈴木:川で泳いでたら先生の絵が流れてきたら相当シュールですよ(笑)。玄兎はちゃんと作品を残している?
玄兎:あ、う、うん。
田名網:いや残しといたほうがいいよ。でも親がしっかりしてたら残してくれてると思うよ。俺なんか捨てられてたから。
佐藤:でも玄兎は絵描きになりたいってわけじゃないでしょ?
玄兎:ん、あー。(沈黙)
田名網:でも今から描いていたら自然と成ると思うよ。
佐藤:若いときから絵を描く環境があるっていいことですよね。
田名網:別に絵だけやる必要はなくて、音楽やったり他のこともいろいろやればいいんだしさ。
(玄兎、アトリエ内の先生の絵を見に行く)
情報の編集と身体で絵を描くこと
―先生は絵を描いているときや仕事のときに迷うことってありますか?
田名網:いや、あんまりないんだよね。
佐藤:先生は理性の人ですよね。僕なんか大学でも制作でテンパってウワーってなっちゃったんだけど、先生のところに行ったら「そんなのこうすればいいじゃん」の一言で終わっちゃう(笑)。だから深刻になれないんですよ。束芋さんもそういう先生でしたね。
鈴木:先生はグラフィックデザインの仕事と絵の仕事のときでは向き合い方は違うんですか?
田名網:昔はデザイナーとして仕事してたから、それはもう職業だよね。でも絵を専門にやるようになってからは、デザインは副業になった。でも根本的な姿勢は変わらないよ。いまはどの仕事も絵を描くつもりでやっているから、妥協しないし。デザインと絵の仕事が同じになっちゃったかもね。
佐藤:先生は、若いときにグラフィックデザインの仕事もやられていて、働きまくってたからか、なにか制作で問題が起きても解決策への道筋が明快ですよね。
田名網:デザイナーをやっていると、いろんなノウハウが溜まっていくじゃない。こういうふうにやればこうなるとか、印刷はこうやればうまくいくとか。いろんな意味で純粋にアートをやってるよりいろんな知識があるわけよ。そういう意味ではゴールや仕上がりに向けての方法や発想がいろいろと浮かぶんだよね。
鈴木:作業だけで見ればグラフィックデザインとペインターは似てるかもですね。
田名網:まあ、社会から見ると違うものに見えていると思うけど、似ているところはある。
佐藤:先生が教授されていたのも「情報デザイン学科」って名前ですもんね? そういう意味では僕もデザイン学科で絵を描いてたみたいなもんですよ。よくわからないなと思いながら、デザインの勉強とかしましたけど、今考えれば役に立つなと思います。
田名網:いや、めちゃめちゃ役に立つよ。
佐藤:結局絵を描くときも、情報の編集ってすごく大事ですもんね。
田名網:たとえば牛ちゃんなんかはそういった知識がないから、アウトプットの時にすごい苦労するわけよね。だから僕とかはこうやればうまくいくとかとわかるんだけど。でもアーティストってそういうものだけどね。
鈴木:たとえば(アンディ・)ウォーホールなんかでも、デザインの知識をうまく使っていましたね。あとメディアをどう使うかのプロですもんね。
田名網:いまのニューヨークのギャラリストなんかでも、ただ絵を書いているアーティストより、そういうメディアとか情報を編集できるやつを面白がるよね。
鈴木:KAWSなんか完全にそうですよね。1990年代から知っている人から見れば、あんなに大きな存在に成るとは思わなかったけど。
田名網:KAWSなんか実は日本で育てられたようなもんじゃない?!アートをおもちゃとか商品にしていく方法論は日本で学んだようなものだよね。
鈴木:そういう意味では多様なメディアを使い、グラフィックデザインもやり、絵を書くってのは田名網先生もKAWSも似ていますよね。あとは先生は、作品が商品になろうがなんだろうが、全部先生の色で飲み込んでいきますよね、芸能もミッキーマウスもなんでも。普通はアーティスト・コラボレーションといっても企業側のほうが強くでるんですが。
田名網:まあ、好きにしてくださいって言われるからね。コラボレーションは好きにやっていいかどうかを条件にするから、それでやって相手が気に入らなければしょうがないってだけだよ。あとで揉めることもないよ。
佐藤:アディダスもロゴとか変えちゃってますもんね。
(玄兎、戻ってくる)
鈴木:玄兎は、絵を描いたらみんなに見てほしいの?
玄兎: (少し考えて)ときどき。他の人が思うことを知りたいから、見てほしいこともあるけど。あんまり見せたくない。
田名網:小学校六年生の子がどのぐらいのことを考えているかは想像ができないけど、玄兎くんの絵は、もう絵としてできあがっているね。普通小学校六年生だったら、もっと稚拙な絵を描くでしょ。
鈴木:そうですね。そもそも普通の小学校の子は、ゲームとかスマホとかにはまっていますからね。絵を描くみたいなフィジカルなメディアを選ぶ子自体が少なくなっている印象がありますね。
佐藤:たしかにアナログな作業をする子は少ないかもしれませんね。
鈴木:iPadとかで絵を描くとかあるかもだけど。
田名網:ペイントするっていうのは大変な労力でもあるからね。お金もかかるし。親もデジタルのほうが喜ぶだろうしね。小学校六年生の子に親が100号のキャンバスは買ってくれないだろうしね(笑)。
佐藤:僕としては、100号のキャンバスに対峙してみて「こんな大きいのに描けない」って思ってほしいですけどね。でも、やれちゃうようなきもするし、もっと言うと、キャンバスつくるところからやってほしいんだけどな。
田名網:キャンバスをつくるのは難しいんじゃない。玄兎くん、このスケッチブックあげるよ。紙が特注なんだよ。
玄兎:ありがとうございます。すごい大きい。
佐藤:いい紙に大きく描くのはいいよ。先生からスケッチブックをもらえるなんて最高じゃない。何回も言うけど、玄兎も大きい絵を描いたほうがいいよ。
玄兎:なんで大きく描いたほうがいいの?
佐藤:小さいのはいつでも描けるからね。
田名網:小さかったら小手先でかけちゃうから。大きいと全身で描けるじゃない。身体が動くといいんだよ。絵ってフィジカルなもんだから。歳を取ると絵描きも作品がだんだん小さくなるんだよね。肉体で描かないでメンタルで描いちゃう。
鈴木:じつはアスリートに近いものもありますね。
玄兎:(無言で聞いている)。
鈴木:先生はいつキャンバスに初めて書いたんですか?
田名網:高校とかじゃないかな?
佐藤:先生その頃贋作描いてたんですよね(笑)。
田名網:そうそう(笑)。画材屋さんにいったらね。あんた絵がうまいからって言われて、(モーリス・)ユトリロとか(アメデオ・)モディリアーニの画集もってきて、「これそっくりに描ける?」って聞くわけ。それで描いてきたら、絵の具と画材をたんまりくれる。これは最高だと思ってたけど、学校の先生にばれちゃって大問題になった。だってその贋作をその画材屋さんが売ってたんだもん(笑)。
一同:(笑)
―でも模写することは結構勉強になりますよね。
田名網:それはそうだね。たくさん書いたからね。いまは(パブロ・)ピカソの模写も描いているし。もう400枚ぐらい。
鈴木:昔ミラノに行ったときに修復家の人と話したんですが、彼らは作品を顕微鏡でずっと見ていて、筆致なども精緻に真似するから、ミケランジェロの気持ちがわかってくるって言っていました。模写は勉強になりますよね。写真もそうですね。その人っぽく撮るとその人の気持ちがわかる。
佐藤:実を言うと僕も絵を描くときは未だに先生の作品の模写をしている感覚なんですよ。たまたま自分のやりようがいいようにしてるうちに、今のスタイルになっているだけで。
だからぼくはオリジナルってものが本当にわかんないですね。コピのコピーのコピーだとしても描いているときは楽しいじゃないですか。だからオリジナリティがないってことで悩むってことはなかったですね。
絵の終わりと画家のゴール
―先生にとっての絵の終わり、これでこの絵を描き終えたなと思う瞬間ってどんな時ですか?
佐藤:あ、それ僕も聞きたい。
田名網:絵の終わりってのは、俺もわかんないんだよ。でも、これ以上描くところがないって瞬間が必ず来る。もう筆がどこにも置けないっていう。下書きをしないから、描き始めたときに、その絵がどういう方向に行くかなんてわからない。青い絵を書こうかなとおもっていても、最終的に赤い絵になっていたりする。要するに、全然違うものになっていくことを前提に絵を書いている。そのほうが面白いと思うんだよね。
佐藤:下書きを描くと、それで満足しちゃうところがありますね。
田名網:下書きを描くと、それのコピーになっちゃうんだよね。それ以上に発展しない。だから、多くの日本画を退屈に感じるのは、下書き通りに描いていて、発想の飛躍みたいなのを感じられないからなんだよね。
佐藤:日本画でも下書きがある人とない人がいますね。曾我蕭白とかは下図を見たことがない。
田名網:そうね。江戸時代の絵師には違う人もいる。
鈴木:下書きの話で思い出したけど、クラシックバレエのダンサーは「型」にどれだけ身体を合わせれるかっていうスポーツの技術点なようなところがあると思うけど、逆にコンテンポラリーダンスは、もっと身体の「自由」みたいなことを追求している。そういう形式や型からどう逃れるかってのもアートの大きなテーマではありますよね。
佐藤:そうですね。同時に、最近その逆も考えていて、その形式化してたものから「自由」を求めて、いろんな表現を生み出し尽くしたのが近現代のアートだとして、それが今は「何でもあり」になりすぎて、それらがガラクタ化していっているような気もします。アート界に、正統派とアウトサイダーの差がなくなってしまって、焼け野原になっている印象。
鈴木:2000年代ぐらいの頭では、ちゃんと裏打ちされた知識や歴史みたいなのがアートの世界を支えていて、同時に野暮だから、作品ではそのことを全部は説明しない、という世界だった。でも近年は、その「説明しない」というのが「知らなくてもいい」ということにすり替わって、結果「何でもあり」という世界になっていった感覚がある。
佐藤:知った上で、ユーモアを感じたり、そこに潜む皮肉を受け取れるみたいなことが少ないですもんね。僕なんか、本来アングラの「アウトサイダー」で自由を求めているはずだったのに。まあもっとこれから長く活動していくと、また変わっていくのかもしれないですが。あ、そういう意味でも先生に聞きたいんですが、長続きする秘訣ってなんですか?
田名網:んーなんだろうな。
佐藤:若い時から長く続けることを意識してたんですか?
田名網:意識してたって、続けられるわけじゃないから。
佐藤:僕は最近は余計なお金を使わないってことかなと思っていて。大きなスタジオをつくって、人を雇ってそのために働くとかは僕は向いていない。
田名網:まあ、それもあるかもね。南塚(真史)くんなんかは言うわけよ。地方に大きなスタジオをつくって、大きな作品を作るのはどうですか?って。でもそれはめんどくさい。東京から1時間もかけてそんなとこまでいけないよね。でも、このアトリエにきた海外のコレクターには、部屋が小さいから「田名網はちゃんと(ギャラリストから)お金もらってるのか」って心配されたけど(笑)。
佐藤:先生はそういうものに振り回されることなく、ずっと淡々と仕事されていますよね。自然体というか。でも、結局絵を描くことにもゴールみたいなものはないもんですよね。
田名網:自分でゴールなんか設定しても、人生なんかそうなるわけじゃないから。そんな事考えなくてもいいよ。
佐藤:やれるときまでやってればいいってことですね。先生、今日はありがとうございました。