Japanese Breakfast
Japanese Breakfast

「とても長い旅路だった」ジャパニーズ・ブレックファストのミシェル・ザウナーが10年かけて手に入れたもの

Japanese Breakfast

interview & text: mayu sakazaki
photography: nico perez
styling: kotomi shibahara
cooperation: keiko komada

Portraits/

白いプードルのチューブトップ、両腕を埋め尽くすタトゥー、ライムグリーンのアイシャドウ。飛び跳ねるように真夏の FUJI ROCK FESTIVAL (フジロックフェスティバル) に現れた Japanese Breakfast (ジャパニーズ・ブレックファスト) のステージを思い出すと、自然と笑顔がこぼれてしまう。どこかノスタルジックでドリーミーな彼女の音楽は、胸を躍らせると同時に、言いようのない切なさまで感じさせてくれた。

2021年にリリースした最新アルバム『Jubilee』はグラミー賞にノミネートされ、初の著作『Crying in H Mart』は New York Times (ニューヨーク・タイムズ) のベストセラーリスト入り、そして映画化が進行中だ。「それは私の想像を超えていました」と語る彼女は、これ以上ないほどの成果と輝かしく見える日々につきまとう「不安」を正直に口にする。

センシティブでエモーショナルで頑固。自分自身をそう分析するミシェルは、10年以上のキャリアの中で多くの苦難と悲しみを経験した。だからこそ、どんなにナーバスになっても、積み重ねてきた自信が彼女を支えている。「今は自分が何をしたいのかを一番に考えて、ちゃんとNOを言える」。熟して甘くなった果実のように、時間をかけて実らせた日々を過ごす Michelle Zauner (ミシェル・ザウナー) に、創作のこと、そして彼女自身の変化を語ってもらった。

「とても長い旅路だった」ジャパニーズ・ブレックファストのミシェル・ザウナーが10年かけて手に入れたもの

―フジロックはどうでしたか?

ギリギリまで出演できるかわからなくて不安だったから、今はすごく安心しています。10日前にツアーメンバーの半分がコロナで陽性になっちゃって、日本に来るためのPCR検査ではなんとか陰性になったものの、ドラマーだけは間に合わない可能性があって。だから照明デザイナーがドラムを練習して、本番では彼女がピンチヒッターとしてドラムを担当するっていうプランもあったんです(笑)。でも最後の最後で検査をクリアして、無事にステージに立つことができた。色々とドラマがあったけれど、とっても楽しかったし、本当に美しい光景でした。

―音楽とともに色々な国を旅する経験は、あなたにどんなことを与えてくれますか?

仕事で世界中を旅することができるのは、とても幸運なこと。観光客としての旅行は自由なぶんお金もかかるし、けっこうストレスな面もあるから、ミュージシャンとして海外で働けるのはユニークな立ち位置だと思います。仕事のおかげでさまざまな国の人と自然なかたちで出会えるし、音楽を通して関わり合うことができる。それはすごく特別な経験になっています。

―今は Japanese Breakfast としてツアーやフェスのステージに立ちながら、作家としての仕事や映画制作まで、ものすごく忙しいときですよね。どんな日々を過ごしていますか?

8月はとにかくひどかったと思う(笑)。これまでのツアー中、メンバーは誰もコロナにかかったことがなかったのに突然こんなことになっちゃって、すごくチャレンジングな日々だったから。ほとんどはツアーバスで寝てた思い出しかないんだけど、カラマズー(ミシガン州)のホテルで大号泣した日もありました。あとは『Crying in H Mart』の映画化に向けて、脚本の執筆が終わったところ。色々なプロジェクトを行ったり来たりしてる毎日なんです。

トップ ¥124,300、ボトム ¥94,600/ともに YUEQI QI (ユェチ・チ)

―映画化おめでとうございます! 原作者としてだけじゃなく、脚本やサウンドトラックを含めた大きな役割で映画作品に関わっていくことは、どんな経験になりそうですか。

『Crying in H Mart』の映画化については、正直に言うとかなりナーバスになっています。だって映画ってすごく幅広い人たちが観るものでしょ? たとえば本を書いても、普段から読書をしない人はまず手に取らないし、音楽だってみんなが楽器を演奏できるわけじゃないからそこまで批評的な目で見られることはないんです。でも映画は軽い気持ちで観て、簡単に批判できるものだから。さらに心配なのが、多くの人が関わっていて私がコンロトールできないこともたくさんあるということ。このストーリーは私にとってものすごくパーソナルな内容だから……とにかくまずは私が信頼できる監督に、このプロジェクトを引き受けてもらいたいです。

それからとても困難だったのは、脚本を書くことでただでさえ辛い物語にもう一度向き合わなければならなかったこと。それはワクワクするというよりも、気が滅入るようなプロセスでした。だけど、本を書いたときとは違う視点でストーリーを紡いでいくというのは面白い経験だったと思う。同じ話を、まったく別の新しいかたちで伝える方法を学ぶことができました。

―『Crying in H Mart』は母親と娘の関係性についてや、郷土料理のこと、喪失感や悲しみなど、いくつもの普遍的なテーマが描かれています。アメリカには複数の国にルーツを持つ魅力的な作家がたくさんいますが、そういった作品からも影響を受けましたか?

そうですね、アジア系アメリカ人による小説やメモワールはとくに多く読んできました。ノンフィクションはまだあまり開拓できていないけれど、ミュージシャンの回顧録、喪失についての本、母と娘の関係について書かれたものなど。アメリカだけじゃなく韓国人作家による作品も執筆のインスピレーションになりました。それからもちろん、食べものについての本もね(笑)。

―1冊の本を書くというのは、すごく大変なことですよね。執筆に役立ったことはありますか?

私にとってやりやすかったのは、まずはルーズに書き始めて、あとから整えていくという方法。編集者には8万から9万単語ぶんの文章を書いてって言われて、最初は無理だと思ったけど、半年かけて毎日千単語ずつ書いていきました。ぐちゃぐちゃのひどい文章でもいいからとにかく速く土台を仕上げるよう自分に言い聞かせて、編集に進むための素材をそろえていった感じ。これまで音楽づくりのプロセスで学んだやり方が、ライティングでも役立ったんです。

―そうして書いたものがベストセラーになり、多くの反響があることをどう受け止めていますか? ミュージシャンとしても、Little Big League (リトル・ビッグ・リーグ) のフロントマンだったときから数えると、もう10年以上のキャリアになりますよね。

こんなに反響があるとは全然思ってなかったし、想像を超えていました。これまでを振り返ると、とても長い旅路だったように感じる。昔はライブを自分でブッキングして、観客が0人の中で演奏したこともあるし、ツアーでは誰かの家の床で寝ていることもしょっちゅうでした。でも、アーティストとして成功への道のりがハードだったことは、誇りに思っているんです。そういう経験があったから色々なことに感謝できるし、物事がうまく進むよう賢い選択ができるようになった。今恵まれているこの環境はこれまでの積み重ねだから、ありがたく思っています。

―ふたつの道で素晴らしい成果を得た今、モチベーションが揺らぐことはない?

自分の好きなことを仕事にしているから、クリエイティブに対するモチベーションは常にあります。長いキャリアの中で色んなことを経験して、オフィスで働いたこともあったけど、今思えばミュージシャンでいることより難しい仕事だったかもしれない(笑)。だからこそ、今はとても幸運な日々だと感じるし、そのおかげでモチベーションを保ち続けられるんです。

―今はたくさんのアーティストとコラボレーションしているけれど、あなたは基本的にとてもDIYなアーティストですよね。音楽づくりだけじゃなく、ミュージックビデオの監督や執筆、さまざまなディレクションまで。“自分でやる”というスタイルはどこから来ましたか?

初めはまったくお金がなかったから、自分でやるしかなかったんです。そこで痛感したのは、まず自分自身の力やヴィジョンを認めてもらわないと、誰からも協力してもらえないってこと。当時はフォロワーも少なかったし予算もなくて、コラボしてくれる人はほとんどいませんでした。だからミュージックビデオの監督をしたり、アートワークのディレクションをしたり、なんでも自分でやるしかなかった。だんだん有名になってリソースが増えていったことで、最近はやっと誰かにまかせることができるようになってきました。

Japanese Breakfast 本人がディレクションを手がけたミュージックビデオ。『Jubilee』収録曲。

―これまでの作品を眺めていると、自分自身や誰かのパーソナルなストーリーを語る、という軸が見えてきます。日々の生活の中で、どんな瞬間に「何かを作りたい」と感じますか?

そう感じるのはすごく自然なことだと思います。私の作品にはフィクションもノンフィクションもあって、日常のありふれた出来事や、世の中で起きていることを観察して見えてくるもの、人との関係性の中で感じたことなんかが元になっている。自分の心を揺さぶる何かを見つけると、それが作品のインスピレーションになるから、そういう瞬間を大切にしているんです。

―33歳という年齢は、仕事をするうえでも、人としても、少しステージが変わるような感覚がありますよね。そういう自分自身の変化みたいなものは感じていますか?

もちろん次のレベルになっているんだけど、「NO」と言えるようになったのはひとつ大きなポイントだと感じています。今まではなんでも「YES」と答えなきゃいけないプレッシャーがあったけれど、たとえ大きなプロジェクトだとしても、やりたいことにそぐわなければちゃんと「NO」と言う。「自分が何をしたいのか」ってことを一番に考えて動けるようになったし、それがセルフケアにもなってるんです。私はとてもセンシティブで、エモーショナルで、頑固で……それは今も変わってないんだけど(笑)、だんだん落ち着いてきたような気がします。

―『Crying in H Mart』は秋に日本でも翻訳版が出るそうですね。最後に、「韓国語について学んでいくような本になる」と語っていた次の著作について、それから新しいアルバムについて、今考えていることを教えてください。

『Crying in H Mart』では、昔の記憶を掘り起こすというチャレンジをしたけれど、次の本では現在について書くつもりです。なんでかっていうと、常に私は「少し先の未来」のことを気にしているから。たとえばツアーだと来週は日本、翌月はヨーロッパ、その次は南米っていうふうに先の予定が決まっているから、「今」について考えることはなかなかできないんです。だから、これから毎日の出来事を吸収しながらその体験を執筆していけるのがとても楽しみ。とはいえ、本の制作にはとんでもなく時間がかかるから、まだまだ何年も先になると思います(笑)。

アルバムに関しては、4枚目だからこそ実験的なものにしたいなと考えていて。今、Japanese Breakfast は6人編成の大きなバンドだから、私はフロントマンとして歌うことに集中できるようになってるんです。だから、今度はギタープレイヤーとしての本来の自分にフォーカスしたような、実験的な作品に挑戦してみたい。楽しみにしていてください!