amane okayama
amane okayama

人との関わりで今がある。俳優・岡山天音が考える、社会の中で自分として生きていくこと

amane okayama

photography: tetsuya maehara
styling: haruki okamura 
hair & make up: koichi amano
interview & text: tomoko ogawa

Portraits/

作品のどんな役柄にも寄り添い、鮮烈な印象を残す俳優・岡山天音が最新主演作で挑んだのは、笑いに取り憑かれた男の狂気や苦悩に満ちた半生だ。映画『笑いのカイブツ』は、実在する「伝説のハガキ職人」と呼ばれた構成作家・ツチヤタカユキによる自伝小説を、滝本憲吾監督が映像化したもの。不器用で社会性もほぼゼロの状態で、自分の信じる笑いだけを信じて突き進むツチヤとして、痛々しいほどの真っ直ぐさとリアリティを持って生き延びた彼が考える、社会の中で自分として生きていくこととは?

人との関わりで今がある。俳優・岡山天音が考える、社会の中で自分として生きていくこと

©2023「笑いのカイブツ」製作委員会

—本作は、原作者ツチヤタカユキさんが構成作家を志していた頃の自伝小説を元にした映画ですが、岡山さんは子ども時代に漫画家志望だったという過去もありますし、プライベートな面でつながりやすさもあったのでしょうか?

そうですね。最初から共感できる部分がすごく大きかったので、そこまで本来の自分を加工する作業はしてないですね。やっぱり、生まれたままの姿では社会で生きていけないので、 自分も矯正したり覆ったりして、今のかたちになっているんですけど、奥の方にある赤ん坊の時から持っている自分の声に、耳を澄ませるような感覚だったかもしれません。久しぶりに本来の自分と再会するみたいな感じでした。

—本来の自分と再会するのは、いいものなんですかね? それともしんどい行為?

いやー、しんどいですよ (笑)。でも、そういう自分のあまり日向に当てられない部分を表現としてなら良しとしてもらえたり、使いようがあるものにしてもらえたりするのは芝居の醍醐味でもあると思うので。苦しくはありましたけど、楽しくもありました。

—こういう、わかってもらえないことに爆発しそうなやり切れなさを抱えているツチヤの役はものすごくハマってたんですが、勝手な印象として、抑えが効かないような衝動的な役を最近あんまり観ていなかった気がしたので、新鮮にも感じました。

本当に人によって役に対して言われることが違うんですよ。多分、こういうキャラクターこそイメージ通りだという人もいるだろうし、意外に思う人もいるだろうし。どの作品でどの役やっても、こういう役が多いと言われたりもして。いったい何が起きてるんだ (笑) と思います。どの役やっても全然意見が違うので。

—観る側が、岡山さんが演じる役の多面性や幅から見たいところをピックアップしてしまうのかもしれないですね。今回、菅田将暉さんや仲野太賀さんといった10代の頃から共演を重ねる方々がお兄さん的役柄を演じていますが、彼らに支えられたところも大きかったとか。

『笑いのカイブツ』は本当に、10代の時に会って、10年以上何回も共演させてもらって、時間を過ごしてきた二人に支えられた部分は、めちゃくちゃありました。この人たちだったらもう着の身着のまま飛び込んでもなんとかなる、という信頼が実感としてあったので、自分に言い聞かせてから飛び込む必要もなくて。例えば、ツチヤが尊敬する芸人・西寺を太賀くん以外の初めましての人がやっていたとしたら、実寸大に近いところまでは持っていけたとしても、共に重ねてきた時間という決定的な部分を自分で整備して改造しながら、ツチヤの数値を持ち上げないといけなかったと思います。

—ちなみに、境界線を失うぐらい役と同化するということは、岡山さんにとってはよくあることなのでしょうか?

そもそも自分の役との向き合い方として、あまり境界線というものを意識していないんですよね。どの役もちゃんと自分を全部材料にして立ち上げたい、という思いがあるので。だから、自覚はありませんが、明るい役であれ、暗い役であれ、周りから「あの時期、ちょっと感じがいつもと違った」と言われたりもします。冷静に役と向き合っているつもりでも、影響を受けてしまっているって、客観視できていなということですよね。暴力的な役をやってたときに、「なんか感じ悪かった」と後から指摘されて、ショック受けたりしますもん。「えー、ごめん」みたいな。

—矯正したり覆ったりする前の生まれたままの岡山さんは、どんな性格でした?

まあ、生まれたままって、赤ちゃんですからね。自分の美意識のままに、自分がやりたいようにやりたいわけですよ。それこそ、納得できなければ投げ出していいやという感じでしたね。中学生のときに髪を染めてて、「染め直したら修学旅行に行っていいぞ」と先生に言われて、「じゃあ行かないよ、修学旅行なんて」と行かなかったんで。あ、でも今の自分を振り返ってみても、全然矯正できてないかもしれない (笑)。

—ツチヤは年上の先輩たちから、自分の若い頃を見ているようだと思われる存在ですよね。ただ、融通の利かなさは歳を重ねればなくなるものなのかと言えば、そうでもない気がして。自分がときに融通が利かない大人である自覚があるからかもしれませんが。

シチュエーションによりますけど、僕もそういう感覚はあります。ただ、大人になったことで、面白がれる幅がだいぶ広がったんですよね。それが今の自分のルールになっているんだと思います。だから、「面白がること」に関しては、融通が利かないのかもしれない。生理的にどうしても譲れないものはやっぱりあるけれど、その対象が変わってきたんでしょうね。だから、人に振り回されるのも、この人の振り回し方ってこうなんだと面白がれるし、例え、素材自体がつまらなかったとしても、じゃあ、どういう風に自分の意見を相手の要求に応えつつ忍ばせていくか、みたいに考えるので、基本的に何でも面白がれるようになりました。修学旅行に行かなかった頃は、固定化された自分を守ることがモットーだったかもしれませんが、今はどれだけ遊べるかがモットーになってますね。

ジャケット ¥208,890、パンツ ¥109,890、ブレスレット ¥231,990/すべて TAKAHIROMIYASHITATheSoloist.(タカヒロミヤシタザソロイスト.)

—15歳で俳優デビューして、16歳で事務所に所属しているので、社会に揉まれるのは多くの同級生よりは早かったのでは?

どうでしょう。親からは「勉強しろ」とか一切言われてこなかったので、そういった意味での他者からコントロールされるプレッシャーを経験したのは、人よりも遅かったかもしれません。むしろ子どもの頃は全くなくて、事務所に入ってから、何がこの業界では一般的ではない行為なのかを教えてもらったので。何を社会とするかという前提によってルールも違うんでしょうけど。

—学校生活も含め、社会集団というものの中に入ると、世間一般で普通とされることと自分の基準とのズレに驚かされますよね。

まあ、薄々感づいてましたけどね。みんな毎日学校行ってるっぽいなとか。だから、本当にみんなのことをすごいなぁと思ってました。試験前に勉強するとか。僕は一切してこなかったので。

—今でもそのズレは感じますか?

人とコミュニケーションを取ってるときに感じることはありますね。みなさんもそうかもしれませんが、相手が何の気なしに言っただろう言葉がすごく残ってしまって、「あれ?」と思って立ち止まっちゃうみたいな。自分に向けて発されたものじゃなくても、そういう言葉や表情、シチュエーションに子どもの頃から傷ついていたんですよね。でも、周りの子たちは普通に何もなかったようにしているといったことが結構あって。その延長のような感覚は未だにありますし、会話が盛り上がっていても、一瞬、喋れなくなってしまったりもしますね。ただ、それを周りに察知されずに、その場の空気に合わせて擬態することは、昔よりは上手くできるようになったかもと。

—大人の社会に溶け込むというか、大人になるというのは、経験を重ねることが可能にするんですかね?

いやー、その人の資質じゃないですかね。大人になれる人と、なったフリができる人と、なれない人と。自分はどうだろうなー、場合によって大人になったりしているような気もしますし、まだなれてないかもしれない。フリをしているかもしれないですね、仕事を続けていくために。本当にフリをすることが辛い人は、最小限に人と関わるような、一人でもできる仕事をしているんでしょうね。

—岡山さんは、人と関わることはお好きなのでは?

結果、そうなりましたね。人はすごく好きですし、今ではもう自分でも引き剥がせないぐらいその思いが血肉になってますね。ただ、生まれつきの引きこもりのような状態から、なぜ今みたいになっていったのかを考えてみると、始まりとしてはフリだったのかなと思います。最初は面白いと思えなければできなかったし、でも試してみたら面白いと思えたし、ということを繰り返してそうなったのかな。

—人を笑わせたいという欲求はありますか?

まあ、笑わせないよりは……、笑わせる方が好きですね。笑ってもらえると、あ、この世の中に自分いるんだって思えますよね。受け入れられたような気がするというか。

—『笑いのカイブツ』は、事なかれ主義的風潮に対して一石投じるという姿勢を感じる作品ですが、岡山さん個人としては、事なかれ主義に対して、どのように捉えていますか?

事なかれ主義でも全然いいと思いますけど、大事なことは守った方がいいんじゃないかなという気がします。それは他人との関係性だったり、自分のことかもしれないし、自分の中にあるものかもしれない。大事に思っていて、ずっと続けたいという意志があるんだったら、それが社会や他者とぶつかる瞬間は必ず出てくると思うんですよね。それを先延ばしにして、逆に壊れてしまう場合もあるでしょうし。だから、事なかれと大事なことをちゃんと切り離して両方持っておく。そうすると、人として生きる上で楽しいんじゃないかなと思いますね。

—この映画のタイトルにもなっている「カイブツ」と呼ばれるものは、一体何であると岡山さんは解釈しましたか?

勝手に自分の中で他者に対して解釈していて、その文脈から外れたときは、その人がカイブツに見えるんじゃないですかね。だから、基本的に、みんなカイブツに見える瞬間はあるんじゃないかというか、そもそもカイブツなんじゃないかと思います。

—手に負えないわからなさ=カイブツと認識してしまうのかなと。

僕もそう思います。あまりにもわからなくて怖すぎるというときに、そう思ってしまうんでしょうね。

—最後に、今の岡山さんが考えるとワクワクしてしまうことについて聞かせてください。

他人のこと、人を知ることですね。そこにおいては、ずっと変わらないですね。自分の人生を拡張してくれるのは他人しかいないというか、他人との関わりでしか人間って仕様がなくない?と思っています。