Does Spring Hide Its Joy
Does Spring Hide Its Joy

じっくり耳を傾け、共鳴する。Does Spring Hide Its Joy が誘う音響世界

Does Spring Hide Its Joy

photography: yuichiro noda
interview: yusuke nakano
text: manaha hosoda
translation: keita hino

Portraits/

大雨警報が発令され、嵐のように雨風が吹きすさぶ新宿の夜。大久保の街なみに滲む鮮やかなネオンや雑踏の一角にたたずみ、異質な存在感を放つ淀橋教会で、2023年5月末から6月初旬の2週間にわたり東京各地で開催された実験音楽の祭典「MODE」が千秋楽を迎えた。フィナーレを飾ったのは、パイプオルガンを用いた楽曲で高い評価を得るコンポーザーの Kali Malone (カリ・マローン) 率いる音楽プロジェクト Does Spring Hide Its Joy (ダズ・スプリング・ハイド・イッツ・ジョイ)。彼女が、ギタリストの Stephen O’Malley (スティーブン・オマリー) とチェリストの Lucy Railton (ルーシー・レイルトン) という優れた2名の音楽家を迎えた本プロジェクトは、同名のLPを2023年1月にリリースしている。

Kali Malone といえば、Lemaire (ルメール) のランウェイショーやコレクションルックで馴染みがあるひともいるかもしれない。本公演でも、TFPのファッションストーリーで Lemaire を着用した FUJI|||||||||||TA (フジタ) と共演。この夜もまた、Lemaire を美しく着こなす姿が印象的だった。

舞台となった広大な礼拝堂には、21mにもおよぶ吹き抜けがあり、十字架のように配された窓が明かりを取り込む。緊張感に満ちた空間の中、その高い天井から響きわたる雨音さえもまるで演出かのように、彼らの音楽が会場を支配する。まるで異次元の世界に連れていかれたように、観客を魅了し、圧倒した彼らは果たして何者なのか。パフォーマンスの余韻がさめやらぬ翌朝、6月3日に今回の仕掛け人である「MODE」共同主宰・中野勇介が3人に揃ってインタビュー。プロジェクトのはじまりから現在に至るまでの経緯と、日本との深いつながりについて話を聞いた。

じっくり耳を傾け、共鳴する。Does Spring Hide Its Joy が誘う音響世界

Kali Malone

—Does Spring Hide Its Joy はどのように始まりましたか?

Kali Malone (以下、K): Does Spring Hide Its Joy のプロジェクトは2020年の春、ベルリンでスタートしました。パンデミックとロックダウンが始まった頃、私たち3人はベルリンの同じ地域に住んでいたので、隔離ポッドのような場所に他数名と一緒に集められ、そこで定期的に会うようになりました。その後、私たちは東ドイツのラジオ局であり、コンサートホールの FUNKHAUS (ファンクハウス) にある音楽スタジオ MONOM (モノム) に招待されました。パンデミックの影響で出入りしている人たちが少なかったことから、MONOMを創作の場として貸してもらえることになり、3人で演奏する作品制作に取り掛かり始めました。

Stephen O’Malley (以下、S):MONOMだけではなく、メインのコンサートホールを利用させてもらったり、別の室内楽用のホールではレコーディングもさせてもらいました。それぞれで音響が全く異なっています。FUNKHAUS という建物は、ソ連時代に東ドイツが西ドイツに「我々は素晴らしい文化を持ち、資源も底を尽きない。完璧な音響と素敵な装飾を備える巨大なコンサートホールも建てられる」ということを見せつけるために建設されました。とはいえ、すぐには完成せず、1989年のベルリンの壁崩壊後までかかりました。それから徐々にアーティストたちが目をつけるようになり、ここまで豪華で文化的な施設が売買され、ビジネス化されたというのはなかなか衝撃です。今では裕福な経営者が所有し、デザイナーや建築家、ビジュアルアーティスト、サウンドアーティストなどがオフィスとして利用しています。ただ、そこにいる多くの人々は元々ベルリン出身ではなかったため、ロックダウンが始まると、彼らは外へ避難してしまいました。私たちがレコーディングを始めた当時、FUNKHAUS に日常的に通っていたのは数十人で、多くても100人程度だったと思います。また、パンデミックの影響により、メインのコンサートホールにアクセスでき、レコーディングも可能になりました。アルバムの一部は MONOM で録音され、またコンサートホールでもレコーディングが行われました。それぞれ音響が全く異なるんです。

—3人が出会ったきっかけについても教えてください。

K:以前、Lucy とはチェロ、コントラバス、シンセサイザーなどを使用した別の作品でコラボレーションした経験があります。Stephen とは出会ったばかりでしたが、ずっと前から一緒に音楽を作りたいと考えていました。Stephen と Lucy は、Gisèle Vienne (ジゼル・ヴィエンヌ) が手掛けた舞台の楽曲で共演していました。なので、お互い既に間接的なコラボレーションは果たしていたことになりますね。私たち3人が一堂にコラボレーションすることに至ったのは、自然な結果だったような気がします。

—すでにあった3人の関係性は、Does Spring Hide Its Joy の楽曲に何らかの影響を与えたと思いますか?

K:2人とは親しい友人でしたし、音楽においても素晴らしいコミュニケーションを本プロジェクトを始める前から築きあげられていました。だからこそ、楽曲は固定されたものではなく、自由な解釈を尊重したオープンな作品になったと思います。昨夜演奏した楽曲は、最初のレコーディングセッションの時と比べると、大きな変化を遂げています。私たちの技術、コミュニケーション、音楽は新たな方向へと進化し、音楽への理解もプロジェクト当初と比べ、大きく変化しました。仮にもし別のチェリストやギタープレイヤーと演奏していたら、昨日披露したような素晴らしい楽曲は生まれていなかったでしょう。このプロジェクトにおける各作品は、2人が持つ独自の感性や即興演奏の特性に合わせて、パーソナライズしたものとなっています。

S:Kaliが話した「自由な解釈」についてですが、英語の「Play」という言葉は、ギターやチェロといった楽器を「演奏」するという意味と「遊び」という意味があり、どのような曲にも「遊び」の領域といわれるようなある種の「余地」が存在すると考えています。音楽におけるコミュニケーションのための「スペース」ともいえるでしょう。Kali が他の楽曲をオルガンで演奏しているところや、彼女の他作品におけるアンサンブルがどのように機能しているかを観察すると、演奏者自身の個性を表現するための「スペース」が多く設けられていることに気づくと思います。私たちの作品は過去の演奏を忠実に再現するようなタイプの音楽ではありません。どちらかといえば、友人と一緒に座りながらお茶をするような感覚で演奏を行います。なので、毎度互いに歩み寄り、「共感」することが求められます。

—「共感」とはどういうことですか?

Lucy Railton (以下、L):私たちのパフォーマンスにおける「共感」とは「演奏すること」と「聴くこと」の両方にあると考えています。ディープリスニングといったような言葉がありますが、その本質は互いへと集中を傾け合うことにあります。なので、私たちの演奏に集中し、耳を傾けてくれるオーディエンスも「共感」のプロセスの一部となり、音響の一部になると考えています。私たちの音の組み合わせは日によって異なり、オーディエンスも日によって異なります。演奏空間における全要素の調子がピッタリと同じになることなんてありえません。ですが、互いに集中し、耳を傾け合うことで私たちは音楽を通して理解し合い、「共感」し、特別な音響空間を作り出すことができると思っています。

—今回のパフォーマンスに訪れたオーディエンスにどのような体験をして欲しいと考えていましたか?

K:オーディエンスも「共感」という行為の一部となることを期待していました。オーディエンスはアーティストの視点や捉え方を感じ取り、それに共鳴することで、自身の精神に何らかの変化を感じ取るでしょう。それこそがアートを体験することの醍醐味だと思います。アーティストの視点を捉え、その感性を理解すること。アートを体験するということは自分以外の視点を通して世界を見るということです。そして、オーディエンスにそれを実践してもらうには、何よりも私たちが率先しては互いにリスナーとしてコミュニケーションを取り合い、「共感」し、繊細である必要があります。音のダイナミクスから音楽表現の細部にまで注意を巡らせ、互いの視点や解釈を理解することに挑戦しなければなりません。3人のうちの誰かが率先してどこかの音楽的領域へと進むのであれば、敏感に気づき、私たちはその後を追います。そして、オーディエンスも私たちの進む方向へと付いてきて欲しいと思っています。音楽を通じて私たちは繋がるのです。私たちの音楽は常に変化し、新しい体験で広がっています。「ドローンミュージック*」と私たちの作品を呼ぶ人もいますが、私たちの音楽は0.1秒単位で変化し続けています。川のように流れていくので、音楽をオーディエンスと共に集中し、追いかけなければならないのです。
*楽器の音について楽曲の中でおなじ音高のまま長く持続される持続音によって構成された楽曲のこと。

S:私は、オーディエンスに単に作品を鑑賞するだけでなく、参加して欲しいと考えています。コンサートは参加型の体験なので、私たちがつくり出す世界へと是非入り込んでもらいたいですね。オーディエンスもその世界に入り込みたいと思っているからこそ、コンサートに来るのではないでしょうか?特に昨夜のような特別な物理的空間では、そうした没入体験を助長します。音楽に加えて、気温や照明、人混み、匂い……。オーディエンスは音楽とその周りの空間的要素を通して十人十色の内的体験と向き合います。私の興味は、それらの体験がオーディエンス間でどれだけ共有されているかにあります。それらの内的体験は十人十色でありながらも、集中、傾聴、喜び、驚きなどの普遍的な体験に還元され、共有されるのです。あくまでも個人的な見解ですが、コンサートや音楽体験とは決して単なる「与え、受け取る」といった体験ではないと思っています。

—教会といった特殊な場所におけるパフォーマンスに対してどのように考えていますか?

K:私は教会に限らず、ギャラリーや倉庫、工業地帯、廃墟など、所謂コンサート会場ではないような場所で、照明や音響などすべての要素を考慮しながら、サイトスペシフィックなパフォーマンスを披露することが好きなんです。音楽を用いて建築に違った用途や視点をもたらすことで、空間とのコラボレーションを実現できると思っています。

L:私は特に今回のプロジェクトにおいては、Kali が描いた柔軟性のある作品をどのように解釈し、空間、音響、オーディエンスのことを考慮しながら、どれだけダイナミックかつエネルギッシュに表現するかを意識していました。音響と物理的空間は演奏に影響するとても重要な要素なんです。教会という場所は落ち着いた雰囲気を持っており、そこが礼拝の場ではなく、演奏会場となった場合にも、私たちやオーディエンスの感覚に影響を及ぼしているように思えます。それぞれの会場には特有の個性やエネルギーが存在し、演奏に作用すると思います。

S:教会で演奏するのは今回が初めてだっけ?

L:いえ、パリでも演奏しています。今回の作品を教会で演奏するのは2回目です。これまではほとんどコンサートホールで演奏してきましたが、教会との相性も非常に良いと思います。

S:パリの教会は独特でしたね。カトリック教会だったので、装飾がすごく多くて、綺麗でした。

K:淀橋教会はとてもミニマルで素敵でした。

—日本とはこれまでも交流がありましたか?

S:幸運なことに、この過去16年間で私は何度も日本に来る機会がありました。今回の来日は2016年ぶりだったので、昔の友達に再会したり、Kali と一緒に東京に行く前に京都でのんびり過ごしたり、今まで行ったことのない場所に足を運べたりできてよかったです。私は京都が大好きで、九条山にも何度も訪れたことがあります。京都に行けたことは本当に特別な経験でした。

K:京都では、Stephen も私も仲のいい、秋葉玄吾老師と会いました。色々素敵なものを紹介いただき、その中でも備前焼に魅了され、ハマってしまいました(笑)。あとは、金剛能楽堂で能を観ました。伝統文化に触れられたのは、非常に刺激的でしたね。枯山水庭園にも行きました。いくつかのお寺を巡りましたが、日本建築の「自然を縁取る」方法に感銘を受けました。

S:以前訪れた際に「ああ、ここはひとりでも30分以上座っていられる場所だ」と感じられた京都の枯山水やお寺は、今でこそ観光客で溢れていますが、依然パワフルでした。他にも、空想的な体験ができる場所が京都にはたくさんありますよね。

Stephen O’Malley

—能楽堂について話が出ましたが、何かインスピレーションはありましたか?何を感じましたか?

K:自宅に能楽のレコードコレクションがあって、能には以前から興味を持っていました。パンデミックの間、よく聴いていたので、観劇するのをすごく楽しみにしていました。いざ能楽堂に入り、能を鑑賞すると時間の感覚が独特だという印象を受けました。すべてがひきのばされていて、時間がゆっくりと流れていましたた。影のように沈黙し、その空気をじっくり味わえるような空間でしたね。それに、笛やアンサンブルの前に披露される謡(うたい)には衝撃を受けました。能楽師の方々もそれぞれが自分の特色を持っていて、とても大胆でした。あとは、パーカッションも非常に素晴らしかったですね。足し算と引き算が繰り返され、ひとつ、ふたつと要素が増えていくうちに、野性的な部分が露わになっていったように感じました。鑑賞中に、Khanate (カーネイト) という Stephen のバンドのパーカッションのことを思い出したりもしました。どの能でも同じ半音階のメロディを通して物語が語られるという特徴もすごく面白いなと個人的には思います。そのメロディに込められた感情もパワフルで、友人たちにその感情やメッセージについてたくさん質問をしました。メロディには感情や物語が込められるものが多く、「これは悲しい曲」「これは幸せな曲」と表現できたりしますが、能はとても複雑で、言語化が難しい。能は強烈な身体的体験で、観劇すると別世界に入り込み、ある種の”ずれ” を感じさせます。元々能は宗教的儀式であったと聞きましたが、今ではエンターテイメントとして披露されていますよね。能を観劇した経験は、私の糧となり、今後の自分の視点にも影響を与えると思います。

S:私は今までに何度か能を見たことがありますが、随分まえに訪れた金剛能楽堂での演目が一番印象に残っていますね。少し記憶が曖昧ですが、開場し、幕が開くと、すぐに眠ってしまいました。5分、10分後に目を覚ましたら、雰囲気が全く変わっていた。金剛能楽堂に流れている時間は、変幻自在です。ただ舞台が設置されている空間というだけなのに、一時的にですが「記憶する」という行為に対する感覚が普段とは違うように感じました。チケットの入手自体も難しいですし、安いわけでもない。その場にいられること自体が、名誉なことでしたね。

L: 私は2014年にロンドンで開催されたある音楽フェスティバルに関わっていて、日本からアーティストのPain Jerk (ペイン・ジャーク) や、能楽師の方々たちをフェスに招聘しました。日本に来る前の出来事でしたが、私にとっては日本文化への不思議な導入となりました。

Lucy Railton

—今後、Does Spring Has Its Joy として、そして個人としてどのようなことを考えていますか?

K::昨年は、音楽をリリースする前にも、多くのライブを行いましたし、このプロジェクトでもツアーをたくさんしました。一旦、予定されているツアーは今回で終わりですが、今後もこのプロジェクトは続きます。なので、淀橋教会のような素晴らしい会場での演奏機会があれば、いつでも日本に戻ってきたいです。

S:ツアーではないのですが、オランダで開催される音楽フェスティバル「Le Guess Who? (ル・ゲス・フー?)」にて、Does Spring Hide Its Joy としてのライブが控えています。とても素敵なフェスティバルですよ。

K:あと、ヴェネチア・ビエンナーレからオファーが来て、パフォーマンスすることにもなっています。そのために3人で演奏する新しい作品を現在制作しています。パイプオルガン、アコースティックギター、ボウイング奏法のギター、チェロを使った楽曲で、今年の10月末にヴェネチアで演奏予定です。

—すごく楽しみですね。10月までの期限というのは、制作期間としては十分なものですか?

K:そうですね。作曲は速い方なのですが、とても集中しなければならないので、いつでもできるわけではないですけどね。アイデアが浮かんだ瞬間、すぐにそれを紙に書き留めるようにはしています。ずっと頭の中に音楽があるんです。楽譜に起こすのは、指示や方向性だけ。ときにはとてもマニアックなプロセスを経て、曲が出来上がったりもします。オルガンの場合、会場によってオルガンが異なるため、調整作業のためにそれなりの時間を確保する必要があります。そのため、ヴェネツィアでの演奏の前には10日間ほど滞在し、準備をする予定です。この期間に、楽器編成のバランスを調整し、空間と音響を想像しながら準備します。

—まさに、先にも話に出ていた空間とのコラボレーションですね。通常は10日も調律に時間を使わないですよね?

K:はい。いつもは本番当日の4時間くらいしかありません。でも、そういう時に演奏するのは、自分が作曲した作品で、それを各オルガン用に調整し直すだけなので、4時間くらいで終わります。ただ、今回は新しい作品をつくるので、話が違います。

S:単に新曲を制作すると言っても、ヴェネツィアでやらなければならない。しかも10日間で(笑)。

—会場のオルガンの調整で一番苦労することは何ですか?

K:私の作品は4部構成のハーモニーが多く、低音と高音の音色や音圧を調和させる必要があります。そのため、ひとつの音のパートが他の音域を圧倒しないよう、ハーモニーをクリアに表現できるよう調整することを心がけています。また、オルガンの多彩な音色が生み出すコードのリズムや鼓動を見つける作業も行います。ジャカードや織物のように音の素材感を大切にし、毎回音楽を創り上げていかなければいけないと思っています。どの音をどのように組み合わせて表現するかを考える作業も、とても重要です。オルガンを演奏する際には、必ず譜面を持参しますが、毎回異なるオルガンから音を選ぶので、コンサートごとに音はまったく異なります。さらに、部屋の音響によっても、曲のテンポを調整しなければなりません。例えば、ある場所で48bpmで演奏した曲でも、別の場所では46bpmとテンポを緩めて演奏することが適する場合だってあります。音楽が残響の中で渦を巻くので、その微細なテンポの違いがパフォーマンスに大きな影響を与えるんです。そのため、アーティキュレーション(奏法)やタイミングが非常に重要になってきます。演奏に対する正しい勢いとエネルギーが肝心なんです。

—とても論理的ですね。作品作りや演奏の際に数学を使ったりもしますか?

K:作曲の時はたくさん使いますね。私たちが演奏している楽曲のチューニングシステムには、多くの数学が用いられています。「ジャスト・イントネーション」と呼ばれるものです。音程を計算するために、数学的な比率を使っているんです。ただ、科学や数学をアートに応用したからといって、必ずしも精神性や感情を欠くわけではないと考えています。誤解されがちですが、私は科学がいかに個人の感情に作用するかについて非常に興味があります。私は魔法ではなく、科学こそが私たちの生活を形作っていると考えています。

L:私もチューナーのアプリを使いながら、自分が今どの音を弾いているのかを正確に確認したりしています。正確な音と、特定の周波数の組み合わせがコードの振動を生み出し、その振動こそが私たちが「感じている」ものだと思います。その背後には正確な数値が存在し、物理学や調和級数が存在します。この話は最先端の科学の話というわけではなく、長い歴史に裏付けられています。

K:このチューニングシステムは、ピタゴラスの定理、調和級数、そして数値の比率に基づいています。私たちはただ適当に音を選んでいるわけではありません。特にジャズなどの例外を除けば、昨夜の演奏のように高度で正確な音程は、普通の西洋音楽ではあまり一般的ではありません。もっと昔の音楽にもルーツがあり、ヒンドゥスターニー音楽音楽(北インド古典音楽)などにも深いつながりがあるのです。

——音楽は科学同様、世界的に共通する法則の上に成り立つと思いますか?

K:建築の場合であれば比率や光の美しさなど、異なる文化だとしても共通する要素が多く存在します。音楽にもこのような文化間を超え、同じような感情を呼び起こす法則は存在しますが、ハーモニーにおいては文化によってその法則は大きく異なります。その土地が持つ文化的特性がハーモニーやメロディに影響を与えるということです。だからこそ、私は能に興味があります。友人が教えてくれた能の中で表現されている感情を音や演技から理解することは、私にとっては難しいことですが、日本人にはわかりやすく、普遍的に共感できる感情なのかもしれません。