空音央監督が、誰もが逃れられない“政治”を背景に描いた友情の行く先。
Sora neo
photography: Peso
interview & text: Rio Hirai
空音央監督の長編劇映画デビュー作『HAPPYEND』が公開された。これまでアイヌ民族を撮ったドキュメンタリー「Ainu Neno An Ainu」や、志賀直哉の短編小説をベースにした監督短編作品「The Chicken」、坂本龍一さんのドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto-Opus』などを世の中に送り出してきた。『HAPPYEND』の舞台は、近未来の日本の都市。学校には監視カメラが設置され、規則から逸脱した生徒には罰則が与えられる。鬱屈した状況に反抗するものや、諦めようとするもの。移ろいゆく友情に通底している不穏な社会情勢は、間違いなく今私たちが生きている日常の延長線にある。パレスチナの伝統的なスカーフ「ケフィエ」を身につけて登場した空音央監督が、映画を通して伝えたかった本当のこととは。
空音央監督が、誰もが逃れられない“政治”を背景に描いた友情の行く先。
Portraits
ーいつから、映画がお好きなのでしょうか。
自分の生活には常に映画がありました。幼い頃からたくさんの作品を見てきましたし、映画館に忍び込んでみたり、高校時代に遊びで友達と映画を撮ってみたこともあった。僕は趣味がたくさんあって、絵を描くのも好きで、音楽もちょっとだけやりましたし、写真を撮ったりもしたのですが、そのどれも特別上手ではなかった。そうして大学に進学して映画の授業を受けて、すでに自分の中に、これまで見てきただけの映画言語が蓄積しているのに気がつきました。映画が体に合っているのを感じて、それからは映画がより好きになりました。
ーどんな作品を好んで見ていたのですか。
一番初めに強く惹かれた作品はヴェルナー・ヘルツォークの『アギーレ/神の怒り』です。その後、好きになったエドワード・ヤン監督が映画を作るようになったきっかけも『アギーレ/神の怒り』だったと知ってなんだか親近感を覚えました。それ以外にも、ツァイ・ミンリャン、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーといった好きな監督たちの作品に出会いました。
ー今回は、満を持しての長編監督作品となりましたね。
短編と違って、長編は本当に長距離走のよう。この物語の構想を思いついたときに必然的に長編になると思ったのですが、なかなか資金も集まらないしそう簡単には制作できないんですよ。ラボに企画書を持っていっても受け入れてもらえない期間が4年ほど続きました。それでも根気良く提出し続けて、やっと制作に漕ぎ着けたんです。列車が動き出すまでは何も起きないけれど、動き出したら案外乗ってくれる人がいるものですね。
ーこれまで日本とアメリカを行き来してきた空さんが、初めての長編作品の舞台に日本を選んだのはどうしてだったのでしょう。
日本に舞台を設定したのは、僕自身が2011年に起きた東日本大震災をきっかけに政治に目を向けるようになったから。目覚めたきっかけは日本の震災でしたが、当時はアメリカの大学に通っていたので、政治に対する眼差しやフレームの捉え方は英語で学んでいました。大学で知り得た植民地主義や新自由主義への批判を、日本で起きていることに照らし合わせて考えていたんです。それまではあまり政治には自覚的ではなかったので、大学に進学して改めて、自分が日本の歴史や政治についてよく知らないことに気がつきました。
それから日本で起きたことを調べ始めて、1923年の関東大震災によって起きた朝鮮人虐殺について知りました。「朝鮮人が暴動を起こす」という根も葉もない流言がきっかけで、民衆の自警団や警察によって罪のない人々が虐殺された事件に「どうしてそんなことが起きてしまったのだろう」と衝撃を受け、自分自身も日本人である以上は何がそうさせたか知るべきだと思った。1923年には戒厳令の一部が適用され、朝鮮人に対する差別意識が噴出した結果、凄惨な虐殺事件が起きてしまいました。2024年の今も、政府は緊急事態条項を発行して緊急時に権限を集中させる仕組みが整えられ、社会の一部ではヘイトスピーチが蔓延していますよね。川口市ではクルド人差別が横行して、自警団を名乗る集団まで登場している。1923年に起きたことと今の状況が重なって、これからまた大きな地震が起きたら似たようなことが起こってしまうんじゃないかと危機感を抱いています。この映画は、問題を抱えている今の社会が、近い未来にどうなっていくのかという思考実験でもあるんです。
ー空さん自身は、政治に目を向けるまではどういう意識でいたのでしょうか。
「友達と楽しく過ごせれば良いや」という感じでしたね。アメリカでアジア人として生きていると、日々のコミュニケーションでマイクロアグレッション(無意識の偏見や差別によって、悪意なく誰かを傷つけること)を受けた経験はあったけれど、自分に起きていることと政治を結びつけられてはいなかった。でも大学に入って政治性が芽生えてからは、自分が小学五年生のときに起きた「アメリカ同時多発テロ事件」を振り返ってみて、「あのときアラブ系の友人は何を感じていたんだろう」「大丈夫だったのかな」と考えたりしました。政治は生活の中に否応なく入ってくるもので、それなくしては生活はできない。意識的でなくても、誰しもが政治的な問題や構造に触れているんです。
ー劇中でも、同じ高校に通いながら積極的にデモに参加する生徒から、問題を直視しようとしない生徒まで、政治に対しての姿勢が異なる複数のキャラクターが描かれています。誰のことも断罪しない視線に、リアリティを感じました。高校生を軸に物語を描くことにしたのはどうしてですか。
僕がこの映画を通して描きたかったのは、コウの政治性の芽生えによってユウタとの友情が終わってしまう辛さや切なさです。自分の政治性を正当化して主張したいわけではないんですよ。友情の崩壊がいかに大きなものかを描くために、政治的な背景が必要だった。登場するキャラクターをシンボルとしてではなく、一人一人の生身の人間として描こうとすると、全ての人の行動や思考にはそれが生まれる理由があるから誰のことも断罪できないです。例えば登場人物のひとりであるユウタは、政治的な自覚はないけれど、実はめちゃくちゃアナーキストなんですよね。冗談混じりだけど、権力に対して抗っているみたいなところがある。現実でも、政治心情的に自覚的に行動している人たちだけがこの社会を構成しているわけじゃないですよね。行動していなかったり諦めてしまっている人たちを含めて、みんな政治的な存在であるとも言える。だから切っちゃいけない。切ったらどんどん負けていく。いかに広げていくかが肝だと思っています。
ーユウタは言語化できなくとも確かにそこにある不満を、音楽を通して発散しようとしているように見受けられました。空さん自身は、社会に対しての不満や怒りに音楽や映画といった芸術はどのように作用すると思いますか。
音楽と映画は、分けて考えた方が良いかも知れませんね。音楽について言えば、例えばテクノはデトロイトのアフリカ系アメリカ人が自分たちを表現するために生まれたジャンルです。ジャズのソロパートも、抑圧されて声を発することができなかった人たちに与えられた叫ぶ機会と捉えられる。映画は、人々の意識に変革をもたらす意図を持った作品もたくさんあって、実際に権力側にも権力に抗う側にとってもプロパガンダとして利用されてきました。僕自身、作品を通して世界の捉え方が変わった経験もあるけれど、直接社会を良くするかと言われると実はその効果にはあまり期待していないんですよ。僕にとって映画を撮ることは、自分のために日記や詩を書くようなもの。それが結果的に社会を良くする方向に作用したら本当に嬉しいけれど、それが一番の目的ではないんです。
ー作品を通して社会に変化が起きることを期待していらっしゃるのかと思っていました。確かに高校時代は、基本的に生活リズムもみんな一緒だからこそ、心境の変化が関係性を大きく左右するのかもしれませんね。空さん自身も、友情に亀裂が入る経験をしてきたのでしょうか。
僕自身は大学時代に、実際に政治心情や思想の違いで友情が決裂してしまう経験をしました。「お前にはわからない」とつっぱねたり、「一緒に戦ってほしかったのに」と期待を裏切られた気持ちになったり、すごく仲が良かった相手でも距離を置いたり置かれたり、一方的に切ったり切られたり……。どちらも経験したことがあるから、どちらの痛みも良く知っている。自分にとって基盤のようだった大切な友情を失ったときには、世界が崩れるような感覚でした。僕にとっては、とても大きな出来事だったんですよ。映画を撮ることにしたのは、そのときの辛い気持ちを記憶しておきたいという欲求もあったのかもしれない。
ー空さんはご自身のSNSでもガザで起きている虐殺に反対の姿勢を示したり、デモの告知をしたり、積極的にアクティビズムについて発信していらっしゃいますね。私自身もデモに参加したり周囲には積極的に活動している人もいるのですが、そこから一歩外に出た先には色々な考えの人がいるのも実感しています。政治的な心情に無自覚な人々がこの作品を見た時に、どれだけのリアリティを感じるのか気になりました。
それは気になりますね。映画はどんなものでもそうだと思いますが、物語を構成するキャラクターやそれらが発するセリフは、結局作品を作っている人の体から出てくるものです。僕自身に蓄積している色々なものが作り上げている世界なわけで、それらの経験が近い人が見れば親和性を感じるだろうし、全く異なる経験をしてきた人が見た時に何を感じるのか、知りたいです。でも、自分と意見の違う人に見せてその人たちを「変えてやろう」「目覚めさせよう」という気持ちは全くないですし、そんなことは多分起こらないと思います。
撮影に入るときに、この映画の核について考えたんです。映画を見終わったあとに、しばらく話していない友達と話たくなるようなものにしたいと思った。誰かのことを思い出して、「あいつとちゃんと話し合ってみようかな」という気持ちになってもらえたらいいですね。