音は対話だ。アルヴァ・ノトが探る響きのネットワーク
alva noto
photography: asuka ito
interview & text: saki yamada
世界のエレクトロニック・ミュージック、現代のアートシーンをリードする2人のアーティスト、池田亮司と Carsten Nicolai (カールステン・ニコライ) によるユニット、cyclo. の渋谷公演当日。即完売となったショーの前に、Nicolai に話を聞くことができた。
静謐で精密な電子音が空間を満たす。Alva Noto (アルヴァ・ノト) 名義でも知られる彼は、音と視覚の関係を探求し続けるアーティストだ。数学的な構造を持つビート、無機質でありながら有機的な響き…… そのサウンドは、音楽という枠を超え、アートや建築、さらには人と人のつながりとも共鳴する。 長年にわたり池田亮司との共同制作を続け、坂本龍一とも20年以上にわたる交流を築いてきた彼は、創作において「対話」や「関係性」を重視する。音はひとつの個として生まれ、やがて響き合い、ネットワークを形成する。彼の思考は、まさにそのプロセスを体現しているようだ。
彼の創作の原点から、音を視覚化する手法、そしてコラボレーションが生む新たな可能性について探ってみる。
音は対話だ。アルヴァ・ノトが探る響きのネットワーク
Music
—今日 (2月27日) は池田亮司さんとのユニット、cyclo. のショー当日ですね。Alva Noto としてのソロセットと、cyclo. のパフォーマンスにはどんな違いがありますか? また、池田さんとはどのようにライブを作り上げているのでしょうか?
私たちのコラボは、特定のテーマを扱ったプロジェクトで、もう20年以上続いています。一種の研究のようなもので、視覚と音響を組み合わせた音の探求をしています。具体的には、音を周波数、音量、位相の観点から分析し、それを基に作曲しています。位相というのは、左右のチャンネルのズレのことです。これによって、音が複雑な図形を生み出すんです。私たちは単に音楽を作るのではなく、音を使ってビジュアルを作曲しています。音とビジュアルが一対一で変換されるようなイメージです。ただ、これは映像作品ではなく、リアルタイムで演奏する音をその場で解析するものなんです。
—ライブセットでは、どんな機材を使っていますか?
プロジェクトごとに異なりますが、今日はかなりデジタルなセットです。主にソフトウェア音源を使っていて、ハードウェアのシンセサイザーではなく、コンピューターを使っています。ただ、セットによっては iPad や他のシンセサイザーを取り入れることもあります。本当にその時々で変わります。
—あなたの音のインスピレーションはどこから来るのでしょうか?
作曲を始めるとき、まずは研究に一番時間をかけます。いつも新しい領域を探していて、例えば先週はスペクトログラフィー (スペクトル分析) について深く調べていました。これは通常の作曲とは違うアプローチで、私はそこからパターンを作り出そうとしているんです。「ペダル」と呼べるようなものですね。ペダルとは、繰り返される構造や布のパターン、テクスチャのようなものです。至るところに存在していて、私はそれを音に変換できる面白いパターンとして探しています。つまり、音を「描く」ような感覚です。まず絵を描き、それが音になるんです。
—音楽はどこで、いつから学び始めたのですか?
エレクトロニック・ミュージックを始めたのは90年代半ば、あるいは初めの頃ですが、当時は音楽そのものというより「音」に興味がありました。特に周波数に関心があったんです。音楽というと、一般的には音階や音符を思い浮かべますよね。でも、それは音の世界のごく一部にすぎません。たとえば、電磁波を考えてみてください。電磁波には無数の周波数帯域があり、私たちが聞こえるものもあれば、まったく知覚できないものもあります。実際、私たちが感じ取れる電磁波は二つしかありません。「音」と「光」です。もし周波数のスケールがあったとしたら、私たちが聞こえる範囲はごくわずかです。ほとんどの周波数は認識すらできません。だからこそ、私は音楽という枠を超えて、周波数そのものに関心を持つようになったんです。
—聞こえる範囲に限定されるものではない、ということですね?
そうです。
—多くのミュージシャンは、感情的な要素を音楽に取り入れていますよね。あなたのサウンドアートは、いつも技術的なアプローチなのでしょうか?
必ずしもそうではありません。私の出発点はいつも技術的なものが多いですが、作曲を進めていくうちに最終的にはすごく感情的なものになります。でも、それが他の人にとっても感情的に響くかは分からないです。もしかしたら、技術的に聞こえるかもしれません。
—ミニマリズムの美学について、特にあなたの作品における考えを聞きたいです。
私は「ミニマリズム」という言葉にこだわりすぎるのは好きじゃないんです。何かを「ミニマリズム」として分類すること自体にあまり興味がなくて…。でも、なぜミニマルな表現を使うのかというと、少ない要素のほうが集中しやすいからなんです。要素が多すぎると、一つひとつに意識を向けるのが難しくなってしまう。なので、できるだけ情報を減らして、必要なものだけに焦点を当てるようにしています。私は装飾的な要素があまり好きではないんです。いつも「何が本当に必要か」「何が不要か」を考えて、不要なものを取り除くようにしています。

—音楽以外で今、興味があることは何ですか?
毎年、特定のテーマに集中するようにしているんですが、今年は映像制作にとても興味を持っています。私は映画のスコアを作ったこともあるし、映像も作ることができます。なので、映像制作は私にとってさまざまな要素を統合できるものなんです。また、クラシックな映像制作のプロセスが好きです。映像作りは、コラボレーション的なものだと思います。一人で完全に作業することはなく、必ずチームで作業します。この「チームで働く」という考え方は、現代において非常に重要だと思っています。私は、未来の社会が「個人がそれぞれ単独で戦う」ものになるとは思いません。それよりも、もっとソーシャルなコミュニティが重要になってくると思います。実は8年前から教える仕事もしているんですよ。
—大学で教えているんですか?
そうです。アート系の大学で教授になって、学生たちを指導しています。でも、私は単なるワークショップを開催したり、ソフトウェアの使い方を教えているわけではありません。私はむしろ、コミュニティを作ることを教えています。私自身も含めて、人々が協力し合うことを大事にしているんです。だから、私と生徒の間には上下関係がありません。むしろ、伝統的な学校という概念とは違うものを築こうとしています。
—なぜ、そのようなアプローチ方法で授業を進めているのでしょうか?
ヨーロッパでは今、政治的なダイナミクスがとても強くなっています。2つの極端な勢力があり、それが大きな影響を及ぼしています。アートの分野でも、多くの政治的議論が行われています。そして、今の社会には、たくさんの誤解やミスコミュニケーションが存在していると感じます。その一因として、Instagram、Facebook、X のようなソーシャルネットワークの影響が大きいと考えています。正直、私はこうしたものがあまり好きではありません。というのも、実際の「ソーシャルネットワーク」とは全く異なるものだからです。
私が興味を持っているのは「リアルな社会的ネットワーク」です。デジタル上のネットワークは、本来の意味でのソーシャルではなく、むしろその真逆の存在だと思っています。だからこそ、私は音楽や映画といった、リアルな人間のつながりを生むものに惹かれるのかもしれません。
—デジタルが主流になりつつあるからこそ、人と人が直接関わることの価値が増しているのかもしれませんね。だからこそ、あなたはコラボレーションを重視されているんですね。
音楽は、コラボレーションがとても自然にできるジャンルです。音楽の歴史を振り返ると、常にミュージシャン同士が協力して制作してきていることが分かります。バンドやオーケストラなど、個人ではなく集団で作り上げるものが多いですよね。そして、歴史的に最も興味深い音楽は、異なるバックグラウンドを持つミュージシャン同士が出会い、コラボレーションすることで生まれたものが多いです。だからこそ、私はコラボレーションが好きなんです。コラボレーションがあることで、自分一人ではできない新しいアイデアが生まれる。それが本当の意味でのコラボレーションなんですよね。
—それでは、AI とコラボレーションをする、という発想についてはどのように考えていますか?
最近は多くの人に AI について聞かれます (笑)。まず思うのは、「AI (人工知能)」という言葉自体が誤解を招く表現だということです。実際には、それほど AI は知能的ではないと思っています。知識が豊富であることや、何かを素早く処理できることが「知能」ではないですよね?今、ChatGPT のようなツールを使うと、確かに便利な情報収集はできます。ただ、これは創造的なものではなく、単にデータベースから学習しているだけなんです。正確には「機械学習システム」と呼ぶのが正しいでしょう。
こうした機械学習システムは、人間よりもはるかに多くの情報を処理できます。でも、私が面白いと思うのは「すべてを知ること」ではなく、「取捨選択すること」です。私たちが最も重要なスキルとして持っているのは、情報を選別する能力だと思っています。すべての情報を取り込もうとすると、逆に何が重要なのか分からなくなってしまいますよね。でも、AI はその逆のことをしています。つまり、すべての情報を収集することに集中しているんです。
—音楽と AI の未来について、どのように考えていますか?
将来的に AI は、プログラマーやデザイナーにとっては当たり前のツールになるかもしれません。例えば、「この写真を修正して」「この映画を作って」みたいな使い方が一般的になるでしょう。しかし、AI で作られた音楽については、私はまだ懐疑的です。なぜなら、私にとって音楽で最も重要なのは、その音楽自体ではなく、それを作る人や背景だからです。
最初は AI の生成する音楽が面白く感じるかもしれません。でも、そこに伝統や知識の出どころが見えないと、結局は価値のないものになってしまう。そうなると、大量生産され、大量消費されるだけの消耗品になってしまいます。無料で手に入れて、簡単に捨てられるようなもの。本当の価値がない。だから、結局私たちは「何を選ぶか」を決める必要があるんです。AI は素早く選択をすることができる。でも、人間の選択には、心や直感が関わってきますよね?「自分の心で決めろ」とか、「感覚を信じろ」みたいに言うじゃないですか。しかし、AI はそういう選択をできません。
—これからの時代、クリエイティビティの概念はどのように変化すると思いますか?
今は興味深い時代ですよね。なぜなら、AI の登場によって「クリエイティビティとは何か?」「アートとは何か?」を改めて考えざるを得ないからです。そして、もしかするとこれまで以上にアーティストの価値が高まるかもしれません。例えば、広告やショートクリップのようなものは、AI で大量生産されるようになるでしょう。しかし、その結果、私たちは情報量に溺れることになります。そして、あまりに多くのものが生成されすぎると、それらは最終的に価値を持たなくなる。すべてが同じように見えてしまうからです。
これは、インターネットの歴史とも似ていると思います。かつては「インターネットは自由な場だ」と言われていましたが、今やそうではありません。私たちはインターネットに依存しすぎて、銀行取引も、チケットの購入も、すべてがオンラインなしではできなくなってしまいました。つまり、インターネットは自由を与えるものではなく、新しい形の束縛になってしまった。
SF の歴史を見ても、こういう問題は昔から議論されてきました。Isaac Asimov (アイザック・アシモフ) のような作家が、70年代にすでにロボットについてのマニフェストを書いていました。そこには、「ロボットは人を傷つけてはいけない」というルールがあった。これと同じように、私たちは AI の使い方について、もっと真剣に考えなければならない時期に来ているのかもしれません。
—最近のニュースでは、Google が AI の利用制限を解除したという話もありましたね。
AI が誕生したとき、「何ができて、何ができないのか」という倫理的なルールを設ける必要があると言われていました。しかし、大手企業がこれらのルールを撤廃し始めています。これはまるで、昔の SF 小説のテーマそのものです。例えば、Stanley Kubrick (スタンリー・キューブリック) 監督の『2001年宇宙の旅』もそうでしたよね。この映画では、人間が AI (HAL 9000) に制御されるという問題が描かれています。つまり、私たちは今、SF の中の出来事を現実として直面しているのかもしれません。
この技術はワクワクするものですが、同時に非常に危険でもあります。現代では、AI やソフトウェアを使えば、簡単に「何かを作る」ことができます。しかし、これはテクノロジーが登場するたびに言われることでもありますよね。結局のところ、創造性そのものが失われることはない。むしろ、今こそ個々の創造性がより重要になるのではないでしょうか。
—現在、行われている坂本龍一展には、すでに足を運びましたか?
はい、先日行きました。
—あなたの作品も2つ展示されていましたね。あの映像作品は、いつ制作したのでしょうか?
実は、彼が亡くなった後に映像を作りました。彼が病気だったとき、私たちは病気そのものについては話さず、常に未来のことを語り合っていました。「次はこれをやろう」「あれをやりたい」と、亡くなる直前の週まで新しいアイデアについて話していたんです。その中の一つが、今回の映像でした。彼が亡くなったあと、私はそのアイデアを形にしました。もちろん、彼の死はとても悲しい出来事でした。でも、彼の精神は今も生きていると感じています。肉体は消えても、魂は残ります。
—坂本さんとの思い出の中で、特に印象的な出来事はありますか?
彼はいつも真面目な印象を持たれがちですが、実はすごくユーモアのある人でした。特に旅をしているときには、色々な国で面白い出来事がありましたよ。私たちは20年以上一緒に世界中を旅しました。南米、オーストラリア、ヨーロッパ、アジア……。
旅の中では、音楽を作る時間は実はほんの一部で、ほとんどは日常の出来事を共有していました。ホテルのチェックイン、移動、食事、ちょっとしたハプニング。そんな些細なことが、一番印象に残っています。そして、一緒に笑うことも大切でした。結局、私たちは「仕事」として音楽を作っていたのではなく、「生きることの一部」としてやっていたのだと思います。
—旅の中で生まれた何気ない時間こそが、大切な思い出になるんですね。そうした日常の積み重ねが、音楽や創作にも影響を与えているのでしょうか?
アーティストとしての最大の特権は、「仕事をしている」という感覚がないことかもしれません。むしろ、それは「生きること」そのもの。しかし、年を重ねると「独立性」がどれほど重要かをより強く実感します。若い頃は契約について深く考えずにサインしてしまうこともありますが、経験を積むと「これはやめておこう」「権利を手放さないほうがいい」と慎重になります。音楽業界は厳しいですからね。
龍一と共に20年以上旅をしてきた経験は、単なる仕事を超えたものでした。彼の存在は、家族のようなものだったのかもしれません。