Lee Shulman & Omar Victor Diop
Lee Shulman & Omar Victor Diop

Lee Shulman & Omar Victor Diop | 時代を超え、記憶をつなぎ、不在の誰かを迎え入れる家族写真

Photography: Chikashi Suzuki

Lee Shulman & Omar Victor Diop

photography: chikashi suzuki
interview & text: tomoko ogawa

Portraits/

持ち主不明のヴィンテージ家族写真を収集し続ける映像作家、Lee Shulman(リー・シュルマン)と、歴史上の人物になりきるセルフポートレートで知られる写真家、Omar Victor Diop(オマール・ヴィクター・ディオップ)。現在開催中のKYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭2025では、二人のコラボレーションシリーズ、The Anonymous Project presents <Being There> Supported by agnès b.が展示されている。

会場の嶋臺(しまだい)ギャラリーに並ぶのは、人種差別が色濃く残っていた1950~60年代、匿名のアメリカ人家族による日常のスナップショットの数々。タイムトラベルのように現代と過去をつなぎながら、不在の空間に、本来存在しなかった一員としてOmarが加わることで、見る者が「当たり前」としてきた記憶の輪郭が揺さぶられる。まるで二人の“家”に招かれたようなアットホームな展示空間のリビングルームから、インタビューは始まった。

Lee Shulman & Omar Victor Diop | 時代を超え、記憶をつなぎ、不在の誰かを迎え入れる家族写真

―<Being There> はどのように始まったのでしょうか?

Lee Shulman(以下、L): 私は、持ち主不明の1950-60年代のアメリカの家族写真の膨大なコレクションを持っています。幸せそうなイメージに明らかに欠けているのは、人種隔離の時代でもあったという側面です。アフリカ系アメリカ人の家族写真も持ってはいるのですが、当時は、白人とアフリカ系アメリカ人が一緒にいることは、ほとんど違法とされていた。私はそのことがずっと気になっていました。家族写真を見ると、大体どこかに空白の空間があるんですね。写真を撮った人が立ち上がっていて空いた椅子などが。Omarとは以前から親しかったので、あるとき、そのスペースを見て、「これってOmarがいるべきだった場所じゃないか」と思った。そこでこのプロジェクトのアイデアが生まれたんです。

Omar(以下、O): セネガルのダカール出身の私にも、家族の思い出を詰め込んだ大量の写真のコレクションがあります。アフリカの家に招かれると、最初に1杯の水が出され、次に家族アルバムが渡されます。アルバムは、家族にとっての名刺のようなものでもあるんです。

―Leeさんは、2017年から「The Anonymous Project」としてヴィンテージのファウンドフォトを収集されていますが、コレクションを始めたきっかけと、その過程で発見したことはありますか? 

L: 私は東ヨーロッパにルーツがあり、過去に多くの家族を失っています。だからこそ、“家族”という存在が私にとってはとても特別なんです。そして、幼い頃、両親がプロジェクターで壁に映像を映し出し、友人たちとシェアしていたことを思い出し、そのアイディアがとても好きだったので、家族写真を収集し始めた。その過程で気づいたのは、人々はとても似ているということでした。同じ価値観を持っていて、感情的で感動的な瞬間を共有している。世界中で作品を展示していますが、誰もが私たちが見る瞬間に共感してくれました。つまり、「The Anonymous Project」は普遍的なプロジェクトであり、みんなのもので、私にとっては集合的な記憶のようなものなんです。世界が分断されている今日、こう考えることは難しいかもしれませんが、みんなが一つの大きな家族であるということに気づいてほしい。そう心から思います。

―Omarさんは、Leeさんとのコラボレーション・プロジェクトのどの部分に最も惹かれたのでしょう?

O: Leeの家族写真のコレクションを見せてもらい、プロジェクトに誘われたときはとても嬉しかった。なぜなら、家族写真は普遍的なものだし、そこには一つの社会全体を映し出す力があると感じるからです。特に、1950年代のアメリカでは、白人男性に多くの機会が与えられていた一方で、白人以外の人々や女性には同等のチャンスは与えられていませんでした。だからこそ、私がその写真の中に“存在する”ことで、世界における不平等や、機会の不均衡を照らし出せるのではないかと考えました。

また、このプロジェクトは、自分とは異なる見た目や背景を持つ他者に居場所を与えることの大切さにも気づかせてくれます。写真を見て笑いながら、同時に自分の人生を振り返ったり、自分とは似ていない誰かのために席を空けることができるかを考えるきっかけになればと思います。というのも、ほとんどのみなさんは家族写真を持っていて、特別な大切な瞬間を記録したいと願っていますよね。だからこそ、今自分たちが歓迎されているように、他者を迎え入れることができているか――そんな問いを投げかけたかったのです。

L: 私はOmarの作品の大ファンだったので、このプロジェクトは彼以外に考えられませんでした。断られたらどうしようと、眠れない夜を過ごしましたが(笑)、少し考えた後、彼が「やるよ」と言ってくれたんです。私たちは一緒に仕事をし、映像と写真が合わさったような本当に新しい作品を作ったと感じています。私たちは共通するビジョンを多く持っていて、それについて話し合いをし、プロジェクトは常に進化しています。

O: Leeとの仕事は本当に楽しかったですし、何よりお互いが好きなことをして楽しむ機会だったなと。なぜって、私たちはプロの写真であれ家族写真であれ、写真というものを心から愛していて、情熱を共有していますから。

―Leeさんは映像作家で、Omarはセルフポートレートとして出演もしています。とても映画的な作品であると感じましたが、お二人の役割分担とは?

O: 元の写真の空のスペースを見て、「ここに私を置いてみたらどうかな?  どんな表情ができるだろう?」とブレストしながら、一緒にストーリーボードをつくっていきました。

L: 本当に私たちの二つの世界が合わさったという感覚で、常に一緒に撮影して、共に画像を見ていました。本当に映画のセットで撮影しているように感じたのは、Omarの決断がすべて素晴らしかったからです。彼の作品を見ればいい俳優であることは一目瞭然ですが、ここまで素晴らしい演技をするとは知りませんでした(笑)。というのも、彼は写真の中に入り込んで、考えた動きや表情を提案してくれる。なので、最初にシャッターを切ったときから、もういい写真なんですよ。それが何度も起きる。

―Omarさんはセルフポートレイト作品で知られていますが、今回のプロジェクトの制作はいつもとどんな違いがありました?

O: 人数が多いことです。仕事をするときはいつも一人で、スタジオで鏡を使い、カメラの後ろを行ったり来たりしながら試行錯誤をするのが好きなので。一方で、今回のプロジェクトは大規模なプロダクションで、照明技師、技術者、建築家といったクルーがいました。チームで仕事をすることは私にとっては自然なことではないので(笑)、多くのことを学びました。

L: 二人で一緒にセットに入ったとき、私はフィルムメイカーとして「人が足りない!」と思った一方で、彼は「人が多すぎる!」と考えていたのは面白かったです。通常、映画のプロダクションは、さらに大規模なクルーと映画制作者たちがいますし、私の感覚では、今回はそれに比べるとドキュメンタリー作品程度の小規模なものでした。その違いを知れたのもよかったですね。私はOmarのように働くことを学び、その逆も然りだったのではないかなと。

O:  制作の過程で、仕事の一部を他の誰かに委ねることを学びました。チームワークの経験は、その後のプロジェクトでも役に立っています。

L:  長年一緒に仕事をしてきた素晴らしいチームと映画をつくる行為は、彼らと家族になるようなものなんですよね。長い時間を過ごし、アイデアをさらに高めてくれる家族です。一般的にも、偉大な芸術家や映画監督は多くの人々と協力してきたでしょうしね。それに、このプロジェクトのテーマにチーム全体が心を打たれ、最善を尽くしてくれたことは、とても幸運でした。

―<Being There>のParis Photo、Photo Londonの展示や、作品集の出版を経て、その反響は想像を超えるものでしたか?

O:  ある時点で、そうでしたね。それこそが芸術の美しさだなと。なぜなら、芸術は疑いを通して命を吹き込まれるものだからです。人々は理解してくれるだろうか? 私たちはいつも自分自身にそう問いかけてきました。そして実際、みなさんが理解してくれているのを見て嬉しく思っています。

L:  Paris Photoで初めて展示したときのことを覚えています。緊張した私たちは、ソワソワして落ち着かない状態でした。果たして好いてもらえるか、嫌われるか。このプロジェクトや私たちの関係を理解してもらえるかどうかは未知数でした。もちろん、それは今でもそうですし、それこそが私たちの仕事の美しい部分でもあります。この種のプロジェクトに対する人々の反応がどうなるか、全く想像できませんでした。だからこそ、ポジティブな反応をもらえるのは嬉しいですね。私たち二人にとって、別々の理由で感情的な作品であることも、わかってもらえていることも。

O:  ネガティブなコメントはこれまで一つもありませんでした。

L:  アメリカ人で感情的になっていた人はいましたね。なぜなら、これは明らかに彼らの歴史で、当時のアメリカで育った人々は多くの場合、罪悪感を感じています。そして、また、これが遠い昔のことではないことを覚えておく必要がある。ほんの70年ほど前に起きていたことなので。この作品は、明らかに面白くてコメディの要素もあるけれど、たくさんの悲劇的な側面もあるんです。

O:  両親が異なる人種で、一緒にいることを許されなかった南アフリカの女性のように、アメリカ人ではない人々からのリアクションもありました。当時、彼女は存在してはいけないとされていた。だから、この物語にとても共感してくれたんです。それは私たちにとっても、とても感動的な瞬間でした。もう一つの大きな驚きは、作品集の初版が4週間で完売したことです。すぐに重版しなければいけませんでした。

―それは嬉しい広がりですね。今回、会場となっている嶋臺ギャラリーの展示スペースは、本当にお二人の家に遊びに来ているような居心地のいい空間になっています。セノグラフィーはどのように考えられたのでしょうか?

O:  Leeは多くの展示の経験者なので、基本的に彼のアイデアです。

L:  展示をすることまで考えずにプロジェクトを始めたので、本をつくること以外は想定していませんでした。本が展示になったわけですが、今回のように、まるで家のように展示するのは初めてですし、新しい取り組みです。ただ写真が壁に掛かっているだけの展示には飽き飽きしているので、いつも何らかの工夫を凝らしています。この空間も、親密な家族写真の中にあるものと地続きのように見せたい、というとてもシンプルなアイデアから、デザインしてもらいました。幼い頃の私が体験した、両親が近所の友人たちを招待して家族写真を眺めていた素晴らしい瞬間を再現しています。来た人たちに、ここでくつろいでもらえたら嬉しいですね。

―ちなみに映像作品は今回が初お披露目だそうですが、制作のプロセスは、写真作品と全く同じなのでしょうか?

L: Omarを映像で撮影している点を除いて、同じです。グリーンバックで動くOmarを撮影した映像を、古いフィルムの空白に加えています。一枚の写真よりも複雑で難しい作業になりますが、映画業界で働いている素晴らしい技術者が、彼を合成するアフターエフェクツを担当してくれました。映像のフィルムはとても小さいのですが、それでもOmarのための空いたスペースがあるんです。展示が始まる3週間前に完成したんですが、とても満足しています。

―記録として残る写真と、記憶の関係について、お二人はどのように考えていますか?

O:  写真は、私たちが覚えておくべきことを思い出させてくれる、いいきっかけになりますよね。冒頭でも言いましたが、私たちはこのシリーズを通して、インクルージョンの大切さをちょっとした形で伝えようとしています。もちろん、写真はどれも可愛らしく見えますが、並べて見てみると、2025年の今では当たり前に見えるこれらの光景が、かつては当たり前ではなかったことがわかるのではないかなと。そして、いま私たちがInstagramに投稿している写真も、未来の人たちにとっては「私たちがどんな人間だったか」「どんな時代を生きていたか」を物語るものになるはずです。それが写真の魔法であり、ファッションも写真と同じような音楽を奏でていると思います。

L:  記憶って、本当に興味深いものですよね。結局のところ、私たちが本当に大切にしているのは、記憶だけなんじゃないでしょうか。実際、それこそが唯一存在するものであり、最後に残るものだと感じています。幸運にも、私には18歳の娘と85歳の父がいます。世代間のギャップを実感しながら、日々、記憶について考えさせられます。 このプロジェクトのユニークな点は、3世代の誰もがいつか匿名になるということ。誰もが等しく、ただそこにいるだけの存在になる。このアイデアはどこか切なさもありますが、同時にとても美しいとも感じます。実は一人で成り立つ記憶というのはあまりなく、いつも誰かと共有して形づくられるものです。作品を見たときに、あなたは誰かと一緒に過ごした時間や、一緒にいたときの経験を思い出すかもしれません。このプロジェクトは、まさに記憶についての物語なんです。

―Leeさんは、同じくKYOTOGRAPHIE 2025に参加しているMartin Parrさんのドキュメンタリー『I Am Martin Parr(原題)』(24/日本未公開)も監督されていますね。

L:   彼はいい友人で、恩人です。長い間一緒に仕事をしてきたので。学生の頃の私にとって、彼はヒーローでしたし、信じられないほど物議を醸していたんです。自分も仕事を始めた頃、同じように物議を醸すと思われていました。映像作家でありながら写真を撮っていましたが、イメージをつくることにうんざりしていて。私たちはあまりにも多くのイメージを生み出し過ぎているから、すでにあるものを使いたかったんですね。そんな私を彼は支持してくれて、完全に理解してくれました。そして私たちは一緒に本をつくったんです。

―『Déjà view』ですね。

はい。その作品集もまた物議を醸しました。なぜって、マグナム・フォトで展示したからです。明らかに、私はマグナムのメンバーではありませんから。また、誰がどの写真を撮ったかも明確にしませんでした。私たちはちょっと子どもじみたところがあるし、そもそもイギリス人同士を一緒にすること自体、大惨事になることがわかるはずです(笑)。そして、親しくなった私たちは、いくつもの展示をしました。

その頃、ちょうど誰もがMartinとドキュメンタリーをつくりたがっていましたが、彼は断っていたんです。私は彼に電話して、「Martin、プロデューサーがお金をつぎ込んでくれるから、映画をつくれるよ。もし映画をつくるなら、ロードトリップに行こう。あなたを誘拐して、バンに乗せてイギリス中を回るんだ」と言いました。そうしたら、「ああ」と言ってくれました。ヒーローに会うと、その人たちは同時代の人たちになる。光栄なことに、彼はこの僕らのプロジェクトが大好きで、私に写真を送ってくれますし、私も彼に写真を送ります。そしてMartinは、平凡な生活を、正直に見せてくれます。それが彼のやろうとしている仕事であり、私の関心事でもあります。平凡な人生は美しいですよね。平凡ほど非凡なものはありません。

―Omarさんにとってのヒーローのような存在についてもぜひ聞かせてください。

O: 1940年代のマリの素晴らしいポートレイト写真家Seydou Keïta(セイドゥ・ケイタ)と、Jean-Paul Goude(ジャン=ポール・グード)かな。Paris Photoでの初めての個展で彼に会うことができたのですが、彼が私に言った言葉が忘れられなくて。それは、「あなたが私と同じようなことをしようとしていなくて、本当に嬉しい」というものでした。そして彼は、私がやりたいことを正確に、厳密にやるように励ましてくれました。その言葉をずっと大切にしています。常に心に留めているのは、何かを参考にする必要はないということ。そんなものなくても、私たちは純粋なものを生み出すことができるんです。