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遠藤麻衣子。キャリブレーションが促す、予測不能な創作

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photography & interview: mayumi hosokura
text: sakiko fukuhara

Portraits/

銀座メゾンエルメス ル・フォーラムで開催中の『メタル』展。エルメス財団が発行する書籍『Savoir & Faire 金属』の出版を記念して企画された本展は、3名のアーティストを招き、音楽、映像、造形の側面から金属の属性について考察する意欲的な内容だ。

出展作家のひとり、映画監督の遠藤麻衣子は「金属」をリサーチする中で「水銀」に着目し、マルチスクリーンから成る映像作品《識 (キャリブレーション不能)》を軸としたインスタレーションを展開。予測不能な数々の“HAPPEN”を経て、なんとオープン当日の朝に設営が終了したという本作。今回は、遠藤と交流が深い写真家の細倉真弓を聴き手に招き、映像作品と映画への向き合い方、エネルギーと作品の関係性など、『メタル』展が生まれるまでについて語ってもらった。

遠藤麻衣子。キャリブレーションが促す、予測不能な創作

細倉真弓(以下細倉): 初めて遠藤さんの作品を観たのは、2018年にイメージフォーラムで上映された『KUICHISAN』と『TECHNOLOGY』。遠藤さんにとって、映画と映像の境界線はどこにあるのかなという興味から、私が企画したグループ展『ジギタリス あるいは1人称のカメラ』(2021年/Takuro Someya Contemporary Art)にお誘いしたんです。その時に展示してくれたのが、遠藤さんにとって初めての映像作品『Electric Shop No.1』で、その後2022年にオンライン映画『空』などを発表されましたよね。今回の《識 (キャリブレーション不能)》は4作目となる映像作品になるかと思うのですが、内容についてはどのように固めていったのでしょう?

遠藤麻衣子(以下遠藤): 自分の場合、撮る内容は、展示空間とともに変わると思うんです。今回の場合は、依頼の内容も含め、展示スペースなどの可能性もいくつか提案があったんですよね。自然光が入らない小さな空間だったら、その場所に合わせて考えるし、自然光がふり注ぐ大きな空間だったら、それはそれで考えなくてはならない。今回は「金属(メタル)」という大きなテーマから「水銀」に辿り着き、キュレーターの説田礼子さんに導かれて完成へと進んでいったのが面白かった。自分の作品ではあるけれど、第三者と話すことで話が拡張していくのが醍醐味だったように思います。あと実は、当初のオファーでは「金属」関連の映像作品をキュレーションしてほしいという依頼だったんです。加えて、流す映像作品の中に私の新作があってもいいっていう。だから最初はひたすらリサーチしていたのですが、同時に自分の作品についても考え出すと、マルチタスクができないタイプなので、自分の作品の構想がどんどん大きくなり、こんな作品に仕上がりました。

細倉: なるほど(笑)。ではわりと自然と「金属」が育っていったんですね。

遠藤: でも「金属」って、自分にとってはまったく馴染みがなくて。もともと次の長編作品に向けていろんなリサーチをしている中で「水銀」という素材について考える機会があったんです。そこから「水銀」の存在が頭のどこかにずっとあって、今回のテーマ「金属」と結びついて、自分の中で合点がいった感じです。映像作品も長編映画も、きっとなにかしらの要素がリンクして続いていくものなんですよね。

細倉: 5面のマルチスクリーンの作品には《識 (キャリブレーション不能)》という意味深なタイトルがつけられています。「キャリブレーション(基準値に合わせて、補正・調整する作業の意味)」は、私たち写真家や映像作家にとっては馴染みがある言葉ですよね。

遠藤: 映像作品のタイトルは早い段階で、日本語は《識》、英語は《SPACE》と決めていました。他の作品タイトルにある「CALIBRATION」という言葉も先に設定していて、機械を調整する時に使う言葉ですけど。がしかし、設営に入ったら、自分自身がモニターのキャリブレーション地獄にハマってしまったっていう(笑)。オープン前日の夜に、キュレーターの説田さんから「《識(SPACE)》という作品に辿り着いていないのであれば、タイトルを調整する必要があるのでは」と提案され、直前に《識(キャリブレーション不能)》と名付けるライヴ感で進んでいきました(笑)。

細倉: なんか「キャリブレーション」っていう言葉から“整え”要素も感じたんですよね。個人的には瞑想とかヨガとかも「キャリブレーション」の一種のように感じていて。テクノロジーとスピリチュアルの狭間を行き交うイメージを、遠藤さんの作品からは勝手に感じています。

遠藤: サイバネティック?

細倉: そう、サイバネティックよりも、もう少しスピリチュアル寄りというか。スピリチュアルとテクノロジーが同一線上にあるイメージかな。だからなんかキャリブレーション不能とかけっこうこのやっぱ精神が荒廃している時のうわーみたいな何もできないみたいな。情緒不安定な感じの人みたいな感じがするし。

遠藤: 当日の朝。本当に徹夜で。まさにその「キャリブレーション不能」の絶頂期っていう。

細倉: 今までの作品はわりと一画面で見せていたかと思うのですが、今回は5台のマルチスクリーンに挑戦していますよね。時間軸の扱い方についてなど、特に意識したことはありますか?

遠藤: 映画館とか映画というフィールドで出来ることをやっても意味がないし、新しいことに挑戦したかった。せっかくこの空間を与えられているのにいつも通りだったら、自分が許せないというか(笑)。いちばん最初に、中央の大きなモニターに映る蛇のイメージが浮かんで、それを軸にどの要素をどういれていくかっていう調整をしながら、最終的に5面に落ち着きました。短編映画だったら、短い尺でバシバシ切ってリズミカルに繋げていくと思うんですが、インスタレーションの場合は観客が立ち止まって観るものなので、いつもより余裕をもたせることを意識しましたね。空間を作るイメージで。

手前: 遠藤麻衣子 | 《CALIBRATION N°3》 | 2025年 | 水銀、銅板、金メッキ、MDF、FRP、アクリル、漆、顔料(硫化水銀朱)| 15×14×5cm 映像作品: 遠藤麻衣子 | 『識(キャリブレーション不能)』| 2025年| 映像インスタレーション | サイズ可変 | 写真: 細倉真弓

細倉: 次にインスタレーションの構成について聞けたらと思います。8階のエレベーターを降り右に進むと、《CALIBRATION N° 1》がポツンと吊るされていて、左側には穴の空いた木箱《CALIBRATION N° 2》があり、神社の参道のようにも捉えられました。ここもまた、映像作品と対峙する前に心を整えるというか、スピリチュアル要素の強い展示空間だなと。

遠藤: そうですか(笑)?なんか整えてほしいという気持ちは全然なくて。ただ、映像作品にたどり着くまでに展示スペースがあったので、その空間が作品にもたらす意味、自分がその空間で何をすべきかについて考えた結果、自然とああなったっていう。トライアングルと五円玉が初めに頭に浮かんで、そして穴の空いた木箱、あとは小さいモニターに流した映像作品の《RECEPTION》と揃ってきた感じですね。

Maiko Endo | CALIBRATION N° 1 | 2025 | Triangle, thread, coin | 27×27cmphotography: Mayumi Hosokura

遠藤麻衣子 | 《CALIBRATION N° 1 》| 2025年 | トライアングル、糸、硬貨 | 27×27cm | 写真:細倉真弓

細倉: トライアングルを通り過ぎて、奥の壁の角にある小さいモニターの作品《RECEPTION》はどんな立ち位置の作品なのでしょうか?

遠藤: このギャラリーの8階自体が“○○センター”なのでは?という妄想が自分の中であって(笑)。 そういう場所の受け付けのカウンターって、小窓のようなモニターに企業広告的映像が流れていることってありませんか?そんなイメージです。

細倉: 遠藤さんって、家電量販店のサンプル映像みたいな、オルタナティブな映像が好きな印象がありますよね。そんなことない?

遠藤: 今回発表した作品は『Electric Shop No.1』から繋がっている何かっていう感じはあるかな。あの映像作品があったから、今回のチャレンジがあると思っています。映画だったら、ハイパーリアリティみたいな世界をわざわざ撮る思考にならなかったと思うし。

細倉: 映画館で観る映画と展示空間で観る映像作品って、作る側の思考回路も全く違うと思うんですが、なにか間をつなぐ要素があるのでは?っていう興味は私もずっとあって。遠藤さんが作る映画って、合間に挟み込まれる不可思議なカットがあるんですよね。ストーリーという大きな流れの中で見ると、その瞬間的な映像は流されてしまうのですが、その部分だけを抽出して、過集中させた状態も観てみたいなっていう思いがあったんです。『Electric Shop No.1』もそうだし、今回の《識 (キャリブレーション不能)》でもそれが観られた気がして面白かった。はじめは水銀と蛇に絞ったスタティックな構成を考えていたと聞きましたが、人物を起用して新たに撮影をしたカットを織り交ぜることで、もう一つ遠藤さんのチャレンジが加わったというか。

遠藤: そう、はじめに水銀と蛇の部分を制作していたんですけど。本当に難しくて日々、不自由を感じていて。だから作品がすごく自由になりたかったっていう中で、やっぱり生命力とかそういうもの。もちろんこの蛇とか水銀っていうものの生命力っていうのはすごくあるんだけど、躍動する何かみたいな。というか自分たちが解放されたかったみたいな、もっと自由になんか撮影できたらと。そうなった時にやっぱり人間を入れようかなって思って。なんかその時はそういう感じで入れたんだけど、後から考えればやっぱり金属っていうテーマで、結局やっぱり人類ってことが関わってくるし人間を入れたっていうのはあながち良かったのかもと。あと、他のスペースを提案されていた時には東京都写真美術館で展示した『空』(2022年)のシリーズの発展型のようにわりと小さなスケールで考えていたんですが、最終的にどんどんたくさんの人を巻き込んでいく形になって。今回のプロジェクトを進めながら、Collective Consiousness(集合意識)という言葉が頭の中にあって。さらにいろんな人の力を借りながらインスタレーションを作ってきました。振り返ると、一人きりではなくて、みんなでこの作品を作ったっていうことに意味があったように思います。水銀の力に操られているのか、どうなってこうなったかわからないけど、結局こうなった。

Maiko Endo | Space (Uncalibrated) | 2025 | Video installation | Dimensions variablephotography: Mayumi Hosokura

遠藤麻衣子 |《識(キャリブレーション不能)》 | 2025年 | 映像インスタレーション| サイズ可変|写真: 細倉真弓

遠藤: あとはエネルギーの流れというか。制作と向き合っているときって、自分の人生に起きたことがやっぱりすごく影響してくれるんですよね。今回の制作期間中に、自分の人生に大きく関わる喜ばしいことがあって。大きな扉が開かれて、自分がそこに向かって進んでいけるっていうイメージが漠然とあったからこそ、自分の人生を意図せずとも投影し、エネルギーそのものを注いだような作品が撮れたんだと思います。最後の最後でね。

細倉: それは私もすごく理解できます。実際の人生で起きていることと作品ってシンクロしてしまうものですよね。こっちがいけたら、こっちもいける、逆も然りってね。作品と一体化する感覚というか。

遠藤: そうそう。なんかその時のエネルギーってやっぱその時しかないじゃないですか。行けるんだったら、行くしかない、行くぞー!宇宙まで行ってやるみたいな。そういう「気」を作品に封じ込めたいと思いました。

*作品《識(キャリブレーション不能)》は会期中に更新し、12月10日に《識》となった。