Aquirax Uno
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「ちょっとふて腐れてる女の子の方が面白い」宇野亞喜良が描く女性像は何を表現しているのか

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photography: Rei kuroda

interview & text: Yutaka Tsukada

Portraits/

半世紀以上の長きにわたり、イラストレーター、グラフィックデザイナーとして活躍してきた宇野亞喜良。2024年には、東京オペラシティ アートギャラリーで回顧展が開催されたことも記憶に新しい。展覧会は今現在も全国を巡回中で、多くの人々が宇野氏の世界観に改めて魅了されている。その幻想的な作風は、ファッションとどのように関わっているのか。衣服のシワや素材感へのこだわり、人物の表情などそこには描き手としてのこだわりが込められている。時代劇の挿絵における合羽の描き方、レオナルド・ダ・ヴィンチの素描、映画における俳優の着こなし、コシノジュンコとの交流など、宇野氏は様々なエピソードを語ってくれた。唯一無二の女性像を描いてきたその創作に迫る。

「ちょっとふて腐れてる女の子の方が面白い」宇野亞喜良が描く女性像は何を表現しているのか

— 宇野さんのお仕事には一貫して、幻想性や耽美性があると思います。その根底が変わらないのは、ご自身が表現されたいものと、そういった美学が関わっているからなのでしょうか?

そうですね。ちょっと癖のある、面白いイメージをビジュアライズすることは常に考えています。ただ形態を描くだけなら写真でも構わない。僕らしい癖をどう持ち込むかを直感的に考えた結果が、僕のビジュアルだと思います。

求められているものをそのまま出すのはつまらないから、個性をつけようとか、その時の生活の気分とかが投影されたものを視覚にするようなイメージですね。かつて澁澤龍彦さんが僕のイラストレーションに対して「メタモルフォシス」と言ってくれましたが、人間と動物が合体したような存在を描いていたのも、そういう宇野亞喜良的な癖を持ち込みたいという気分だったんです。

―そういったイマジネーション豊かなイラストレーションを手がけられる一方で、1980年代半ばごろに担当されていた雑誌『ユリイカ』の表紙ではリアリスティックなアプローチも試みられています。

これも場当たりです。ただリアリズムに関して言うと、ちょうどその頃時代小説の挿絵をやるようになっていたんですね。1982年に講談社出版文化賞のさしえ賞をもらって、そのパーティーかなにかで講談社の人に自分から提案したことがきっかけだったと思います。それまでの時代小説にある様式美にはないリアリティを出してみたいと考えていました。だから縞合羽を描く時にも、そのストライプの間隔が着ることによってどうなるのかをずいぶん考えました。肩に向かってすぼまっていくときはどうなるのかといったことですね。

合羽は着てる場面だけではなくて、畑の中で寝るシーンではシーツだったり、毛布のような使われ方もします。そういうときに、ストライプの間隔や向きがたたみ方によって変わってくる。ある意味でそれはファッションへの興味ということかもしれませんが、とにかくそういうことを考えてしまう癖があるんです。

―ご自身のエッセイを集成した著作『薔薇の記憶』で、ミケランジェロ・アントニオーニの『情事』に言及されています。そこではバルコニーに腰かけて歌うジャン・ギャバンのはためく白いシャツの情感について述べられていました。映画をご覧になっていても、俳優の着こなしは気になりますか?

物語的な面白さとは別にそういう細かい所についても考えるタイプですね。今あげてくださった『情事』の他ですと、『ローマの休日』でオードリー・ヘップバーンがグレゴリー・ベックの男物のパジャマを着せられた場面も印象に残っています。手が長くて肩がちょっと落ちてて、みたいな。ヘップバーンの少女のような肉体をむしろ強調する効果があって新鮮でした。

―そういった映画のイメージがイラストレーションに影響してる部分はありますか?

イラストレーションは絵なので、映画のイメージをそのままトレースするのではなく、むしろそれを無視して線を引っ張っていくことのほうが多いですね。

―グラフィックとしての気持ち良さが優先されているということでしょうか。

そういうことだと思います。僕は一時期横線を多用して絵を描いていました。後付けの理由でテレビの走査線をイメージしていると言っていましたが、実はあまり関係がなくて、自分の癖の延長なんですね。僕は左利きだから、線が少し右肩下がりになります。レオナルド・ダ・ヴィンチも左利きだったので、彼のデッサンを見ると同じように右肩下がりになっている。そういうふうに、癖とスタイルが繋がってるのが面白い。

―人物が着る服装は、いつもどのように決められていますか?

ちょっと煩雑な絵を描きたいときは、シンプルなファッションを外したり、シワを沢山入れたりします。それに服の材質についても考えます。木綿だったり、サテンだったり。それによってシワも変わってきますから。そういうことを考えなくてもいいジャケットやシャツ、ブラウスを描けばいいんですが、割とアパレル系の発想をしているかもしれません。

―絵画などを見るときでも同じような目線で見られますか?

ダ・ヴィンチのコスチュームの描き方は面白いですよね。シワはもちろんですけど、《モナリザ》が着ている服の素材とかも気になります。

—新書館の「フォアレディースシリーズ」はベルベットやリボンなど、質感を感じるイラストレーションが多い気がします。これは同シリーズが少女向けだったことも影響しているのでしょうか。

そうですね。挿絵なので登場人物の性格に合わせて服の選択をしていたのかもしれません

―同時代のファッションを参考にすることはあるのでしょうか。

1960年代に流行したイタリアのファッションブランド、EMILIO PUCCI (エミリオ・プッチ)には当時同時代的な影響を受けていたと思います。僕の知ってるモデルがそのファッションショーに出ていたので見に行ったことがあるんですけど、2人のモデルがコートをパッと翻す場面が今も印象に残っています。2人のコートの裏地が左右対称になっていて、ビジュアルとしても見えるようになっていた。イタリア的なデザインで、当時の日本人にとって非日常な感じが EMILIO PUCCI にはありました。

―街や電車の中で、人の服を観察したりはするのでしょうか。

それはしますね。例えば女性を見てると、その日その服を着た理由があると思うんです。その日の予定に合わせて、こういう色でも大丈夫かなとか、そういう日常的な感覚というか。シックにしたいのか、カジュアルにしたいのかというある種演劇的なところが踏まえられています。そういうことに興味があるんです。

―宇野さんの描かれる女性は独特の憂いを帯びたような表情が印象的です。通常、イラストレーションや広告だと笑っている女性が喜ばれる傾向もあると思うのですが、表情に関して意識されていることはありますか?

あんまり考えたことはありませんが、どうですかね。確かに広告の場合はにっこりしている女性が多いと思います。でも例えば『少女の友』とか、中原淳一さんがやっていたひまわり社の出版物だと笑ってる女性はあまり見かけない。僕の好みとしては、ちょっとふて腐れてる女の子の方が面白かったり、何を考えてるのかわからなかったりする方が良いんですね。男を誘惑するような笑顔ではなく。

―1950年代のお仕事、子供雑誌のものやカルピスでのお仕事は笑みを浮かべている動物や女性も描いています。それが1960年に日本デザインセンターに入社され、グラフィックデザイナーとしての意識が高まっていくと同時に、笑顔が描かれなくなります。なにか意識が変わったのでしょうか。

とくにそういう意識はありませんでした。例えば挿絵の仕事で、具体的に笑った描写が入っていれば笑顔も描くんでしょうが、そもそも女性が男性に抱かれてにっこりしているみたいなシチュエーションは好きではありません。能面にしても笑ってる面はあまりないと思います。人間を抽象的に、美的にすると「笑い」から遠ざかっていくのではないでしょうか。

―絵本の仕事も60年代以降は児童向けの愛らしい作風から転換されています。とりわけ1966年の『あのこ』は児童文学作家・今江祥智との初のコラボレーションで、幻想的な作品です。今江さんは宇野さんの作風によって絵本の可能性を広げていきたいという意図があったと思います。どのような形で制作は進められたのですか?

今江さんとは和田誠の紹介で知り合いました。『あのこ』の内容は戦争中に疎開してきた女の子と男の子の話です。今江さんは打ち合わせの時原稿用紙も持ってきてくれたのですが、話だけ聞いて、それで描き上げました。今江さんは僕の絵を見たあと文を書き直したところもあったみたいです。

―『あのこ』の背景には戦争が背景にありますが、もんぺなど時代を特定できるような服を着せていないことも印象的です。

そうですね。あまりそういうことをしない、そのままの僕の絵っていうか。具体的なシークエンスが分かるとつまらないんじゃないかと思うんですね。群馬に疎開してきた少女が、田舎の子どもたちと出会うという大筋のストーリーが分かればいいので方言もいらないし、絵画的に表現したんです。

—60年代に手がけられたマックスファクターのお仕事は多くの人が目にする新聞広告でした。そういった規模の大きい案件でも宇野さんの作風は受け入れられたのでしょうか。

表情については特に笑ってなきゃいけないということはありませんでした。1971年の《「三井住友信託銀行」ポスター》の女の子が怖がったという意見を聞いたことがありますが、マックスファクターの広告制作ではとくにクライアントからはなにも言われてません。加賀まりこをモデルに起用しようとしたのが却下されてしまったくらいですかね。外国人のほうが良いと。

―宇野さんのイラストレーションは表情ではなく目で感情を表現しています。目の表現で意識されていることはありますか?

目を描くのは好きですね。目を大きくして、下睫毛の端のほうに。とても気を遣っています。そこでその時の気分を表現しています。

―《「三井住友信託銀行」ポスター》もそうですが、今お話いただいた下睫毛を強調するスタイルは、60年代から70年代にかけて流行したヒッピー風のメイクとの同時代性を感じさせます。

60年代はつけまつげを2枚つける女性が普通にいました。それで太く強調していたんですね。これについてひとつ面白い思い出があります。当時友人たちで集まって遊んでいたんですが、帰りに夜桜でも見に行こうかとなって、コシノジュンコさんの運転で2人で出かけたんですね。そしたら警官に止められて、免許証を彼女が見せてたんです。そしたら警官が「どこかで見たことのある名前だな」と訝っていました。免許証はカタカナではなくて漢字で名前が書いてあったので、つながらなかったのでしょう。そこでコシノさんはすかさずマッチ箱に入れて持ち歩いていたつけまつげを付けて、「あのコシノジュンコか」と警官に分かってもらったというエピソードがあります。

―当時の美意識を体現するミューズのような存在もいたかと思いますが、宇野さんは誰が印象に残っていますか?

イギリス人モデルのツィギーですね。彼女も睫毛が個性的でした。フランス人女優のブリジット・バルドーも好きでした。バルドーは破天荒な人で、裸足で外出することもしばしばあったそうなんですが、ある日裸足で店に入ろうとしたら止められたそうです。でもそれに対し、彼女は足首に付けたアンクレットが私の靴だと言ったんですね。どこか不良っぽいというか、生き方に魅力を感じていました。そういった個性的な人たちも含めて、面白い時代だったなと思います。

―最後に、これからの制作について教えてください。

とくにイメージはしていませんが、これまで通り依頼を受けるだけです。描いているときは意識しませんが、結果的に振り返ると、どれも「やりたかった仕事」だなと思うんですね。