感じることが仕事。visvim・中村ヒロキが手放したくない感覚
hiroki nakamura
photography: utsumi
interview & text: hiroaki nagahata
いま、クワイエットラグジュアリー以降のハイファッションを代表する存在として、日本のブランドが世界から熱視線を浴びている。その理由は、生地や加工、縫製といった服づくり全般におけるクオリティの確かさ。華美さではなく、マインドフルなスタイルを求める時代精神とも共鳴し、日本ブランドの存在感は年々高まり続けている。
その潮流を切り拓いてきたパイオニアのひとつが、visvim (ビズビム) だ。服飾の歴史に深く分け入り、ひとつひとつの要素を吟味し、現代の生活に機能するプロダクトへと昇華。FBT (モカシンシューズ) をはじめとする数々のシグネチャーモデルを生み出し、John Mayer (ジョン・メイヤー) や Eric Clapton (エリック・クラプトン)、A$AP Rocky (エイサップ・ロッキー) まで、多くのセレブリティからも熱心に支持されてきた。孤高の存在にして、いまや“究極のラグジュアリー”とも称される visvim。その背景にある思想と環境について、デザイナーの中村ヒロキに話を聞いた。
感じることが仕事。visvim・中村ヒロキが手放したくない感覚
Fashion Design
ーまずブランドの出自に関わるところをお伺いします。visvim といえば、最初は服ではなくシューズから始められましたよね。どういうブランドにしたい、あるいはどのぐらいの規模にしたいなど、当時から考えていたことはあったのでしょうか。
それはあまり考えていませんでしたね。もっといいものを作りたいという、目の前のことに必死でした。大きなビジョンを掲げるというよりは、ひとつのことを長く続けることで商品を改良していく。それが絶対に必要だという思いだけがありました。
ー今では国外でもっとも認知されている日本ブランドの一つになっているかと思いますが、国外進出のきっかけは何だったのでしょうか?
パリに最初に持っていったのは、ブランドを始めて3年目でした。その少し前に、パリのショールームの担当者が東京に来られていて、「うちのショールームに持ってきたらどう?」と声をかけてくれたんです。もちろん最初から手応えがあったわけではなく、ずっと手探りで、勉強しながらやっていました。
ーその時、ご自身のやっていることを周りに伝えるための文章や、キャッチフレーズのようなものは作っていましたか。
そういえば、「自分はどういうことがしたいのか」という指針みたいなものを、カタログに載せたことがありました。僕は、自分がやっていることに“意味”を見出したかったんですよね。消費者がそれを手にした時に幸せな気持ちになれるようなプロダクトを作りたい。そんなことを文章にしたためた記憶があります。
ーその時点から、「このカテゴリーを極めたい」とか「この年代をレップしたい」といったものではなく、もう少し大きな概念を掲げていたということですね。
そうですね。自分が作っているものに意味を持たせられるかどうか、そこに充実感があるかどうか。
ー中村さんはどのようにして意味を見出していったのでしょうか?どんなものづくりをすると、ご自身の中で意味が生まれる感覚になっていくのか、知りたいです。
当時は靴の工場によく足を運んでいたんですよね。そこで、「こんなにたくさんの靴を作っていいのか」と思うほどの量が作られているのを目の当たりにして、責任の重さを感じました。だからこそ、「ちゃんとした、いいものを作りたい」と強く思ったんです。そこから「いいものって何だろう」「幸せにしてくれる商品って何だろう」と考えるようになった。意味を探し続けるジャーニーが始まったわけです。
ーブランドを継続して「意味を自分の中で見出し続ける」ということを重ねてきた中で、何か大きな転機はありましたか?
ターニングポイントはたくさんありました。その中でも、ヴィンテージの存在が与えた影響は大きかったですね。なぜ昔の T シャツや服が今の時代になっても人を惹きつけるのか、それがものを作る人間としてずっと不思議だったんです。どうしたらああいうものに近づけるんだろう、と。
最初は、外側に見えるデザインを再構築するやり方でしたが、そこから内側から変えていく方向にシフトしていきました。素材やコンストラクション、生産過程といった内側に手を入れることで、力が外に出てくるということがだんだんわかってきた。インサイドアウトの発想。それに気づいた瞬間は、重要な転機といえるかもしれません。
ーヴィンテージには、年月が経っているという理由だけでは説明できない“オーラ”が宿っていますよね。でもヴィンテージの服って、必ずしも当時からみて最高のものだけが残っているわけでもなく、デッドストック(在庫)のように単に“残ってしまったもの”も多い。その中でも、今見ると魅力的に感じるものがあります。これはどういうことなんだろう、と。
そうですよね。僕もヴィンテージを集めていて、同じように見えても惹かれるものと惹かれないものがある。それがなぜなのかをずっと考えていました。どうすればそこにあるフォーミュラのようなものを導き出し、自分の作品に応用できるのか。手探りで分解していった結果、内側からにじみ出るものが確実にあるんじゃないのかなと。時間というフィルターがかかると、外側の装飾的なものは……
ー剥がれ落ちていく。
そう。内側にある本質や、どういう環境・気持ちで作られたか、そういうものが残る。自分なりに仮説を立てて、いろいろ試してきた結果が今の形です。
ー中村さんが今どういう生活を送っているのかも気になります。ファッションデザイナーは半年に1回のサイクルで動くので、忙しい時期が決まってくる。他の人と同じペースになることで、差異が薄れていくこともあると思うんです。中村さんが守っている環境や生活のリズムはありますか。
そもそも僕の仕事は「感じること」です。感じたことをもとに考える。感じることと考えることを、意識的に区別しています。今自分は感じているのか、考えているのか。普通はそんなこと意識しないで生きていますよね。でも僕にとってはそれが重要なんです。どうやったら右脳にアクセスできるか、どうすればもっと感じられるか。
だから生活もできるだけ自然に近い環境に置く。古い一軒家に住んでいるのも自然を感じたいから。畳の下はすぐ土ですし、すきま風も入ってくる。世田谷の真ん中ですが、毎朝鳥がやって来る。冬場はすごく寒いけど、こういう環境に身を置くことが大事なんです。
ーものづくりに集中できるというと、何の障害もないフラットな環境を想像してしまいがちですが、そういうことでもないと。
むしろホテルのような快適な場所にいると、“感じなく”なってしまうんです。まわりの世界から遮断されている感じがする。できるだけ自然の近くにいないと、自分の感じるアンテナが鈍くなる。感覚が鈍る環境に長くいると、カブトムシがプラスチックの箱に入れられて生命力が弱ったような状態になってしまう。良い・悪いの本能的な感覚を保つために、自然や色気を感じられる環境を大切にしています。
ドイツやスイスのような寒いエリアの空港に着くと、空間が密閉されていて室内がすごく暖かいじゃないですか。新しい車も、ドアを閉めると耳がキンとなるくらい密閉されますよね。あの感覚が閉じ込められたようで苦手なんです。タクシーに乗ってもすぐ窓を開けちゃう。冬でも犬が窓から顔を出しているでしょう。
ーわかりやすいたとえですね(笑)
あれと同じです(笑)。そういう感覚を大切にしていると、無意識のうちにデザインする時にそっちの脳にアクセスして、自分が素敵だと思う方向に手が伸びる。そういうことをずっと考え続けてきた結果、内側から作るとか、素材から作るとか、昔のものを勉強するという方向に自然と向かっていったんです。
ーvisvim は現行のファッショントレンドを追う存在ではないことは、もはや周知の事実です。とはいえ、時代が変われば、人や環境も変わる。テクノロジーの影響も受けざるをえない。その中でブランドも変わらざるを得ない部分もあると思いますが、それに対してはどう対処されてきたんですか。
おっしゃる通りで、例えば世の中が変わることで、これまで作れていたものが今は作れない、ということがあるんです。普通に考えれば今の方が技術が進歩していて作れるはずなのに、逆なんですよ。いま長畑さんが座っているソファにかかっているヴィンテージのブランケットも、僕らにはもう同じようには作れません。江戸時代のシルクのようなものも、いくらお金をかけても再現できない。蚕も違えば、染色も違うし、作り手の感覚も違う。
当時の人たちの感覚は、もっと自然に近かったんじゃないかと思うんです。そういう中で時代はどんどん変わる。昭和と今でも全然違う。だからこそ、デザイナーとしてはできるだけ美しいものを後世につなげたいという大きな目標があります。そして、それを今のマーケットにどうつなげていくかが僕らの仕事なのかなと。
ーvisvim は価格面で妥協せず、国内外に強いファンベースがあり、海外から見るとラグジュアリーな存在になっていると思います。アイテムの希少性という価値も強い。そういう今のブランドのあり方を中村さんはどう感じていますか。
ありがたいですね。ただ、うちのお客さんは本当に長い間、ブランドの遍歴を見てきてくれている人たちが多い。僕はその人たちの期待と信頼を裏切らないようにやってきた。まず自分が「これが素敵だ」と思えるものを作る。その上でお客さんに対して胸を張って「これをやりました」と言えること。それを続けてきただけです。
ちなみに、いま「ラグジュアリー」とおっしゃったのは、一般的な意味でのラグジュアリーブランドということですか。
ーえーっと……たしかに、ラグジュアリーの定義も様々ですよね。欧米のハイブランドの価格が年々高騰化する中で、空虚さを感じている層が少なからずいて、もっと本質的な“いい服”に出会いたいという気持ちが生まれている。その先に visvim の名前が挙がることが多くて。だから、いま究極のラグジュアリーというと、このブランドのことを想起する人もいるんじゃないかなと。
なるほど。すると、ラグジュアリーというよりも、「豊かさ」という言葉の方がしっくりくるかもしれません。人それぞれ豊かさの感じ方は違いますよね。僕にとっては、自分がいるこの環境自体が最高に豊かだと思います。この家もそうだし、スタッフもそう。便利さや簡単さよりも優先したいことがある。例えば古い車に乗ること。メンテナンスが面倒だったり、暖機運転が必要だったり、キャブレターだからいきなり止まったりする。でもそれも含めてリッチだと感じる。
ただ、快適な方が良いという人もいる。それはそれでいい。僕は「こういう豊かさもありますよ」という提案をしているだけです。ラグジュアリーよりも手前にあるオルタナティブな価値として。それを評価してもらえるとしたら、嬉しいですね。
ーそういうご自身の考えが、ちゃんと伝わってきている実感はありますか。
世界には「豊かさはこういうものです」という確固たる定義があるように見えるけれど、そうじゃない豊かさもある。その中で、たまに「こっちもいいね」と visvim のような存在に目を向けてくれる人がいる。今はそれくらいの段階じゃないでしょうか。
ーでは最後に、visvim の今後について伺います。この取材の前に、お店に伺って最新のコレクションを見てまわったのですが、このブランドのアーキタイプ的なものがすでに完成しているように感じました。ここをさらに研ぎ澄ませていくフェーズなのか、それとも次のフェーズがあるのか。今、中村さんはどんな段階にいると認識されていますか?
やっぱりさっき話したように、生産背景が常にチャレンジですね。ワークショップがクローズするらしいとか、そういう話がしょっちゅう出てくる。その中でも、できるかぎり次に繋げていきたい。例えば泥染めも、visvimではもう14、5年やっているんです。奄美大島の泥染めのワークショップで、もともとは大島紬の泥染めの技法なんですが、それを洋服に使って浸透させてきた。カジュアルな服に落とし込んでいったら、日本だけでなく海外の人にも伝わって、この間サンフランシスコのブランドの人から「自分も奄美で泥染めしてます」と言われたりして。そうやって若い世代が興味を持ってくれたりすれば、広がっていくし、つなげていけると思うんです。
逆にお聞きしたいんですけど、ブランドのアーキタイプが固まってきたと感じたのは、どういう印象からですか?
ー僕が visvim をちゃんと見るようになったのは15年くらい前なんですが、その頃はもう少しカジュアルさが前面に出ていた印象があって、ストリートブランドと形容する人もまだいました。でも今、そういう風に言う人はほとんどいません。何かと問われれば、もうシンプルに「服」「靴」「鞄」なんですよね。それがあたかも昔から存在していたかのように佇んでいる。でもよく見ると、ああいう服は visvim にしかない。ブランドのスタンダードが浸透し、かなり洗練された形になっている。だからこそ、この先どうなっていくのかを考えさせられるんです。
どうなるんだろうという感覚……たしかにそれは自分にもありますね。そういえば、僕はここ5年くらい、お店のデザインも自分でやっているんです。中目黒や表参道の旗艦店もそうですけど、完全にコレクションのデザインと同じ方向を向いている。それによって、メッセージが一貫して、コレクションがよりクリアに洗練されて見えるのかもしれません。
ーよくわかりました。すいません、これは余談なのですが、今日の取材の中で、「アイテムの内側からヴィンテージの根源的な魅力に近づけていく」というお話が頭に残りました。デザイナーの中にも、「ヴィンテージを超えられない」という感覚を持つ人は多いと思うんです。また、リプロダクション系のアイテムには、ヴィンテージの生地やディテールを差し替えただけで、その必然性が見えないものも多い。
そうですよね。だから最初に話したように、僕はそこに意味を持たせたい。2026年に作ったものを2026年の人が使って、「これはヴィンテージ?」と言わせたい。そういえば昔、左側に自分のインスピレーションソースになったヴィンテージ、右側に自分が作った新作を並べた書籍を出したことがあります。それは、「並列にしても成立するものを作っています」というコミットメントでした。
ーそれはご自身へのプレッシャーでもありますよね。
そうですね。でも本来、作る人間としては、インスピレーションのソースを塗り替えていかなきゃいけない。それを宣言する意味で出した本でした。















