Josh Safdie
Josh Safdie

疾走し続ける『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』。ジョシュ・サフディ監督が語る、“スピード”の源泉

Josh Safdie

photography: Yusuke Abe
interview & text: Hiroaki Nagahata

Portraits/

マーティ・マウザーは、人間が生きるうえでの根源的なモチベーション —— 欲望、喜び、そして衝動そのものを体現した存在だ。2026年を生きる私たちは、世界からの視線に晒され、自らが消耗していくことにどこかで自覚的にならざるをえない。それでもなお、このシステムのなかで、自動機械のように日々をやり過ごしていると信じ込んでいる。そんなすべての人に、この映画は突きつけられる。「人間とはこれだ」と。そこに善悪のジャッジメントが入り込む余地はない。ただ、これが人間なのだと。

一見すると卓球映画のようでいて、本作において練習や試合のシーンが占める割合は決して多くない。しかし、物語の終盤、日本でのある“マッチング”の場面において、それまでのすべてが一気に照らし出される。彼が生きた証、幾度も恥をさらしながら、それでもなお生きようとした理由。ああ、これだったんだ、と。

映画公式のアノラックフーディーが SNS で拡散されるなど、本国公開時から作品はスクリーンを越えて広がり続けている。マーティは、今日もどこかで走り続けている。このマスターピースはいかにして生まれたのか。Josh Safdie (ジョシュ・サフディ) 監督に話を聞いた。

疾走し続ける『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』。ジョシュ・サフディ監督が語る、“スピード”の源泉

—本作に限らず、サフディ監督作の重要な要素として、独特の“スピード感”があると思います。そして、その速度を生み出している要因の一つは、登場人物たちが皆「行動に偏っている」ことではないかと。つまり、彼らは「何をするか」「なぜそれをするのか」を説明しない。例えば本作でも、マーティとウォーリーがホテルにチェックインする場面。「シャワーは使うな」と言われるのに、結局使ってしまう。そもそも、なぜ使ってはいけないのかは説明されません。説明がなく、とにかく行動が先走ることで、ドラマが矢継ぎ早に展開していく。そこで伺いたいのですが、このスピード感はニューヨーク特有のものなのでしょうか。それとも特定の映画監督から影響を受けたものですか。

まず一つ言っておくと、彼はシャワーを使うなと言われたけど、使ったのはバスタブなんです。だから彼の言い分としては「ルール違反じゃない」ということになりますね (笑)。でも、あのシーンの設計やスピード感について言うなら、映画全体の精神性に通じるものであるべきだと思っています。この映画のコアにあるのは、一人の人間の夢です。しかもその夢は他人から見れば何の意味もない。むしろその夢を信じている本人が嘲笑されてしまう。だからこそ、彼はより強く夢を見続けなければならない。その夢が彼をプッシュし、その結果として行動の速度が生まれる。なぜなら夢が叶わない一日一日は、彼にとって深い屈辱の瞬間だからです。彼は夢を通して自分の運命をコントロールしようとしている。そこには常に切迫感があります。

—その切迫感は監督ご自身にも身に覚えがあるものですか?

ありますね。前作『アンカット・ダイヤモンド』(2019)を作っていたとき、私は人生最後の一日のような感覚で毎日を過ごしていました。私もマーティと同じように、毎日夢が叶うべきだと思い込んでいたので、それ以外の瞬間はすべて敗北のように感じていて。共同脚本家のロナルド (・ブロンスタイン) にいつも「次のプロットを用意してくれ」と催促していたので、彼はかなり困惑していましたね。「なんでそんなに焦っているんだ」と。でもそれには論理的な理由はありません。ただ私はこう思っていた。「明日、プロデューサーか誰か脚本を読みたいと言うかもしれない」。もし新しい草稿がなければ予想外のチャンスに備えられないじゃないですか。

—なぜそのように考える癖がついたんですか?

元々の性質かもしれません。人生の面白さってほとんどが予想外の出来事なんです。観客が私の映画を観て不安になる理由も、そこにある気がします。毎秒、次に何が起こるかわからない。人は本来人生の展開をコントロールしたがるけれど、この映画は非常にアメリカ的な個人主義についての映画で、彼の行動とそれによってもたらされる結果は予測不可能です。そこにはえも言われぬ美しさがある。でも同時に危険もあります。

—監督は A24 の Podcast 番組で Sean Baker (ショーン・ベイカー) と話していたとき、個人的なお気に入りとして彼の初期作品『プリンス・オブ・ブロードウェイ』(2008)に言及されていましたよね。あなたの映画も同じようにざらついた質感の個人的な物語です。しかし、今回のように映画の予算が大きくなると、大規模な機材を使い、大物俳優をキャスティングすることができる。要は環境が激変するわけです。そうした制作規模の拡大の中で、どうやって個人的な感覚やストリート的なざらつきを失わないようにしているのでしょうか。

私にとって『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』と『プリンス・オブ・ブロードウェイ』、あるいは自分たちがむかし撮った『ザ・プレジャー・オブ・ビーイング・ロブド』(2008)『ダディ・ロング・レッグズ』(2009)のような作品との間に、違いはありません。もちろん、規模が大きくなれば、監督として決断する事項は増えます。でも私の精神は同じ。Timothée Chalamet (ティモシー・シャラメ) も私にとってはストリートキャスティングです。つまり、まず一人の人間として出会い、その人間を中心に映画を作る。ショーン・ベイカーのやり方と本質的には同じですね。また、これはネオリアリズムの原則の一つでもあります。

—ネオリアリズムとは、一般人を起用したり、実際の場所で撮影することで、「現実そのものを撮る」ことを目指すスタイルです。

ただ、ひとつ強調しておきたいのは、私はリアリズムをジャンルとして使うことにはあまり興味がない。おっしゃるとおり、リアリズムを下地として使い、フィクションをノンフィクションのように感じさせることに興味があるんです。本作を撮影しているとき、プロデューサーが笑いながらこう言いました。「まるで5万ドルの映画を撮っているみたいだ」と。

—そのローなストリート感覚がサフディ監督の作品にはいつも息づいていますよね。

映画を作るときにはある種のナイーブさを意図的に持つことが必要です。巨大なシステムをいったん頭から追い出さなければならない。かつて自主で撮っていた時は、ただ街に出て本物の人々を撮ればそれでよかった。でも今回は違う。部屋に何を置くべきか、何を撮るべきか、どう動かすべきか。意図をもって全てを決断していかなくてはいけない。そういう意味で、すべて人工的です。私の仕事は、その人工物に生命を吹き込むこと。その場所を生きた雰囲気にするのは人間です。ただ、無数の決断に飲み込まれてしまうと、精神が病んでしまう原因になるので、気をつけなくてはいけないんですが……大事なのは、決断するけれど、その後は忘れることですね。

—撮影現場では何にもっともフォーカスしているんですか?

撮影現場ではただ人間と向き合うことを考えています。そこで追いかけるのは、普遍的な感情だけです。たとえば、身近な誰かが1948年に起きたことやそこで感じたことについて話していたとして、私たちはそれを時代劇的なフィクションとして聞くでしょうか。誰しも、そこから共通の感情を見出すはずですよね。だからこの映画も、“1952年に撮られた現代映画”という感覚で作っています。

—Adam Sandler (アダム・サンドラー) のハスラーっぷりと物語のオチがあまりに現実味を帯びている『アンカット・ダイヤモンド』と比べると、『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』は人間の欲望が超肯定的に描かれていて、それによってエンターテインメント性が増していると感じました。さらに、今回は実在人物からインスピレーションを得た作品でもありますよね。そのフィクショナルな人物を作るうえでティモシーとはどんなやり取りをしたのでしょうか。

映画は人がいなければ成立しません。そしてその人々はある意味でフィクションです。本作におけるマーティ・マウザーは実在人物をヒントにはしていますが、基本的に架空の人物です。そして多くの人物の融合体でもある。周囲の人物も、同じようにキャスティングした俳優たち自身のエッセンスが入っています。つまりこの映画はある意味でドキュメンタリーでもある。キャラクターと俳優を互いに重ね合わせているからです。脚本で書いた人物像のエッセンスを持つ人をキャスティングする。だから観客は現実のオーラを感じるんだと思います。

—本作はとくに、実際の実業家やファッションデザイナーが役を演じていますし、監督がキャスティングにおいて何を重視されているのか明確に伝わってきました。

それぞれのキャラクターには人生の伝記があります。ほとんどの場合生まれたときから。人生の重要な瞬間、心理的な柱になる出来事。マーティに関して言えばキャラクターの構築は6年かけて行いました。彼が3歳のとき父親が消えたこと。8歳のとき母親が精神的に追い詰められて入院したこと。彼がロウアー・イーストサイドのハードな生活から逃避する手段として卓球を始めたこと。高校時代、レイチェル・マイズラーと授業をサボって『キングコング』を観に行ったこと。こうしたすべての「設定」が彼の演技を形作っています。

—それをすべてティモシーにも共有していた。

そうです。彼は、マーティという人物の背景をすべて頭に入れた状態で現場に来ていました。さらに、ティモシー自身が経験した出来事も脚本にすこし取り入れています。それに、彼は登場人物全員のプロフィールと設定を読みたがった。Gwyneth Paltrow (グウィネス・パルトロウ) の伝記も、Kevin O’Leary (ケビン・オレアリー) の伝記も。つまり彼はキュビズム的な理解をしていたんです。つまり映画とキャラクターを多面的に理解していた。彼ほどそういう部分に対して熱心な俳優はなかなかいません。そうして構築されたキャラクターは、おのずと立体的なものに映るはずです。