Olivier Assayas
Olivier Assayas

映画は世界を探索し、発見する方法。オリヴィエ・アサイヤスが語る、影響し合い、対話し続けるということ。

Olivier Assayas

photography: Naoya Matsumoto
interview & text: Tomoko Ogawa

Portraits/

『無秩序/ディスオーダー』 (86) でデビューを飾って以来、フランス映画の枠にも国境にも縛られず、その時代ごとの現実と映画の接点を探り続ける Olivier Assayas (オリヴィエ・アサイヤス)。第33回フランス映画祭 2026でお披露目された最新作『クレムリンの魔術師』(日本配給未定)は、イタリア人政治学者 Giuliano da Empoli (ジュリアーノ・ダ・エンポリ) が2022年に発表し世界的ベストセラーとなった同名小説の映画化だ。主人公の Vadim Baranov (ヴァディム・バラノフ) は、実在の人物にインスピレーションを得て生まれた架空の人物。ソ連崩壊後の1990年代の混乱期、芸術家からリアリティ番組のプロデューサーに転身した彼が、 Vladimir Putin (ウラジーミル・プーチン) との出会いによって、演出家としてロシア政治を裏で操っていく様を、Olivier Assayas は現実と接続するポリティカルスリラーに仕上げた。なお、彼の活動を12本の作品とともに振り返る、『オリヴィエ・アサイヤス特集2026』も、4月5日(日)まで東京日仏学院 エスパス・イマージュ開催中だ。来日にあわせて行われたインタビューで、俳優との協働、権力との距離、そして映画を撮り続ける理由を聞いた。

映画は世界を探索し、発見する方法。オリヴィエ・アサイヤスが語る、影響し合い、対話し続けるということ。

—今回の原作である Giuliano da Empoli の小説『クレムリンの魔術師』を最初に読まれたとき、映画化に少し躊躇されたそうですが、ご友人でもあり、伝記『リモノフ』の原作者としても知られる Emmanuel Carrère (エマニュエル・カレール) を脚本家に迎えたことで、その距離を乗り越えられたのでしょうか?

少し長い話になりますが、できるだけ手短に話しますね。Giuliano は出版してすぐに、本を送ってきてくれたんです。少し面識があったので、もし自分の小説が映画化されるなら、私にやってほしいというメッセージと一緒に。彼が映画化を打診した唯一のフィルムメイカーが私だったんです。小説はとても面白いと思ったんですが、映画化はかなり難しいと感じて。セリフが多く、とても抽象的で、理論的すぎる。小説としてのドラマ性がやや足りないなと思っていました。Emmanuel Carrère はこの本をとても気に入っていて、Giuliano を深く尊敬していた。Carrère とは長い付き合いで、年齢も近く、お互い若い映画批評家として出会い、ずっと友人ではいるけれど、一緒に仕事をする機会は一度もなかったんです。彼と一緒によく本について話し合ううちに、2人で作業を始めました。私よりも Carrère の方が映画にできそうだと感じていたわけですが、わりとすぐに、彼が正しいと気づいたんです。本の構成やエネルギーに感じていた問題は、実は解決できることでした。2人で比較的すんなりと脚本を書き上げて、早い段階からとても気に入ったものになりました。

— Paul Dano (ポール・ダノ) が演じた Vadim Baranov はとてもピュアでありながら怪物のようでもあり、Jude Law (ジュード・ロウ) 演じるVladimir Putinは、権力への渇望そのものでした。一方で、Alicia Vikander (アリシア・ヴィキャンデル) が演じる Ksenia (クセニア) は、人生の過程で変わっていく多層性に寄り添えると感じさせるキャラクターでした。

Ksenia は私にとって重要な人物で、完全に原作から作り直したキャラクターです。Ksenia に関わることはすべて私が書いたものです。物語がとても男性的な世界を描いているので、強い女性の存在が足りないと感じたんです。彼女は自由の息吹きをもたらす存在です。政治の権謀術数だけでなく、人生があり、運命がある、ということを彼女を通して見ることができます。この映画はいくつかのことを語っていますが、そのひとつは、ソビエト崩壊後の世代がプーチンの全体主義によって自由への希望を阻まれた、ということです。Ksenia は、「その世代が自由だったならこうなれたかもしれない」という可能性を体現している。だから観客が彼女に自分を重ねることができる。ロシアで何が起きているかを、より身近に感じさせてくれる存在だと思います。

—今回コラボレーションをした俳優たちは、どんなふうにあなたの想像を超えてきましたか?

俳優というのはいつも想像を超えてくるものです。脚本はとても限定的なもので、俳優がそれに命を吹き込んでくれる。俳優はいつも、自分の個性、感受性、知性をもたらしてくれる。彼らはある意味、自分が演じる役の作家でもあるんです。だからこそ、私は俳優にたくさんの自由な空間を与えます。コントロールすることを信じていない。その中で俳優は自由でいられるし、映画の創作に貢献できる。私が書いたセリフをただ読んでくれるよりも、それ以上のものをもたらしてくれることの方が、私にとっては面白い。映画の中で最も大切なのは、俳優が発明してくれるものだと思います。

—あなたが俳優に求めているものとは?

俳優との仕事において本質的な瞬間は、どの俳優を選ぶかを決めるときです。それがキャラクターのアイデンティティを規定する存在ですから。ある俳優を選ぶことは、ある色を選ぶようなもの。そしてその瞬間から、俳優は私よりも自分が演じる人物のことをよく知っていると思っています。

—この映画は権力がどうやって生まれるかを描いていますが、監督ご自身の立場と権力の関係についてはどう考えていますか? 先ほど、「コントロールすることを信じていない」とおっしゃっていましたが。

アドリブを入れやすい映画とそうでない映画があります。たとえばA24とHBO制作のドラマシリーズ『イルマ・ヴェップ』(22)は、アドリブの入れやすいシーンがたくさんあった。コメディ的なシーンもあって、よく一緒に仕事をしている俳優たち、私の演出スタイルをよく知っていて、自分が発明したものを入れても大丈夫だとわかっている俳優たちと、いろんなことを試すことができました。それに比べると、『クレムリンの魔術師』はアドリブが少し少なくはなりますね。セリフがとても精密で、現代史と直接関わっているから、厳密でなければならない。質問に戻って、監督としての権力と、その行使の仕方という問いについて言えば、権力の問題自体は私にとって興味がありません。興味があるのは、俳優とのコラボレーションです。俳優たちだけでなく、スタッフや技術者たちのそれぞれのエネルギーをどう引き出して流れさせるか。そうやってショットが生まれる。互いに影響し合って生まれるハーモニー、それが映画です。

—ご自身が、パンデミックでロックダウンされた日々の体験がもとになった前作『季節はこのまま』(24)も5年前に考えていたこと、触れたことを忘れてしまっている自分にハッとさせられる作品でしたが、スケールもジャンルも毎回、全く異なる挑戦をされながら映画を撮り続けていらっしゃいますよね。

まったくその通りで、フランスのインディペンデント映画の世界だけに閉じこもらないようにしてきました。映画は世界に開かれていて、世界を探索し、発見する方法です。世界の映画に影響を受けること、そして文化間の対話。それは私が映画ジャーナリズムをやっていた頃からずっと大切にしてきたことです。

—コンスタントに作品を生み出されていますが、行き詰まることもありますか? そういうときにどんな逃げ道をつくっています?

もちろん。そういうときは文章を書きます。エッセイや自伝的なテキストを時々出版していて、近々また本を出版する予定です。絵画と私の関係について書いた本で、ハンガリーではそれなりに知られた画家だった祖父のこと、ファッションデザイナーでデザイン画をたくさん描いていた母のこと。私自身も若い頃、絵画やデッサンをたくさん描いていたので。

—好きなことを続けることは難しいと感じている人たちへ、ヒントになる考えはありますか?

私の場合は映画ですが、映画は他のあらゆる芸術を吸収しながら育つ芸術だと思っていて。他のアートより新しく、若い芸術でもある。今日の現代アートは世界をあまり描かなくなって、概念的になっていますよね。一方で映画はめったに概念的にはならない。ドキュメンタリーな素材があり、世界を表すことが多い。私は本当に有効なアドバイスは存在しないと思うんですよね。それぞれが自分で道を探すのが一番だから。でも大切なのは、自分が進んでいる道を信頼して、歩み続けることだと思います。