Don Letts
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UK カルチャーの生き証人、ドン・レッツ「サブカルチャーに必要なのは行動に移すこと」

Don Letts

photography: rei kuroda
interview & text: mars89

Portraits/

服屋のマネージャーからクラブDJ、ラジオDJ、そしてMV監督や映画監督という複数の肩書を持ち、連綿と受け継がれてきたUKサブカルチャーの生き証人として語られることの多い Don Letts (ドン・レッツ)。今回、彼の20年来の友人である Hatchuck (ハッチャク) 氏と共に設立したクロージングブランド 「REBEL DREAD HARDWARE」が主催するツアー「DISCIPLES OF BASS. REBEL DREAD HARDWARE JAPAN TOUR ’26」のため、Massive Attack (マッシヴ・アタック) の Daddy G (ダディ・G) と共に来日した彼に、多忙なツアーの合間をみつけて話を聞くことができた。

いまこの世界を取り巻くあらゆる問題に向き合いながらも「でもね、Don Letts は楽観主義者なんだ」と言う彼の口から語られるパンクやサブカルチャーは、決して古い時代のものとして博物館の一角を飾るようなものではなく、今もなお未来を切り開いていく可能性を秘めていた。

UK カルチャーの生き証人、ドン・レッツ「サブカルチャーに必要なのは行動に移すこと」

—Don Letts という人物には、まずはじめにこの質問をしたいと思っていました。あなたにとって、ファッションと音楽の関係ってどういうものなんでしょうか?

良い質問から始まるね。俺は1956年生まれで、ロックンロールと同い年。そして俺はイングランドで、労働者階級(working class)の家庭に生まれた。 労働者階級の人間にとって、自分たちのアイデンティティを持ち、自分たちの「トライブ」を見つけ、何かしらのステイタスを得るための唯一の方法が「何を聴くか」と「何を着るか」だった。そして俺たちは、その音楽とスタイルの組み合わせをアートフォームに変えたんだ。第二次世界大戦後からミレニアムまでのイングランドでは、たくさんのスタイル・トライブが存在したんだけど、それらの原動力は階級制度だったんだ。階級制度こそが、俺たちに音楽とスタイルを「声明」に変えさせた。金もなければ大きな車や家もなかったけど、かっこいい服といい音楽なら手に入れることができたんだ。だからイングランドは、テディボーイズ、スキンヘッズ、モッズ、パンクス、レイヴみたいなものを次々と生み出してきたんだ。こうしたスタイル・トライブは、今はもう息絶えてしまった。以前ほど重要じゃなくなってしまったんだと思う。だからこれは……、年上の世代の言語なんだ。

—今でも機能していると思いますよ。

一部の人にはね。でもイングランドでは違うんだ。いまの若い人たちは音楽や服にお金をかけられないし、多くの若者が30歳や40歳になっても親と住んでいる。経済があまりに厳しいからね。今はヘアスタイルを気にする前に、まず家賃を払わなきゃならない。経済についてもう一つ言いたいことは、経済がアートの質にひどい影響を与えたということ。俺たちの時代には、賭けに出たり、実験をしたり、リスクを冒すことだってできた。でも21世紀では、人々は商業的に成功するとわかっているものばかりやろうとするんだ。金を稼ぐためにね。だから、経済はアートの質に悪影響を与えたと思う。

—あなたはブティック「Acme Attractions」で、ダブやレゲエを流しながらズートスーツを売っていましたよね。その音楽とスタイルの組み合わせはあなたのオリジナルですか?

ああ。でも、ある意味偶然なんだ。俺はロンドンのキングスロードにあったその店を、1975年から79年頃まで任されていたんだけど、店では当然みんな音楽を流すだろ?だから俺は自分が好きだった音楽、つまりジャマイカのダブやレゲエを流したんだ。そうしたら幸運なことに、多くの白人の労働者階級の若者たちもその音楽に自分たちを投影し始めたんだけど、その背景にはイギリスの白人の若者が、自分たちの反抗の手段としてブラックミュージックに共感するっていう伝統があったんだ。俺たちより前の世代の白人の若者たちは Tamla Motown (タムラ・モータウン) や初期のR&Bを聴いていたんだけど、50年代後半に大きな文化シフトが起きた。カリブ海から西インド系のコミュニティがやってきたんだ。いわゆるウィンドラッシュ世代。俺の両親もその一部だった。彼らは夢と希望と共に、音楽も携えてイギリスにやって来た。そして、彼らが持ち込んだ音楽こそが、俺の白人の友人たちのイマジネーションをとらえたんだ。彼らはアメリカのブラックミュージックを聴くのをやめて、反抗の手段としてジャマイカ音楽を聴き始めた。すごく重要なのは、それが若者たちを社会的につなげたということなんだよ。

—パンクのパーティーでレゲエをプレイしたことがあなたの功績の一つとして語られていますが、その時のレゲエに対する白人のパンクスたちの反応はどんなものでしたか?

1977年に、イギリス初のパンクヴェニューだった Roxy (ロキシー) でDJを始めた時、流すべきイギリス産パンクのレコードが存在していなかったんだ。当時UKパンクのレコードはたぶん The Damned (ダムド) の「New Rose」一枚しかなかった。他には Ramones (ラモーンズ) とか Patti Smith (パティ・スミス) 、Television (テレヴィジョン) みたいな音楽はあったけど、UKでは The Damned だけ。だから自分の好きな音楽、つまりレゲエを流したんだ。反抗的な音楽だったからね。でもね、君は少し質問を間違えている。みんな Don Letts が「Punky Reggae Party」を始めたと思っている。部分的には合っているけど、本当の話は1968年から始まるんだ。UKのレーベル、Trojan Records (トロージャン・レコーズ) だ。1968年から Trojan Records がリリースし始めたジャマイカのレコードたちは、最初期のスタイル主導形のサブカルチャーのサウンドトラックになった。そのカルチャーとはスキンヘッズ。初期のスキンヘッズは白人モッズ文化とジャマイカのルードボーイ文化の融合で、UK初のマルチカルチュラルなサブカルチャーだったんだ。

でも、そこに右翼勢力が忍び込んできた。5年くらい経って、突然右翼のスキンヘッズが現れたんだ。そしてそのイメージが世界中に広まった。理由はタブロイド紙。彼らは常に若者文化のネガティブな面ばかり強調する。だから、ジャマイカ音楽を通じて黒人と白人の若者が繋がっていたことは報じず、「スキンヘッズは右翼だ、ファシストだ」って書き始めて、世界中が「スキンヘッズって右翼なんだ」と思ってしまったんだ。Trojan Records こそが「Punky Reggae Party」を始めたレーベルなんだ。だから Joe Strummer (ジョー・ストラマー)、John Lydon (ジョン・ライドン)、Terry Hall (テリー・ホール) みたいな人たちは、Don Letts 以前からレゲエを知っていた。まあでも、レゲエを知らない人たちもいた。俺はそういう人たちに紹介しただけ。

—「Rock Against Racism」のムーブメントについて伺いたいのですが。

参加したかって?俺は参加する必要なんかなかった。だって黒人だからね。黒人である以上、俺はずっとレイシズムに対抗してロックしてた。ただ、それが70年代後半に名前を与えられただけ。Rock Against Racism が始まった理由を知ってる?
*Web上の記事を指す。1976年8月にバーミンガムで行われた Eric Clapton (エリック・クラプトン) のコンサートで、彼が観客に向かって人種差別的、排外主義的な暴言と共に、排外主義を掲げる保守党の政治家への支持を表明したことがムーブメントの直接的なきっかけとなった。

当時彼が言ったことは多くの人にとってかなりショックだったと思う。公平を期して言えば、彼は当時ドラッグをやっていた若者だったし、今では自分の過ちを理解していると思う。でも、あれが始まりだったんだ。人種差別は上の世代に結びついた問題だったけど、若者はブラックミュージックを介してお互いに結びついていた。ブラックミュージックは社会的・個人的な変化のためのツールであり、人を繋ぐものでもあったんだ。

—実際、今の日本でも人種差別は深刻な問題です。一部の人はそれに対してアクションを起こしていますが。

「自由を守るには、絶え間ない警戒が必要である(Eternal vigilance is the price of liberty)」っていう有名な言葉がある。俺たちは、こうした(差別などの)問題が戻ってこないように、見張り続けなきゃいけないんだ。そして今は、君が言った通り危険な時代だ。みんながパーティーしている間に、かなりヤバいことが起きている。でも人は、人生をずっとダンスフロアで過ごすことはできない。今のポピュラー音楽の多くは、現実逃避、パーティー、考えないことについて。だけど逃げ場なんてないんだよ。しばらくの間なら逃げられるかもしれない。2時間とか。ダンスフロアでイカれてるなら6時間くらい。でも、いつかは現実と向き合わなきゃいけないんだ。いつか音楽は止まり、外に出て現実と向き合わなきゃいけない。そして、そういう現実に向き合うための素晴らしい音楽も存在する。ありがたいことにね。

—あなたはクラブDJもラジオDJもやっているし、映画監督でもありますよね。そういう役割って、新しいカルチャーを作る上で重要だと思うんですが、違うカルチャー同士を橋渡しするような、媒介者としての意識はありましたか?

当時、俺が利用できた手段がそれらだっただけなんだ。でも21世紀では、若者にはソーシャルメディアを通じた別のやり方があるよね。食べ物の写真や自分のブサイクな子どもの写真を上げるだけじゃない使い方がね。でも現実には、ソーシャルメディアの大半はそういうものだろ?でも、そのソーシャルメディアの狂気の中でも、ちゃんとポジティブなことに使っている若者たちがいるのを俺は知っている。変化を起こしたり、本当の繋がりを作ったりしている。それと、俺は自分を「媒介者」だと思ったことはない。ただ、自分をワクワクさせるものを追いかけてきただけだし、それを誰かに伝えようとも思っていなかった。だけど、いいものをやれば自然に他人に響くものだとも思っている。俺がある音楽を聴いたとき、ある映画を観たとき、それが自分に語りかけてきたんだ。そして、自分でも何かやってみたくなった。俺はそのプロセスを強く信じてるんだよ。だって、”無”からは何も生まれないからね。世界最高のアーティストだって、何かにインスパイアされていた。俺もそのダイナミズムの一部なんだ。しかも彼らは、「これを後世に伝えるためにやろう」なんて考えてなかった。ただやっただけ。

俺の言葉で言えば、ずっと「ざわめき」を追いかけているだけなんだ。創造的なざわめき。創造している時、自分が生きていると感じられるから。でも同時に、何かを作るなら「占有する空間の正当化」が必要だとも思っている。いまはモノが多すぎることが大きな問題なんだ。だからもし何かを作るなら、それがそのスペースを占めるだけの価値があるって自分で確信できなきゃいけない。ただエゴを満たすために作るなんてクソだ。インターネットに、これ以上エゴなんて必要ない。マジで。

—じゃあ、異なるものを繋げようとしてDJをやっていたわけではなかったんですね。

うん。ただ、それが自分にとって創造的な表現だったからやっていただけなんだけど、それが文化同士の対話を促進できるってことには気がついていた。自分のカルチャーを通じて、あらゆる人たちとの繋がりが生まれ、互いの違いを理解することで、逆に近づくことができたんだ。そこは理解していたけど使命ではなかった。自然発生的に起きたことなんだ。だから俺は、周囲に対してオープンであり続けようとしてきた。それがインスピレーションを与えてくれるからね。心を開くこと。オープンマインドでいること。そして、いいベースラインがあれば、なお最高。今ではレゲエやダブは、本当に多くの音楽に影響を与えている。ポピュラー音楽の構造そのものの一部になった。特に“ベース”という概念。ベースは、ジャマイカから世界への贈り物なんだ。

—以前あなたは、「パンクロックからの最大の贈り物はDIY精神だ」と言っていましたよね。

その通り。”Do It Yourself”だ。もし多くの人が思っているように、パンクロックが単なる速いギターとモヒカンだけの存在だったなら、今こうして語られることはなかっただろうね。パンクロックが面白かったのは、それが単なるサウンドトラックではなく、完全なるサブカルチャーであり、スタイルだったことなんだ。パンクの写真家、パンクの詩人、パンクのグラフィックデザイナー、パンクの映画監督がいた。それ以降、あれほど完全なムーブメントは存在していない。そして、パンクロックで最も重要だったのは、「Do It Yourself」という考え方だった。パンクロックは、「いいアイデアとモチベーションさえあれば、お前もこの一部になれる」と言ったんだ。そのパンクロックからの刺激によって、俺は映画監督になろうと決めた。特に今みたいに経済状況が厳しい時代では、DIY はサブカルチャーにとってすごく重要だ。いや、サブカルチャーだけじゃない。全員にとってだ。なぜなら、誰かに頼ってやってもらうより、自分でやる方がいいからだ。誰かが許可をくれるのを待つのか? 助けてくれるのを待つのか?違う、自分でやるんだよ。

—あなたは過去のインタビューで、「インターネットがサブカルチャーを殺した」と言っていましたね。

少し修正させてくれ。以前はそう言ったが、今はインターネットがサブカルチャーを「変容させた」と思っている。

—では、今のサブカルチャーがとりうる形と、その変容の詳細を教えてください。

今は特に若者にとって時代が厳しすぎる。特に経済的に。だから、サブカルチャーはもっと行動が必要なんだ。単に格好よく見えるだけじゃダメ。重要なのは、行動することなんだ。格好よくてアクティブなら、それは最高。だけど、若者たちが100ポンドのパンツや200ポンドの服を買えないのも理解している。家賃を払わなきゃいけないしね。でもサブカルチャーは、どんな形であれ、必ず存在し続けると思う。面白いことに、多くの人が「どう変わったか」を俺に聞くんだけど、俺にとってはむしろ君たちに聞きたい質問なんだ。「今はどうなの?」ってね。俺の時代とはあまりにも違うから。俺たちの時代は、もっとシンプルだった。ただ相手の目を見て話しさえすればよかった。でも今はインターネットやソーシャルメディアがある。正直、圧倒されるよ。だから若者が俺にアドバイスをくれた方がいいと思う。冗談じゃなくて本気で。人々はよく、「若者を助けなきゃ」みたいなことを言うけど、それって若者をバカ扱いしてるみたいで失礼だと思うんだ。もちろん、昔からバカな若者はいた。でも今も、多くの若者たちが問題を理解して、実際に行動にうつしている。ただスマホをスワイプしているだけじゃなくて、街に出て抗議している。それこそが必要なことなんだ。

少なくとも投票することは重要。古臭く聞こえるかもしれないけど、少なくとも始まりではある。もう一つの良い抗議の方法は、経済を通じたアクションだ。金を払うのをやめれば、企業はパニックになる。俺は今でも若者がそういうことをやっているのを見ると力をもらう。人々はスマホでボタンを押すだけじゃなく、もっと主体的になる必要がある。そして幸運なことに、一部の若者はそれを理解している。企業っていうのは面白くて、反抗を金に変えるのがすごく上手い。Joe Strummer も「奴らは反抗を金に変える」って歌詞に書いている。奴らは反動的なものを見つけると、それをうまく収益化する方法を見つけるんだ。だからこそ、警戒し続けなきゃいけない。サブカルチャーっていうのは、メインストリームに対するリアクションなんだ。メインストリームが全員を満足させられないから、サブカルチャーが生まれる。俺たちが若かった頃、自分たちは「反体制」だと思っていた。でも21世紀では、多くの若者が、全員じゃないけど、アートや音楽を体制側の一部になるためにやっている。これは21世紀の大きな問題の一つなんだ。これは大きなマインドセットの変化だ。有名になりたい。MTVに出たい。シャンパンを飲みたい。そういうのが目標では反抗的になんてなれない。新しい価値観、自分自身の価値観が必要なんだ。「お前らのレッドカーペットなんかクソくらえ、シャンパンなんかクソくらえ」って言った瞬間、世界はすごく面白くなる。たしかに大金持ちにはなれないかもしれないが、別の意味では豊かになれる。21世紀では、若者が自分自身の価値体系を作ることが本当に重要なんだ。そうしないと終わりだ。

—そうですね。でもいま、メインストリーム文化は細分化されて、たくさんのスタイルを内包するようになりましたよね。

そう、まさにその通り。それは企業側がすごく賢いからだ。さっき言ったように奴らは反抗を金に変えることができる。それは奴らが長年かけて磨いてきたビジネスのアート/技なんだよ。それに抵抗するための唯一の方法が、新しい価値観を持つことなんだ。「これはいらない」「あれもいらない」「自分でやる」って言うこと。もし奴らが提供するものを欲しがってしまったら、そこで終わりなんだ。問題は「お前が本当に欲しているものは何なのか?」なんだ。他の全員と同じものを欲していて、どれだけラディカルでいられる?

—多くの企業が若者に何かを欲しがらせるために、いろんな戦略を編み出してきましたね。

そうそう。奴らは消費主義をアートフォームに変えた。本当に賢いんだ。だから俺たちは、「奴らが何を欲しているか」じゃなく、「自分が何を欲しているか」を問わなきゃいけない。芸術から何を求めているのかが大切なんだ。奴らの許可なんて求めない。奴らの価値観も、金すら求めない。もし可能なら、盗め。この構図の中で、自分がどこに立っているのかを見極めなきゃいけない。お前は解決の側なのか、それとも問題の側なのか。シンプルな話だよ。

—これもあなたの過去のインタビューからなんですが。「ムーブメントが本当のムーブメントになるためには、音楽とスタイル、そして人々が集まる場所が必要だ」と言っていましたよね。

ああ、覚えている。今でも本当だと思っているよ。やっぱり今は、インターネット越しのコミュニケーションが多すぎるんだ。こうやって向き合って、同じ空間で会わないとね。「集団での同期した瞬間」を持つことがすごく重要なんだ。だからライブやスポーツはいまだに大きな意味を持っている。その瞬間に、その場にいなきゃいけないから。ダウンロードして来週見るのとは全然違う。集団での同期した瞬間やムーブメントは、昔以上に重要になっている。このクソみたいなソーシャルメディアのせいでね。面白いことに、ソーシャルメディアは人をエンパワメントすることもできるけど、同時に「薄める」こともできる。みんなが同じタイミングで同じ情報、あるいは正しい情報を共有した時に生まれるパワーってのがあるんだ。でも、ある人は今日知って、別の人は2週間前、また別の人は3ヶ月後に知る、みたいなことになると、そのパワーは失われる。薄められてしまうんだ。俺たちの世代って、例えば初めて Sex Pistols (セックス・ピストルズ) を見た瞬間、部屋にいた全員が同時に衝撃を受けて、そのエネルギーが“バーン”って広がった。そういうものなんだ。だから今こそ、生の、集団での同期した体験は昔以上に重要なんだ。だから「場所」は今でも重要。同じ考えを持つ人々が集まって、お互いの目を見られる場所は、昔以上に重要なんだよ。

このテクノロジーっていうのは、まさに諸刃の剣なんだ。良い面も悪い面もある。そして、このソーシャルメディアの最悪な部分は何だと思う?それは「人間」なんだ。人間が本当はどういう存在かを暴き出したんだよ。人間が本当に好きなものを見せている。エゴや自慢、そういうもの。面白いことに、テクノロジーはものすごく進歩した。でも人間は、そこまでじゃない。俺たちはまだ洞窟にいた頃からそんなに遠くまで来ていない。だから、面と向かって会って話すべきなんだ。目を見れば、何が起きているかわかるから。問題はテクノロジーじゃなくて人間。テクノロジーに人間が追いつかなきゃいけないんだ。今やテクノロジーの方が人間より賢い。悲しいことだけどね。でもね、Don Letts は楽観主義者なんだ。音楽を通して世界中を旅して、君みたいな若者に会うから。彼らは理解しているとわかる。俺たちは今でも、音楽には変化を起こす力があるって信じている。

良い質問をありがとう。君はちゃんとリサーチをして、点と点を繋いでくれた。イギリスの若者にインタビューされると、彼らは一週間前のことすら歴史だと思ってるからな(笑)。 君との会話は俺にとっても興味深いものだった。話せてよかったよ。