「人は自分の想像力を使って世の中を見る」辻村深月が『ファイア・ドーム』で書きたかったこと
mizuki tsujimura
photography: zero wang
interview & text: mayu sakazaki
人はなぜ大きな事件に魅了されてしまうのか。事件にまつわる噂と、その裏にある好奇心や不安が、誰かの日常をどのように傷つけるのか。作家・辻村深月が新作長編ミステリー『ファイア・ドーム』で書いたのは、とある誘拐殺人事件とふたつの男児失踪事件を通して、25年の時を隔てて起きたさまざまな謎をめぐる物語だ。読者は大きな事件の周りにどんな個々の人生があったのかを、被害者遺族、教師、新聞記者、子どもたちの視点から追体験する。そして、この小説で描かれているのは、真偽不明の情報の渦を生きなければならない現代に、言葉を守るために何ができるのかという問いでもある。デビューから22年を迎えた作家・辻村深月が、なぜ今この作品を書いたのか、7年の執筆を終えて思うことを語ってもらった。
「人は自分の想像力を使って世の中を見る」辻村深月が『ファイア・ドーム』で書きたかったこと
Literature
—新作長編の『ファイア・ドーム』では、大きな事件とその噂が、小さな世界の中でどのように火種となっていくのかが描かれていました。「噂」というテーマについては、いつ頃から考えはじめ、膨らませていったのでしょう?
もともとミステリー小説が大好きだったので、いつかこういった小説を書きたいとは思っていました。今作の担当編集者からも、私がデビューした直後から「いつか辻村さんの現代長編ミステリーが読みたいです」と長い間ずっと言っていただいていて。それがようやく形になりはじめたのが、連載開始(2019年)の一年くらい前のことでした。ただその時点で、私はもう小説家としては15年ほどキャリアがあって、すでに色々なものを書いてきた後でした。だからこそ、ただ謎のために現代の刑事事件を書くということに躊躇いもあり、なかなか無邪気には飛び込めなくなっていたんです。
—時間をかけて取り組む必要があったんですね。
事件というのは人が起こすものである以上、やはり誰かの不幸を書くことになるんですよね。では、人の不幸をフィクションで書くことにどんな意味があるのか。そういった壁にまずぶつかりました。本の帯にも「人はなぜ大きな事件に魅了されてしまうのか」と書かれていますが、大きな事件が起こると、やっぱり当事者とその周辺だけではなく、報道に接した人にまでショックが広がる。その衝撃から自分を守るという意味でも、情報を集めたくなってしまって、真相が検証される前の不確かな情報であっても真に受けてしまったりする。そういうことを考えているうちに、「もし私が刑事事件を扱うのであれば、この側面からしかない」という気持ちが芽生えていきました。
この方向で書くと決めたときに、タイトルにもなっている『ファイア・ドーム』の情景がふっと思い浮かんだんです。スノードームを揺らすと雪が舞って降り積もるように、事件によって小さな町が揺り動かされて、さまざまな噂の火の粉が飛び交う。狭い場所だから逃げ場もないし、落ち着いたように見えても火の粉は底に残り続ける。その情景から『ファイア・ドーム』というタイトルが決まり、それによって、自分がこの小説で書きたいことについても、より自覚的になりました。「今回は噂にまつわる小説なんだ」って。
—『ファイア・ドーム』では、物語が直線的に進んでいくというよりは、いくつものレベルで同時に進行したり、カットバックしたりします。同じシーンを別の視点で描いた場面もありました。そうしたパズルを組み上げていくとき、どのような作業でつくっていくのでしょう?
今見ると、めちゃくちゃ色んなことが起きているので、我ながらよくこれをやろうと思ったなと思います(笑)。私、最初から最後まで話を決めて書くことがほとんどないので、本当に次の一章のことしか考えていなかったんです。だから、次にどんな展開があるだろう、どういう方向に進んだらより面白い小説になるんだろうと、次号の連載のたびに編集者と会って打ち合わせしていました。その甲斐あって、どの回もとても濃密な原稿になった手応えがありました。
—読んでいてすごく惹き込まれたというか、ゾッとしたのは、行方不明になった男児の担任である教師・佐村美冬をめぐる噂のシーンでした。問題が起こったとき、それまで日常的にしていた行動が急に責められる対象になる、と文中にも書かれていましたが、それって事件だけじゃなく災害や戦争など、色々なことに当てはまるなと。美冬というキャラクターと彼女が経験する出来事について、書きながらどんなことを考えましたか?
そうですね。今回は視点人物が4人いるんですけど、それぞれにどんな役割を持たせるのかといったことも事前に決めきらずに書きはじめました。そのなかで、事件の始まりである25年前の誘拐殺人事件の被害者だった新沼紗英と、同じくらいの年頃の視点人物を登場させたいという気持ちから、美冬の存在が生まれました。そのときに漠然と、25年前と大きく違う点として現代には SNS があり、噂や憶測も可視化されやすいから、美冬はなんらかの形でそこに巻き込まれてしまうかもしれないと考えてはいたんです。普通に暮らしているときには、自分が事件の当事者になることなんて思いもよらないけれど、ある日突然、自分の行動が非難の対象へと変わっていき、信頼できると思っていたはずの人たちも信じられなくなっていく。
けれど、美冬を傷つけた周りの人たちには、実は悪意はないんですよね。彼女が通う鍼灸院の院長にしても、鈍感だったり無神経に見えるけれど、美冬を心配する気持ちに嘘はない。それでいて、自分が知り得た情報をちょっとの特別感から人に話してしまうところもある。でも、そこに矛盾はないんですよ。美冬の友だちにしても、噂に巻き込まれたことで、自分を守るために必死になっているだけで、美冬を傷つけるつもりはないのだと思います。誰もが大きな悪意で動いているわけではないけれども、結果としてそれが人をものすごく追い詰めるという状況は、書いていて私も息苦しくなりました。噂が広まるのは悪意によってではなく、無自覚な軽さによってなのだということを書いておきたかったんです。
—美冬は行方不明になる直前の教え子に会ったあとで、その鍼灸院に行きます。けれど、それが一部の報道で「エステ」と表現される。若い女性教師が、生徒のことよりも美容を優先したのかと。女性をめぐる噂のステレオタイプや偏見についても考えさせられる展開でした。
学校側の説明で「担任の先生」とだけずっと表現されていたのが、一人の記者が「エステに行く途中だったというのは本当か」と質問したことによって、その瞬間に若い女性なんだろうというある種の像を獲得してしまう。人は、やはり自分の想像力を使って世の中を見るものなので、イメージしやすいものを真実だと思い込みやすい。今回、本のキャッチコピーとして「あの人は真実よりも、面白い物語を選ぶ」という言葉をポスターや広告に書いていただいたのですが、その一文を見たときもはっとしました。現実って複雑な形をしていたり、理解するのにいくつも説明が必要だったりしますが、ステレオタイプなイメージって一発で伝わるから、わかりやすいんだと思います。
—わかりやすいからこそ、爆発的に広がってしまう。
共感しやすいし、共通言語にしやすいというのもあって、多くの人が現実よりわかりやすい物語を信じてしまうし、求めてしまうところはあると思います。事件にしても、犯人がたまたま、うっかりやったという説明より、事件の背景にはもっと大きな動機や要因があると言われた方が飲み込みやすい。計画的で思慮深い犯人であるはずだと、勝手に想像されてしまう怖さがあると思うんです。間違ったストーリーがそのまま広がっていく危うさは、私たちが生きている社会でも至る所にあると感じています。
—そうした小さな恐怖が、事件という大きな恐怖の周りにあるんだと丁寧に書かれているのが印象的でした。渦中にいることで二次被害を受けたり、その後の人生が変わってしまったり。ひとつの出来事では終わらない、連鎖していく被害というのが恐ろしかったです。
読んでくださった方からは、「ニュースで見る向こう側にこんなに人の生活があると想像したのは初めてでした」という感想もいただきました。大きな事件や現象というのは、どこか自分とは違う、遠い世界のことなんだと思われてしまう。けれど、事実を並べただけでは伝わらないことが、個人の強い物語を通じて立ち所に理解できるようになることもあると思うんです。だから、普通の生活をしていたはずの美冬の世界が一日で変わってしまうことや、被害者の父である新沼忠治が25年かけてどういう気持ちで生きてきたかを、読むことで身近なものにしてもらえたなら小説家として光栄に思います。
—事件について人に語るときの、ある種の気持ちよさについても、小説には書かれていたように感じました。さまざまなキャラクターがその感覚に抗えずに、口を開いてしまう。自分自身にも身に覚えがあるのですが、その「気持ちよさ」の正体とは何なのでしょうか?
たとえばアーティストが出した楽曲がすごく有名になって、急にブレイクしたりすると、「あの人が小さなライブハウスでやってたときから知っている」とか、「昔はこんな性格だった」とか、自分だけが知っている情報を語ることってよくあると思うんです。周囲より身近に知っているという優越感と、さらには友だちや目の前にいる人にそれを分け与えてあげたいという気持ちも重なって、話が広がる。事件も同じで、地元だから知っている、関係者から聞いた、という言葉を添えて、さまざまな話がまことしやかに語られる。でもそれが興味や好奇心からだと思われると後ろめたさや罪悪感もあるから、多くの場合で、「心配だから」とか「本当なら許せない」という感情と結びつくんだと思います。
その心配や怒りも決して偽りの気持ちではなくて、自分と似た境遇や近しい立場の人が巻き込まれた事件であれば、私たちはみんな、ショックを受けるし、そのショックを和らげたくてより情報を求める、発言する、ということも実際にあると思います。
—「噂」や「SNS」に関して感じるのは、何か悪いことが起こってほしいと望んでいる人が多いように思えることです。大きな事件は、人生からの逃避先にもなるのでしょうか?
今回の小説の中で、「噂は軽薄で、残酷な娯楽だ」という一文を書きました。リアルタイムに今起きていること、情報に接することで自分もそこに参加しているように思える現象には強烈な中毒性があるように思うんです。今回の小説で書いている事件も、小さな町が急にドラマの舞台になったかのように景色が一変する感じがあって、地元が注目されているということに周囲が魅入魅了されていきます。そして、事件の犯人が逮捕され、報道されなくなると「あの事件にはまだ裏がある」と噂が立った。その様子は、みんなが「事件を終わらせたくない」と願い、非日常を楽しむ思いが具現化したもののように書きながら感じていました。
人は不安なとき、日々を憂いているときこそ自分の信じたい情報を信じてしまう傾向があると思います。同じニュースを見ても、自分が受け取りたい部分だけを受け取ってしまったり、そうあってほしいという方向に読んでしまったり。同様に、噂にもやはり無意識に語る人の願望が入るのかもしれません。
—お祭りみたいな感覚なんでしょうか?
そうですね。『ファイア・ドーム』という言葉の、火の粉が揺れ動いて舞い落ちる感じも、どこかお祭りのような、日常の中の非日常というイメージがある気がします。
—「噂には語る人の願望が入る」という話も、怪談や民俗学に通ずる感じがありますね。
私も近いことを感じます。今のように SNS が盛んになってから可視化され、問題とされるようになった側面はありますが、それよりずっと前から、人の好奇心や願望には何かを、誰かを傷つけてきた歴史があると思うんです。『ファイア・ドーム』が、そういったテーマにまで手を伸ばせているように読んでいただけたら、とても嬉しいです。
—美冬の恋人であり、新聞記者でもある桜木透真は、事件に深く関わりながら「誰も傷つけない記事を書く」ことを求められ、そんなことが本当にできるのだろうかと葛藤しますね。何かを伝えることの難しさについて、辻村さんが悩まれることはありますか?
小説を書くときは、著者の考えをどう伝えるかというよりも、登場人物たちそれぞれの感情に嘘をつかない表現がしたいというのを一番に考えています。私の主張ではなく、登場人物たちがどう思うのかを大事にしたいんです。その結果、著者の私の考えとは外れたり、その発言によって傷つく人が出てくるかもしれないと考えることも多いですが、迷ったら、登場人物の声を聞くようにしてきました。
—小説の中に多様な人が生きていて、そこに社会があるということですよね。
そう言っていただけると嬉しいです。前半は美冬がさらされる噂や非難に視界が狭まっていくような苦しさがあるので、これは噂の怖さや残酷さに主軸を置いた小説になると思っていたんです。デビューした頃の自分であれば、そこで彼女を攻撃した人たちを断罪する小説にしていたかもしれない。だけど、後半になって、透真が記者という自分自身も言葉を発する側の立場だったこともあって、噂を根絶するのは無理だし、人の好奇心や拡散したいという気持ちをなくすことはできないと理解したうえで、その社会で自分たちはどう生きるのか、言葉に対してどんな責任を持たなきゃいけないのかという葛藤にたどり着いてくれたんです。そこまで書ける話になるとは思っていなかったので、長く、私自身も迷いながらでしたが、この形で書けてよかったです。
—さまざまな事件が連鎖していく重苦しい物語でありながら、読み終わったあとは清々しい気持ちになりました。小説の閉じ方について悩んだ部分はありましたか?また、物語の終わりに希望のようなものを描くことについて、辻村さんはどう考えていますか?
書いているときは、どうなっていくのかわからないところもあったのですが、最後は「もうこの形しかないな」というラストシーンになりました。最後に透真が「言葉を守りたい」という結論に至ったところから、火の粉の代わりに見えてくるものがおそらくあるはず。読者の方にも、それが何なのかを見届けていただきたいです。
—個人的に感じたのは、他者に対して誠実であること、それを積み重ねることが変化をもたらすのかなということでした。
登場人物みんなに言えることなのですが、大きな世界に対して自分は無力かもしれないけれど、目の前の小さな世界を守ることが、ひいては大きな世界に立ち向かうことにつながるという方向に、全員が結論を出していった気がします。相手の姿が見えないとやっぱり怖いし、実体がない噂話がつけ入る隙もそこに生まれる。後半、小説の中で「勇気」という言葉がひとつのキーワードになりますが、登場人物たちの出した「勇気」の先を、みなさんにも読んでいただきたいです。
—先ほどのお話にもあったように、現実の出来事は整合性がとれなかったり、因果関係がわからなかったり、そもそも理由がなかったりしますよね。でも、ミステリー小説にはかならず解決があって、謎が解き明かされることで登場人物が先へと進んでいくことができる。そう考えると、すごく救いがあるジャンルなんだなと感じました。
それは嬉しいです。事件が他者の不幸である以上、フィクションの世界で今の自分が事件を書くことには葛藤が絶えずありました。特に、被害者家族の気持ちなどは、彼らの視点になって書きつつも、自分が断定するような書き方は絶対にできないという思いがあったんです。終盤、忠治が紗英のお墓参りをするときに、「終わったよ」と呼びかける場面があるのですが、何度も改稿するなかで「終わった」なんて言わせてしまっていいのだろうかという迷いもあったんです。すごく大きな喪失を経験した人が、その喪失に終わりなんていうものをつくるだろうかと。結局、忠治という人の場合は、そういう気持ちになったんだということで、送り出したんですけど。今言っていただいたように、「解決」というひとつの節目があったからこそ、忠治の中でもう自分自身を許してもいいという気持ちになったのかもしれない。先に進みたいという気持ちが「終わったよ」という言葉になったんだと、今思うことができました。
—子どもの頃からずっと小説を書いてきた辻村さんは、書くことと生活が密接につながっているように思います。今作の執筆開始からの7年を振り返って感じることはありますか?
作家としていつかやっておきたいと思っていた大きな仕事が、今回の小説でできたという思いがあります。「一生に一度書けるかどうかの特別な小説」と本の帯にも書いているんですけど、この本を書けただけで、作家になった甲斐があったのかもしれない。その思いが読者のみなさんにも届くことを祈っています。
—今の辻村さんにとって、書くことの魅力とは?
自分に刑事事件を扱うような、現実と密接に関わる社会派のミステリーって書けるんだろうかというところからスタートして、今回は新しく挑んだことが本当にたくさんありました。書きはじめる前の自分にこの本を見せたら、「こんなことできるの?」って言うだろうと思うし、担当の編集者に恵まれたこともあって、改稿のたびの指摘も毎回、要求のハードルがとても高くて(笑)。でも、今のキャリアになってこんなふうにまだ鍛えてもらえることがあるんだということに、幸せも感じてきました。周りの助けも得ながら、大きな作品を完成させることができた今だからこそ、次はまた違う角度から現代ミステリーに挑んでみたい。そうやって新しいことにまだまだチャレンジできるというのが書くことの魅力ですし、自分にとってやりがいのあることなんだなと改めて感じています。













