Tony Oursler
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トニー・アウスラーは問い続ける 「今日、魔法とは何か」

Tony Oursler

photography: Natsuko Kito
interview & text: Miwa Goroku

Portraits/

映像をフラットなスクリーンではなく、立体へと投影することで、「映像を見る」という体験そのものを書き換えた Tony Oursler (トニー・アウスラー)。1990年代初頭、映像を布製の人形やオブジェへ投影する作品を発表し、5年に一度ドイツ・カッセルで開催される現代美術展「ドクメンタ9」に参加。1997年には Mike Kelley (マイク・ケリー) との共同制作『The Poetics Project』を「ドクメンタ10」で発表し、同年、ワタリウム美術館でも展示された。

現在、TOKYO NODE で開催中の大規模個展「トニー・アウスラー:技術と霊知のはざま──魔術、メディア、アート」は、初期から現在までの代表作に加え、David Bowie (デヴィッド・ボウイ) との未完プロジェクト『空 (くう)』の世界初インスタレーション公開、サイトスペシフィックな最新作『キメラ』を含む約50点が並び、その約半数が日本初公開となる。1987年の初来日以来、日本でも展覧会やギャラリーを通じて断続的に作品が紹介されてきたが、その40年以上に及ぶ芸術的活動を初期から現在まで包括的にたどる本展は、Tony Oursler という作家を理解する上で、見逃せない機会となる。

映像、音声、オブジェ、そして膨大なリサーチ・アーカイブ。それら異なる要素を組み合わせながら、Oursler は人の知覚そのものを揺さぶる作品を生み出してきた。映像が物体に重なり、声を持ち、こちらを見返すとき、それは単なる像ではなく、何者かのように感じられてくる。人はいつ、どんな瞬間に、そこに「存在」を感じ始めるのか。今回のインタビューでは、その問いを手がかりに、Oursler が見つめてきたものを辿る。

トニー・アウスラーは問い続ける 「今日、魔法とは何か」

展覧会の冒頭を飾る《スペキュラー》の前で。作品と鑑賞者が互いに見つめ返す、見る/見られる関係が立ち上がる

— 私がこれまで抱いていたあなたのイメージは、少し断片的でした。学生時代に Mike Kelley (マイク・ケリー) と活動していたこと。Sonic Youth (ソニック・ユース) や David Bowie (デヴィッド・ボウイ) との仕事。そして『Imponderable (計り知れないもの)』で初めて知った、膨大な歴史的資料の (稀代の) コレクターとしての一面。その本には、スピリチュアリズム、神秘主義、UFO、超常現象などにまつわる図版や資料が、ずっしりと収められています。今日は、その本を持ってきました。

すごい。『Imponderable』をお持ちなんですね。東京で買ったのですか? この本が日本まで来ていたなんて知りませんでした。ちょっと写真を撮らせてください。

— 入手したのは、わりと最近です。flotsam books (フロットサムブックス) という本屋で購入しました。以前はデザイナーの山縣良和さんが所有されていたそうです。

面白い。日本人のファッションデザイナーが持っていたのですね。

— writtenafterwards (リトゥンアフターワーズ) というブランドで、魔女をテーマにしたコレクションを制作した時、この本が初期衝動的なインスピレーション源になったとか。

それはぜひ見てみたい。この本は、Taschen (タッシェン) から再刊される予定なんです。少し小さい判型になると思いますが、そのぶんもっと広く流通するでしょう。

— それは嬉しいニュースです。ずっと絶版だったので。あなたは福来友吉や三船千鶴子、日本の怪談や化け猫など、日本をたびたびリサーチの対象にしています。その関心は、今回の展示でも随所に感じました。

今回、世界初公開を含む新作が 4点あります。そのうち3点、最初の部屋にある『星』の映像と「猫」、そして最後のインスタレーション『キメラ』はいずれも、日本でのリサーチから生まれた要素が強く反映されています。

《キメラ》2026年 本展のためのスケッチ

— 日本での紹介を遡ると、Mike Kelley との共同制作『The Poetics Project』は、ワタリウム美術館でも展示されていたんですよね。私はリアルタイムでは見られなかったのですが。

1997年ですね。Kim Gordon (キム・ゴードン) をはじめ、Sonic Youth のメンバー数人もさまざまな形で関わった展示でした。ちなみに Kim は、今回の展示作品の中にもいますよ。映像『Imponderable』に出演しています。かなり長編で1時間半くらいあるので、もし Kim を目当てに観るのなら、終盤のほうです。Kim は『mAcHiNe E.L.F.』の音楽の一部も担当しています。とてもいいです。

— Mike Kelley について、もう少し伺ってもいいでしょうか。長く制作を共にした友人として、今でも彼のことを考えることはありますか。

もちろんです。彼は兄弟のような存在で、いつも連絡を取り合っていました。ただ、彼は西海岸、私は東海岸に住んでいましたし、子どもが学校に通うようになってからは、西海岸へ思うようには行けなくなりました。

歳を重ねると、不思議なことがあります。友人を失っていくんです。Mike も、Glenn Branca (グレン・ブランカ) も、David Bowieも、Tony Conrad (トニー・コンラッド) も、みんな、この展覧会の中にいます。だから、ある意味で今回の展示は、セアンス (降霊会) のようなものでもあります。

— 彼らが、作品の中でまた存在している。

そうです。来場者が彼らの存在に触れられることを、とても嬉しく思っています。

たとえば今回展示した『空 (くう)』には、Glenn がプロデュースしたサウンドトラックが使われています。出演しているのは、皆さんご存じの David Bowie です。この作品は1999年に撮影し、同じ頃に録音も行われました。それが今ようやくここにある。なぜ25年以上も未完のままだったのか、自分でも不思議です。自分のキャリアの中で、ぽっかり抜け落ちていたピース、いわば “ミッシングリンク” のような作品です。

四半世紀を経て、完成した作品と初めて対面した今、どんな気持ちですか。

実は今日 (会期スタート前日)、初めて見たんです。映像と音声の同期に技術的な問題があって、今朝ようやく完成しました。このプロジェクトでの Bowie Glenn はアナーキー (無規範的) です。編集作業は、パフォーマンスを再発見し、レンズを通して肉体が光と画像へと変換されることについて、昔僕が書いたテキストを解読するような、目から鱗が落ちる体験でした。各要素の間に流れるエネルギーの渦に圧倒されました。Reg Bloor (レグ・ブロア) のギターワークと、Bowie の魔法のような歌声。完璧です。本当にいいものになりました。

《空 (くう)》 2000年 | 撮影:Yuya Furukawa

集め続けていると、巨大なパズルがつながり始める

— 呪術、透視、心霊現象、UFO など、オカルトめいた資料のコレクターでもあります。なぜこれほどまでに膨大になったのでしょうか。

あなたが持ってきてくれた『Imponderable』には、約1200点の図版が載っていますが、実際にはもっとたくさんあって、今では3000点以上くらいになっています。自分でも、どうしてこうなったのかわかりません。ただ、ある時から、一つの巨大なパズルを組み立てるような感覚になったんです。

UFOアーカイブより、ジョージ・アダムスキーによるUFO写真 | Courtesy: Tony Oursler Studio

— 作品のためのリサーチなのか、それとも研究者として収集しているのか。どちらに軸があるのだろうと思っていました。

アートプロジェクトのために資料を集めてはいたけれど、それは非公開の個人的なものでした。「そんなに集めて、いったい何をするつもりなんだ?」とよく聞かれましたね。私は正直に、「わからない。探求すること自体が好きなんだ。僕にとってアートを作ることは、世界を探求する方法そのものだから」と答えていました。

幸運なことに、友人のTom Eccles (トム・エクルズ) や LUMA Foundation (リュマ財団) の人たちが「本にしよう」と言ってくれた。それですべてが変わりました。

私はまず、アーティストとしての視点で本を構成しました。一方で、それぞれのテーマには、学術的な検証も必要だと思いました。なので、本の巻末には専門家による10本の論考があります。UFO について、Franz Mesmer (フランツ・メスメル) について、ファンタスマゴリアや信仰体系について。

一方には厳密な研究があって、もう一方には想像力を刺激する、時には少し狂気じみたイメージがある。私はこの重なり方が好きなんです。どこかでは必ず現実につながっています。私にとって、こうしたものは少しずつ、作品のためのリサーチになっていきました。そして同時に、純粋な楽しみにもなった。趣味のようなものでもあります。

存在は、いつ立ち上がるのか

— あなたが集めているのは、いわゆるオカルトではなく、何かを信じた人々が残した痕跡なのかなと思いました。人は、どんな瞬間に何かを「存在」として感じるのか。その条件を観察しているような。

1990年代の初期の作品では、共感、テクノロジー、そして心理学が大きなテーマでした。私はインスタレーションを通して、鑑賞者の中にさまざまな心理状態を呼び起こそうとしていました。敵意、共感、怒り、恐れ、夢のような物語。作品によっては、心理テストそのものを脚本として使ったこともあります。

《MUR (dusk)》2022年 | Courtesy: The artist and Lehmann Maupin, New York, Seoul, and London

— 今回の展示では、《MUR (dusk)》がまさにそうですね。

そうです。私はまず、オブジェクトをつくることよりも、その作品によって鑑賞者の心理状態がどう変化するのかに興味がありました。架空の映画脚本を書いたりもしました。一本の長編映画になるくらいの長さです。でも、それを映画として撮ることはありませんでした。語られる物語として存在していたんです。そうした想像上の心理状態に人が入っていったとき、何が起こるのかを見たかった。当時は、そういう領域はまだ十分に探究されていないと感じていました。

— 本展では、そのリサーチアーカイブの一部も展示されています。それぞれの分野の専門家にとっても、貴重な資料に見えます。

それぞれの作品に、関連する資料を重ねる形で展示しています。中には今回が初公開のものもあります。たとえば、クリスタルです。すごく小さいですが、ぜひ見てみてください。ショーケースに収められているのは、電子式テレビの発明者の一人で、初期ビデオカメラの基礎となる撮像管「ビジコン」を開発した Philo Taylor Farnsworth (フィロ・テイラー・ファーンズワース) 夫妻のものです。

クリスタルの隣には、木が円状に成長した様子を描いたファーンズワース・コレクションの不気味な絵画もあります。ただ好きだからという理由で、家に飾っていたものなんです。私は、そういうことに惹かれます。テレビという20世紀を代表する最先端技術を切り拓いた人物が、同時にクリスタルを集め、自然にも深く惹かれていた。その重なり方が、とても面白い。

— あなた自身にとっても、クリスタルは特別な存在ですか。

クリスタルには、奇妙な二面性があります。ニューエイジ的な側面がある一方で、先端技術の基礎でもある。半導体にとって、クリスタルは心臓のような役割を果たしているとも言われています。テクノロジーの世界にも属し、同時に魔術的思考の世界にも属している。私は、そのような二重性に惹かれるんです。『mAcHiNe E.L.F.』では、そのことを作品として扱いました。

《mAcHiNe E.L.F.》2023年 | 撮影:木奥惠三

「今日、魔法とは何か」

— あなたのお祖父さまもお父さまも、それぞれ違う形でスピリチュアルな世界と関わってこられました。あなたも近い世界に身を置きながら、でも取り組み方は全く違う。もし、お祖父さまの代からあなたへ受け継がれた問いが一つあるとしたら、それは何でしょうか。

祖父から僕へ……いい質問ですね。確かに、一本の線でつながっていると思います。祖父なら、きっとこう尋ねるでしょう。「今日において、魔法とは何か」と。

彼は若い頃、マジシャンだったんです。18歳くらいだったかな。舞台で手品をしていました。いわゆるステージマジックです。でも、人生の途中で別の方向へ進みました。作家になったんです。非常に多作な作家でした。その後、カトリックへ改宗します。でも、魔法への情熱は失いませんでした。ただ、形が変わったんです。

そして、『The Greatest Story Ever Told (偉大な生涯の物語)』(1948年) という本を書きました。イエス・キリストの生涯を語り直した本です。当時としては、かなり奇抜な発想でした。誰も出版したがらなかった。12社、いや15社くらいだったかな、出版社を回りました。それでも、誰も出版しようとはしなかった。最後に、1社だけが出版を決めました。そしてベストセラーになった。祖父の人生には、そういう場面が何度もありました。最初は理解されないことを、あえてやってみる。私は、そういう生き方こそが、古典的な意味での神秘主義だと思っています。

— その「今日、魔法とは何か」という問いを、あなたは作品を通してどのように探究してきたのでしょう。

『Imponderable』という映像作品は、本質的には異なる「信仰・信念の体系」についての作品です。人は、何を信じることを選ぶのか、そして信仰によってどうやって人は自分超えようとするのか。そのことを探った作品です。

《計り知れないもの》のアーカイブより、降霊術を行うマージャリー・クランドン | Courtesy: Tony Oursler Studio

たとえば Margery Crandon (マージェリー・クランドン) は有名な霊媒師です。奇術師の Harry Houdini (ハリー・フーディーニ) は彼女の霊媒能力の真偽を追及し、一方で Arthur Conan Doyle (アーサー・コナン・ドイル) は彼女を強く擁護しました。私の祖父母は Margery 本人ではなく、Houdini や Conan Doyle と縁がありました。だから私の中では、魔術師、作家、そして本当に超自然的な力を持っていると信じられていた人々、その三者のあいだで交わされる終わりのない対話があるんです。

Margery は、霊と交信できると言っていた。でも思うに、それと、教会に通って祈ることの違いは、いったい何でしょうか。結局のところ、どちらも一つの信念体系 (信仰) なんです。

『計り知れないもの』2015-2016年 | Courtesy: Tony Oursler Studio

— お父さまは編集者。晩年 『Angels on Earth』という雑誌を創刊したと、展示資料で拝見しました。

そうです。『Angels on Earth』 は、天使にまつわる体験談を集める雑誌です。人々が「本当にあった」と語る物語を載せています。彼が最初にそのアイデアを私に打ち明けた時、私は驚きました。「え? 天使の何が分かるっていうんだ?」ってね。当時すでに70歳くらいだったかな。二つのキャリアを終え、引退後は葉巻をくわえ、テレビを眺める毎日を送っていました。そんなある日、「トニー、僕は自分の雑誌を始めなくちゃいけない」と言ったんです。

その雑誌は、今も年4回発行されています。利益はすべて慈善事業へ。父自身はそこから何も受け取っていません。ただ、自分の夢を形にしたかった。それだけなんです。本当に仕事人間でした。その気質は、私も受け継いでいます。

振り返ると、私の家族には一本の神秘主義の糸が流れているような気がします。そして祖父も父も、同じ問いを私へ託してきたように感じます。「今日、魔法とは何か」と。

— その問いの答えは? 魔法は今、どこにあるのでしょうか。

私にとって、それはアートです。アートでしかありえない。素材を集める。これと、これと、これを組み合わせる。すると、それまで存在しなかったものが現れる。それぞれの素材を超えた、新しい何かが生まれる。それが、私にとっての魔法です。

— あなたが生み出す魔法のかかり方は、鑑賞者によって大きく違いそうです。

そうです。作品というのは、私がつくり終えた時点では、まだ完成していません。完成させるのは、鑑賞者です。作品は、生き続ける。決して完成しきることはない。少なくとも、私はそうあってほしいと思っています。

作品は、鑑賞者の関与のために設計された一つの機械のようでもあり、エネルギーのシステムのようでもあります。そこへ、誰かが入って初めて、アート作品は命を吹き込まれる。そこに、魔法はあります。

『ロック 2、4、6』2010年 | 撮影:木奥惠三

存在は、なぜ顔に宿るのか

— あなたの作品には、身体全体よりも、顔や視線、声が多く登場します。身体を見せないことには、理由があるのでしょうか。

もちろんあります。私はアーティストとして、知覚そのものをずっと考えています。人間の目というのは、まず顔を見る。すると、それ以外は周辺視野へと溶けていきます。ほら、ここにある自分の手だって、ほとんど見えていないでしょう。これは、私たちがどうやって他者と関わるか、ということにも関係しています。私たちは、頭を通して見る。頭を通して聞く。意識は、そこへ集まります。

最初に人形やダミーをつくっていた頃、私が見ていたのは古典彫刻ではありませんでした。見ていたのは、scarecrow (かかし) だったんです。私は人物をつくりたかった。でも、いわゆる大文字の Sculpture (彫刻) からは始めたくなかった。人物は、もっと別のところから生まれてきてほしかった。

農夫は、布切れを何枚か取って、ほんの短い時間で人の形をつくります。すると、そこに「人物」が現れる。そこで私が気になるのは、それが生き始めるのか。それとも、ただの物のままなのか。アニミズムについて考えるとき、私はいつも「かかし」を思い出します。畑の中で、かかしがどう機能しているか。本当に美しいと思います。農夫は、芸術をつくろうとしているわけではありません。

ただ、鳥や小さな動物に働きかけようとしているだけです。でも、そのとても単純な行為によって、そこに存在感が生まれる。私はそこに惹かれました。いつしか、私の中では顔とかかしが、一つにつながったんです。そして、それはとてもうまく機能しました。そこに残るのは、身体を失ったキャラクターでありながら、それでもなお強い存在感を備えたものですからね。

思考には、形がある

— 最近、最も惹かれているテーマは何でしょうか。

私はいつも、新しいアイデアで遊ぶのが好きなんです。新しい領域で遊ぶこと。最近は、光や色について考えることが多いですね。どうしてなのか、自分でもよくわかりません。でも今、それがすごく面白い。次のプロジェクトも、おそらくそこへ向かうでしょう。

あ、ちょっとこれを見てください。(スマホの写真をスクロールしながら) これは、Annie Besant (アニー・ベサント) の手の写真です。

— Annie Besant とは、どんな人物ですか。

彼女は、私が人生で最も好きな本の一つ『Thought-Forms』(邦訳本『思いは生きている――念想形体』)の著者です。1990年代後半に、その本を見つけました。彼女は神智学者でした。そして、C. W. Leadbeater (C・W・リードビーター) とともにこの本を書きました。二人が試みたのは、人間のオーラを可視化することでした。心理状態や感情、精神状態を、色と形によって可視化しようとしていた。

私はこの本をもとに、後に『Thought Forms』という展覧会をつくりました。今回の展覧会にある『塵 (ちり)』も、そこから生まれた作品です。

『Thought-Forms』というタイトルを見た瞬間、「これは (自分の探求と) つながっている」と感じました。当時、私はコンセプチュアル・アートを学んでいました。でも、あとで気づいたんです。この本は1905年に出版されていた。コンセプチュアル・アートより、はるか以前です。「思考には形がある」という発想は、すでにそこにあった。

Hilma af Klint (ヒルマ・アフ・クリント) も Kandinsky (カンディンスキー) も、まさにその流れの中にいます。長い間、こうした流れはあまり知られてきませんでした。でも今ようやく、多くの人がそのつながりに気づき始めています。それが、とても面白いんです。

この写真も、実は先週手に入れたばかりなんですよ。いまだに、手に入ったことが信じられないくらいです。手相を見るための写真なんです。手相占い、知っていますよね。

— はい。日本でもポピュラーな占いの一つです。40年以上探究を続けても、なお新しい発見に驚かされることがあるのですね。

そうです。でも、それはまったく新しい方向ではありません。ずっと同じ探究の延長なんです。それでも、「こんなものがまだ見つかるのか」と驚かされるたびに、本当に嬉しくなります。