一つではない答えを探して。石橋静河が『ナギダイアリー』で見つけたもの
Shizuka Ishibashi
photography: Kazuhei Kimura
styling: Megumi Yoshida
hair & make: Aya Murakami
interview & text: Tomoko Ogawa
大きな事件が起こるわけではない。それでも、日々を過ごすうちに、気づけば何かが少しずつ、しかし確かに変わっている。深田晃司が脚本・監督を手がける映画『ナギダイアリー』で、石橋静河が演じるのは、東京と台湾で建築家として働いてきた友梨。数日間の休暇をとって、別れた夫の姉・寄子 (松たか子) のもとを訪れた彼女は、「ナギ」での穏やかな時間のなかで、少しずつ自分自身のかたちを見つめ直していく。「答えを一つにしない」ことに惹かれると語る石橋自身もまた、友梨と重なるように迷いのただ中にいたという。自分は何者なのか、自身や周りの人の声にどう耳を傾けるのか。わからないことと、どう付き合うのか。「ナギ」のモデルとなった岡山県奈義町で過ごした期間と、『ナギダイアリー』という作品が石橋静河にもたらしたものを聞いた。
一つではない答えを探して。石橋静河が『ナギダイアリー』で見つけたもの
Entertainment
— 穏やかな時間の流れのなかで確実に何かが変わっていく本作で友梨を演じながら、この作品の時間や変化をどう捉えていましたか?
脚本を最初に読んだときは、その土地が抱える社会問題など深田さんがこれまで描いてこられたテーマもたくさん含まれているけれど、最終的にただ現実を突きつけられて終わるのではなく、その先にある希望のようなものがすごく素敵だなと思いました。そして、出来上がった作品を観たときは、テンポが本当に心地よくて編集の力も感じました。傍から見ればごく些細な出来事が少しずつ起きていくだけの映画だけれど、その一つひとつは当人たちにとっては大事件で、それがその人たちの人生なんだ、ということが、テンポ感や音楽、映し方によって、より強く立ち上がってくる。そういう作品になっていると思います。
— 深田さんのこれまでの監督作品と地続きでありながら、違う手触りもありました。石橋さんはどう受け止めましたか?
これまで拝見してきた深田さんの作品は、しんどい現実をありのままに映し出すような印象がありましたが、今回は、それとは異なる角度から描こうとされているのかなと感じていました。実際に完成した作品からも、これまでとはまた違う、新しい風が吹いているような感覚がありました。
— 石橋さんが演じられた友梨は建築家という役柄でしたが、役柄と職業をどんなイメージで掴んでいったのでしょう。
脚本のなかには、職業の部分はあまり描かれていなくて言葉の端々に出てくるくらいなので、どこまで自分の想像で埋めるべきかは考えました。ただ、松さんが演じる寄子さんは、アーティスト、彫刻家であることが生活の一部となっている人ですが、友梨はまだ「これは私の作品です」と言えるような建築の仕事はできていないのかなと思っていて。ちゃんと求められて仕事をしてきたし、積み重ねてきたものもある。それでも、まだ自分は何者でもないという焦りを抱えている。だから「建築家らしさ」よりも、「自分は何者なんだろう」とか「何もできていないんじゃないか」という焦りのほうの感情を大事にしました。
— 石橋さん自身が共鳴した部分もあったのでしょうか?
私自身も、この先どうやっていこうかとすごく悩んでいた時期だったんです。そんなときに深田さんが声をかけてくださって、松さんが寄子さんを演じられると決まっていて。だから「これは絶対にやりたい」と思って参加させていただいたんです。友梨は「これまで何をしてきて、これから何ができるんだろう?」という迷いのなかで、寄子さんに出会って少しずつ何かが見えてくる。その道のりと、撮影期間を通して松さんと対峙するなかで「自分ももっとこうありたい」と私が感じていった速度のようなものが、どこかリンクしていたのかなと思います。だから大きな意味では、私自身も友梨に共鳴していた感じがあります。
— 松さんと芝居を重ね、隣合うコテージで暮らすなかで、どんなものを受け取っていましたか?
宿泊していたコテージが、とにかく寒かったんです。少し山を上がった途中にあって、それだけでずいぶん気温が違って。町の人にも「なんであんなところにいるの!」と驚かれるような場所で。二人で毎日「めちゃくちゃ寒いね」と言い合って、びっくりするほどカメムシもいて…… (笑)。そういう感覚を松さんと共有しながら現場にいられたことは、すごく大きかったと思います。結果的に、その時間も含めて、奈義町という町の気候や雰囲気に少しずつ慣れながら、暮らすように一か月を過ごせました。深田さんは奈義町に滞在して脚本を書かれているので、この土地の空気感や、そこに暮らす人たちの姿が大いに含まれていたんです。なので、私自身もそこに滞在することで、少しずつその空気に馴染んでいったところもありました。
— 深田さんの現場や演出で、印象に残っていることはありますか?
深田さんが描きたいのは、わかりやすい感情の起伏ではないのだと思います。「嬉しいならこういう表現になるよね」といった定型を一度置いて、それを別の角度から捉え直すような、自由さを持った作品づくりをされる方なので。本読みを何度かして、現場では寄子さんのアトリエで事前にリハーサルをしたのですが、「+0.1にして、次は0.2、その次は0.3、いや、そこから−0.2してみようか」という、小さな積み重ねをしていく感覚が、私はとても好きでした。「こうあるべき」というのは大多数の意見であって、100人中100人の意見ではないよね、という、フラットで冷静な目を持っている方だと思います。お芝居をしていても、まずそこを疑うところから始められるというか。
— 本当に細かい単位で、芝居の方向を少しずつ探っていくような感覚だったんですね。
そうですね。それは、舞台『未練の幽霊と怪物―「挫波」「敦賀」―』で、チェルフィッチュの岡田利規さんとご一緒した稽古で感じたものにとても近くて、いまあるものを壊して、「じゃあ、ここには何があるんだろう?」と見つめ直すような。あのとき覚えた「もっと壊していいものがあるんだ」という自由さと、すごく近いものを感じました。もちろん、伝えなければいけないものはありますし、みんなに伝わる表現でなければ、伝えたいことは届かない。だから守らなければいけないルールはあるんですけど、そこをギリギリのところで守りつつ、「この言葉を、まったく違うふうに解釈してみてもいいんだ」と思える。その自由度がとても楽しかったです。
— 本作は第79回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に正式出品されましたが、ワールドプレミア上映に参加されてどんな発見がありましたか?
奈義町で撮影しているときは、まさかこれが海外で、しかもカンヌで上映されるなんて想像もせずに、日々撮っていたんです。とてもドメスティックな物語だと思っていましたし。でも、思っていたよりずっと反応が温かくて。観ている方がとても能動的で、自分から作品を掴み取りにいってくれる。字幕を追いながら、「こういう文化の人たちは、こういう暮らしをしているんだ」という新しい情報もたくさんあるはずなのに、そのなかで交わされる絶妙な会話や、繊細なユーモアに、みんなが大笑いして楽しんでくれる。こんなに楽しもうとしてくれるんだ、ということがすごく嬉しくて。ドメスティックな話だからこそ、こうしていろんな人の心に届くんだ、とわかって、新しい扉が開いたような感覚がありました。世界をもっと信じていいんだなと。何かを投げれば、必ずそこに波紋は生まれる。その波紋がどこまで届くのかは、もう自分の手を超えているんですよね。そのスケールの大きさに感動しました。
— 友梨が、寄子の幼なじみの息子の春樹とその親友の圭太の相談を聴くときの耳の傾ける姿も印象的でした。石橋さんは、決断にまつわる相談を受けるとき、意識していることはありますか?
難しいですよね。私が何かを決めるときは、「後悔しないか」を基準にするんです。後悔しないためには、やっぱり自分で決めなきゃいけない。誰かに勧められたり、指示されたりしたことをやって、それがうまくいかなかったとき、「だって、あの人のせいじゃん」と思ってしまうのがすごく悔しいし、人のせいにしたところで何も解決しない。だったら、自分で選ぶしかないと思う。だから、人の相談に乗るときも、「その人が後悔しない選択はどれか」ということだけを集中して考えたほうがいいのかなと。近い人であればあるほど「私はこうしたほうがいいと思う」と言い切りたくなるけれど、決断をするのはその人自身だから、最終的には「自分で選んだことがいいと思う」としか言えない気がします。でも、ただ聴いてあげる、それが、いちばん難しいんですよね。
— わかりやすさを求める風潮があるなかで、本作はわかりやすい答えを示してはいませんが、石橋さんは、答えを示さないことに対してどのような思いがありますか?
どちらも好きです。言い切ることにも勇気がいると思うし、そういう作品を観て、シンプルに元気をもらうこともたくさんありますし。ただ、自分の好きな色としては、「こうかもしれないし、こうかもしれないよね」という言い切らないもののほうが、納得できるかなと。同じAという事柄でも、誰が見るかによって、まったく違う事象になるものだから、「この答えはBだよね」とみんなの意見が揃うときは、何かしらの誘導が入っている気がしてしまって。私はそれが少し気持ち悪いなと感じてしまうことがあるので、いろんな可能性を含んでいるもののほうが好きです。
— わからないまま置いておくことは、とても大事だなと思うのですが、石橋さんは、すぐに結論を出せないこととは、どう付き合っていますか?
私はそもそも、白黒はっきりつけたいタイプなんです。早くわかりたいし、物事を把握したいと思ってしまう。でも、頭でわかったところで、行動に移せていなかったら、わかっていないのと同じなんですよね。今は、頭では理解していることが、すごくたくさんある気がしていて。自分の体に落とし込んで、行動するところまで「わかっている」状態って、実はなかなかたどりつけないことなんじゃないかと思うんです。だから、「自分はわかっていない、頭でわかった程度では理解していないんだ」と自覚することが大事なのかなと。そう思えば、より深く知ろうとするし、学ぼうとする姿勢を持ち続けられる。まずは、わからないことを「わからない」「知らない」と言えることが、大事なのかなと思います。













