サイケデリック ロックバンド Tame Impala (テーム・インパラ) インタビュー
Tame Impala
初の単独来日公演で腰を抜かすほどのインパクトを残したテーム・インパラ。現時点でもっとも理想的なポップミュージックを鳴らすケヴィン・パーカーの影響源とスタイルに迫る貴重なインタビューを公開。
サイケデリック ロックバンド Tame Impala (テーム・インパラ) インタビュー
Portraits
4月25日、私は文句の付け所のないスタジアムバンドを久しぶりに目撃した。冒頭の短いインストの後、必殺のフレーズがいくつもつめ込まれダンスアンセムの「Let It Happen」が鳴り響いた瞬間、誰もがこう確信したに違いない。これは、1年に1度体験できるかどうかの素晴らしいステージになると。録音盤のクオリティはそのままに、ダイナミズムとグルーヴだけが数倍増しになったようなとんでもない演奏。そして、Kevin Parker (ケヴィン・パーカー) のヴォーカルは、集中して聴けば聴くほど寸分の狂いもない。「Elephant」で長く中毒的な間奏から突如ハイハットが16になってエレクトロになったと思いきやまたすぐに元の「ダッダ、ダッダ、ダッダ」というサイケデリックなギターに戻るところとか、「Feels Like We Only Go Backwards」で共通言語の乏しい近年の“バンド”のライヴではなかなか聞けなかった美しい大合唱が起こったところとか、「Less I Know The Better」でAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」並のポップポテンシャルを発揮したところとか、ハイライトを挙げればキリがない。この日、60〜70年代のサイケ、80年代のAOR、90年代の大衆ポップス、00年代のダンス&エレクトロ、すべての点が繋がり、一本のカラフルな線になった。「2010年代のポップミュージックは過去に例を見ないほど充実している」という説が疑いようのない真実だということを、ケヴィンは見事に証明してくれた。さあ、再び素晴らしい時代の幕開けだ。
以下に掲載するのは、初の日本単独公演の直前に行ったインタビュー。その内容は、ケヴィンのバックボーンについて、そして「抽象的で多義的な概念をポップなフィルターを通して伝える」という“アプローチ”について。ここには Tame Impala (テーム インパラ) の音楽を理解するためのヒントがいくつも散りばめられている。目一杯、楽しんでください。
―幼少期に家に転がっていたレコードはどんなものですか。
僕が最初に手にしたレコードは、Michael Jackson (マイケル・ジャクソン) だったね。生まれて初めてイケてる音楽を発見したから、当時は本当に心を奪われていた。それまでは、 The Beach Boys (ビーチ ボーイズ) や The Rolling Stones (ローリング ストーンズ) とか、古くから知られるバンドのものばかり転がっていて。そういうジャンルも好きだったけど、Michael Jackson の音楽やダンスにはいつもインスパイアされていたんだ。
―では、ポップミュージックをメインに聴いて育ったのでしょうか。
うん、そうだね。ただ、10歳くらいからNirvana (ニルヴァーナ) や オーストラリアのロックバンド、Silverchair (シルヴァーチェアー) とかを聴くようになって、この時期はロックミュージックに恋をしていた。パワフル、そして何よりも自由だから。ロックミュージックといえば“ロングヘアの洒落た若者”を想像するよね?そのアイディアに惹かれていたんだ。
―では、その長い髪はその頃からずっと変わらず?
違うよ、今は長いけど(笑)。 高校生の頃はロングヘアにすることが夢だったんだ。でも親が許してくれなくて。若い頃は悪さばかりしていて、問題を起こすたびに髪を切らなくてはいけなかった。担任に向かって暴言を吐いたことがあってね、その時も髪を切らされたよ。なんて、これは冗談。(笑)
―「これが自分のための音楽だ」と思ったことはありますか。また、最初にそれを感じたのはどんな時ですか。
何度もある。多分、最初にそれを思ったのは Silverchair を聴いた時だったんじゃないかな。昔から、周りには音楽好きの友達が多くて、常に刺激を受けていた。そんな中でも、夢中になれる曲を見つけた時は、いつもそのフィーリングを堪能していた。まるでその曲を独り占めしているかのような気分だったよ。「この曲は僕のために作曲されたんだ」なんていうフィーリングを持つことも、音楽に関わっていく上で大切だと僕は感じる。
―サイケデリックミュージックを最初に発見したのは、どんな時でしたか。
いくつか好きな曲はあったけど、その曲がサイケデリックミュージックだっていうことに気付いていなかった。昔、Tame Impalaのメンバーとその他のバンドメンバーとパースの街でシェアハウスしていたんだ。あの頃はお金もなくてひとつの家に6人で住んでいた。音楽は僕たちの人生にとって欠かせないものだったんだ。それが、初めてサイケデリックミュージックに接触した瞬間だったのかも。僕たちは正真正銘のサイケデリック集団だったから。(笑)
Tame Impala – Expectation (2010)
Tame Impala – Half Full Glass Of Wine (2010)
―当時、一緒に住んでいた仲間はみんなミュージシャン?
そうだね。5、6人だったかな。全員、音楽をやっていた。同じバンドに所属していたんだけど、他に小さいバンドを持ってるメンバーもいた。だから、6つのバンドが同じ屋根の下で暮らしていたってとこかな。あっ、6人っていう意味ね。
―その頃の暮らしはヒッピーライクでしたか。
うん、それなりに(笑)。でも、自分たちのことを型にはまったヒッピーだと感じたことは一度もない。ただ単にヘッドバンドを身につけてアシッドを口にしたり、それが僕たちの表現したかったテイストだったんだと思う。唯一、クラブに行くことだけは僕は好きになれなかったけど。
―それでは、Tame Impala のサウンドのアイディアの発端となったものは何ですか。
Tame Impala のサウンドはアイディアから生まれたものではなくて、日々音楽活動に専念して何度もレコーディングを繰り返していく中で自然と創作されていくんだ。型にとらわれず、オープンな思考を持つようにしていた。どんな作品に仕上げるかアイディアを並べるというよりは、やりたいことをやっていたら自然と出来上がっていた、そんな感じかな。
Tame Impala – Solitude Is Bliss (2010)
Tame Impala – Lucidity (2010)
―Tame Impala の音楽的なルーツには、ポップな側面とアンダーグラウンドな側面があると思います。ポップな側面でいうと、過去に Michael Jackson や Outkast (アウトキャスト) のカヴァーを披露していますね。では、アンダーグラウンドの側面を示す具体的なアイコンは誰になりますか?
最近“アンダーグラウンド”の定義を定めるのが難しくなっているよね。典型的なアンダーグラウンドミュージックって呼べるのかは分からないけど、僕はいつも Radiohead (レディオヘッド) が好きだった。
―なるほど、知名度ではなく、音楽的なアンダーグラウンドということですね。
その通り。僕はエレクトロニックミュージックとオルタナティブミュージックが特に好きだったから。
―そのアンダーグラウンドの要素をできるだけポップにするという意識は、 Tame Impala を結成した当初から持っていたのでしょうか。
そういうわけでもない。僕が Tame Impala をスタートした時は、今よりもオルタナティブな曲が多くて、ポップの要素はほとんど取り入れていなかった。でも、いつも僕の音楽はポップ寄りだとは思っていたよ。ポップとオルタナティブって全く別のものとして捉えられがちだけど、僕はそれらを離して考えるべきではないと思っている。あるひとつのものが好きだったら、もう片方のものは好きになってはいけないというような固定概念を持っている人が多いよね。サッカーの熱狂的ファンが、サポートするチームをひとつに絞るように。僕の中でそんな固定概念がなくなってからは、好きなサウンドを好きなように組み合わせている。
Tame Impala – Feels Like We Only Go Backwards (2012)
Tame Impala – Mind Mischief (2012)
Tame Impala – Elephant (2012)
―交通のない島同士の橋渡しをしたいと?
まさに。そうすることで、もっと面白くてユニークなものが完成する。いかがわしいドラムのビートを刻みながら、 Michael Jackson の曲をリミックスしたりとかね。
―Tame Impala のリリックやメロディはマーケティングから成り立ったものではなくて、自然発生的なものだという感じがします。
音楽そのものへの野心が一番のポイントかな。いつも音楽のことは考えているけど、作詞もレコーディングも曲を世に出すのも、義務づけられたことではない。ただ自分のためにやっているだけなんだ。もちろん、自分のクリエイティビティを世の中に広めるためではあるけど。要するに、いつも自発的に音楽のことを考えている。人生のほとんどを音楽と共に過ごしてきたからね。こうやって話している今も、頭の中で作詞しようとしているよ。僕にとって、音楽活動はくしゃみをするのと同じくらいナチュラルなことなんだ。
―自分の人生を音楽に捧げていると思いますか。
もちろん。音楽との付き合いが長くなればなるほど、その気持ちは強くなっている。子供の頃から、音楽で生きていきたいという思いはあったけど、まさかそれが実現するなんて思ってもなかったし、実現しようと努力したわけでもないんだ。だから今こうして四六時中、音楽に没頭できていることに本当に感謝している。
―最新作『Currents』についてお訊きします。過去2枚のアルバムと比べて、サウンドのスケールが一気に大きくなり、何よりもプロダクションがクリアになりましたよね。それは、R&Bやヒップホップ界隈のメジャーなミュージシャンの方がインディーズのバンドよりもはるかに冒険しているという思いがあったからでしょうか。
そうかもしれない。ただ、どちらがどうという話ではなく、その2つの境界線が曖昧になってきているんだと思う。インディーミュージシャンも一般受けするようなサウンドを取り入れるようになってきているし、一方で著名なポップミュージシャンも新しいフィールドに足を踏み入れるようになってきている。ポップ界のファンたちも、大胆で耳新しいものを常に探している。例えば、Kanye West(カニエ・ウェスト)は絶大な支持を得ているけど、彼の音楽はなんだか近づきがたいなんて人もいるんじゃないかな。だからこそチャンスが山ほどあるし、ミュージシャンにとっては非常に心踊る時期だと思う。
―今作で Tame Impala は商業的に大きな飛躍を果たしましたが、それはあなたに何をもたらしましたか。
うーん。分からない。僕にとって、その質問は鶏が先か卵が先か?って質問されてるのと同じようなもんだ(笑)
―メジャーになって、サウンド的にできることは増えたんじゃないですか?
もちろんそれはある。今だからこそ、僕が他のアーティストの作曲を手掛けることも可能だと思うけど、それが数年前だったら完全に断られていたはず。それだけ今はあらゆる面で機会が増えた。今後、プロデューサーとしても活躍して、他アーティストともどんどんコラボしていきたい。それが、こういったアルバムを制作する上でエキサイティングな一面だよ。目新しいサウンドを生み出せるだけでなく、より多くの人に聴いてもらえる。そして、良い結果を残せればさらに道が開ける。
Tame Impala – ‘Cause I’m a Man (2015)
―過去には、Mark Ronson (マーク・ロンソン) ともコラボしてましたね。
そうだね。マークとは長い仲でね。身近な友人と一緒に曲を制作できるなんて運の良い偶然としか言いようがない。
―『カレンツ』というアルバム名には流れという意味が含まれていますよね。現時点での立ち位置に固執せず、どう変化していくか、を重視しているケヴィン自身の考え方を色濃く反映させたということでしょうか。
『カレンツ』はまさに僕たちが常に変化をし続けているということを表現している。変わることを恐れる人は多いけど、変化は決して悪いことではないということを歌っている。だって、いつまでも全く同じ人でいるなんて、すごくつまらないよね。変わることは、ポジティブなことで、一種の人間の本能だと思う。
―それはつまり、自分のアイディンティティに固執しないということですか?
何も意思に反しているわけではないよ。何かをする時に強制されてやっているわけではない。自分のアイディンティティって自分から創り出すものではなく、ありのままの自分を出して勝手に定義されるものだから。嫌いなものを無理やり好きになれって言われても無理だよね。それと同様さ。
―アルバムの1曲目「Let it happen (レット イット ハプン)」ではそのことについて歌っていますが、同作品は、「僕たちは“イケてるインディーズバンド”に留まるつもりはない」という宣言にも聞こえました。
まさにそう。
Tame Impala – Let It Happen (2015)
―自分自身が何かに固執し続けることによって、クリエイティビティにおいて大切な部分が衰えていくのではないかと気づいたキッカケはありましたか。
多分、あったと思う。自分が成長していくうちに、そう感じるようになった。いつまでも若いままではいられないから。僕は何かに動揺することも、活発的になることもある。でも人生は一度きりだし、永遠に、すべてのことに挑戦できるわけではないんだ。
―ビデオについて聞かせてください。『The Less I Know The Better (ザ レス アイ ノウ ザ ベター)』の作品は CANADA (カナダ) という映像チームが手がけていますね。元々 CANADA とは知り合いだったのでしょうか。
知らなかった。レコード会社の繋がりだと思う。
―最初に完成したビデオを見た時はどう思いましたか? ゴリラ、バスケ、ティーンの衝動的な恋という、一見何の脈絡もない要素がいつの間にか感覚的に繋がっていく映像は、Tame Impalaのサウンドを見事に可視化していると思ったのですが。
僕もとても気に入ったよ。制作途中に何度か見てはいたけど、最近はビデオの制作に口を挟みたくなくてね。彼らに完全に任せたいんだ。どんなものでもクオリティが高ければ受け入れるよ。
Tame Impala – The Less I Know The Better (2015)
―特に日本では文化面でドメスティックな傾向が強まっていますが、 Tame Impala の音楽は世界中の音楽文化に接続するキッカケになると思います。それに対しては意識的ですか。
作曲をする時は、その曲の影響力や目的は考えないようにしている。より多くのフィールドに到達できることはいつも望んではいるけどね。でも、方向性を決めずにあらゆる人に到達しようとしても、つまらない作品になってしまう。色で例えるとベージュみたいに。(笑)
―最後に、Tame Impala にとってファッションはどのくらい大切ですか。
僕たちはファッショナブルなバンドとは言えないよ。撮影の機会も増えているから、ファッションに対しても関心を高めなきゃとは思っているんだけどね。
Special thanks: Eri Hirose