Astier de Villatte
Astier de Villatte

クリエイションを通して、既存の枠組みや慣習から解き放たれる。アスティエ・ド・ヴィラットのものづくり

Astier de Villatte

photography: go kakizaki
interview & text: rio hirai

Portraits/

悪いニュースが駆け巡り、世界が闇に覆われそうになったとき。一見変わらないように見える日常生活を送る私たちには、一体何ができるのか。暗い状況を少しでも変えるための社会的なアクションはもちろん、自らの心まで侵食されないような方法も見つけておかないといけない。

Astier de Villatte (アスティエ・ド・ヴィラット) は1996年にパリで誕生して以来ずっと、私たちの目を楽しませ、生活を彩り、心を豊かに潤してくれる。ミルクがかかったような白い陶器、そこに描かれる芸術、芳しい香りに、ホリデーシーズンにはチャーミングなクリスマスオーナメント……、それらは陰りを感じる日常に変調をもたらすにはうってつけのアイテムだ。

デザイナーの Ivan Pericoli (イヴァン・ペリコリ) と Benoît Astier de Villatte (ブノワ・アスティエ・ド・ヴィラット) に、困難で窮屈な社会を楽しむ方法を教わった。

クリエイションを通して、既存の枠組みや慣習から解き放たれる。アスティエ・ド・ヴィラットのものづくり

—Astier de Villatte は1996年に創立されました。当時のパリの雰囲気や、ブランドが生まれた経緯について教えてください。

Benoît Astier de Villatte(以下、B):パリの雰囲気は、他の都市と同様に、大きく変化したと言えます。当時はどの家も同じようで、目印さえほとんどありませんでした。家具にしても、手に入れられるものや生産されるものは非常に特殊なジャンルに限られ、それぞれがその枠を出ることはありませんでした。当時の家のトレンドは、”ブルジョワ的な”もの。家具を買うのも退屈で、私なんて12歳までに買ったものをずっと使っていたくらいです。”モダン”という近代様式の別のトレンドもありましたが、それらは基本的に Philippe Starck (フィリップ・スタルク) のデザインのようであり、ブルジョワ的なもの以外の全てが”モダン”と呼ばれていました。私たちはそのどちらにも興味を持てなかった、特定の枠のどれにも当てはまらなかったんです。

Ivan Pericoli(以下、I):Astier de Villatte を立ち上げたときには、Benoît の家族と、あとはそれぞれ背景の異なる2組の友人がいました。メンバーは、少なくとも20世紀初頭から100年間、人々が見向きもしなかった過去のものに興味を持っているというビジョンが共通していたんです。当時のパリで新しいことをするには、私たちは革新的でいないといけませんでした。それは本当に複雑でしたが、自らに言い聞かせていたのは「私たちは人々がかつてやっていたことをやるのだ」ということ。アラベスクや曲線的なものといった、図面も残っていない忘れ去られていた過去から学んで、新しいものを発明しようとしたのです。

B:私たちが、美術を学ぶ学生だった頃。古典的なアトリエで古い絵画を見て授業を受けましたが、同時に「美術ではヘルメットをかぶってはいけない」と教えられました。つまり、確立されたルールに過度に従うな、というメッセージです。何かをやりたいと思ったら、周りの声を気にせずに、自分たちの感性を信じるようにしたのです。革新的でいて、自分たちが正しいこと、良いことをしているという感覚を持つのが重要でした。

–Astier de Villatte の陶器が白いのには、何かストーリーはあるのでしょうか。

B:これは偶然の産物なんです。美術学校にいたときに黒い生地で器を作っていて、近くにあった白い釉薬をつけてみたんです。たまたま、そこにあったから。黒の上に白が重なった様子が美しくて、それからずっと続いているだけなんですよ。普通は、陶器に白い釉薬を塗る時には少し他の色を混ぜることが多いんです。そうして下地の色をカバーするんですね。私たちはそれをあえて混ぜずに、白一色を使っています。それが、今まで続く Astier de Villatte の陶器の色合いなんです。

–真っ白のキャンバスの上にアートが描かれているようだと思っていました。ところで、あなたたちはこれまで家族や友人たちと共にクリエイションを続けてきましたが、複数人でプロジェクトを手がけることに困難はありませんでしたか。その困難は、どのようにして乗り越えてきたのでしょう。

B:複数人でプロジェクトを手がける困難について話すのは興味深いですが、私は少し違った考え方をしています。多くの場合、困難は何か前向きなものをもたらします。時には乗り越えられず、例えば意見がまとまらず、それで終わってしまうことだってあります。しかしほとんどの場合、その経験はその後の出来事に繋がっていきます。例えば、私があるアイデアを提案したとして、そのアイディアに確信があれば反対意見があっても押し返せますよね。確信がなければ反対意見に押し切られてしまいますが、つまりそれは、押し切られるだけのアイディアだったとも言えます。複数の異なる感受性で、あるアイディアについて検討するのは、間違った道を歩むリスクを減らし、十分にプロジェクトの準備ができることでもあるのです。

—複数人でプロジェクトに取り組むそのメリットは、チーム内でも発揮されてきたでしょうし、あなた達が取り組んできた様々なコラボレーションにも当てはまりそうですね。今回、伊勢丹 新宿店でのポップアップには、節子・クロソフスカ・ド・ローラさんのコーナーがあります。彼女とどのようにして出会い、どんなところに惹かれていますか。

B:節子・クロソフスカ・ド・ローラさんと夫・バルテュス(=Balthus、20世紀最後の巨匠と呼ばれるフランス人の画家)が暮らしていた家に、私の両親が寄宿していたんです。私はそこで生まれたので、節子・クロソフスカ・ド・ローラさんは私のことを赤ん坊の頃から知っているというわけです。その後は別々の道を歩みましたが、私が陶芸を始めたことに興味を持った彼女が、ある時「アトリエを見たい」と尋ねてきてくれました。アトリエに入ってすぐに彼女はオブジェを作り始め、そうしてできた作品と彼女との再会は美しくとても感動的なものでした。それから一緒にものづくりを積み重ねましたが、それはプロジェクトを超えたコラボレーションとなりました。彼女は今では月に2週間ほど、私たちのスタジオで一緒に仕事をしているんです。仕事を一緒にする場合によく起きることではありますが、彼女とは家族よりも長い時間を共に過ごしているかもしれません。

–Astier de Villatte と一緒に仕事をしたいと思っているアーティストはたくさんいると思います。そのためには、家族や友達のような関係でないと難しいのでしょうか。

I:いいえ、基準はありませんよ。Benoît と私は、Astier de Villatte というのは私たちが新たに作り上げたキャラクターや小説の登場人物のようなものだとよく話しています。Benoît でも私でもなく、2人を混ぜ合わせたものでもない、新たなものです。ですから、このキャラクターの作成に参加してくれる人でしたら誰でも大歓迎。Astier de Villatte というキャラクターを作るのは、私たちだけの仕事ではないと考えているんです。

B:私たちには様々な友人がいるので、友好的な関係を築いている友人とコラボレーションすることが多いのも事実です。でも、作品を通して一目惚れして、そこから友人になることもありますね。それは人との新しい関係の間に、古くからの繋がりを発見するような気持ちです。

–世界は困難を極めていますが、クリエイションにできることはあるでしょうか。

I:確かに、誰もが世界に少しでも前向きなものをもたらすように努めるべきです、特にこのような非常に困難な時代には……。しかし、それは簡単ではありませんね。

B:私たちの誰しもが世界で起きている暴力的な事象を意識しながらも、同時に自分たちの日常生活を生きています。世界は平行線のようで、一見社会的な取り組みに見えなくても、何か影響し合う相互作用があるのではないでしょうか。例えば、フランスには、「la musique、à douce、les moeurs」という格言があります。「音楽は、人間の固まった慣習を和らげる」といった意味です。私たちが作っているのは音楽ではありませんが、クリエイションに何かできることがあると信じています。

–インタビューの初めに、Astier de Villatte を始めた当時のあなたたちは既存の枠組みに当てはまらなかったとおっしゃっていました。日本は枠からはみ出すことを良しとしない社会の風潮があるように感じています。この社会を窮屈に感じているような若者に何か言葉をかけるとしたら?

B:興味深い質問ですね。なぜなら日本文化には、謙虚さを含め失ってはならないない並外れた資質があると思うからです。ヨーロッパでは、誰もが自分を天才だと思っていて、それを維持するのは良いことですが、役に立たない場合もあります。一方で、日本では「黒か白かどちらが好き?」と聞いても「どっちでもいい」と言われるなど、意見を言うのを恐れられることもよくあります。自分にもっと自信を持ってよいのも事実ですし、傲慢にならずに自分の個性や好みを伸ばす方法を見つけても良いかもしれない。礼儀正しさを保ちながら、意見を持つのを恐れないで。

I:日本に来ると、人々はとても親切で、それに老いも若きも関係ありません。それは本当に重要な事実ですが、社会のルールが遵守されていることの現れでもあるでしょう。私はフランスの教育に非常に厳しい考えを持っているので、日本がルールによって非常に良い社会を保っているのは尊重すべきだと思います。一方で、より創造的になるには、まずルールを知った上でルールを超えることも考えるべきかもしれません。「常に白い服を着なければいけない」と言われても、赤い服の方が綺麗だと感じたら、「私にとっては白よりも赤の方が好ましいから、ルールはわかった上で、それでも赤を選ぶ」という選択だってある。ルールがあっても、自分が確信を持っているならば破ることだってできる。そう知ってほしいし、もしもあなたが創造的でありたいのなら、その考えに慣れなければなりません。