やってはいけない、の向こう側へ。小野象平が陶芸の一線を超え続ける理由。
shohei ono
photography: saki yagi
interview & text: taiyo nagashima
高知県香美市を拠点に活動する陶芸家・小野象平。高知県産の素材にこだわり、自ら土を掘り、釉薬を作り、誰にも真似できない狂気的なプロセスで作陶する。自然界の美と人工的な違和感を携えた作品群は、一言には表せないような多層的な魅力を放つ。陶芸という文脈の中で異端であることを選び、唯一無二の手法を模索・実践し続ける彼の思想について尋ねた。
やってはいけない、の向こう側へ。小野象平が陶芸の一線を超え続ける理由。
Portraits
ー小野さんは自身の作品について、どんな言葉で表現・説明するのでしょうか。
まず、陶芸に関する知識や文脈とは関係なく、そのものだけを見て「これいいよね」と手に取ってもらえることが、僕にとっては一番刺激的なんです。そういうものを目指しています。
ー使いやすさや生活に調和することは意識していますか?
結果的に使いやすいということはあると思いますが、制作過程でそれが優先されることはありません。生活の中の器、日常の中の器であることは意識しないんです。器ひとつ、壺ひとつが、その空間の印象を強く左右する。僕が美しいと思うのはそういうものです。飯碗でも、マグカップでも、小皿でも。全てそういう考え方で制作しています。もちろん料理が乗ることで魅力が引き出される器も、美しいと思います。でも、僕は、それ単体で納得させられるものを作りたい。
ーどのようなプロセスで制作されるのか、教えてください。
焼き物は、ろくろを引いて器の形を作り、釉薬をかけて、窯で焼成し、その反応によって仕上がりが変わっていきます。僕は自宅近くの山から採取した土を80%以上使用していて、釉薬も一から自分で作ります。高知は赤土が豊富で、金属が多量に含まれます。釉薬には植物の灰や、金属類を入れることもあります。これらをかけ合わせて無酸素状態で窯を炊くと、メタリックな質感に変わったり、青く発色したりします。
ー青灰釉の発色が印象的ですが、どういった過程で生まれたのでしょうか。
とにかく長い時間をかけて、何度も何度も試してきました。焼成時間を伸ばしたり、釉薬の配合を変えてみたり。明確な何かを狙って作っているのではなくて、日々試し続けるなかで、少しずつ自分の中の答えに近づいているような感覚です。そういった中で生まれてきたものが現在の作品です。初めてこの青ができた時は自分でも感動しましたね。青灰釉は、釉薬も含めて、自然物だけでできています。金属類が含まれていない。なので、おおらかな気持ちで制作していますね。自然の素材だけだから失敗してもしょうがないな、って。一方で黒志野は、全く異なる攻撃的な姿勢で臨んでいます。
ー攻撃的、ですか?
黒志野は、釉薬に含まれる酸化鉄が極端に多いんです。一般的な分量と比べて10倍以上。異常な量を入れていますね。陶芸をやる人に伝えると「狂っている」と言われます。金属は融点が低いので、多く入れるほど不安定になり、失敗するリスクが上がる。それに加えて5回も窯で焼いています。一般的には、1回か2回。非常に扱いが難しいからこそ、完全に自分でコントロールして制作する感覚です。レイヤーを重ねて、メタリックで強い質感を表現するために、通常はありえないようなプロセスで制作しています。
ー凄まじいですね。「黒化粧」の鉄模様も魅力的です。
赤土に白い土をコーティングし、その上に釉薬をかける化粧掛けという技法を採用しています。釉薬に一般的な量よりも多く金属を入れると緑化粧になって、さらに過剰に入れると黒化粧になる。これらは作り方は同じで、釉薬に含まれる金属の分量が違うんですよ。
ーこの見事な色には、そんな背景があったんですね。
実は、色よりも流れる質感を重視しています。マグマが流れていく映像を見たことがありますか?マグマは、空気に触れた部分からどんどん固まっていく。熱い部分とそうでない部分が層になっている。焼成のプロセスの中で生まれる美しい質感のグラデーションを常に追い求めています。
ー一つの器が出来上がるまでに、どのくらいの時間がかかるのでしょう。
1250度の窯のなかでおよそ10時間焚く。これがワンセットです。先ほどお伝えしたように、黒志野の場合は、途中に休みを入れながら、このプロセスを5回繰り返します。ほぼ10日間ですね。そうすることで、金属のような質感が生まれるんですよ。火を入れている間はあまり眠れなくて、覚醒状態というか、脳内に変な物質が出ているような感覚です(笑)。
ーかなり長時間の重労働ですね…。
陶芸家はみんな「これ以上やったら危ない」っていう一般的なセオリーを知っているはずです。だからこれまで誰もやってこなかった、やれなかったことなのかなと。一年に数回、1窯150点くらい丸ごと大失敗してひっくり返ってしまうこともありますよ(笑)。
ーそこまで追い求めるのは、純粋な好奇心からなのでしょうか?
常識や文脈を超えたところでどんなものができるのか。どうしても試してみたいんですよね。あと一回焼いたらどうなるんだろう。もっと金属を増やしたらどうなるんだろう。そうやって自分が試して、溜め込んできたものを世に出して、受け入れてもらえるということを確認する。そういう繰り返しで今に至っています。自分には、ある理想としているものがあって。それは、小学校2年生の時に親父が僕に買ってくれたヒップホップのアルバムなんです。
ーどういった部分に影響を?
音楽性そのものにも影響を受けましたが、一つのアルバムを擦り切れるぐらい聴くという行為こそが一番純粋で美しいものだと思うんです。あの感覚を人にもたらすことができたら、僕にとってはベスト。なぜかわからないけど食器棚の最前列に並んでいる。手に取ってしまう。生活の中にそれが存在し続けている。そんなイメージですね。
ーちょっと休んだり、手を抜いたりすることは、ありますか?
たまにそういうことを聞いていただくこともあるのですが…やるしかないので。1年に数回、ろくろを引いた瞬間から、これは絶対いいものになるって確信できる時があるんです。で、窯から出した時、やっぱりいいなと感じた時には、心から興奮しますね。それが癖になっているんだと思います。嫌になることは当然あるけれど、その興奮を知っているので、もう一回そこに行きたいと思いながらやっています。
ーかけている時間と熱量に対して、価格が手に取りやすいと感じます。
いろんなギャラリーの方から値段を上げようって毎年言っていただくのですが、誰もが手に取れる金額であることが僕にとっては大切なんです。高校生がバイトして買えるものであってほしい。極端に高価なものにはしたくないんです。
ー先ほど「生活の中の器には興味がない」とおっしゃっていましたが、青灰釉のどんぶりを5年ほど愛用していて、すごく使いやすいんですよ。蕎麦や煮物が美味しく感じる。なぜそういうことが起きるのでしょうか。
そういった感想も多くいただくんですよ。アートの面白いところとして、作者の意図やモチベーションと、受け取り側の感覚が一致しないということがあると思います。僕の器をたくさん使ってくれている飲食店もありますが、料理が乗っている写真を見て初めて気づくことがあって、不思議な感覚になったりもします。「とにかく使いやすい道具を」というモチベーションではないのですが、結果的にたくさん使っていただけるということは、何より嬉しいですね。
ー小野さんが作陶にかけてきた時間、熱量、リスクは、きっと説明してもしきれないようなもので、だからこそ、直感的に伝わることが最も純粋で強い繋がりなのかもしれないですね。
そうですね。陶芸の世界にはルールもしきたりも派閥もあります。でも、自分は興味がなくて。陶芸の文脈で新しいとか、難しいとか、そういうところで評価されたいわけではない。聞かれれば説明するし、伝えないわけではないのですが、とにかくまずはどう感じるか。それが大切で、感性に従って選んでもらえたら。