「観客を連れて旅に出る」向井山朋子が体現する美しさと捻じれ
tomoko mukaiyama
photography: yuki kumagai
styling: sumire hayakawa
hair: yu nagatomo
make up: nobuko maekawa
interview & text: sakiko fukuhara
アムステルダムを拠点に、ピアニスト、美術家、アーティストとして活動する向井山朋子。彼女が一貫して関心を抱くのは、音楽が演奏される空間と、それに関わる人がどう音楽を受け止め、空間を知覚するか。日本とオランダ、自己と他者の身体性、セクシュアリティ、演奏と記憶といった異なるテーマを横断・共存しながら演奏・制作を続けている。
フォトグラファー熊谷勇樹、スタイリスト早川すみれによるラブコールのもと、向井山を被写体に迎えたファッションシューティングは、「歳を重ねていくことと、美しさや強さとは」というシンプルな問いから始まった。スタッフ間でのミーティングの中で、向井山が発したキーワードは「屈折した老い」。20代でピアニストとしてのキャリアをスタートし、美術、建築、ファッション、ダンス、食と表現の分野を拡張させながら、今年デビュー30周年を迎えた向井山朋子。彼女が目指すクリエイションの現在地と未来について話を聞いた。
「観客を連れて旅に出る」向井山朋子が体現する美しさと捻じれ
Portraits
—今回の撮影テーマ「屈折した老い」について、向井山さんが抱くイメージはどのようなものでしたか?
ただ美しいというだけでなく、どこか捻じれがある。そんなビジュアルが撮影できたらという想いから出発しました。60歳を迎えたばかりなんですが、若い人たちと同じようにキャリアをアップデートできている感覚があるんです。歳をとっていく中で“怯む”っていうことがまだ全然なくて。そういった自分を客観視しつつ、歳を重ねていくことと、美しさや強さについて表現できたらと、シューティングに臨みました。私、エレガントなパンクがいちばん好きなんです。今回選んでいただいた衣装もそんなものばかり。好きな色は黒。服は好きだけど、ファッションという概念がよく理解できていなかったりするので、普段はオークションサイトで見つけた古着ばかりを着ています。ファッションのシステムにはのらず、自分の好きな物を選ぶっていうのがポリシーなんです。
—ピアノと一緒のシューティングも珍しいとのことでしたが、向井山さんにとってピアノはどのような存在なのでしょうか?
逆に皆さんから見て、ピアノと私の関係性についてどう感じたかが気になります。合体している感じなのかしら?横に立つと慰め合う関係のように見えるのかな?フォトグラファーの熊谷さんに「ピアノと向井山さんの距離感は確実にあって、双子のようにも見えた」と言われて、そうかもしれないなと思ったり。ピアノのことを知り尽くしているとはいえ、出向く先々に初めましてのピアノがあって、どう音を出すかわからなかったりもする。でもやっぱり、ピアノって本当に綺麗ですよね。
—演奏会で着られる衣装は、どのような観点で選ばれるのですか?
以前、友人の華道家のグループレッスンを受けた時に、最初に決めるのは花を生ける場所、次に生ける壺、最後に花を選ぶんだと教えられました。私が衣装を選ぶ時もその感覚と似ているんですよね。どういった空間で、何の曲を、いつ誰に向けて弾くかっていう点を、衣装選びにおいても大切にしています。
—5歳から始めたピアノについて、また幼少期の芸術に対する原体験は?
幼少期を過ごしたのは和歌山県の熊野古道。日本全国をみても、とても行きづらい場所にあるみかんの郷です。母は三味線をやっていて、彼女が習うことができなかったピアノを娘の私に託したのかもしれませんね。5歳から音大に行くまでの間、地元でピアノに取り組んでいました。小さい時から音楽を視覚的に捉えていて、今でもそれは変わりません。たとえば、一時間の音楽があったとして、曲の進行と共にまっすぐな一本の線として時間が進んでいきますよね。動かない空間の中に観客がいて、変化のない画の中で演奏だけが続いていく。その音楽の中で何が起こっているのか? どういった建物が建てられ、どんな光が入り、いつ暗くなるか。そして最後には何が開かれ、何が閉じられるのか。そういったイメージを組み立てるのは、昔も今もとても好きな行為です。その想像を膨らませていく中で、今も作品を生み出しているんだと思います。
—キャリアの中で、演奏家としての役割を拡張し、演奏家/アーティストとして活動されてきたかと思うのですが、今の表現スタイルに辿り着いた経緯について教えてください。
いわゆるピアニストって、ピアノの前にずっといるんですよね。私は人と仕事をするのが大好きなので、ある時一人でじっとしているのが辛く感じるようになったんです。ピアノの前で私が理解していることを、他の場所でももっと体験してみたい。異業種の人ともコラボレーションしたいみたいという想いが芽生えたのが、かれこれ30年ほど前のこと。映画監督や写真家、ファッション関連の方など、たくさんのクリエイターが周りにいたことも幸いして、異分野の方とのコラボレーションワークに挑戦するようになりました。国籍や年齢、表現の術が違っても、同じ時代に生きている者同士、皆近いことで悩んでいたりするんですよね。探り探り、たまに火花を散らせたりしながら(笑)、自分にとっての新しい表現を模索してきました。
—1人で取り組むクリエイションと他者との共同作業。指揮を取ることと委ねること、そのバランスはどのようにとっていらっしゃいますか?
20年前くらいは「自分のイメージとかけ離れたものが出来上がったらどうしよう」と不安になることもありましたよ。アイデアとアイデアが拮抗してしまう状況も多かったように思います。自分のプロジェクトに誘ったからには、ご一緒する方のやり方に倣うことも大切。お互いの役割がはっきりしているとぶつかることもないですし、ある程度、他者に委ねられるようになったのは年の功なのかな(笑)。
—2023年の作品『gift』『figurante』『Love Song』『EAT』を振り返ると、舞台と観客席の境界線がなくなり、観客と一体化する作品が増えていっているように感じます。
自分自身では特に意識していなかったのですが、確かにそうかもしれません。面白い視点ですね。『EAT』はピアニスト、作曲家、陶芸家、染色家が繰り広げる“朝食の儀式”だったのですが、参加者一人一人の手を取って染め入れをしたりと、まさに観客と一体化したパフォーマンスでした。シアターでのコンサートも、その他の場所でのパフォーマンスやインスタレーションも「観客を連れて旅に出る」という点は同じだと思っています。観客との距離が近いということは、彼らの“インプット”が作品自体を変えていくものになり得るということ。若い時の私はものすごくコントロール・フリークだったのですが、今はお客さんの存在次第でいかようにも変化する作品作りが面白い。舞台があったとしても、演者>観客、観客>演者と、どちらか一方向に偏らない空間が好きなんですよね。
—『LOVE SONGS 2023』はピアノを弾きながら日本各地を周り、土地と人の魅力を伝えて活動する女性クリエイターたちを訪ねるというプロジェクトでした。この旅(ツアー)の着想源、また女性クリエイターにフォーカスした経緯について教えてください。
作品を構成する要素として“観客”の存在はとても大きいのですが、もう一つ“女性性”も重要なんだと、今改めて気づいたんです。女性作曲家によるデビュー・アルバム『Women Composers』(1994年)、女性の月経をテーマとした『wasted』(2009年)をはじめとして、長い間、女性性と向き合いながら作品を制作してきました。自分が当たり前のこととしてずっと取り組んできたことを、今の日本できちんと言語化することが大切だなと思ったのが、『LOVE SONGS』のはじまり。各地域で活動する女性アーティスト、工芸家、クリエイターと協働し、全国7箇所でコンサートを企画しました。女性のエンパワーメントについて考えた時、様々なレベルでディスカッションできる機会を増やしていくことが、いちばん自然なあり方のように思います。
—オランダに移住して、30年。オランダから見た日本、日本から見たオランダは、向井山さんの目にどう映りますか?
日本とオランダについて考える時、美しいもの(Aesthetic)と倫理(Ethic)という2つのワードを思い出すんです。英語だととても似ている単語ですが、意味合いは遠い。日本のアートシーンでは美しいものをどれだけ美しく見せるかを大切にしているように思うのですが、オランダでは現在の社会問題をどう作品の中で映し出していくかを重視します。メッセージ性があることがいちばんで、美しいか美しくないかについてはさほど重きをおいていない。そんな差異について考えさせられますね。
—キャリアを重ねていく中で、向井山さん自身が感じる変化はありますか?
60歳になったばかりなんですが、自分が描く幸せの“ZONE”が少しずつ移行してきた気がします。仕事でいろいろな人に出会えることは楽しいんだけど、やっぱり一人の時間もすごく大切。あといろんな実践を通して、こうすればこうなるっていうのが理解できているので、脳内のイメージを実行に移すのが、どんどん早くなっているのかな。ラッキーなことに、身体は丈夫であまり変わらないんですけどね(笑)。