eiko ishibashi & ryusuke hamaguchi
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時間をかけて、言葉にならないようなことをかたちにする。 石橋英子と濱口竜介による『GIFT』という体験

eiko ishibashi & ryusuke hamaguchi

photography: shuhei kojima
text: tomoko ogawa

Portraits/

音楽家・石橋英子の即興演奏と監督・濱口竜介が紡ぐサイレント映像のセッションによるシアターピース「GIFT Eiko Ishibashi × Ryusuke Hamaguchi」が、2月24日にロームシアター京都で行われた。映画『ドライブ・マイ・カー』でタッグを組んだ二人だが、今回は石橋から濱口へのライブパフォーマンスのための映像制作オファーがきっかけとなり、従来の方法でまずはひとつの映画『悪は存在しない』をつくり、そこから依頼された映像を生み出すというプロセスで制作されたという。石橋と濱口に、二人の対話から立ち上がった、これまで経験したことのないような、映像/音楽体験を与えてくれるプロジェクト『GIFT』について聞いた。

時間をかけて、言葉にならないようなことをかたちにする。 石橋英子と濱口竜介による『GIFT』という体験

—シアターピース『GIFT』と映画『悪は存在しない』はほぼ同時にできあがったものですが、同じところから生まれた、二つの異なる作品という認識でいいのでしょうか?

濱口(以下、H):最近よく言ってるのは、「二卵性双子」だと。一卵性だと、そっくりな人が生まれるわけですが、二卵性ぐらいだと、ほとんどきょうだいと変わらないじゃないですか。そもそも、きょうだいも双子もそれぞれ違う一個人なので。そういう感じで、いろんな偶然からほぼ同じタイミングで生まれているけれども、基本的にはとても違うものです。

石橋(以下、I): そうですね、とても違いますね。

H: 『GIFT』は観るたびに、体の中の届くところが違うんですよね。自分がつくっている画面は編集中も繰り返し見ているので、石橋さんの演奏風景を見るほうが情報量が多いはずなのに、気がついたら画面を見てしまう。石橋さんが、本当にスクリーンと同調しているように感じて、この場面を見て自分が何を感じるか知りたいみたいな気持ちになる。全部知っているのに、毎回新たに映像が生き直されているような感じがする。それはひとえに石橋さんの音楽のおかげと思っていて、自然と一体化したような慈愛と容赦のなさみたいなイメージが(笑)、奏でられている音楽の中にすごくある気がしています。

I: 『GIFT』というタイトルは、濱口さんがつけてくださったんですが、「GIFT」という言葉は、贈り物という意味もあるけれど、毒という意味もあるということで。

H:語源にそういう意味があるらしいですし、ドイツ語ではまさに毒という意味ですね。石橋さんがずっと付き合っていくものになるだろうから、相談しながらいくつか候補を挙げた中で選んでもらったわけですが、二重の意味も含めて、結果的にこのタイトルがすごくハマってきているな、ということを日に日に強く感じています。

I:そうですね。『悪は存在しない』も、しないわけないじゃん、という感じのタイトルで、相反する意味も含まれている。濱口さんのそういう意地悪いところが信頼できますよね(笑)。

—お二人は、ものづくりにおいて、自分の感覚、相手の感覚、環境、いろんな部分に耳を傾けている部分が共通している印象があるのですが。

I:そうですね。音楽をつくるときも、お客さんはこういう音を聞いてくれるはずだと思って、それを信じてつくっているところが私はあるんですよね。「こういう音楽だったら好きだよね」みたいな感じではなくて、「こういう音も聞いてくれるといいな」と思ってつくっている。きっと濱口さんもそうやって映画をつくっているところがあるんじゃないかなと。お客さんの想像力を信じている。そういうところは似ているところかもしれない。

H:そう言っていただけると嬉しいです。中間段階の頃、石橋さんのスタジオにお邪魔してセッションを撮らせてもらったのですが、それがまたすごいわけですよ。その場で音楽が生まれていくのを目の当たりにして、波が寄せては返すように、あるときにはぐっと高まったり、あるときはそれぞれソロのパートがあったり、本当にどうやって交信してるんだろうだろうと思いながら見ていたんですね。今回、私も長く時間をかけて、そういうセッションの中に入れてもらったという感覚があります。

–映画『ハッピーアワー』(15)は、濱口さんが神戸に住み、そこで開催されたワークショップをきっかけに立ち上がった長期的なプロジェクトでしたが、今回はそれに近いプロセスをぎゅっと凝縮して、短い時間で行ったという感じなのでしょうか。

H:制作期間、撮影期間そのものは、例えば『ハッピーアワー』に比べれば短いですが、このことを考えていた時間はすごく長かったんですよね。そういう時間がつくっていない時間だったかというと、そうではない気がしていて。基本的には、違和感がないように長い時間をかけてお互い進めていけるというのは、すごくいいことだなと思います。これは、プロデューサーの高田聡さんの役割もとても大きくて。「どうなるかは全然わかんないんですけど」と言いながら、巻き込んでしまったので(笑)。

I:高田さんがいなかったら、成り立たなかったですからね。

H:本当にそうですね。締め切りもないような状態の中で、少しずついいかたちができていって、それが器になって、新たなものが入ってきて、それがまたどんどん新たな器になっていく、みたいなことがひたすら繰り返されるから、最後のほうそれがググッと集中的に起きるんですよね。だから、それができあがるまでには、やっぱり準備が必要というか。

I:いやでも、すごく贅沢な時間でしたね。なかなかそうは行かないことのほうが、やっぱり多いですから。

—お二人が考える、パフォーマンスにとっての映像と、映像にとっての音楽との心地のいい関係について聞いてもいいですか?

I:やっぱり、映画の音楽をつくるときも、基本的に音楽は要らないと思っているタイプなので、ある程度、距離感が必要だとは思います。でも、全く関係がないわけではなく、それぞれ独立して同じものを見ているけど、決してべったりしてるものではないというか。まあ、理想的な人間関係に近いものですね。

H:やりとりのメール一つからも石橋さんの表現に驚くことがすごくあって、究極的に、お互い、言葉にならないものでやっているんじゃないだろうかと思うんです。言葉だけなら、もっと簡単に合意できることがあったのかもしれないけれど、これだけ時間もかけて、もちろんある種のラベルとしての言葉はつけながらも、「こういうものがいいと思って」、「こういうものが大事なんですよね」と、言葉にならない部分を出し合って、両者共そこが矛盾しないようになんとかここまでやってこれたなと。だからね、すごくよかったですね。

I:本当に言葉にならないようなことをつくるには、時間がかかるんだなと思います。今回、二人でトークをするということで、私も忘れているような最初の頃のメールのやりとりを濱口さんが送ってくれたんです。それで、私がジョージ・ロイ・ヒル監督の『スローターハウス5』(72)の話をしていたんですよね。濱口さんが昨日それを観て、「『悪は存在しない』に近い部分がちゃんとあるかも」とおっしゃっていたので、私も今朝、冒頭の部分を見返してみたんです。

H:そのときに観ろよ、という話ですけどね(笑)。

I:いやいや。観ていたら、訳もなく涙が流れてきて。不思議とそういう言葉にならない何かみたいなものがこみ上げてきたんですよ。だから、私が伝えたときに観なくてよかったんだと思います。

H:意識して近づけていかずに済んだので、よかったかもしれないですね。結果として、すごく近いものになっていたみたいな。

—『GIFT』は、直近では3月19日に渋谷パルコ劇場で上映され、その後も国内外で長期的に続いていくプロジェクトになるそうですね。

I:10年後にどうなるか、というところまでは見ていますね。第50回ゲント国際映画祭でのワールドプレミアが終わったとき、濱口さんが、「石橋さん、もっと壊して!」って言ってくださって。

H:ゲントで初めて観させていただいたときに、本当に素晴らしい演奏だったんですよね。と同時すごく大事に扱われていることも伝わって、それは嬉しいけど本当に石橋さんのいいようにしてくださいとお伝えました。何をやっていただいても構わないという気持ちでつくっていますし。

I:あ、好きにしていいんだと思いました(笑)。

H:ただ正直、これから、石橋さんがワールドツアーをするにあたり、何度も見ていたら映像に飽きちゃうんじゃないかしらという危惧もありましたし、もちろんいつかそんな日は来るとは思うんですけど、演奏している石橋さんと映像を観るたびに、大丈夫という気持ちになります。

I:私も大丈夫だと思います。毎回会場もお客さんもやることも変わりますし、自分もその都度変わるピタッとくる瞬間に対してちゃんと反応をしていきたいという気持ちが強いので、いつも違うものを用意しておきたいと思っています。

H:確かに会場によっても違いますし、回数を重ねていくことで、熟成もしくは別の新しさみたいなものを携えていくのではないかという可能性を希望も含めて感じるので、10年後にこの作品がどうなるかが楽しみになっています。

I:10年後、一番変わるのは、私の身体性みたいなものだと思うので、それがどういう影響を与えるのかも自分でも楽しみです。

H:そこまで頻繁には上演されないので難しいかもしれませんが、もし、『GIFT』を複数回観る機会があるようでしたら、本当に映像も演奏も全く違うように見えるんじゃないか、また、映画『悪は存在しない』と往復するように観ても、また違って感じられるものがあるのではないだろうかと思いますね。

—すでに二作を往復されているお二人には、どのような発見があったのでしょうか?

H:物語が同じようで違うという細かい部分であったりとか、同じようなシーンなんだけど、実は違うテイクが使われていたり、単純に本当にここにしかない場面があったりするのですが、自分自身が繰り返し行き来しているうちに、例えば、きょうだいそれぞれと別々に友達になって、なんか似ているなと思ってたら、全然違うし、本当にどっちもいい、みたいな感じになりますよね。

I:私が最初の編集を観たときに思ったのは、遠い未来の宇宙船から『悪は存在しない』で起きたことを見ているのが、『GIFT』の体験じゃないかと。「その表情とその感情、合ってる?」みたいな気持ちになったり、不安になったりもするので。

H:なるほど。確かに一番の違いは、『GIFT』のほうがエイリアン感があって、よくわからないことかもしれないです。『悪は存在しない』のほうが人間的な悩みが描かれているので、地球人だなと感じますね。

—最後に、これから『GIFT』を体験する方に、一言いただいてもいいですか?

I:単純に船に乗った気分で、どこに行くのかわからない旅を楽しんでいただけたらありがたいですね。

H:本当に、こちらからこういうふうに感じてほしいということはないですし、その場で何かを感じていただければ、もうそれで十分です。そのことで不満が残る人がもしいたら、ごめんなさいという。

I:それは本当に申し訳ない……。

H:申し訳ありませんという感じではありますが(笑)、でもね、航海だったら、そういうこともありますから。

I:そうですね。それも、選択の一つであり、経過として捉えていただけたら(笑)。