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“血縁だけではない家族”を持つということ。杏が語るこれからの家族像

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photography: masayuki ichinose
styling: chiaki furuta
hair & make up: akemi nakano
interview & text: mayu sakazaki

Portraits/

モデルとして国内外で活躍したのち、映画やドラマにおいてさまざまな女性像を演じてきた杏。もちろん作品によってキャラクターは違えど、彼女が演じてきた役には「自分自身を曲げずに、信じた方へ突き進んでいく」という共通点のようなものが見えてくる。

8年ぶりの主演作である『かくしごと』では、許されないとわかっていながらも、虐待を受けた子どもを守るためにある「嘘」をつく女性を演じた。過去に傷を持つ人たちが「正しさ」のなかで翻弄されながら疑似家族をつくっていくという、今の時代や社会を色濃く反映したヒューマン・ミステリーだ。フランスとの二拠点生活や子どもたちとの生活など、日々さまざまな変化のなかにいる彼女に、家族の在り方について思うことを語ってもらった。

“血縁だけではない家族”を持つということ。杏が語るこれからの家族像

—映画『かくしごと』で演じられた千紗子は、ある事故をきっかけに記憶を失った少年・拓未と出会うひとりの女性です。絶縁状態だった父親・孝蔵が認知症になったことをきっかけに同居をはじめていた彼女は、3人での暮らしのなかで新たな家族関係を築いていく。見る人の視点によってさまざまな見方のできる作品ですが、杏さんはどんなことを感じ取りましたか?

すごくハートフルな部分もありながら、ヒヤッとする怖さもある作品だなと感じました。色々な人が何かを隠していたり、抱えていたりするので、最後の最後までどうなるかわからない。どんでん返しじゃないですけど、そういうちょっとミステリーな要素もあるので、見終わったあとに「すべてを踏まえたうえでもう一回見てみたい」と感じる人もいると思います。

—千紗子という役についてはどうでしょう。絵本作家であり、過去に傷を抱えた女性で、父親の介護をしながら被虐待児の母になるという、とても複雑なキャラクターですよね。

そうですね。千紗子に限らずなんですけど、役をやるときには行間を埋める作業をするんです。その人が抱えている思い出みたいなものを妄想して、二次創作に近いかたちで考えてみたり、原作から拾えるエピソードがあったら拾ってみたり。適当といえば適当なんですけど、色々なことを考えて作って、それを思い出しながら演じていくような感覚です。

—映画へのコメントのなかで、「今の自分だったらできるかもしれない、と思い、役に挑みました」という言葉がありました。そう感じた理由について聞いてもいいですか?

なんていうか、歳を重ねると涙もろくなるじゃないですけど、年々さまざまなニュースや色々な出来事に心を傷めたり、動かされたりするようになって。それは現実のことに限らず、映画やドラマや漫画を読んでいても、ああ、と感情がたかぶっていきやすくなったなと感じるんです。きっと20代の頃に同じ役を演じたとしたら、そこに到達するまでに今よりずっと時間がかかったんじゃないかな。そういう自分自身の変化があって出てきた言葉だと思います。

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—劇中では登場人物ごとに「正しさ」が揺れ動いていて、間違っているけれど正しい、正しいけれど間違っている、ということがいくつも出てきます。千紗子でいうと、虐待された子どもを助けたいという気持ちと、自分自身の過去の喪失を埋めたいという気持ちが同居しているようにも見える。「正しさとは何か」っていうのはこの作品のテーマでもあると思うのですが、杏さんはどんなことを考えましたか。

そうですね。それは自分の利益のためだけのことなのか、人を助けるためなのかっていうところで、もちろん後の評価は変わると思うんです。でも、千紗子を演じていて、そこに対してあまり後悔がなさそうだなっていうのは感じました。もちろん多少は迷いがあったかもしれないけれど、一度決めたらその先に悔いはなくて、それを裏付ける信念があったようにも思えます。

例えば今の時代に「え?」って思うようなことって、今の価値観においてだけなのかもしれないですよね。極端なことを言うと、150年くらい前までは仇討ちが認められていたとか、そうやって時代や国を超えてしまうと同じ行動でも違う評価になったりする。日本でもあと数十年経ったら「これは当たり前だったよね」ってことが移り変わっていくと思うんです。だから、千紗子は今の社会の倫理観からは外れているかもしれないけれど、目の前の弱き者を助けたいっていうところに関しては、そこをひっくり返してでもやりたいと思ったんだろうなと感じました。

—千紗子がそういう信念みたいなものを持てたのは、どうしてだと思いますか?

なんでしょうね……でも、それはやっぱり、彼女の過去に関係しているんじゃないでしょうか。「今度こそは」っていう思いがあったからかもしれないなとは思います。

—杏さん自身も、世の中的な正しさと自分自身の正しさみたいなものが矛盾することはありますか。普段の暮らしのなかのすごく小さなことでも、なんでも。

う~ん、あるといえばあるかもしれないです。例えば、今って「子どもを怒らないで育てる」っていう価値観もあったりするけど、それいいなと思いつつやっぱり怒っちゃうとか(笑)。正解はひとつじゃないなっていうのは、いつも思っていることですね。

—それは、昔からそう感じていましたか?

やっぱり歴史を見ていると、これが正解だと言い切れないことがすごく多いんです。今じゃ信じられないようなことがたくさんありますし、昔は飛行機でもタバコが吸えたとか、たった数十年でも大きく変わっていくじゃないですか。アナログからデジタルへ移行した世代でもあるので、今ある価値観がどう変わっていくか全くわからない時代に生きてるなって思います。

—今はとくに、たった一日でも変わってしまうような感覚がありますよね。

スマホがあるかないかだけでも、何もかも変わりますよね。

—劇中では、女性や子どもが社会の構造のせいで傷ついている、という問題も描かれているのかなと感じました。正しいことを選びたくても、選べない状況にされてしまったり。

難しいですね。例えば今、フランスで暮らしていることに対しても、「良いところと悪いところを教えてください」ってよく聞かれるんです。でもそれだって流れにもとづいた今のひとつの姿というだけなので、「このまま変わらないんだな」って諦めたりはしたくないなと思います。

—『かくしごと』の原作小説は13年ほど前の作品ですが、そこから現在までの間に、家族の在り方を問い直すような作品がすごく増えていますよね。血縁だけが家族じゃないっていう考え方だったり、時代の流れみたいなものはどんなふうに見ていますか?

私自身、血がつながっていない親戚がいっぱいいるような環境のなかで暮らしているんです。だから自分も子どもたちもそうですし、やっぱり核家族社会っていうものがある意味で限界なのかもしれないなって。もちろん人と会うのが苦手な人もたくさんいるとは思うんですが、無理をしない範囲で、周りの人に「助けて」って気軽に言えるようにしたいなと思っています。

—親戚のように頼れる人がいるって、すごくいいですね。

『かくしごと』のロケで長野県に行ったときも、ちょうど8月の夏の終わりごろで、夏休みとして時間が取れる家庭が多かったんです。だから友人家族に入れ替わりで来てもらって、日中は子どもたちと一緒に遊んでもらったりしつつ、私も撮影がないときはそこに合流していました。協力してくれた友だちも「夏休みに遠出するいいきっかけになったよ」と言ってくれて、みんなでお蕎麦おいしいねって食べたり、助け合って過ごせた時間だったのかなと。そうやっていかないと、なかなか保育園の時間内で仕事をしていくのは難しいですから。

—時間の経過や時代の流れによって、血縁のある家族との関係性も変わっていくものでしょうか。千紗子でいうと、絶縁状態になるほど壊れてしまった父親との関係は、認知症と介護をきっかけに少しずつ変化していきます。

そうですね。でも、虚しさとか悔しさとかもお互いにあるんじゃないのかな。劇中ではお医者さまが、どんどんこれから寝たきりになっていくばかりだから、今のうちに話したいことや聞きたいことは聞いておきなよって言っていて。そういう状況じゃないと近づかなかった部分もありますし、そうなったときにはもう遅いこともあったり、「こう思うしかないな」っていう感じもある気がします。関係性は変わるかもしれないし、変わらないかもしれないけど、長年あったものが変化していくためには何か大きなきっかけが必要なのかもしれないですね。

—『かくしごと』という作品を通して、杏さん自身が何か興味を持ったり、発見したことってありましたか?

認知症に関しては、もちろん若年性とかも考えるとどうなるかわからないんですけど、私自身や周りにはまだあまり身近なものではなくて。でも、やっぱり自分をなくしていくという怖さや辛さは作品を通してすごく感じました。行政のサポートも、認定が降りるまでの制度の多さとか、それでも受けられないとなったときに自分が背負わないといけないっていうのは、今の日本が抱える社会問題でもある。そういう描写に関してはすごく興味を持ちました。

—認知症を患う父親・孝蔵を演じた奥田瑛二さんの姿も記憶に残りました。

奥田さんは、撮影中は「孝蔵」としての枠を出ない、つまりご自身に完全に戻られることのない状態で過ごされていたのがとても印象に残っています。これから宣伝などでご一緒するときに、私は初めて「孝蔵」ではない奥田さんという人に会うので、そこで「はじめまして」という気持ちになるのかなって。作品が完成してからはまだお会いしてないんです。

—そうだったんですね。じゃあ、撮影中は役としての会話だけだったのですか。

役が抜け切っていない感じはずっとあったと思います。だから、次お会いするときはお互いにちゃんとした服を着ているんだなとか(笑)。まったく違う印象を受けそうな気がしています。

—千紗子、孝蔵、拓未の3人が粘土をこねて遊ぶシーンも印象的でした。それぞれが何か新しいかたちを作っていくというような、象徴的な場面のような気がして。

監督はもしかしたら、何かを触るとか、構築していくみたいなことを効果的に狙っていたのかもしれないですね。でも、見る人によって色々な感じ方ができるシーンだと思います。

─関根光才監督は『かくしごと』が2018年の『生きてるだけで、愛。』に続く長編2作目で、それまではミュージックビデオやコマーシャルなどを手掛けられていた方ですよね。これまで仕事をされた監督との違いなど、新鮮に感じたことはありましたか?

『かくしごと』に関しては、かなり重いシーンが多かったので、あまりテストを重ねずに撮りましょうという方向性は全体的にあったのかなと思います。映画としては映像美も印象的でした。

─杏さんご自身は、俳優としてのデビューから約17年が経つなかで、どう変化していますか。

なんだか節目節目で色々な作品と出会って、濃密な時間を過ごして、今ここにいるんだなと感じます。初めて主演したときもそうですし、初めてお母さんになったとか、大きな反響があったとか、ポイントポイントで変化してきている。作品には本当に恵まれているなって思います。

—フランスでの暮らしが始まったことも、大きな変化ですよね。

そうですね。できることも、できないことも、両方増えていると思うんですが、変化そのものが私にとっては興味深いことなんです。進学や就職を機に自分が住んでいた街を離れるっていうのが一般的に多いなかで、私は東京で生まれて東京で仕事をしてきたので、実は生まれた街を離れるのは今回が初めて。そういう大きな変化を一生に一回は経験してみたいと思っていたので、みんなが通ってきた道を、私もようやく通っているという気持ちです。

─そのなかで、「演じること」に感じる魅力も変わってきていますか?

やっぱり自分とはまったく違うものになれたり、まったく知らない経験ができるっていうのは、刺激的ですね。今回の『かくしごと』に関しても、絶対に自分が味わうことのない感情とか、出来事を通過することができる。それが役を演じることの魅力なんだと思います。

—年齢で区切る必要はないですが、40代、50代にむけて考えていることはありますか。

もちろん美容もそうなんですけど、健康面や体力づくりはそろそろちゃんとやっていかないとなと思っています。色々な意味で「何もしないでいい」っていう年齢ではなくなっていると思うので、自分で考えてどんどん行動していくっていうことがより一層必要になってきてるというか。さまざまなことに対する知識なども含めて、自分自身を広げていきたいですね。