gakuryu ishii
gakuryu ishii

「眠っている意識を目覚めさせる」石井岳龍が生み出す、現在進行形の映画体験

gakuryu ishii

photography: philippe gerlach
interview & text: yukiko yamane

Portraits/

8ミリ映画デビュー作『高校大パニック』で日本映画界に衝撃を与えて以来、常に映画の可能性を切り開き続けている、鬼才・石井岳龍監督。彼の監督人生の大半を占める32年間、諦めずに向き合い続けてきた映画『箱男』が、いよいよ公開となる。世界的な人気を誇る作家・安部公房が1973年に発表した同名小説が原作。頭からダンボールを被り、都市を徘徊する『箱男』の存在を通して、人間が自己の存在証明を放棄した先にあるものを問う作品だ。1997年には日独合作で映画製作が決定していたが、ドイツ・ハンブルクでのクランクイン前日、不運にも撮影が頓挫。それから27年の月日を経て、奇しくも安部公房の生誕100年、そしてまさに石井監督の年ともいえる辰年(本人は酉年だが)を迎えた2024年、ついに完成となった。

第74回ベルリン国際映画祭でのワールドプレミアを終え、「完成したのは奇跡だと思う」と語る石井監督が、今作や映画製作への思い、キャストからの質問について答える。

「眠っている意識を目覚めさせる」石井岳龍が生み出す、現在進行形の映画体験

—構想から32年間も諦めずに実現したというのは、本当にすごいことだと思います。なぜ安部公房、そして『箱男』なのでしょうか?

まず強烈に惹かれたのはキャラクターですかね。ホームレスの象徴であるダンボールを自分の武器にしてますから。ダンボールを被って、窓を開けて覗き、ただ一方的に見ることで立場を逆転させちゃうっていう。そのアイデアがもうとんでもなくすばらしい。画期的なキャラクターの発明ですよ。もちろん純文学としての発明なんですけど、無謀にもそれを映画で観たいと思ってしまったので。非常に重要なキャラクターとテーマを含んだ原作なので、なぜこんなに自分を魅了するのかっていうことの謎解きでもあります。あと原作の映画化の許可をいただいてすぐに安部さんが亡くなってしまい、どうしてもやらなきゃいけないっていう自分の使命感もありました。日本文学を超えて、世界文学を代表する方ですからね。

—初めて原作を読んだのは、いつ頃ですか?

1986年の時点で映画化したいと思ったので、それくらいですかね。安部さんにお会いしてOKをいただいたのは1992年だから。日本で出た原作本ってダンボールみたいな厚いハードカバーなんですけど、今でも大事に持っています。ただ一回読んだだけではわけわかんなかったので。Einstürzende Neubauten (アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン) と一緒に『半分人間(1986)』を撮った後、次に何撮ろうかと考えた中の一つです。

—Einstürzende Neubauten はベルリンを拠点に活動するアーティストですし、今回のプレミア上映にはメンバーの Blixa Bargeld (ブリクサ・バーゲルト) も来ていましたね。

Neubauten に出会ったのはすごく大きかった。1985年に『逆噴射家族』がベルリン国際映画祭でとても評判になって、彼らも上映に来てくれて。わたしと仕事したいと言ってくれて、一緒に仕事したらとんでもなく純粋なアーティストで。自分の中で眠ってたものが芽生えたというか。

—彼らとの出会いが石井監督に火を付けたんですね。

もともと世界に向けて映画を撮りたいというか、撮っているつもりではあったんですけど、これを機に本当にそうなんだということが実感できてから、自分の中でものすごく映画に対する欲が出てきたんです。例えば、当時非常に評判になっていたサイバーパンクの先駆者、William Gibson (ウィリアム・ギブスン) と一緒に映画を撮ろうとしたりもしたし。Philip K. Dick (フィリップ・K・ディック) の作品を撮ろうとしたんだけど、ハリウッドで Arnold Schwarzenegger (アーノルド・シュワルツェネッガー) が主演した『トータル・リコール』が大ヒットしちゃって、Dick の映画権が全部抑えられたんですよ。で、撮りたかった作品はできなくなって、その中でどうしようと考えた中の一つが『箱男』。

—1997年、ハンブルクで撮影予定がクランクイン前日に中止となってしまい、32年の時を経て今回公開となりました。また撮影を再開する一番大きなきっかけは何だったんですか?

ずっとつくりたかったんで何度か立ち上げたんだけど、ずっとダメで。一番大きなきっかけは安部公房の生誕100年。今年までにつくらないともう二度とチャンスはないかもしれないと。なので、もしお金が出なくても自力で撮る。それこそわたしの原点である、8ミリでも撮るって決めてたんですよね。だけどもちろんお金が集まった方がいいし、永瀬さんをはじめ俳優さんと一緒につくるには自力ではできないので。今のプロデューサーたちがギリギリまでがんばってくれたおかげで実現しました。これはプロデュースチームがすごくすばらしかったと思います。純粋なアート作品っていうのは、今の日本ではなかなか許されない。そういうファンドもないですし、この企画には間違いなくお金なんて出ないんですよね。

—『箱男』のストーリーはもちろん、音楽や視覚的にもおもしろい要素が詰め込まれていて、今もどっぷりと余韻に浸っています。観るタイミングや回数によって、違った印象になりそうですよね。

映画にするんですから、映画として体験してもらいたい。まさに自分が『箱男』、みんな『箱男』だって感覚に巻き込みたいんです。物語は現在進行形でつくられているものなんだけど、同時にそれは観客が観て感じて、心の中で最終的につくり上げる。つまり、現在進行形でつくり上げられている体験なんですよ。映画っていうのは、あらかじめつくられていると流されてしまう。他人事じゃなくて何とか観客を一緒に巻き込みたい、映画に参加させたいという思いが強くて。これは原作の安部公房さんもですけど、すごい突飛な話なのにものすごく細部のリアリティが書き込まれて、本当に実在するような世界として描かれているんです。綿密な調査や彼の圧倒的な筆力というか。それは僕らも真似できないんですけど、映画というのは非常に体験させる力が強いので、その力を存分に使い切りたいという思いがあります。嘘っぱちの世界だけど、そこに観ている人が巻き込まれて一緒に体験する。そして心の中に何か不思議なものが芽生える。眠っている意識を目覚めさせる。だから私は映画が好きですし、逆に観終わった後に始まるのが本当の映画。この作品は題材からしてもそういうことに満ち満ちているので、それがどれだけ届けられるかということですね。

—実は今回一緒にベルリンへ渡航したキャストのみなさんから、石井監督への質問をいただいています。まずは永瀬正敏さん。「最初にお会いした時から、体型もパワーも何も変わらない。現場で『よーい、スタート!』の声もまったく昔と変わらない力強さで、すごいなと思って。なんでそんなに変わらないんですか?」。

自分ではすごく年をとったっていうか、変わってるような気がするんですけど、変わらないって言われると、まあうれしいと言ったらいいのか、あれ、成長してないのかなって思ったらいいのか(笑)。自分では随分老けたなと思ってます。すみません、ありがとうございます。

—続きまして、浅野忠信さん。「もっともっと撮ってほしい。ちゃんとプロダクションしてるのではなくて、スマホで個人的に何か撮っているものを観てみたいですし、そういう小さい監督の世界ってどうなっているのかな、というのがすごい気になります」。

なるほど、とてもおもしろい意見ですね。観たいって方がいるのはうれしいですし、観てくれる人がいれば公開したいですね。映画は観てくれる人がいないと作品にならないので。ただ会場を確保したりとか、その辺が絵や音楽とは違うので、いろいろプライベートなものが撮りづらいっていうのはありますよ。そう言われたのは初めてなんで、自分の中で芽生えるものがあるかもしれないですね。

—最後に佐藤浩市さん。「若い頃の作品しか観てないんですが、もとはあまり自分の世界観に沿った中で演出、監督、撮影をしていく。あまり他の意見は聞かない。そういうタイプの人だという印象を持っていたんですが、少しその裾野が広がったというか、いろんなことを考えて受け入れてこられたと思います。そのきっかけはいつ頃ですか?」。

やはり映画というのは共同作業。俳優、カメラマン、録音、美術、照明、編集。すべての力が揃わないとおもしろくならないっていうか、有意義なものにならない。特に俳優さんの存在を通して物語が血肉化して、それごとのフィクションが実在したものとして感じられる。いつからっていうきっかけはないんですが、徐々にそうなってきたという感じですね。たしかに自主映画出身なんで、最初は何もかも自分でやらなきゃいけないみたいなところから出発しました。それはそれで一生懸命テンパっていた純化部分があったんですけど、徐々にやっぱり共同作業の大事さというのに気づかされて。みんなで一緒につくることが楽しいっていうか、どんなに末端でも関わってくれた人たちと一緒につくってる意識がすごく強いから、チームの総合力、一人一人のパフォーマンスっていうのはとても大事だと思います。