ショーン・ベイカーとオスカー、変化するアメリカン・ドリームの中で。
Sean Baker
photography: Ibuki Yamaguchi
interview & text: Tomoko Ogawa
これまでもセックスワーカー、トランスジェンダー、移民、ホームレスといった社会から偏見や差別を向けられがちな人々を、その本来の姿を映し出すように、内側から照らし続けてきた監督 Sean Baker (ショーン・ベイカー)。制作費が2,000万ドル以下の長編映画の中でも、とりわけ低予算なインディペンデント映画として、独自のまなざしを貫いてきた彼の最新作が、現在公開中の映画『ANORA アノーラ』である。クラブでストリップダンサーとして働くロシア系アメリカ人のアニーが、ロシア人御曹司と出会い、彼がロシアに帰るまでの7日間、高額の報酬で“契約彼女”になる。二人は衝撃的に結婚するものの、御曹司の両親の猛反対が始まる──。といういかにも Sean Baker らしいドタバタ悲喜劇が繰り広げられる作品だ。
ショーン・ベイカーとオスカー、変化するアメリカン・ドリームの中で。
Film
本作はカンヌ国際映画祭で最高賞であるパルムドールを受賞したのを皮切りに、世界中の賞レースを賑わせる。そして、3月3日(日本時間)に開催された第97回アカデミー賞授賞式では、作品賞、主演女優賞、監督賞、脚本賞、編集賞の最多5部門を受賞した。授賞式の熱気が冷めやらぬ中、監督たっての希望により、2018年に公開された『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』(17)ぶりの来日が実現。The Fashion Post では、7年ぶりのインタビューを実施し、アワードシーズンを振り返りながら、
—作品賞を含め、アカデミー賞5冠受賞おめでとうございます。サン・セバスチャン国際映画祭でオンラインインタビューをさせてもらったのが、去年の9月後半だったと思いますが、最近までいかがお過ごしでしたか?
サン・セバスチャン国際映画祭以来、一日も休みはなかったんです。つまり、クリスマス、正月も含め、アカデミー賞受賞式まで、文字通り冗談抜きで毎日休みなく働いてました。
—それはおつかれさまでした。一般的に、映画賞と賞を受賞することをどんなふうに捉えていますか?
自分の芸術が認められるのはとても名誉なことだし、素晴らしいことだなと思います。そして、カンヌ国際映画祭のパルムドールから始まり、アワード・シーズン全体を通して、次から次へと僕たちが受賞した賞は、思いがけないものばかりでした。特に、俳優たちが、彼らにふさわしいと思えるような評価を得ていることをとても嬉しく思ってます。
—Mikey Madison (マイキー・マディソン)は、第78回英国アカデミー賞(以下、BAFTA)の主演女優賞を受賞し、第97回アカデミー賞でも主演女優賞を受賞されましたね。
彼女はそれまでも多くの賞でノミネートされていたけれど、受賞はしていませんでした。でも、突然BAFTAで主演女優賞を受賞して、時代は変わりつつあるなと思いました。そしてもちろん、アカデミー賞授賞式の夜に起きたこともね。そのときの映像を見てもらえばわかると思うし、変に聞こえないといいのですが、ある意味、彼女の受賞が僕にとっての成功だったんです。というのも、映画を制作しているとき、個人的な賞のことなんて考えていませんでしたから。彼女が素晴らしい演技をしたのだから、表彰されて当然だと思っていました。それが一番予想外で、同時に最も満足のいくものでした。ただ、加えて言っておきたいのは、映画祭は映画制作者らにとって少し奇妙な状況にもなり得るということです。なぜなら、自分が他のアーティストたちと競うことになり、それがしっくりこないと感じることがあるから。とはいえ、何より素晴らしかったのは、一緒にいた映画制作者たちが本当に素敵な人たちだったことです。
—映画祭は、コンペティションという形式はあっても、映画への愛を、顔を合わせながら共有できる場でもありますもんね。
ええ。アワードシーズンの間、多くの人に愛が広がっていました。みんながそれぞれの作品で評価されるのを見るのは本当に嬉しかったですし、彼らと出会い、一緒に過ごせたのも貴重な経験でした。『ブルータリスト』の監督 Brady Corbet (ブラディ・コーベット)や『ザ・サブスタンス』の監督 Coralie Fargeat (コラリー・ファルジャ)とすごく親しくなりましたし、今でもメッセージのやり取りをしたり、一緒に過ごしたりしています。
—あなたは高校時代に劇場で映写技師のバイトをしたり、ウェディングの映像編集をやったりと、映画や映像に関連するあらゆる仕事をしながら、映画制作者としてのキャリアを築いてきたわけですよね。
そうそう、結婚式の映像の編集をしていたときの当時の上司からも、「おめでとう!」と連絡がきました(笑)。
—当時、自分に課していたことってあったのでしょうか?
自分の仕事とは関係のない9時から5時までの仕事に就くことなく、できるだけ業界に近いところにとどまろうと最善を尽くしていました。例えば、映画とは関係のない仕事をやらなければいけなかった時期も、その仕事を使ってリサーチしていましたね。例えば、タクシードライバーのように。実を言うと、タクシー運転手をやっていたのは19歳と20歳の半年間だけなんです。でも正直なところ、そのときに聞いた話は、今でも映画に反映され続けています。だから、若い映画監督に言いたいのは、業界の中でベストを尽くすこと。撮影、編集、企業ビデオなど、できることは何でもやるといい。もしそれができない場合でも、自分の置かれている状況を活かして、作家として物語や人生を吸収すること。なぜなら、自分に人生の経験がなければ、人生について正しい物語を語ることはできないと思うからです。
—ちなみにタクシードライバー以外ではどんな仕事をされたのか気になります。
タクシー運転手とリサーチ会社で働いていたけれど、そこでプロデューサーに出会って、『Prince of Broadway (原題)』(08/未公開)や『タンジェリン』(15)につながったから、他の仕事はあまりしなかったかもしれない。自分はとても運がよかったと思います。
—あなたは、現在、監督、脚本、キャスティング、編集、プロデュース、すべてを一人でこなしていますね。その理由とは?
インディペンデント系映画であれ、スタジオと仕事をしているにせよ、すべての映画制作者は、各部門とコミュニケーションが取れるように、少なくとも映画制作のあらゆる部分を少しは理解しておくべきだと考えています。以前は自分で撮影もしていたんだけれど、一緒に仕事をしてきた撮影監督たちほどの才能は自分にはないからもうしません(笑)。でも、レンズについては十分に理解しているし、焦点距離や露出の知識も十分にあるから、撮影監督と技術的な話を詳細にすることができます。
—それほど多くの役割を引き受ける際に、どんな気持ち、マインドセットでいるのか知りたいのですが。
正直言うと、これからどれだけ多くの役割を引き受けるかはわかりません。ただ、キャスティングに関しては十分に能力があると思っています。というのも、キャスティングは映画を成功させるかどうかを左右するものだからです。特に僕らの場合、アンサンブルキャストの映画が多いので、もし一つでも弱い関係があれば、全体が崩れてしまう。だから、キャスティングは非常に重要なので、その部分をコントロールし、アンサンブルキャストをつくり上げる必要がある。プロダクションが始まるまでに、
—作品からもそうはまったく感じさせないです(笑)。ただ、これまで映画づくりや映画業界そのものに疲れたり、不満を感じたことはありますか?
自分が何をしているのか、少しは理解しているけれど、フラストレーションは、自分でコントロールできることではないじゃないですか。そしてそれは映画業界だけでなく、すべての業界に共通することかなと。どの業界も常に変化を続けているもので、いざ自分が落ち着いて足場を固めたと感じた瞬間、突然業界の中で何かが変わり、新しいことを学ばなければならなくなる。新しいビジネスのやり方を学ばなければならないこともある。それがフラストレーションの原因です。もしデジタルの世界が変化していなかったら、僕もまだ70年代や80年代のやり方で映画をつくって満足していたかもしれない。でも、適応しなければならなかったし、適応には時間がかかる。それが時間に対するもどかしさですよね。
—『タンジェリン』以降のあなたの作品のタイトルは、「Aguafina Script Pro」というフォントを用いて提示されていますね。あなたの映画が表向きに偏見やスティグマのあるものを主題にしているのと同じく、このフォント自体が見た目と核にあるもののギャップを見せているように感じますが、その理由について聞きたいです。
それがもう質問の答えになってますね(笑)。たぶん、僕の脚本にはある種のエレガンスさがあると言えるのですが、それは画面上で起こっていることとしばしば矛盾している。つまり、僕らの映画には生々しかったり、下品な要素が多く含まれていますが、脚本の持つエレガンスさがそれとは対照的になっているということだと思います。
—あなたは常に人間のアイデンティティの内側と外側の矛盾やギャップに興味を持ってきたんですね。
もちろん、そう思います。おっしゃったように、ある意味、このフォントは僕の映画全体を象徴しています。つまり、物事には常に二つの見方があって、すべては認識や解釈にかかっている。同じものを見ても、人によってそれを高尚と捉えるか、大衆的と捉えるかが違う、ということかなと。
—経済的にも社会的にも低い位置にいるように見える主人公アニーが、主導権を握り、トップに立つために文字通り男性の上に乗って闘い続ける様子は、現代のアメリカン・ドリームなんだなと感じました。1970年代のアメリカに生まれて、アメリカン・ドリームの意味はどう変わってきたと感じていますか?
前にも話したことがあるけれど、僕が子どもの頃、アメリカン・ドリームは単に核家族と呼ばれるような家庭を持つことでした。郊外に住む4人家族がいて、子どもたちは大学へ進学し、その後キャリアを築いていく。そして、親世代よりもほんの少しでも“より良い”生活を送る――そういったシンプルなものが、かつてのアメリカン・ドリームだった。けれど、今、それは変わってしまったと思います。少なくとも表面的にはアメリカン・ドリームは幸福の追求ではなく、富や物質的なものを求めることに変化してしまった。現代では、そうした価値観を称賛するようなリアリティ番組もあるし、僕らにはそれを祝福するような大統領さえいる。つまり、残念なことに、今の社会は“幸福”そのものではなく、他人から見て幸せそうに見えることが重要視されるようになってしまったのです。
—それは、とても悲しいことですよね。とはいえ、現実的に何をするにもお金は必要で、本作は600万ドルで制作されていて、あなたがこれまで手がけてきた作品の中では一番予算が大きい作品です。過去作品は、インディペンデント映画の中でも低予算で生み出されていますが、予算とクリエイティビティの関係をどのように考えていますか?
実は、今朝、朝食を食べながら共同プロデューサーでパートナーの Samantha Quan (サマンサ・クワン)とその話をしてたんです。インディペンデント映画に関して言うと、予算とクリエイティビティはリンクしていて、切り離せないものです。予算に合わせて自分のビジョンを調整することが多いけれど、その逆もある。だから、インディペンデントのアーティストがその領域から抜け出せるかどうかについては、自分にもわかりません。よく「ブランク・チェック(カルト・ブランシュ、白紙委任状とも呼ばれる、スタジオや出資者からほぼ無制限の予算やクリエイティブな自由を与えられる状況を指す)」という言葉が使われますが、それはあくまで理想として語られるもので、実際にそう簡単に手に入る物ではない。そして、作品全体で5つ賞を受賞し、4つのオスカー像を獲得した今でも、僕はまだ「ブランク・チェック」を手にしていません。というより、僕がつくりたい映画の性質上、手にすることは決してないと思う。もちろん、かつて想像もしなかったほどの自由は手に入れました。でも、インディペンデント系映画の世界で働く者にとって、「ブランク・チェック」という概念は現実のものではないんです。
—ごく一部の、大作を手がけている監督にしか現実にならないものなんですね。でも、あなたの映画はアメリカン・ドリームを追い求めることの葛藤を描き、その夢は手の届かないものとして描かれますが、ある意味、この映画であなた自身のアメリカン・ドリームは実現したと言えるのではないでしょうか?
そうですね(笑)。まず、自分はとても幸運だったと言いたい。なぜなら、両親が映画業界で働いていたわけではなかったけど、母が5歳のときに映画というものを紹介してくれて、翌日、「映画をつくりたい!」と言うと、「いいよ」と言ってくれました。何年も両親がそれを支持してくれたんです。20代、30代、苦労していたときでさえ、両親は僕を信じてくれた。それが今報われたのだと思う。だから、ある意味、アメリカン・ドリームが叶ったと言えるかもしれません。いつも思うのは、パルムドールを受賞したときにも感じたことだけれど、そういった成功が僕たちに、「これからは自分たちがつくりたい映画を、つくりたいようにつくり続けられる」という自信を与えてくれました。それまでには常に抵抗があって、雑音もあって、誰かが「もっといい方法があるよ」とか、「この俳優をキャスティングすればもっとお金が稼げる」とか、こうすればいい、ああすればいいといったことを言われ続けてきたので。でも僕らはこう思っていました。「いや、僕たちはただこういう映画をつくりたいだけなんだ。だからやめてくれ」と。今では、その騒音をもう聞く必要はなくなりましたね。
—それは何よりです。最後の質問ですが、今後、より大きな予算にアクセスできる環境になったわけですが、それでも今後もインディペンデント映画をつくり続けるのでしょうか?
正直なところ、映画をプロデュースしている以上、責任を持たなければならないんですよね。特にこの世界では、お金を無駄にはしたくないし、そうすることはとても無責任だとも思う。僕は誰のお金も失いたくないし、無駄遣いもしたくないんです。そして、チーム全員にきちんと給料を払いたい。だから、予算はちょっとだけ増えるとは思うけれど、僕のテーマとキャスティング方法のせいで、あまり大きくはできないんですよね。ただ単純に、それが世界のリアリティだし。だから、次回作も『ANORA アノーラ』と同じような方向性を期待してもらっていいと思います。
—『ANORA アノーラ』も含めこれまでの作品も大好きなので、それを聞けてホッとしました。次回作も楽しみにしています!