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【きょうのイメージ文化論】 #5 ヘイトとメンタルヘルスとカニエ

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【きょうのイメージ文化論】 #5 ヘイトとメンタルヘルスとカニエ

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text: yuzu murakami
illustration: aggiiiiiii
edit: manaha hosoda

写真研究や美術批評の分野で活動する村上由鶴が、ファッション界を取り巻くイメージの変化や、新しいカルチャーの行方について論じる本連載。第5回は、2022年10月に開催されたパリファッションウィークにて急遽発表された YEEZY (イージー) シーズン9のコレクションに批判が殺到した Kanye West (カニエ ・ウェスト) について。さらに同氏の反ユダヤ主義的な発言をうけて、adidas は2013年より続いていた長期パートナーシップを解消し、YEEZY の生産終了も発表している。

ここ数ヶ月、特に、公の場での差別的な言動がこれまでよりも増して目立っているカニエ・ウェスト(Ye)。

ラッパー、ミュージシャン、音楽プロデューサー、そしてファッション・デザイナーとマルチな肩書きを持ち、2010年代の後半のストリートファッションの流行の牽引者のひとりとも言えるカニエ(今回は「カニエ」でいかせてもらいます)。Taylor Swift (テイラー・スウィフト) の授賞スピーチへの乱入、2020年の大統領選の立候補や、奴隷解放運動の活動家 Harriet Tubman (ハリエット・タブマン) に対する批判など、そもそも「お騒がせ」感のある彼。これまでは、「まったくカニエったら・・・」で半ば強引に済まされていたような彼の言動ですが、「White Lives Matter」Tシャツや反ユダヤ発言などに至って多くの人や会社、ブランドなどが愛想を尽かしたような状況に発展しています。

 

 

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「White lives Matter」

「White Lives Matter」は、「Black Lives Matter」に対する反発から生まれたフレーズです。「BLM」が「黒人の命も(だって)大切だ」ならば、それに対して「白人の命も大切だ」となるわけですが、この「WLM」は、特に人種差別的なスローガンとして、非難されています。

というのも、そもそも「BLM」が唱えられるようになったのは、黒人がその他の人種(特に白人)と比較して、明らかに不当な扱いを受けていた/いるからこそ、(警察官などによる暴力によって)命をおとす確率が高かったからでした。だからこそ「Black Lives Matter」を声高に叫ぶ必要があったのです。

「Black Lives Matter」を「黒人の命も大切だ」とはじめに日本語に訳した人の意図をくむならば、「黒人の命も(だって)」とわざわざ強調しなくてはいけないような実態を指し示すニュアンスがこの言葉には込められているということです(童謡「手のひらを太陽に」に「みみずだって、オケラだって、アメンボだって、みんなみんな生きているんだ、友達なんだ」という歌詞がありますが、この「だって」の用法に似ているなと思います)。

ですから、「White Lives Matter」や「All Lives Matter」は、「BLM」に対する揚げ足取りのようなものでもあり、ここには現状認識についての大きな食い違いがあります(そして実際ここが、いまアメリカの左派・右派の間の争点のひとつになっています)。そもそも、白人を含む「すべての」人の命が大切なのはもっともっと当たり前の前提なのであり、そうした観念からこぼれ落ちてきた(落とされてきた)黒人の命に目を向けるためのスローガンが「BLM」だったのです。ですから、わざわざ「White Lives Matter」や「All Lives Matter」というスローガンを掲げることは、(いくら人種間の平等を目指していたとしても)黒人の声を上書きするように封殺し、そして彼らに対する差別の歴史を認めず、白人至上主義を応援することになるような、お門違いな主張だと言わざるを得ないのです。

精神疾患とヘイトスピーチ

このようにお門違いなスローガン「White Lives Matter」がプリントされたTシャツでランウェイに降り立ったのとほぼ同じ時期、カニエは(ほとんど支離滅裂で意味不明ではあるものの)反ユダヤ的な発言も展開しました。その発言はユダヤ人への暴力やあるいは虐殺さえ示唆しているようにも読めるもので、これが決定打となり多くのセレブリティや企業がとうとう彼を見限ったのでした。

ところで、カニエは、双極性障害と診断されたことを公表してもいます。元妻 Kim Kardashian (キム・カーダシアン) はかつて夫の双極性障害について理解を求め「(私たち/カニエやキムたち家族に)思いやりと共感を与えてください」と発言し、家族としてカニエをサポートする立場を表明していました(後に離婚)。このようにキムがカニエに関して「思いやりと共感を」と述べたことはある意味で、精神疾患を持つ人を差別や偏見から守るためのひとつのメッセージになったのです。

一方、キム・カーダシアンが立ち上げた、すべての肌色や体型の女性に向けた補正下着ブランド「SKIMS (スキムス)」は好調な模様。

とはいってもカニエ個人の話になれば、差別的な言動が本当に双極性障害と関係があるのかどうかは、実際のところははっきりしません。少なくともカニエの(元?)家族は彼の言動を双極性障害と関係するものだ、と考えていますが、これを証明することはとてもとても難しいことです。このはっきりしなさは、カニエだけの問題ではなく、どこまでが「ふつう」でどこからが「精神疾患」なのか「はっきりする」ことが困難な、精神疾患(障害)というものの線引きの難しさそのものです。そしてこの疾患は誰もが患う可能性があります。

ただし彼の差別的な言動が(それを発言した人が双極性障害を患っていようがいまいが)人を傷つけ、そして憎悪をあおるものであることは間違いありません。ですからカニエの差別的な発言は、その発言が差別的だという理由で批判されてしかるべきものですが、同時にその発言が疾患からくる「発作」である場合にその言動を「攻撃」するのは、やはり精神疾患に苦しんでいる人をさらに苦しめることになる可能性があります。ここは本当に難しいことです。

ともあれ、個人と疾患を結びつけ「狂ってる」とか「ビョーキ」といって批判し、「病気だから」と黙らせようとする態度は同じく双極性障害やあるいは他の精神疾患を持つ人のことを傷つける発言に他なりません。さらに、この場合、カニエを疾患と結びつけて批判することは「カニエは狂っていない!」「彼の言っていることこそ正しい!」と、ここぞとばかりに彼を褒め称え「救い出す」白人至上主義者や陰謀論者たちの差別的言動に力を与えることにもなってしまうからで、実際のところ、彼はまさにいまそういう立場にあります。

20年以上にわたってカニエを追いかけ、3部作で構成された超大作ドキュメンタリーが Netflix (ネットフリックス) より今年2月に配信され、話題を集めたばかりだった。

つまり、カニエの発言が差別的であることについては、ただ「彼(ら)の発言が人種差別的であること」でのみ批判するべきで、彼を批判しようとするために生まれてしまう別の差別に陥らないよう気をつけなくてはいけません。残念ながらいまカニエを支えることで注目を集め、影響力を増しているのはまさに「差別心」を共有する絆でつながるコミュニティだからです。

彼を傍観することしかできないわたしたちにもできることは、まずは、この記事に出てきた「被差別的」な属性を押し付けられてきたひとびと(黒人、ユダヤ人、精神疾患を患う人)にこそ想像力を働かせることなのではないか、と思います。