Rirkrit Tiravanija
Rirkrit Tiravanija

「自分のアートは全てがコラボレーション」リクリット・ティラヴァーニャ

Photo by Pauline Assathinay

Rirkrit Tiravanija

interview & text: akiko ichikawa

Portraits/

この秋、開催されている国際現代美術のトリエンナーレ「岡山芸術交流」でアーティスティック・ディレクターをつとめている美術家の Rirkrit Tiravanija (リクリット・ティラヴァーニャ)。1990年代より世界各国の美術館やギャラリーでタイカレーやパッタイをふるまうパフォーマンスを行ったり、新聞、Tシャツといった日常的な素材を作品に取り入れたり、アートを媒介に鑑賞者とのコミュニケーションを促す関係性の美学を確立した。タイ人としてアルゼンチンに生まれ、現在はニューヨーク、ベルリン、メキシコシティ、そしてチェンマイに拠点を置く。生まれながらのコスモポリタンである彼に作品の背景やフィロソフィーについて聞いた。

「自分のアートは全てがコラボレーション」リクリット・ティラヴァーニャ

―今回の岡山芸術交流には13カ国28組のアーティストたちが参加しています。Rirkrit さん同様、その背景として旅人であることが挙げられています。

アメリカ人だけれどナイジェリアのルーツを持っているとか、ベトナム人とか、多様なバックグラウンドを持つアーティストたちに参加をお願いしました。セクシュアリティやジェンダーのあり方も変化している今、ヒューマニティが根底にあるテーマです。もっと多様な文化背景から生じる意見や声について耳を傾けてほしい。人間の権利、自分が誰であるか、どこに属し、住まい、働くか、といった基本的なことはいつも尊重されるべきですが、昨今では残念ながらそうなっていないことが多々あります。そして声高には言っていませんが、今回のセレクションには白人男性のアーティストがいないことに気づかれるかもしれません。

廃校になった内山下小学校の校庭に芝生を敷き詰め、展覧会タイトルDO WE DREAM UNDER SAME SKYを刈り込んだ Rirkrit Tiravanija の作品。 © Okayama Art Summit 2022

―タイトルは「DO WE DREAM UNDER THE SAME SKY (僕らは同じ空のもと夢をみているのだろうか)」。疑問文のようでありながらクエスチョンマークのないフレーズは、これまで Rirkrit さんの作品にも繰り返し使われてきました。

夢は色々あっていいし、みんなで一緒に見ることもできる。そして夢が世界をより良い場所に変えていくこともできる。今回はアーティストだけでなく、詩人やダンサー、ファッションデザイナーらが参加しているのも特徴です。アートとは、アーティストによってのみ作られるものではないと思っていますから。

僕にとっては日々ラーメンを作り続けているおばちゃんたちも立派なアーティスト。(今回出展しているアーティストの島袋道浩とともに訪れた街角の小さなラーメン店での) 彼女たちとの対話はとてもインスパイアリングでした。僕らがアートについて語っていたとき、彼女たちは本当にオープンマインドで親切だった。そんな時間こそがかけがえのない体験だと思います。

アーティスティックディレクターとして「どのようにオーディエンスとコミュニケーションしたいか?」という質問をたびたび受けてきました。僕の答えは「オーディエンスはいつもそこにいる」ということ。アーティストのほうからオーディエンスに会いにいくこと、一緒に時を過ごし、話すこと、人が集い、繋がる場所を作ることが大切だと感じています。

―地元の小学生たち約120名が参加したオープニングセレモニーで、旧内山下小学校の校庭にしつらえた芝生の作品の上に大きな「?」の人文字を作りましたが、あれは即興だったのですか?

子どもたちが芝生の上でぼんやりしていたから、その場で思いついたんです。そのプランを聞いた途端、みんなとてもエキサイトしてやってくれました。

数年前、第1回の芸術交流に参加してくれた当時中学生の兄弟が今回戻ってきてくれたのがとても嬉しかった。アーティストになるか、アートの仕事をしたいから英語の勉強をしているそうだけれど、そんな風にアートが誰かの人生を変えていく可能性もあるということです。

 

―今回セレモニーに参加した小学生たちにとっても、きっとアートとの良い出会いの場だったと思います。

そうですね、子どもたちだけでなく大人も。(オープニングイベントとして企画された) アーティストトークで島袋さんが言いたかったのは、僕らアーティストが人々にアートを持ってきてあげた、だからチケットを買って見にいくべき、という態度は拝金主義のまやかしなのではないか、と。僕らアーティストの方から地元に入っていって、もっと人々と繋がっていくべき、と考えています。そして今回戻ってきてくれた中学生の兄弟のように、ひとりでもふたりでも、理解してくれる人がいたらいい。

(注:島袋さんのアーティストトークイベントでの発言要旨「アートというのは誰もが入れるようにしておかなければいけないと思う。アートとは福祉に似ていて、必要な人がいればスロープをつけておくような、みんなのためというよりは、ひとりでもふたりでも受けてとめてくれる人がいたらそれでいいんじゃないか?」)

今、アートは値段が高すぎるものになってしまっていて、一部の富裕層だけが売り買いできるような状況になっているのを危惧しています。単に利益を得る手段として消費され、アートが何かを人にもたらすという根本の理由が薄れてきているのではないでしょうか? アートへの欲求がまるで株を買うかのように、作家がどれだけ有名かによって価値が決まる、というのは間違っていると思います。

―Rirkrit さんの作品はコラボレーションによることが多いですね。今回制作されたファッションブランド OVERCOAT (オーバーコート) との作品「COME TOGETHER」について背景を教えていただけますか?

The Or Foundation (ジ・オーアール・ファウンデーション) (ファッション業界の大量消費と廃棄の問題に取り組む NPO) の活動は昨年、ニューヨークのアートと食のスペース THE GALLERY (ザ・ギャラリー) で行った展覧会「UNCLEBROTHER IN NYC」をきっかけに知りました。今回は、The Or Foundation が集めた古着のコートと OVERCOAT が作った新しいコートをレイヤリングし、デザイナー大丸隆平さんのアイディアで最終的な形にまとめる、という流れでした。

コートは切り刻まれることで、新しいものに変換されている。それはハイファッションであるかもしれないし、ホームレスが着ているようなものかもしれない。シュレッドの手法は繊維をリサイクルする再生のプロセスでもありますが、大丸さんなりの手法でテーマに取り組んだ作品となっています。

もともと自分の作品は全てコラボレーションによって成立していて、いつもほかの誰かが参加して決められるような余地を残しています。OVERCOAT の作品もペイントした文字が切り刻まれて良く見えない、という指摘があるかもしれないけれど、僕は自分のテキストが切り刻まれたとしても全く構わない。制作のプロセスにはほかの参加者がいて、なるようになっていく、それが大事。

―作品制作のプロセスにおいて、アーティストだったら細かなところまで全部自分で決めたい人が多いとも思うのですが。

自分は最初からいつもそう。ずっと誰かと一緒にアートを作ってきました。

 

―確かにスタジオのチーム編成も、世界各地に散らばっていますね。スタジオマネージャーはメキシコシティ、制作リーダーはベルリン、そして実制作はニューヨークだったり、メキシコだったり。Rirkrit さんは常に世界中を移動されながら、チームの中心にいらっしゃる感じですね。

例えばカレーを作る時だっていろんな材料が必要でしょう?スパイシーなものやアロマティックなものなど、さまざまなキャラクターのある原料が色んな場所から来ていて、それらがブレンドされることでカレーペーストが出来る。自分にとって美味しいカレーとは色んな味がすること。カレーだけじゃなくて、美味しい食べ物はなんでもたくさんのフレーバーや香りが混じり合っている、ワインとかもね。

自分のアートは他者の介在なしには完成しない、それは多様性のポリフォニー (多声音楽)、と言ってもいい。料理は誰かが食べないと意味がないし。

―食べ物は Rirkrit さんのアートにおいてはいつも主要なテーマですね。

ほとんどの人は1日に3回何かを食べる、みんなが理解しやすい要素。口を開くということは、何かを体験するためのドアを開くようなことでもある。辛いけど美味しい、とか不味すぎて食べられない、とかまあ悪くないね、とか。今僕は食べ物の話をしているけれども、これはアートをどのように理解するか? というメタファーでもある。まず口を開けて、食べてみなければ味はわからない。

もしもその料理を食べたことがあるのだったら、過去の体験と比較してこれは辛めだな、とか塩辛いな、とかの判断が出来る。食べたことがなかったら、もしかしたら口に合わないかもしれない。味覚について僕らはコントロールすることができない、教えてもらうことも、教えてあげることもできないんだ。味について学ぶことは、人生を学ぶようなものかもしれない。

苦味のある食べ物を僕は好きだけれど、食べない人もいる。生野菜は好きとか、嫌いとか、それは単に人間それぞれのコンディションの違いということ。

 

食べ物や料理には文化背景もありますね。

僕の生徒にモンゴルから来た人がいて、最近モンゴルを案内してもらったんです。大きな空港から小さな空港へ乗り継いで、そこから何日もかけてやっと辿り着くような場所へ、1頭の羊を携えてそれをみんなで10日間くらいかけて食べていく、という旅でした。肉は時間が経つにつれて味が変わっていくけれど、調理法はごくシンプルなもので、茹でて少しの塩をかけるだけ。毎日同じものを食べ続けなくちゃいけなくて、僕とアメリカ人のパートナーはさすがに飽きてきて、韓国のバーベキューソースをかけたりしていた。でも彼らにしたら、そんな食べ方はしないし、味が濃すぎるんだね。

馬のミルクで作ったチーズやヨーグルト、ウォッカとか僕らは食べたことのないようなものも多かったね。最後、街に戻ってきて、ガイドしてくれたお礼に学生をつれてホテルの高級な中華料理店にみんなで行ったんです。しかし彼はそのレストランの料理は味が濃すぎる、と言ってほとんど食べられなかったんだ。彼は、ニューヨークやベルリンのような欧米文化圏にも住んだことがあるのに、食文化の違いによって美味しさの感じ方も違う、ということがよくわかったよ。

―数年前の年末、チェンマイのご自宅にお邪魔しました。家の中心に大きなキッチンがある、開放感のあるつくりで、常に色んなゲストの往来があり、みんなで料理をする時間がたくさんあったことを覚えています。家には人間ばかりでなく犬や猫たちも行き交っていましたが、ある夜、ホームレスと思われる男性が庭に入ってきました。私たちは驚いて「大丈夫?」と聞いたら、あなたは「彼はこのあたりにいる主みたいな人だから。食べ物をもらいに来ているだけ」と落ち着き払っていたのがとても印象的でした。

ドアはいつもオープンしておくべき。自分はいつも正直にやっているだけ、カッコつけるつもりもないけど、全てのことにオープンでありたいと思っている、良い経験だけでなく、悪いことも。でもいつか笑って振り返る日も来る。

 

人生、良いことばかりじゃないですしね。 ニューヨークのアップステートにあるギャラリー/レストラン UNCLEBROTHER (アンクルブラザー) はどのような経緯で始められたのですか?

いつもどうやって NPO として運営できるか、オルタナティブな方法について考えている。最初はカレー無料で始めて、そのためにペインティングを作った。ペインティングが1枚売れればカレーが無料にできるから。自分がアートを作る理由はそのお金を他のことに回すためなんだ、そういうシステムを理解している人は少ないかもしれない。

―チェンマイには The Land Foundation (ザ・ランド・ファウンデーション) もありますね。アーティストたちが設計した家や稲作をして地元に還元されています。

1998年に設立してゆっくりと継続している。西欧的観点からすれば、いつもゴールはどこか? というのを聞きたがるから理解されにくいかもしれない。僕らにはゴールはない、ただ生きていくだけ。ゴールと言えば、毎年穀物が自然に成長していく、そのくらいのこと。

―Rirkrit さんにとっての“夢”とはどんなものでしょうか?

アーティストトークで曽根裕さんは怒りこそがアートを作る理由、と言っていたけど、怒りを感じるということは夢を持っている、ということ。自分の思い通りにならないから怒りを感じるわけで。夢とは、無意識なところに存在しているのではなく、リアリティでもある。自分にとってはさっきも言ったけれど、多様性のポリフォニーこそが夢かな。人々がジャッジし合うのでなく、もっと理解し合い、受け入れ合う、それが僕の夢。理解しあっていれば恐れることはない。恐れるからこそ、愚かなことをしでかす、戦争とか殺人、壁を建てたり、ね。その夢は僕だけのものではないはず、みんなで実現しなくちゃいけない夢だと思うよ。

untitled 2001/2012 (demonstration No.3) 2012 Mixed media installation view at GALLERY SIDE 2 Photo by Kentaro Takioka

untitled 2014 (we have the light) lithograph, 65 x 52 cm Edition 40 (hiromiyoshiii edition)