eiko ishibashi
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暗闇の中を歩く楽しさと怖さが同居する、音楽と石橋英子の関係

eiko ishibashi

photography: masahiro sambe
interview & text: tomoko ogawa

Portraits/

プレイヤー、プロデューサーとして国内外で活躍する音楽家の石橋英子。舞台や映画や展覧会などの音楽制作も手がける彼女は、第94回アカデミー賞で国際長編映画賞を受賞した濱口竜介監督作『ドライブ・マイ・カー』(21)でも劇伴を担当。そして、再び、彼女から濱口監督へのライブパフォーマンスのための映像制作オファーがきっかけとなり、ライブ用サイレント映像『GIFT』と、そのプロセスから映画『悪は存在しない』(4月26日公開)が誕生した。第80回ヴェネチア国際映画祭・銀獅子賞を受賞した本作の共同企画者であり、音楽を担当する彼女に、個人としての活動と、コラボレーションや映像との関わりについて話を聞いた。

暗闇の中を歩く楽しさと怖さが同居する、音楽と石橋英子の関係

—石橋さんの音楽を聴いていると、映像が浮かぶ感覚があるのですが、音楽を演奏したりつくったりする中で、映画や映像はどんなきっかけを与えてくれるものなのでしょうか?

子どもの時から映画を観るのが好きで、未だにいつも何かしら映画を観ています。音楽を聞いてる時間よりも、明らかに映画を観ている時間のほうが長いので、自ずと映像からもらったものが音に変換されているのかなという気はします。映画を観るということは言ってしまえば趣味ですね。そのわりにはすごく時間を割いているなと思います。

—同じものを繰り返し観る方ですか? それとも新しいものを観ます?

どちらもありますね。何回も観るものに関しては、単純にインスピレーションがほしいからという理由よりも、ただ疲れているから、新作を観るのがしんどいからということが多いですけどね。繰り返し観る作品は、そのときそのときで感じるものが違う作品が多いです。

—石橋さんは演奏家として、またシンガー・ソングライターとしての個人の活動と、映画音楽のように依頼された方とのコラボレーションをするかたちの音楽制作など多岐に渡る活動をされていますが、パーソナルな活動と依頼されたものに関して、くっきりとしたボーダーはなさそうですよね。

棲み分けができていないから、結構大変なこともあるんですけどね(笑)。単純に、締め切りがあるかないかが大きな違いではあるかもしれません。依頼された仕事は締め切りがあるので、それを優先せざるを得ない。例えば、映画だったら、監督とお話しして、求めてくださってるものに対し、応えられそうだったらお引き受けします。そもそも音楽自体が終わりのないような作業ではあるので、いつも冷や冷やしながらつくっているところはあって。ただ依頼されたものは、最終ジャッジを他人に委ねられるという意味では、進めやすいかもしれません。自分の作品の場合は、今まさに個人のアルバムをつくっているところなのですが、自信をなくすような音が聞こえてくるのです。

—どんなふうに聞こえてくるんですか?

イメージしている音楽が、考えうる限りのダサいバージョンで鳴り始めるんです。自分の中でもありえないくらい。そうならないようにしたいなと思いながらつくっていくので、なかなか終わらないんですよね。自分の作品は締め切りもないようなものですし。

—アルバム『The Dream My Bones Dream』は、お父様が残した写真から、ご自身のルーツや歴史を掘り起こすというアプローチで制作されていて、ある意味、リサーチしながら映画をつくるうえでのアプローチとも通じるものがあると思います。そういうつくり方をする理由とは?

今はサブスクもありますし、アルバムではなく曲単位で聞かれる時代なので、そんなつくり方をしても売れないだろうとは思いつつ、やっぱり自分が育ってきた中で、レコードにしても、1つのコンセプトや物語があるものが大好きだったので。1枚を通して聴くと、映画を1本観たような気持ちになるような、言葉がわからなくても音からストーリーを感じとれるような豊かな体験をレコードからもらったので、自分も何かをつくるんだったらできるだけそういう作品にしたいなとは思っています。

—演奏家としても、坂田明さん、灰野敬二さん、山本精一さん、Jim O’Rourke (ジム・オルーク) さんのような大御所から、RIKI HIDAKAさん、betcover!! (ベットカバー) の柳瀬二郎さんや食品まつりさんといったバラエティに富んだミュージシャンの方々とセッションされていますが、結果的に一緒にコラボレーションをする方に共通するものは何かあると思いますか?

単純に、音や声がかっこいいと思う人たちですね。一緒に演奏させていただくと、自ずと制限をかけていたような部分が開いていく感じがします。私は、一音出しただけで、この人の音だとわかるような演奏家の方たちとの出会いに恵まれているんです。だから、自分も、いつかはそういうふうになれたらいいなと思いながら、修行のつもりで一緒に演奏させていただいている感覚です。

—これまで、映画だけでなく、アニメーション、演劇、展覧会の音楽なども手がけていらっしゃいますが、音楽を用意する場所、空間によって、ご自身の関わり方は変わるものですか? 

変わらないと言えば変わらないですね。ただ、例えば展覧会の場合、ある空間の中で鳴っている音として、作品に集中して見られるようにとは思っています。そういう意味では、物語のあるものに関しても同じスタンスですが、映像の場合は、音楽が鳴ってない場面も多いので、基本的には要らないものという前提のうえで音楽を考えます。だから、ちょっとひんやりした気持ちで、物語が届きやすいようにかなり離れた距離からつくっているという意識はあるかもしれません。

—映画『ドライブ・マイ・カー』で初めて濱口監督とご一緒した際は、最初からこの人とは合うかもという感覚があったのでしょうか?

いやいや、初めてお会いしたときは、お互いにどうなっていくんだろうと思っていたのではないかと思います。「風景みたいな音楽を」という依頼だったので、私も最初はかなりドライなものをつくってしまったんですよね。それをお送りしたら、濱口さんからしばらく連絡がなくて。コロナ禍で映画制作が一旦ストップし、ちょうど映画館のクラウドファンディングもやっていらっしゃった時期で、すごくお忙しくされていたので、濱口さんとしてもどうしたものかわからないという時期だったのだと今は思います。でも、その後、やり取りがまた再開していく中ですごく丁寧なやりとりをしてくださり、何よりもできあがった映像も素晴らしかったので、信頼関係を築きながらつくれた気がします。

—「これは違う」といった意見も含め、濱口さんはハッキリ言ってくれるとおっしゃっていましたよね。

こうしてほしいという方向性を説明するときに、具体的な音楽やタイトルを出されることが多いんですが、濱口さんはそういうことをせず、すごく感覚的な言葉でパンと意見をおっしゃってくださるんですよね。そうすると、私もじゃあ、こうすればいいのかなと感覚的に返せる。お互いに正解がないところで模索しながら仕事できるということが、すごく楽しかったですね。「わからないけれど、進めてみよう」というようなやり方で一緒にお仕事できる人にはそんなに簡単に出会えないと実感しております。

—そういう作品を連続して一緒につくれるような出会いって、あるようでないですよね。

なかなかないですね。私は基本的に、一人で籠ってつくっていることが多いので、何も浮かばないこともありますし、辞めてしまいたいと思うこともあるんです。もうすでに素敵な音楽は溢れているし。でも、こういう出会いがあると、音楽を続けてきてよかったんだなと思いますし、勇気づけられます。

—お二人は、共通して、わからなさに対して諦めないというか、その中で一番いいものを目指してセッションをしているという感じがします。石橋さんは、濱口監督作品の魅力をどう捉えていますか?

基本的に親切で、思いやりを持っている方だと思うけれど、同時にすごく反骨精神があるというか挑戦的な部分もあって、お客さんの映画を観る底力を信じているところが素晴らしいと思います。あと、作品をつくったら、傷つくことも傷つけることも多いと思うけれど、そこに対して覚悟ができているし、それすらも次回作への糧にしていく。例えば、お客さんの肯定的な意見だけを反映して、自分の作品を定義していく人もいると思いますが、そうではなく風当たりとして感じるような意見も新たな作品をつくる力に変えていくような、ある種の意地の悪さみたいなところが好きですね。と同時に、私のようなダメな人間でも生きていていいのだと思える懐の深さというか、「幸せ」のイメージとはかけ離れた不思議な肯定感があるのも好きです。

—ご自身の音楽が濱口監督の映像と合わさったときに、新たな発見はありましたか?

そうですね。『悪は存在しない』では、オープニングのギターがストリングスにつながっていくところは、自分ではやらなかったつなぎ方だと感じましたし、とても嬉しかったです。

—人生において、ご自身が映画の企画をするという未来は想像していましたか?

全くしてなかったです。まず、音楽家として生きていること自体、想像もしていなかったですから。未だに、『悪は存在しない』の自分の肩書きが企画者であることに違和感があって。「言い出しっぺ」ならわかるんですけどね。私はそんなに大したことをやってなくて、脚本を書いたのも濱口さんですし、映画のプロダクションにあたって、人と資金を集めてみんながストレスないようにつくっていったのも濱口さんとプロデューサーの高田聡さんなので。とはいえ、音楽家が映画祭に参加することはほとんどないですし、一生に一回の機会なので、ヴェネチア映画祭に行けたことは本当に嬉しかったけれど、レッドカーペットに関しては、「やらないという選択肢はないんですか?」と濱口さんに聞いたんです。でも、「ないですね」と言われてしまいました(笑)。

—先ほど、音楽家として生きていることも想定してなかったとおっしゃっていましたが、それでもやはり音楽をやらずにはいられなかったわけですよね。

消去法でここまできてしまったというところもあるんですよね。20代に色々仕事をやってみたものの全然ダメで、事務仕事もろくにできないし、午後になると眠たくなるし、結局、何かをやっていて一番生きてる感覚があったのが、やっぱり音楽をつくってるときだったんです。だから、例えばコンビニで、パンを一つ買うために店員さんにナイフを突きつけた人の話を聞いたりすると、他人事ではないなという気がしてしまうんですよね。

—ちなみに、シアターピース『GIFT』で即興ライブをされているときは、映像を観ながら演奏されるので、つくるときよりは孤独な作業ではないのでしょうか。

そうですね。でも、暗闇の中を歩いてるようで苦しい気持ちになる瞬間もあります。と同時に、その暗闇の中を歩く楽しさと驚きみたいなものも同居していると思います。

—ヴェネツィア映画祭でもフィールドレコーディングをされていたそうですね。そうやっていろんなところで拾ったサウンドフッテージは、『GIFT』公演で使われていたりするのでしょうか?

使われています。これからもいろんな街に行くので録音をしてすぐに使っていきたいと思います。

—石橋さんは、海外ツアーも精力的に回ってらっしゃいますが、自分を知らない人がいるところで演奏するのが楽しいとおっしゃっていましたね。

単純にそういう状態が心地いいんですよね。自分に集中して聴いてもらうよりは、この人何するんだろう、何するのかわからないという状態がすごくいい気がするというか。お客さんと演奏家の関係だけでなく、濱口さんとの関係もそうですし、どんな人間関係においても似たようなものがあり、この人は何をやるかわからないけど、なぜか楽しみだという人々に出会いたいし、そんな方たちと一緒に何かを共有できるのであれば、これ以上最高なことはないと思います。

—確かに、情報量がないと、そこにあるものに集中して聴いたり見たりできますし、自分自身をその場に委ねられますよね。

そうですね。自分が観客であるときもそうありたいですし、もし以前見たことのあるパフォーマーの演奏であっても、初めて見るような気持ちで楽しみたいとは思いますね。そういう意味では、海外だとあまり私のことを知らずになぜかよくわからないけどふらっと見に来た、みたいな人もたくさんいるんですよね。こういうものをやるだろうと想定できなくてもお客さんが来るという環境は、すごく健全だなと思います。