選んだことに忠実であるという「自由」への回り道、マーク・ゴンザレスが語るアートのかたち
Mark Gonzales
photography: chikashi suzuki
Interview & text: yiqing yan
現代ストリートスケートシーンで最も有名なプロスケーターであり、詩人、アーティスト、父親でもある Mark Gonzalez (マーク・ゴンザレス)。長年にわたって THE LAST GALLERY (ラスト・ギャラリー) とパートナーシップを持ち、作品を展示してきた彼は今回が2年ぶりの来日。原宿にある SO1 ギャラリーにて「NO TROUBLE」 というタイトルの展示が開催された。今日はレセプションの前に駆け込み、まだインストールが完成していない展示ルームで、少し真面目に抽象的な質問を、アートのことやそれにまつわる彼の人間性について話してもらった。
選んだことに忠実であるという「自由」への回り道、マーク・ゴンザレスが語るアートのかたち
Art
ギャラリーに入ると、ドローイングアートが壁に埋め尽くされるように展示されている。モチーフはどうやらオシッコやウンチをする人々が描かれているようだ。対象となる人間も、トランスジェンダーや、巨人、スケートボードによじ登っていたり、額縁にはめられた絵の中にもいたり、絶え間のないサプライズと地続きのユーモアで溢れかえっている。2階に上がると、キャンバスの余白を囲む色のブロックで構成された絵が、綺麗に並んでいて、より洗練されたメッセージが含まれているように思う。
−まず最初に聞きたかったのですが、長年にわたって THE LAST GALLERY とパートナーシップを続けてきているマークさんですが、今回の展示の背景や意図について教えてください。
うーん、意図っていうよりは……今回のキャンバス作品は、ネガティブスペース (余白) を使ったものなんだ。もともと黒だった部分を白にして、そこに色を足した。
−なるほど、キャンバス作品はそういう感じなんですね。
そう。それとドローイング作品もあって、そっちはちょっとショックバリューを狙ってるんだ。人がオシッコしたり、うんちしてたり。そういうの (笑)。ドローイング作品はほとんどそれ。
−トランスジェンダーを思わせる女性の人が男性器を構えてオシッコしてるみたいなのを見た気がするんですが、あれのことですよね?
そうそう、興味深いなと思って。今後は鏡に絵を描こうとも思ってる。
−鏡にですか?
うん、リフレクティブな素材にね。そこに詩を描こうかなと思ってる。だから、キャンバス、紙、水彩、鏡。いろいろやってるんだ。

−アーティストとしての質問なんですが、たとえば、水彩にしようとか、鏡に描こうとか、どう選んでいますか?
たいていは“やりたい”っていう欲望が先にあって、そこから始まる。最初の衝動はいつもシャーピー (マーカー) なんだ。だから、大体シャーピーで始める。言葉やスケートボードじゃ表現できない何かを、絵で出したくなる時があって、そういう時にシャーピーで描く。
−それがベースになって、そのあとに色を足したり、鏡に描いたり?
そうそう。でも最初はいつも「表現したい」って気持ち。アイデアが浮かんでくるんだ。
−その「表現したい」って気持ちは、どこから来ると思いますか?
人に印象づけたいって気持ちから来ることもあるよ。誰かを喜ばせたいとか、誰かの気を引きたいとか。でも、うまくいかないこともある (笑)。頑張って描いても、その人には響かなかったりして。
−わかります (笑)。ちなみに、マークさんってあまり「考えすぎる」タイプじゃないですよね? ぱっと行動に出るイメージがあります。
うん、あまり考え込まないね。すぐ行動しちゃうタイプ。だから、時々もっと考えたほうがよかったなって後悔することもある (笑)。でも、やっちゃうんだよね。
−ポエムのことも聞きたいんですが、いつから「言葉」に重きを置くようになったんですか? 絵やスケートじゃなく、文字で伝えようって思った瞬間とか。
うーん、思ったことをそのままバーッて書く感じ。頭の中にあることを、どんどん書いていく。だから、結構ストレートだと思うんだ。でも、時々ポエティックに書きたいって思うこともあるけど、なかなかうまくいかない時もある。誰でも詩的になれるわけじゃないしね。
彼の生き様をそのまま言葉にしたかのように、躊躇なくシンプルかつ素直に質問に答えてくれる Mark Gonzalez。もう少しパーソナルな側面に踏み入れてみようと思う。
−少し昔の映像インタビューの中で、マークさんは「僕はとても真面目なんだ。けど真剣になればなるほど心が痛む。なぜなら、考え込むのをやめて少し楽しまなきゃいけない時が来るから」と言いました。今のマークさんにとって真剣に向きあることと、楽しんでいることは何ですか。
楽しんでいる時でさえ本気だよ。いつだって本気で、人生を楽しむのがいいね。
−マークさんの人生を振り返ってみて、どの時期が一番気に入っていますか? 例えば、ストリート時代、渋滞やダウンヒルを通り抜ける時、美術館でパフォーマンス、絵を描いたり詩を描いたり、それか今ブランドを抱えるなど。
今が一番!「今」に限るね。今夜お寿司のおまかせにいく予定なんだけど、それが楽しみで仕方ないよ。
−日本語のインタビューではマークさんの芸術表現や、マークさん自身の存在を「自由そのもの」として捉えることが多いですが、そのイメージについてはどう感じますか?
どう見られるかはコントロールできないからね。できたらいいけど。でも、まあ「自由」って言われるのは悪くないかも。
−それ以外に自分に当てはまる言葉はありますか?
印象を持ってもらえること自体がありがたいことだね。そもそも誰かが自分のことを考えてくれてるのより嬉しいことはないと思うよ。誰もが気にすることと、気にしないことだってあるし。
−マークさんは何を気にしていますか?
日が沈んだ後、人生、雨、太陽の光、生きることの全てだね。
と思いつきで答えてくれたかのように、生活の中の些細なキラキラする瞬間を挙げてくれた。ここで少し真面目な質問に巻き戻してみようと思う。

−アーティストであることは、あなたにとってどういう意味を持ちますか? スケーター、詩人、友達、父親などである自分とはどう違いますか?
スケボーをしている時、怪我をすると表層的な意味で体を痛める。アートの世界だったら、エゴが傷つくね。違う意味で引っ込められる。
−人生の違う段階ということでもあると思います。傷つくことに対して、考えが変わったりもしますか?
体も心も傷つけられたらそりゃ痛いよ。誰も傷つけられたくないからリスクを避けてるんだ。スケボしたって転ぶ時は転ぶし、アートもうまく行かない時だってある。自分から立ち向かうのみ。
約10分間のカジュアルインタビューだったが、彼のクリエイションの核にある、“純粋”な欲望が浮き彫りになった。考えるよりも先に動いてしまう彼のスタイルは、計算されたものとは真逆の、むき出しの表現だった。すべてはシャーピー1本から始まり、そこに色が加わり、やがて言葉が加わり、また違うメディアへと展開していく。自由とは、何かを「選ばない」ことではなく、今この瞬間に忠実でいることなのかもしれない。