「更新されていく故郷をつくろうと思った」 パグメント
PUGMENT
photography: kyohei hattori
interview & text: miwa goroku
2017年より毎シーズン実験的な創作発表を続けるファッションレーベル PUGMENT (パグメント) は、アート界のほうでより知られる存在かもしれない。1年前の2019-20年秋冬シーズンは、東京都現代美術館のグループ展「MOT アニュアル」の出展作家としてショーを開催 (記録映像は細倉真弓により撮影編集され、細倉が同時期に開催していた個展の片隅でも流された)。2020年春夏は、写真家Mauricio Guillén (マウリシオ・ギジェン) との合同展覧会を第一弾とし、続いてタカ・イシイギャラリーで見せ方を変えて新たなエキシビションを展開 (映像は鈴木親のクルーが撮り下ろし)。その間、東京都写真美術館で開催されていた「写真とファッション 90年代以降の関係性を探る」展では、90年代に活躍したそうそうたる写真家たちの中で唯一、1990年 ”生まれ” の作家として PUGMENT がフィーチャーされていたのは多くの人の記憶に新しいだろう。
「更新されていく故郷をつくろうと思った」 パグメント
Portraits
今シーズン、多くのブランドがコレクション発表形式においてさまざまなチャレンジを試みる中、PUGMENTは渋谷のど真ん中でファッションショーをするという王道に戻ってきた。場所は今年7月にオープンした RAYARD MIYASHITA PARK 内にある「SAI」ギャラリー。現在は同会場で、3週間にわたる展覧会/展示受注会が催されている。というわけでショーの翌週、我々はゆっくり話を伺うべく再びギャラリーへ。今回のコレクションからデビュー以前の話にまでインタビューが及ぶうち、なんとなくつかみどころのなかったファッションレーベルとしての PUGMENT の輪郭が見えてきた。
― 今シーズン、多くのブランドが発表形式を変える中、PUGMENT はショーを敢行しました。
今年4月頃にSAIギャラリーからお声がけをいただいて、渋谷で発表できることが決まりました。多くの人を集めることは難しいから葛藤もあったけれど、ショーでしか見せられないことをしたかったんです。
― PUGMENT のショーはコンセプチュアルで難解なところがあります。どのように組み立てているのでしょうか。
ショーに関わる多くの人が提案するものを素直に取り入れていく。そうするとみんなの思惑がどんどんズレながら蓄積されていくから、情報量がものすごく多くなっていく。そこが難解に見せてしまっているかもしれません。ショーの直前になると当事者意識が薄れていって、あれ、何しよう? となることが普段は多いです。参加してくれるみんなのおかげでいつもショーが成立しているのですが、今シーズンはほとんど自分たちだけでつくったんです。制作をスタートする前の企画書づくりやコレクションのためのリサーチを一切しなかったのも、デビュー以来初めてでした。
― 歴史や文化、社会との関係性から服について考える PUGMENT の基本スタンスに対して、今回はもっとパーソナルなマインドが起点になっていますよね。今回のコレクションのキーモチーフは、おふたりの昔の写真と聞きました。
きっかけは、沖縄への旅でした。鍾乳洞に行って、そこで見たツララにすごく感動したんです。50年ほど前に調査のためにと先端を切られていて、その部分が今やっと1mmくらい膨らみはじめている。ということは、このツララは一体いつからここにあるんだろうと思うと、時間の流れに圧倒されました。同時に思ったのが、自分たちにもたくさんの祖先がいて、今があるということ。その間のいろいろな時間を経験するということが、もう少し身近なところからできたら面白そうだなと。
― それで昔のアルバムを集めたと。
実家は東京の郊外で、親が持病持ちなため帰省は自粛していました。だから急に時間ができても、帰る場所がなかった。他に行く場所もわからない。いろいろな思いにとらわれるうち、昔のアルバムが見たくなって、それぞれの実家から送ってもらいました。で、アルバムをめくりながら思ったのは、ほとんど忘れているということでした。そこに自分が写っているという確かな証拠があるから自分の経験であることは納得できても、記憶には残ってないので体験として思い出すことはできない。
― 使う写真はどのように選んだのですか。
私たちが生まれた1990年から現在までの写真を集めたので、数は膨大でした。時間をかけて行ったり来たりを繰り返した結果、どんどんシンプルになっていった気がします。
― ショーの手応えはどうでしたか。
とても楽しかったです。演出も音楽も、すべて自分たちで実感しながらつくるということは、削ぎ落とす作業でもあるという新たな気づきもありました。
― 忘れられた記憶=写真を型紙の形に切り抜いて、他のパーツと縫い合わせる。それによって、何か大きな別のものを現出させるという制作プロセスは、PUGMENT らしいなと思いました。
大きな時間の流れではなくて、その流れの中にある小さな時間に注目しました。本当は自分の中にたくさんあるはずなのに、気づけていなかった。そういう取り残されていた時間が、今なら写真を通して可視化できるから、それをもう一度使う。それで故郷をつくろうと思ったんです。故郷ってとても個人的であると同時に、大きな時間の流れから切り離されると普遍的なものになる。たとえば私たちが今こうして話している瞬間も、未来においては故郷になる。そしてこの故郷はずっと更新されていく。
― 今回、スーツが多いですね。
はじめはスーツだけでやろうかなと考えていたんです。コロナ以後、街でスーツ姿の人を見かけることが以前より減りました。この先スーツを着た人が街に戻って来た時、今までとどう違っていたら良いのだろう、と考えていました。それとスーツを着た瞬間、大人になる感じってありますよね。でもその感覚ってなんなんだ? という問いは PUGMENT 初期にも考えたことがあって。その時は、子供の頃に着ていた服をつなぎ合わせてスーツをつくって、それを着て新宿の公園で8時間 (労働基準法で定められた1日の労働時間) 座り込むというパフォーマンス作品を発表しました。今回は、それをアップデートした現代バージョンともいえます。
― リストラされたサラリーマンみたいな?
そうですね。公園でスーツを着た男の人が、一人で座ってボーッとしているのを見かけたのが、その作品をつくろうと思ったきっかけだったので。街を歩いているサラリーマンは没個性的で匿名性が高いのに、昼間から座っていると、急にその人自身に意識が向く。そこに興味を持ちました。服のほうが人より強くなることがあるけど、逆に人が前面に出てくる状況は美しいなと思いました。
― 今回のモデルたちも、歩いてきたかと思ったら、空いている椅子に座ってボーッとしたり、席と席の間を横切ったりしていましたね。
椅子は見る人とモデルの視点が揃うように均等に配置しました。そしてモデルたちが同列の椅子に座り、そのままずっと同じ場所にいると、やがて服は見飽きるので、服よりもモデルの表情などに意識が向いていきます。通常のランウェイだと一瞬で通り過ぎるし、見る人とも距離があって、そこに憧れの感情が生まれる構造がある。今回私たちが目指したのは、ランウェイで服を発表することに対して、別の意味を付け加えること。まっすぐ目標に向かっていたのが、だんだん直線じゃなくなって、分岐しながら崩れ、それぞれの道を歩いていくというのをやりたかった。
― モデルのひとりにコムアイさんがいましたよね。最初気づかなかったのですが、むしろ意図的に気づかれないようにしていたのですね。
ひとりの人としてそこに居て何かを思っていることが見えてくるよう、ひと目では気付かれないようにヘアメイクにもこだわりました。
― 全体に昭和のムードでした。
母の若い頃の写真がインスピレーションのひとつになっています。アイシャドウが青かったり、リップの色味だったり、ソバージュヘアとか、30年前のスタイルが新鮮に見えたので。あと、自粛中に観た『紅の豚』に出てくるジーナが、今シーズンの裏テーマというかキャラクターだったりします。映画の中でジーナが最後に恋した人が、夜のお店にしか来てくれなくて、でもずっと待ち続けている。痛みや複雑な想いを抱えながら待っている姿が美しいと思いました。今回のショーに置き換えていうならば、みんなそれぞれ孤独な状態で、たまたま同じ空間にいて、ひとつの景色をつくっている。その中で、他者との関わり方を模索している様子を見せたかった。
― PUGMENT のはじまりについても少し聞かせてください。ふたりとも美大卒ですよね。最初の出会いはいつだったのですか?
美大予備校で知り合いました。大学はそれぞれ違うところに行きました (大谷は東京造形大学、今福は東京藝術大学)。
― 中高生の頃は、原宿に通い詰めていたという話を読んだことがあります。
いじめられていたので、学校が終わったらまっすぐ家に帰って着替えて原宿に行って。当時はオレンジデイズの成宮寛貴やオダギリジョーに憧れていたので、彼らが着ていた服をチェックしにキャットストリートのセレクトショップに行ったり買ったりする毎日でした。
― 何を読んでましたか?
『TUNE』。写真に書いてある服のクレジットをチェックして、美容院とかもリサーチして通って。時代的には『CHOKICHOKI』全盛期でした。
― そこから美大に興味が向いたのはなぜ?
勉強を全然してなくて工業高校に入ったら、今度はヤンキーとオタクしかいなかった。やっぱり高校も馴染めなくて、1年で退学しました。美容師になるか、文化にいくか、迷ったんですが、そんな時になんとなく取り寄せた美大のカタログを見ていたら、変な格好してたり、派手な服を着ている人が多いじゃないですか。あ、美大いいな。ここ行こうってなって。
― ファッション目線で選んだ美大 (笑)
グラフィックデザインが一番お洒落っぽいなと思って、そこに入るために予備校に通い始めたんですけど、そこで仲良くなった先生が、ものすごいカッコ良かったんですよね。ダボダボのスケーターファッションの人なんですけど、油絵をやっていて。彼が「油やっといたら、あとでグラフィックできるから」という。その言葉にまんまと乗せられて、そのまま油絵科へ (笑)。
で、油絵科にいったら、なんかヤバい。まず道具がヤバい。テレピンっていうシンナーみたいな瓶がいっぱいある。デザイン科はアクリル絵具で清潔な感じなのに。油絵は、ほぼイコール現代アートだから、進路としてはアーティストになるか、先生になるかの基本二択しかない。よし、アーティストになるぞと思い現代アートについて勉強し始めました。美大に入って1年くらいは、やっぱり服のことしか考えてなかったですけど。
― 油絵科に行ったことが、今の PUGMENT のユニークさにつながっている気もします。
それはあるかもしれません。まったくルールがわからないところから、ファッションをやろうとしているので。
― その後に文化服装学院へ?
PUGMENT は文化に入る前からスタートしていました。文化に入り直したのは、実際に服がどうつくられているのを知らないと、崩すこともできないと思ったから。
― ブランドをやっていくモチベーションはどこにありますか。
「服ってなんだろう?」 という問いがずっと PUGMENT のベースにあります。そこは2014年のブランド立ち上げ時から変わってないです。
― これからについて考えていることは。
作家性について考えたとき、自分にはこれといったアイデンティティがない。だから服を大量に買って、キャラクターを設定するということを繰り返してきました。コロナ前までは、本当にたくさん服を買っていて。そこは個人的な欲求なんですけど、でも本当に欲しくて買っているのだろうか? と思い始めました。
そんな中、ただひたすら量をつくらないと成り立たない構造を、私たちは目指さなくてもいいかもなと。まだ答えは出ていませんが、たくさんつくって、たくさん売るのではないかたちで、でも多くの人に届けられる/買える状況をつくりたい。今、鎌倉に住んでいるのですが、東京以外の場所に小さなお店をつくって、そこでいつでも買える状態にするのもいいなと構想中です。